鬼教官狐
朝起こされたと思ったらそこはつい眉を顰めてしまう姿があった。
いつも通り尻尾を揺らす狐露なのだが、服装が違う。
彼女は黒い軍服、かなり位が高いのであろう教官風の上着を羽織って乗馬鞭を持ちこちらを見下ろしていたのだ。
そして彼女は言う。
「今から訓練を始めるぞ!!」
半ばこちらの意見も問わず、運動に影響を出さない程度の軽い食事を摂った後、屋敷裏の無数に続く分かれ道の一つを歩かされる。
道の先は温泉でも道場でもなく一本の長い獣道で形成された山の中だった。
「狐露? これは?」
「わらわの事は教官と呼べ!!」
近くの木に鞭をバシンと叩いた。
仕方なくそう呼ぶ事にした。
「教官? これは?」
何か変な映画かアニメにでもハマったのだろうか、そんな事思いながらも彼女のノリに付き合いこの状況を聞き出そうとする。
「わらわがさっき作り出したですろーどだ!! 貴様達には今からこの空間を走って往復してもらう!」
「貴様達? もしかして私も入ってるです?」
寝間着のジャージを着て、あくびをしていた狐凛がギョッとした顔をした。
「そうだ!!」
キッパリと言われ狐凛は絶望した。
「あ、姉様、わ、私はアウトドアよりインドアなのです……だから走るなんて野蛮な運動は勘弁してほしいのです……」
相手の顔色を窺うようにする狐凛だったが、姉は首を横に振る。
「そしてただ走るだけではない、道には幾つもの罠を仕掛けた。それを回避し戻ってくるのだ!」
狐露が僕達に何をさせるのかはわかった。
だが何故? という理由が欠如している。
杉糸は小声で狐凛と耳打ちを始めた。
「狐露、急にどうしたんだろう」
「サヨナキさんまた何かやったです?」
「やらかしは沢山思い浮かぶけどこれに対しては思い浮かばないね」
「ちょっと前のアレじゃないのですかっ」
アレは数日前の遊園地の事だろう。
だが自分が吐いて倒れてしまった以降、狐露は特にキツイ当たりをする事はなくいつも通りに接してくれるようになった。
「いや、狐露は僕を一通り虐めて禊は達成されたと思うよ」
するとバシンと鞭が近くの木を叩き、僕達はそっちに目が行った。
「さて貴様らには、はいかいえすしか選択肢はない。走ってもらうぞ」
φ
狐露は内心これはやり過ぎてないだろうか不安になった。
しかし許せ二人とも、これは其方らの為なのだと言い聞かせた。
わらわは其方らが最低限脅威から逃げきれる程度の力は持っていてほしいのだ。
だがまだ確定していない情報で二人に心配をかけたくはない。数日前の連絡から何一つ発展した情報は耳に入って来てない。
強く睨み続けると杉糸はこちらを見続けた。
気負けしそうになり視線を逸らしたい気持ちがあるが、ここで負けてしまえば全てが台無しだ。
「うん、わかった。君がやってほしいのならやるよ」
杉糸はいつも通り笑い、わらわの理不尽にも頷いてくれた。
そして軽い準備運動を始めたのだ。
杉糸はあまりにも都合がいい男だ。わらわの我儘や理不尽にも苦い顔はしていても最終的には聞き入れてくれる。
奴はいい人だが人が良いの方が正しいかも知れない。
だからこそ聞き分けが良すぎて違った不安が芽生える。
「其方は嫌ではないのか?」
「ん? 嫌だけどいつか役に立つかもしれないんだろう? 君の目を見たらやる気が出たよ」
「いやしかしこれは死ぬほど辛いぞ」
「姉様はやってほしいのかやらないでほしいのかどっちなのです……」
む、企画者であるわらわが迷うのはあまりにも愚かだ。
よし、ここは心を鬼にして、
「貴様の安っぽい根性は受け取った!! なら説明をしよう!! ただこの道をひたすら進み、行き止まりを中間地点として戻って来い! そして罠は全て致命傷仕様である!」
「姉様は私達を殺す気なのです!?」
「安心しろ、貴様らの傷は全てわらわの術が受けてくれる」
そう言ってわらわは掌から青い炎で燃え続ける藁人形を二つ取り出した。
「逆藁人形だ」
「あんまりうまいネーミング思いつかなかったんだね」
「ええい、黙れ。この人形は血を取り込む事で全ての痛みをこの人形が肩代わりしてくれる。だが致死量の傷を負うとこの人形は燃え尽き、二人は始まりの地点まで転移されまた人形に血を取り込んでもらう」
「要は最初からだね」
「ええー……」と狐凛がげっそりした声を出す。
しかし狐凛には余裕が少し感じられた。
それも当然、彼女はわらわと同じ大妖怪の血が混じってある。
戦闘向けの体質ではないが、術に関してはわらわ以上、逆に身体能力は人間並み。
「まあ私は別に良いですけど、人間のサヨナキさんは大丈夫なのですか?」
「大丈夫だ、狐凛、寧ろ其方は力を使う事を禁ずる、人と変わらぬ身体能力で進め」
「嫌ですよ姉様!! 無理なのです!!」
「ごちゃごちゃぬかすな!! 走れ走れ!!」
φ
狐露は遠くから二人の行方を人魂で監視しながら屋敷の居間に一人座っていた。
最初は軽めの、怪我すらも難しい罠ではあるが人間の身でありながらも器用に杉糸は避けていく。
だが逆に力を縛った狐凛は転げてばかりで見ていて不安になる。
いやまあはじめは其方を鍛える気はなかったのだが、成り行きですまぬ狐凛。
後でわらわのとっておきの羊羹をご馳走するから許しておくれ。
φ
そんなこんなで走る事になった僕達、一応僕が少し先に進んで後ろから狐凛が付いてくる形となっている。
「はあ、どうしてこんな事に……」
狐凛はため息を吐きながらもちゃんと走っている。
よく躓いたりするので彼女の着ているジャージは少し汚れてはいるが、
「どうしてだろうね」
だが杉糸は何となく狐露が無意味にこんな事するはずないと理解しているのでそこまでうんざりとした気持ちはなかった。
「おっと」
背後にいた狐凛の頭を手で伏せさせると頭上に何か素通りしていった。
それは近くの木に突き刺さる。
矢だった。
「殺意が一気に上がって来たね……」
「ひ、ひええええ……」
「でも痛くないからまあ大丈夫じゃないかな」
青ざめた狐凛にフォローの声を投げかけるが、
「痛くなくても怖いのは嫌です!!」とごもっともな反論をされた。
「まあ兎に角走ろう、さっきみたいな罠なら出来る限り僕が守るからさ」
「ゥゥ……その言葉信じるです」
そうやってまた走った。
その後の罠は振り子のように揺らぐ木の丸太だったり、バラエティ番組に出てきそうな熱湯風呂だったり、炎の地雷だったり、背後から黒いスーツ姿の人達が追いかけてきたり、大量のスズメバチに刺されかけたりとネタと殺意を交互に組み合わせながらも一度も死ぬ事はなく往復地点に辿り着いた。
確かに難しいがこの勢いなら一度も死なずにクリアは可能だろう。
なんて考えが甘かったと無慈悲な現実を僕達は突き付けられた。
それは一本道の先がまるで奔流に乗る大量の魚達のように、数千を超える矢が両側から放たれ続けた。
「姉様は私達に何を求めるのです?」
汗と砂まみれの狐凛、自慢の尻尾もいつもの美しさを忘れ埃のはたきみたいになっている。
「僕達が思った以上にスムーズに進むから急に難易度上げたんじゃない?」
普通に考えたら無理なこの道先、遠回りや道をずらしてもいいのなら可能だが狐露は今いるこの一本道を進めといっていた。
たまに狐露は人間の限界を勘違いしている節があるが、もしやこれもそのせいだろうか。
杉糸がうーんと終わる事のない横殴りの矢を見続けながらもある事が思いつく。
「あ、這いずっていけばいけそう」
そう、ずっていけば何とか矢の射程範囲から逃れそうなのだった。
「正気ですか?」
「でもこれ以外今の所いい案なさそうだよ?」
杉糸はそう言って這いずっていこうとする。
「あーもう! 待つのです! 置いて行かないでほしいのです!!」
背後からそう聞こえ杉糸は少しスピードを彼女に合わせながら進め続けた。
しかしちょっと頭上を見上げるだけでこの世の光景とは思えないのが目に映る。
これはこれで新鮮だな、と命がかかってないからか呑気な事を考えながらも進んでいると。
「ぎゃー!! 尻尾に刺さったです!!」
並ぶように進んでいた狐凛の尻尾がゆらゆら揺れていたせいか矢の餌食になり、その勢いでか上半身を起こしてしまったのだ。
「あ」
ぐさぐさぐさぐさぐさ。
「ぎゃー! なんか気持ち悪__!!!」
そう言い残し、彼女の身は青い炎に包まれて消えてしまった。
「……進もうか」
一人事をぼやき、杉糸は苦笑いしながら進んでいった。
これで一応ほんとうに安全性は確認された。
そこから一人になった結果、さっき以上にスムーズに進めるようになった。
確かに無茶苦茶な道だが本当にギリギリの所で人間でもクリアできるように調整はされている多分……
後、三割くらいだろうか、罠も激しくなってきたがほんの少しだけ楽しくなってきた時に突如目の前に黒い渦が現れた。
これも罠か?
杉糸はそう判断し、避けようとした、だがその渦はブラックホールのようにこちらを吸い込み、自分の力ではその引力に逆らう事は出来ない。
この感覚はアレに似ていた。
初めて僕が狐露と出会った時の。
そして気づく。
罠じゃない、これは狭間のイレギュr__
φ
体が謎の浮遊感に満ちたと思えば鈍く鋭い衝撃が全身を襲った。
「―っ!! かぁっ!!」
体が酸素を拒むほどの痛み、息さえもまともに出来ず一瞬意識を失いそうになる。
だが致命傷には程遠い、瞬間死ぬほど痛いだけで徐々に酸素は体中に行きわたり、杉糸はいてててと余裕あり気に身を起こす。
実際は打撲か打ち身か軽いヒビかで結構後に響く怪我だろうけど。
何メートルくらいだろうか落下したのは。少なくとも頭からじゃなくてよかった。
しかしここは何処だ? 狭間の外側、つまりは僕達の世界の町なのはわかるのだが運悪くスマホも財布も持ってない。
近くの交番でもかけつけて助けを求めようか、なんて考えてると声をかけられた。
「驚いたわ、人が落ちてくるなんて」
多分二メートルくらいから落ちたと仮定しておこう、少なくとも急に人が落ちるのを見られたら驚くのも当然だ。どうにかして誤魔化す算段でも考えていると、
「あ」
声の主は杉糸の知る人物だった。
「ごきげんよう、星月夜さん」
黒い冬物のセーターの女性は少し前に遊園地で出会った天城であった。




