狐の少女と白髪の青年 3
「んぐもぐっ、がつもぐ」
首を吊ろうとした居間、ちゃぶ台の上に並べられた焼き魚をメインとした胃に優しそうな粥料理を青年はむさぼるように食べていた。
そして狐は青年の向かいで頬をつきながら引き気味に見ていた。
「凄い食欲だな其方は……」
「ばるぶつがまみもだべでないがだねっ(丸二日、何もたべてないからね)」
「ええい、食べるか喋るかどっちかどっちかにせい! 汚い!」
そうして狐は湯飲みに水を入れドンと勢いよく卓の上に置く。
「ひょめんほめん(ごめんごめん)」と謝りながら水を飲む。
ごくっごくっ。
「ふぅ」
まだ食事はあるが、適度に胃に飯を入れたので一旦一息つく。粥とはいえこれ以上勢いよく食べると胃の調子が狂いそうだ。
「美味いか?」
狐は耳をぴょこぴょこ動かしながら料理の感想を聞いてくる。
青年は気まずそうに笑いながら正直に言った。
「ごめん、まずい」
「なっ」
「魚は焦げの味しかしないし粥はべたべた、山菜は塩辛いし漬物は多分失敗して腐ってる」
青年がズバズバと感想を言っていく度に狐の尻尾と耳は萎れていく。実際飯をご馳走してもらって言いたくないが誤魔化しが効かないほど不味かった。
味以外でも料理を舌に乗せる度に体がピリピリと痺れてくる。
恐らく彼女は味見をしないタイプと見た。
とはいえ一つだけは別段に味が優れた料理があった。
「でも大根の煮物だけは凄く美味しい」
そう言って青年はひょいひょいと食べていく。
すると狐はさっきまでのしょんぼりが嘘のように立ち直っていく。
「そうであろうそうであろう。基本料理のせぬわらわだが、それだけは得意なのだ」
鼻たかだかに得意げになっていく狐であった。
食事を終えた後、狐が指を鳴らすと皿たちは青い炎になって消えていった。
湯飲みだけは残してもらい青年は食後の暖かいお茶を啜る。
「さて、飯も済んだことだ。その借りを質問の返事で貰ってもよいか?」
「良いけど先にもう一つ貸しを作ってもいいかな?」
狐は少し悩んだように考えながらも、
「ん? まあよいが」と頷いた。
なら自分の事よりもまずこの状況や狐について色々聞きたい事がある。
最初は挨拶代わりとして彼女の素性を聞いとくべきか。
「そうだね、まずは君が何者なのか聞きたいかな」
まあ殆ど予想は付いているのだが予想が外れたら恥ずかしいので彼女の口から確かめておきたい。
「わらわの事か、わらわは狐露少々ワケあってこの地に閉じ込められた九尾の狐、其方らにとっては妖、と言った方が馴染み深いか?」
あらかじ青年の予想通りであった。彼女は狐の妖、実際にいたんだと思いながらも珍しい話なだけであり得ない話ではないと勝手に納得した。
「というかその尻尾九本もあるんだね」
風に揺られるようにふわふわと動き続ける尻尾を見て杉糸の目が光る。
両手をいやらしく動かしながら言う。
「ちょっと触ってもいいかな?」
「嫌じゃ、其方の目が助平だ」
「ほんの少し、一度だけで良いから、先っぽだけでも良いから、君が天井の染みを数えている間に終わってるから……」
「来るな変態!」
軽く引かれ、完全にノーという意思表示をキメられたので杉糸は手を引っ込める。
これ以上ふざけたら少し会話の趣旨がズレてしまうな、青年は頬を掻きながらもう一つ問始める。
今度こそ本当に聞きたかったことである。
「じゃあもう一つ、この世界は何かな? 君が封印された場所なのはわかってもそれ以外何一つわからないんだ」
青年は人懐っこい笑顔を見せる。
「ここか」
すると狐露はため息交じりに言った。
「ここは狭間だ、常世と現世の狭間とわらわ達は呼んでいる。つまり__」
狐露が話すより先に杉糸は口を開く。
「つまり死者と生者の世界の間で、合ってるのかな?」
常世とは早い話はあの世、現世は文字通り生者の世、その単語を安直に推測するのなら中間世界という事になる。
狐露の反応を見るに正解だったようだ。
「なんだ。思ったより飲み込みが早いではあるまいか。そう、ここは間、現世でもあの世でもない歪な世界、いや歪な空間と言った方が正しいかも知れぬ」
「ならあの神秘的や夜の空間は? 鳥居がたくさんあって平安時代に建ってそうな建築物が沢山あるあそこ」
「それも狭間だ、寧ろそこが本体でわらわの住む屋敷はそこのおこぼれで作った空間だ」
杉糸はふーんと思いながらお茶を啜る。
「それで君は何故ここに閉じ込められたんだい?」
すると狐露は目を逸らした。下手な口笛まで吹いて「何故であろうなー」と棒読み気味に誤魔化そうとしていた。
封印されるという事はつまりそういう事だ。
「悪いことしたんだ」
「ひ、人は殺めておらんぞっ!!」
「それ以外はしたんだ」
「そ、それにわらわは被害者だ! 陰陽師の奴らがわらわの事を存在しているだけで危険だーとか退治すべきだーぬかしおってわらわは反撃しただけだ! 被害は凄まじかったのは否定せぬが……」
「加害者が被害者面してる」
「んなっ! だが不殺ではあったぞ!!」
殺さなければ何しても大丈夫と思ってるのだろうか、まあ彼女の事情もあまり知らないのにアレコレ言うのも嫌な話だ。
一部脱色されてはいるけど嘘はついていない。
取りあえず、どうどう、と彼女を宥めた。
「ああそうだ、一つ言い忘れておった。この狭間には普通の人はまず来ん、妖力や霊力、これは人と妖によって言い方が別なだけで結局は同じ力だが、その力が無い限りまずこの場所に来ることは出来んようなっておる」
それを聞き、青年は少しだけ安心した。そのワケのある安心は色々と複雑な事象が蠢いているが。
「さてそろそろこちらが質問する側に立ってもよいか?」
「うん、聞きたい事は大体聞けた」
青年は頷いた。
「そうかそうか、なら聞くが何故其方は……いや名から聞くべきか、一応其方の名を言え」
恐らく狐露は先ほどの自殺しようとした件について聞きたいのだろうが名を先に要求された。
杉糸、小夜鳴杉糸
「そうか杉糸、なら次は……その顔なら聞かぬでもわらわの言いたい事はわかるであろう?」
杉糸はこくりと頷く。
「何故僕の髪が若いのに全色白髪なのか」
「違うわっ!」
狐露は両手で卓を叩き、湯飲みが一瞬宙に浮く。あちちと湯飲みをキャッチしてまたお茶を啜る。
「っ、其方と話していると調子が狂う……わらわは何故其方が死にたがっているのか聞きたいのだっ」
「ああその事」
そう知らなかったようなフリをしながら杉糸は笑みを浮かべる。
「何故でしょう」
「其方が言わねばわからぬわっ」
「いや、君なら察せるはずだよ多分」
杉糸は試すように狐露に向かって言う。
「?」
狐露は最初首を傾げたが何かに気づき訝しんだ目で見る。
「うむ……? 確かに其方からは人でも妖でもない奇妙さを感じるな。まるでわらわが昔に出会った女なのか男なのかわからない童子のようだ」
「独特的な喩えをするんだね」
「うむ、男女のようだ其方は」
杉糸は苦笑する。
しかし狐露の目がよりきつく引き締まり、真剣に感じ取ろうとしてるのはわかった。
「其方、さっきの言った力は備えているか?」
力と言うのは妖力やら霊力云々の事だろう。しかし自分はそんな大層なものは持っていないのだ。ある一つを除けばただの人間でしかない。杉糸は首を横に振る。
まあそのたった一つが自分を異常に変えているのだが。
「ふむ、なら何者かによりかけられた呪い、か」
するとぼそりと狐露は呟いた。杉糸は優しい微笑みで、御名答、と言った。
呪い、それは遥か昔から伝えられてきた怒り、恨み、辛み、悲しみやら負の感情によって引き起こす超常現象を一括りに纏めた存在。
科学の発展した現代では呪いという概念は薄れて与太話のような扱いを受ける事になってしまっていたが杉糸は呪いを信じている。
というよりは信じないとやっていけないのが本音だ。
「ふむ、やはりそうか」
狐露は神妙な顔つきで顎に手を乗せる。
「何の呪いだ?」
「ああそれは」
また言って何になる? 同情が欲しいのか? と何処からか声がした。
杉糸は続きを言おうとした。だが、不思議と声が出なかった。
いつもこれだ、自分の呪いや死に関わると幻聴が聞こえてくる。自分を肯定する為だけに生まれた責めの幻聴が囁いてくるのだ。死ねと。
しかしその動揺を隠すように笑みを作り、別に掠れてるわけでも震えているわけでもない普通の声で言った。
「他の人を殺す呪い」
杉糸は続けて言う。
「それも僕が好きになった人だけを」
「……」
狐印は沈黙した。そして憐れむような眼をして、
「そうか」とだけ呟いた。
まあ、そういう反応になるよな。
杉糸は温くなったお茶をずずずと啜りながら全て飲み干す。
ただ別に同情が欲しいわけじゃない、欲しいものは死ぬ事ただそれだけである。
これ以上、狐露に関わるのはやめておこう。彼女は優しいから好きになりそうだ。
「ごちそうさま、不味かったけどこんな優しい料理を食べたのは久しぶりだよ」
そう言って立ち上がり、隣に置いていたリュックに手をかける。
すると狐は目を大きくして慌てて同じように立ち上がる。
「も、もう行くのかっ?」
「うん、逝く予定」
狐は身振り手振り動かしながら何か言いたそうにしていた。だが杉糸は先に釘を刺すように言葉を並べていく。
「さっきも言ったように僕は誰にも関わっちゃいけないんだ。もう誰も自分のせいで殺したくないしそもそも関わる気がないよ」
「だから自分が……死ぬのか?」
「うん、呪いを振りまくよりはマシじゃない。特に君みたいな優しい人……狐? を殺すわけにはいかないだろう?」
杉糸は笑う。枯れたように笑う。
「わらわが優しい? 其方の目にはこの魍魎の姿がそう見えるか」
狐露は何処か挑発するような口ぶりで言う。話を逸らそうとしているようにも見えた。
冷徹な表情をしても目までは隠せない。
「うん、僕は見た『目』で人を見抜く特技があるんだ。見た目は見た目でも僕が見た『目』だけどね」
杉糸は一刺し指で自分の目と彼女の眼を示した。
「少なくとも君は、死んだみんなと同じ目をしてる。僕が殺した人達と同じ目を」
特技と言っても見ただけで他人の全てがわかるわけじゃない。そんなもので理解しされた気でいるのは相手も自分も不愉快だろう。
それでも、それでも周りに優しい人が多かったせいかそういった人は見ただけで自然とわかる、わかってしまうのだ。
「その呪いは力を持たない者だけを殺す。わらわにそれは効かん」
「そんな確信の持てない賭けに巻き込む気はないよ。今更のうのうと生きる気もないし」
杉糸は淡々とした口調で言い、狐印は苦虫を噛みしめたような顔で唸る。
どうにかして死ぬ事、去る事を止めたいのだろう。寂しいから。
それでも杉糸は止まる気はない、このまま無理矢理にでも帰り方でも聞いて去ってしまおう。少なくとも本心で頼めば彼女は断らない。
そう思い杉糸は口を開こうとしたが、狐露は手をポンと叩き何か閃いたような顔をする。
「そういえば其方はわらわの借りを一つ残しておるな?」
「え、あ…………そういえば確かに、でもそれが何か?」
「フフフ、フフフフ……」
狐は出会って初めて見せた邪悪な笑みを浮かべながら杉糸の目にも見える禍々しいオーラを放っていた。
そして云う。
「今宵、わらわの飲み相手になってくれぬか? ってなんじゃその顔は!」
多分凄い嫌がっている顔をしているのだろう。内心えー、と思っている。
狐はさっきの重い雰囲気は何処に行ったのだと言わんばかりにぶいぶい物言う。
「もう夕暮れは近いのだぞ、其方だって人目の付く所で野垂れ死に殺生石にはなりたくないであろうっ! 知っておるか殺生石? 知らぬなら__」
「知ってるよ」
殺生石、この場合に限っては玉藻の前の伝説のような意味合いの方が正しいだろう。どんな石かと言うと狐が死んだ、石になって近づく者すべてを殺す石になった、終わり。
ふと杉糸は考え込む仕草をして口を開く。
「……君の場合は死んだら殺生石になるのかな?」
「恐ろしい事を聞くな其方は、まあなろうと思えばなれるが」
「なれるんだ」
それとは別に確かに殺生石のようになりたくないのは確かだった。自分の呪いは未知な点もある、もし自分が死んだあとも呪いを振りまく事になってしまえばそれこそ最悪だ。
だからこそ誰の目にも誰の手にも触れられない場所で死ななければならない。
「それで」
狐露なニヤニヤと笑みを浮かべながら酌を交わす手動きをしていた。
「其方は借りを踏み倒すような男なのか?」
杉糸は苦笑いをしていた。
そして諦めた。