どら焼き買うにも一苦労
彼女の策といえば何が始まるのか身構えたのだが、いざ出てきたのは。
「狐燐、少々お遣いを頼んでくれぬか? 道案内としと杉糸を連れて行け」
最初ははい、と愛犬のように尻尾を揺らして喜んだ狐燐だったが、僕の名前が出た途端表情がぐるりと変貌した。
「買い物など私一人で十分です」
「しかしわらわの行きつけである銅羅右衛門というどら焼き屋は知らぬだろう?」
「ぐっ……でしたらお言葉ですが彼一人に任せれば?」
「そうしたいのだが彼奴は度が過ぎた守銭奴でのう、少しでも気を抜けば釣銭を誤魔化しかねぬ」
おい、杉糸は笑いながらも目は笑ってないまま狐露を見つめた。
狐露の方はいつもと変わらぬ表情をしていたか、頭の耳をぺこぺこ寝かせ立たせを繰り返していた。
それが平謝りに見えてもしや謝罪してるつもりなのだろうかと思った。
「最低です」
「ああ最低であるな」
尻尾もぺたんべたん動き始めた。それが謝罪のつもりだろうか。
僕、笑ってるけど心は傷ついてるからね。
「姉様が言うのなら不本意ですがわかったです、オラ、早く道案内しやがれです」
僕の腰を尻尾でぺちぺちと叩く妹ちゃん。
杉糸ははいはい、と苦笑いしながらこれで本当に仲良くなれるのだろうか、と行き当たりばったりな気もしなくもない作戦が成功すると思わなかった。
φ
銅羅右衛門というどら焼き屋は杉糸の地元の駅前近くで経営している。
過去に瞑羅那怒というたい焼き屋と激戦を繰り返し、最終的にはヤクザが出張るくらい抗争が悪化した事で町では悪名高い店でもある。
同時に味の良さは確かで、ネガキャン過去全てを打ち消すレベルのどら焼きのおかげで大繁盛しているようだ。
今その店に向かっている途中なのだが、杉糸は話が続かないな、と隣で歩く銀髪の美しい少女を見ながら笑った。
狐燐の方は流石に同じ服装ではなく、袖の長い白いワンピースを着ていた。
当然耳や尻尾は生えてない。
「まだですか、どうして私が貴方とずっと歩かなければならないのです」
狐燐は汗を流しながらぶつぶつ呪言のように愚痴り続けていた。
その間に何度か「もう少しだよ」とか「ハハハ」と言葉を入れても「貴方に言ってません」と強気な口調で返された。
なんか凄い愚痴だね、それ。
「貴方がさっさと居場所を教えればいいのに、言葉で分からないのなら地図でも書くかそのスマホを貸せば解決するです、どうして私が」
それをしたら折角の作戦が台無しになってしまうからね、とは流石に言えなかった。
「ん……?」
そんな事考えながら歩いていると隣に狐燐がいない事に気づいた。
振り返ると少し離れた位置で膝に手をつけて腰を曲げていた。
顔色が悪く、汗も酷い。最初は体力がないのかと思ったが少し違う、まだ十月という時間帯によっては暑い季節故か熱中症にでも罹ったのか。
「大丈夫?」
返事はない、息遣いが少し荒い。
「涼しい所で休もうか?」
杉糸はペットボトルの水を取り出し渡そうとするが、狐露はそれを振り払った。
「大丈夫……っです。ただふらついただけです」
そうやって足に力を入れ立ちあがろうとした時に見えた。
彼女の首、胸元に何か赤い爛れたミミズ腫れのようなアザが浮かび上がってたのだ。
昨日まではそんなアザなかった筈だ、しかもそれは大きな切り傷のようにも見えた。
「大丈夫に見えないよ」
何かあってからでは遅いのだ。
杉糸は振り払う狐燐を無理矢理にでも掴んだ。
そして息が止まる。
腕にも同じような切り傷アザが出現していたのだ。
何だこれは? 彼女の体に一体何が起きている?
「貴方には……関係ないっ……話です!」
それでも狐燐はふらつく体で僕の掴む手から離れようとする。
だが杉糸は離す気はなかった。
「それでも君にもしもの事があったら狐露が悲しむよ。僕には話さなくてもいい、ただそのアザと今の異変に関係あるのなら狐露には話すべきだ」
杉糸は子供をあやすような笑みを浮かべて言う。
「僕が死んだら彼女に残るのは君だけなんだ、だから狐露の為にも元気で__」
しかし言葉を遮る狐燐の言葉は強い怒りに満ちてきた。
だがその怒りは何処にぶちまけていいのかわからないものでもあった。
「言って何が変わるのです!」
力が緩み、狐燐の解放を許してしまう。
彼女は走り、こちらに背を向けて走り出した。
「待て!」
杉糸も急いで走り跡を追う。
狐燐はふらふらと走り、周りが殆ど見えていない。見えていないからこそ重なった。
あの先は赤信号、そして狐燐は躊躇いもなく白線を渡ろうとする。
だがそこには車が何度も交差して、このままでは轢かれてしまう。
ぐにゃりと世界が絵の具で塗り潰されたかのように歪んだ。
「母さんが死ぬ」
杉糸は信じられないものを見る目で、幼い自分の姿を目視した。
幼い僕はただ無言で白線を渡ろうとして、感情の籠らない目でこちらを向いた。
「だめだだめだだめだ!」
杉糸は急いで走り出す。
それ以上行くな、それ以上足を踏み入れるな、僕が歩いたせいで母さんは死んだんだ。行くな、行くんじゃない。行くな、行くな!!
杉糸は幼い自分に手を伸ばしてこちらに抱き寄せた。そして自分が歩こうとした先に車が横切っていく。
そして自分が今必死に抱き締めているのは幼い自分ではなく狐燐である事を理解する。
歪んでいた世界が元に戻る。
どっが病人なのやら、自分も吐き気、眩暈を感じながらも同じように息が荒い狐燐を見つめる。
救急車、違う、これは狐露に見せるべきだ。
杉糸は狐燐をおぶろうとした、よかった、まだ軽い方だ。今の自分でも簡単にかつげる。
しかしその行動に移る前に彼女は立ち上がった。
「もう大丈夫っです……」
まだ顔色は悪い、だが首のアザのようなものは消えていた。
これは何を言っても聞かない子だ、仕方ない、やり方を変えるしかない。
だが杉糸は納得のいかない顔だったせいか彼女に考えを悟られてしまった。
「姉様に言うというのなら貴方を殺すのです」
殺気は感じる、だが本気さは感じない。
「それならそれでいいよ、僕の命で君が救われるのなら御の字だ」
杉糸は少し笑いながらも本気で言っていた。やはり簡単に人は変われない。
狐露の為に生きると言いながらも死ねるのならそれで良いと思ってしまう自分がいる。
「もうこの体がダメなのは私が一番知ってるです、だから」
狐燐はこちらの服の襟を掴み涙目で口を開いた。
「私は死ぬ前にひっそりと何処かへ消えるのです! 貴方にとっても私が死ぬのが一番良い筈です……っ、これ以上姉様に悲しみを背負って欲しくないのです! だから……最期の日まで何も知らず姉様と日々を過ごさせてください……!」
「僕にとっての一番は君と狐露が生きることだよ」
嗚咽を漏らすかのように狐燐は涙を流している。
そして胸元にはうっすらとアザの痕のようなのが出ていたが、さっきと比べてよく見なければ気づかないほど薄い。
「お願いです……お願いなのです……」
泣き虫なところも姉に似ていた。泣きつかれて今だけでも彼女に従った風にしておくべきか。
杉糸は強く握り締められた彼女の腕を解きながら言う。
「君のお姉さんは感が鋭いよ、もしかするともう気付いてるかもしれない」
「ちゃんと隠すのです、だから大丈夫です」
「答えになってないよ」
杉糸は笑う、感情の籠らない渇いた笑い声をあげる。
遅かれ早かれ狐露は気づく、根拠のない確信だが絶対に気づくと心のどこかで理解していた。
だが狐露が知って何が変わるのだろうか、狐燐はもう助からないと間接的に言っている。
いや違う、行動しなければ変わらない。まだ試してもいないのに先に諦めるには早すぎる。
せめて手に届く範囲の誰かは幸せであってほしいのだ。
だから恨まれることになろうとも、最悪な結末に繋がろうとも僕は狐露に伝える。
「今のうちに姉様に私の呪いを伝えられない術をかけとくのです」
「えっ、ちょっと待__」
結局その日、どら焼きを買い忘れた。




