糸杉
小学五年の頃だった。
暖かい太陽の光が差し込む窓際の病室で杉糸は祖母のお見舞いに来ていた。
五年の頃から祖母は体調を崩す事が増え定期的に入院する羽目になった。
そしてその入院は小学五年の少年にとってはまた家族を失う恐怖に陥らせるには充分過ぎる要因でもあった。
「また来たんかい、杉糸くらいん年頃ならこんな年寄り相手するより友達と遊びや?」
「ちゃんと友達とは遊んでるよ」
とは言っても友達はいるにいるが仲の良い友達はハッキリ言っていない。クラスメイトと友達の中間くらいの中途半端な感じだった。
「ならええけど。でもごめんなぁ、今日も体調崩してもうて。ちゃんと田口さんには連絡してるから」
田口さんとは祖母の友人であり祖母がいない時家に泊めて貰っているのだ。
「別にいいよ、僕はお婆ちゃんが無事ならそれでいいんだよ」
「まああの子らの代わりにうちの孫が大っきくなるの見てやらないとあかんからなぁ、まだまだ死ねへんわ」
祖母は口の中の入れ歯を見せてガタガタと笑った。
「うん、もっと僕なんかより長生きしてよ」
「孫より生きてどうするんやこの孫不幸者め」
「いてっ」
祖母で軽くデコピンされて頭を撫でる。
僕は女傑のようにたくましい祖母が好きだった。この人なら本当に僕より長生きしそうだ。
しかしさっきまで笑っていた祖母が突然神妙な顔つきになっていた。
「せや、杉糸は自分の名前の意味知っとる?」
杉糸は顔を横に振る。
「じゃあ言っとかんとなあ、意味知ってんの自分だけや」
すると祖母はゆっくりと昔話を語るように言いだした。
最初はゴッホだとかなんだとか、意味わからん事言い出して仕舞いには死に関わる意味合いだったから息子の嫁と喧嘩して。
杉糸はそれを聞いた時少しショックを受けていた。でも本当は違った。
「でもなぁやっぱりあの子も親やった。自分息子に簡単に死ねなんて名前つける子じゃあなかった」
そして杉糸は自分の名前の由来を聞いた。
目を覚ました、それはいつも通りの見慣れた天井。
狐露は寝間着姿のままゴロンと寝転がった。
昨日は杉糸を放っておくわけにもいかず、なし崩しにそのまま布団で一緒に寝てしまった。
とはいえ杉糸はわらわに手出し出来る精神状態ではなかったので何も無かったが共に寝た事実が少々顔を赤らめさせるには充分だった。
しかしそんな裕著な事を考える余裕などない、奴となら共に死んでもいいと内心恐れつつも思っていた。
死にたくはないが杉糸を失って生きる気はない。
「なあ杉糸、其方は起きておるか?」
杉糸に対して声をかける。
「杉糸?」
もう一度言う。
「ん?」
返事がないので上半身を起こして隣を見ると。
「いない」
隣で眠っていたと思っていた杉糸の姿がどこにもいなかったのだ。
布団を蹴飛ばして駆け出した。
「杉糸―!!! 早まるなー!!」
屋敷内をまんべんなく捜索するが見つからない。
「二重の意味でわらわをおいていくなー!!!」
「おいていかないよ」
すると杉糸の声がした。
前にもこんな事があったようなと既視感を覚えつつ縁側の方の障子を開いた。
縁側に座り雲一つない青空を眺めていた。
「前にもこんな事あったね」
杉糸も同じ事を考えていたらしい。
ほっと安心しつつも余裕そうな顔を整える。
「確かに其方と出会った次の日はこうであったな」
「あの時は君がわんわん泣いてたけど」
それを言われるとカッと顔が赤くなっていくのを感じた。
「昨日は其方であったがな」
「うん」
しかし何も動じないように頷いた。
いつもと変わらないやり取り、だが何処かぎくしゃくとしたものが狐の中にはあった。
それも当然だ、これから共に死ぬ気でいるからだ。そう簡単に覚悟できるものではない。
だが杉糸が隣にいてくれるのなら死ぬのも悪い気はしなかった。
「なあ杉糸」
狐は杉糸に対し、その事を伝えようとした。だがそれよりも先に彼は腰を伸ばしながら立ち上がりこう言った。
「付いてきて欲しい所があるんだ。大丈夫、死にに行くわけじゃないから」
彼の浮かべた笑みは暖かい日差しのように柔らかかった。
φ
本音を言うと一人では不安だった。一人ではまた心を壊してしまいそうだった。
杉糸は昨日と同じ霊園に来ていた。
だが後ろには見張るように付いてきてくれる狐がいた。
流石のおしゃべりな狐露も空気を読んでか、墓参りに来たと知ってからは言葉一つ発していない。
足がぬかるみに浸かっているように重い。
心が締め付けられるように苦しい。
視界が今にも揺らいでしまいそうなほど危うい。
だが今度こそ目を逸らしてはいけない。
もう一度向き合う必要があるのだ。
「ここだよ」
杉糸は足を止め、家族の墓を見せた。
小夜鳴家之墓と書かれた墓標の前に立ち、昨日と同じように墓の手入れをした。
「わらわも手伝う」
「ありがとう、じゃあ線香をお願いしてもいいかな」
「任された」
そしてお互い動き始めたのだが杉糸は彼女に聞いてほしくてある話をした。
「前に僕の名前の話したよね」
「糸杉の事じゃな」
「うん、その話なんだけど__」
一度視線を逸らすと道には子供の頃の自分の姿があった。彼も無表情のままこちらを見続けている。
昔の僕は何を伝えたいのだろう。自分なのに何一つ読めなかった。
杉糸はそれを無視するかのように話を続けた。
「実は一つ隠し事をしていたんだ。嘘をついたわけじゃない、ただ言わなかっただけ」
「そうか」
狐の反応を見るに気づかれていたのだろう。だがその隠し事の内容までは知られてない。
「糸杉、その花言葉は死や絶望や哀悼って前に云ったね。でも一見負の意味合いに取られるだろう糸杉は実は悪い事ばかりじゃないんだ」
杉糸は皮肉気な表情をしながらも言う。
「死だとか絶望だとか言っておきながら糸杉自体は長生きで立派にのびのびと育つ、そんな様から生命や豊穣のシンボル扱いだったりもするんだ……その、つまりは__」
杉糸は上手く言葉を探しながら、祖母が伝えてくれた言葉を思い出す。
「母さんは僕に生と死、その人生に生きていく為に必ずぶち当たる表裏を深く理解して立派にすくすくと育ってほしいから名付けたそうなんだ」
その名付け通り立派に育っているだろうか。ハッキリ言って自覚はない。今も家族の願いを無視して死ぬ事を考えている。
「やはり親とはそういうものだろう」
隣で狐は思い更けるような表情のまま空を仰ぐ。
「わらわの親もそうであった。民に虐殺非道を繰り返し、税を増やしては気に食わぬ者を獣に食わせある者は焼かれある者は蟲や蛇に犯され、そんな人が絶望に染まる姿を酒の肴として楽しむ悪女として恐れられていたらしいがわらわや亡き妹の前では優しき母であったよ」
「うん、その告白は少し反応に困る。しかもそれ平安の日本じゃなくて昔の中国だよね」
それに妹がいた事は今知った衝撃の事実だ。
杉糸は苦笑いしながらも話のペースを持っていかれそうだったので会話を戻した。
「でも僕の考えは変わらない、両親の意思に背くとしても変えれない。変える気が最初からないからかな」
それはもう意地のような決心でもあったが、そもそも人の考えがそう簡単に変えれるはずがない。
家族の願いだとしてもその願いは呪いでしかなく、ただただ苦しいだけだった。
「知っているさ。だからわらわは其方の傍に寄り添ってやる。地獄だろうと三途の川だろうと共に渡ってやるぞ」
そう言う狐の目には決心のような固い意思が宿っていた。が、同時に優しくも悲しい目でもあった。
その目が嫌だ、狐にはそんな目をしてほしくないから否定する。
僕にとって彼女が一番のこの世に縛る呪いだったらしい。
「でももう少し頑張ってあがいてみる事にする」
「?」
狐は大きく目を開き困惑した様子を見せた。だが言葉を見失ったのか困った風に頭を掻きながらも心を落ち着かせてこちらを見た。
その時の目は冷徹で人を睨み殺すかのような目つきであった。
「どういう気変わりだ? まさかわらわを気遣ってるのではあるまいな? それはわらわの侮辱でもある、それにわらわがあの言葉を放つのにどれだけの勇気を出して言ったと思っておる?」
そうやってキツイ言葉を投げるのも狐なりの気遣いなのだろう。
杉糸はその目に臆する事もなく平然と言った。
「さっきも言ったように気は変わってないよ。ただ__」
「ただ?」
「悲し気に笑う君の目をもう、見たくないって思ったから」
「其方には言われたくないな」
「うん、自己嫌悪だろうね」
狐は大きくため息を吐く。
「しかしまあ、わらわは其方の生きざまを捻じ曲げるほど大事な存在なのか?」
狐は冷たい目で笑う。
彼女が優しい狐でなければこの後の返答次第によっては殺されても不思議じゃない、そんな重い威圧感を浴びていた。
だが杉糸は顔色一つ変えぬ笑顔で言ってのけた。
「うん」
だって。
「君の事が好きだから、好きな人には心から笑っていて欲しいもんじゃない?」
「ひゃうんっ!?」
今度は目も口も大きく開けていた。
そしてポカンと焦点の定まらない目で口をパクパクと魚のように動かしている。
「僕、君、好き」
面倒なので一指し指を自分と相手に動かしながら再度略して言った。
「好き好き好き好き好きっ好き、愛してる」
あまり感情の篭ってない口調のまま言い続けるとやっと意識が戻って来たのか顔を真っ赤にして両手で顔を覆い隠した。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
そんな叫びにも満たない声、一応霊園なので気を遣ってか少量のまま何か言っている。
屈んで顔を見られないようにしているが耳まで赤かった。
杉糸はふと水を汲んでいた鉄のバケツを狐の頭の上に置く。
「あっお湯になった」
それくらい彼女の頭は沸騰していたようだ。
しかし夏に試すのではなかった。ただでさえ火傷した腕を見られたくないから厚着をしているというのに。
そんな狐とは関係ない別の事を考えていると狐は涙目のまま立ち上がり顔を上げた。
涙、もしかして自分は嫌われている?
「其方はよくそんな恥ずかしい事を平然と言えるなっ」
いつもの少女のような顔に戻った狐はどういった反応をしていいのかわからないと表情を見てわかった。
「これでも眉が二ミリほど上がってるから恥ずかしがってるよ」
「そんなもの誰が気づく!」
「ハハハ」
杉糸は狐に腹をポカポカ殴られながら笑う。
ちょっと何度かみぞおちに入って痛いが。
「もっと場所があるであろう? 何故墓で告白をするのだ……不謹慎であろう」
「ついでに家族に僕な好きな人を紹介したくて」
杉糸は笑いながら殴ろうとする狐の手を掴む。
掴んだ手に恐ろしいほどの力が籠った。
「っ」
狐は不意に痛みで顔を顰めるが杉糸は気づいていない。
「痛いぞ、少し力を緩めよ」
だが杉糸の表情は何かに怯えるかのように固まっていた。
母さんが見ていた。
これはいつもの幻覚、そう頭では理解していても心は追い付かない。
世界は歪み、母の幻影だけが歪まない。
鼓動が早まって震えや吐き気が襲いかかる。
何故今更生きようとする?
声がする。
何故あれだけの人を不幸にしておいてのうのうと生きるんだ?
わかっている。
お前が罪を償えるとするのなら死ぬ事だ。
わかっている、わかっている。
なら他人を巻き込んででも死ね。さっさと死__
「杉糸!」
ふと掌に柔らかく冷たい感触があった。
それに気づくと世界は元通りとなり幻覚、幻聴、世界の歪みは全て消えていた。
右腕は狐の手をきつく縛りあげるように掴んでいた。だが左手は彼女の手によって優しく握られていた。
「ごめん」
慌てて手を離し荒げていた息を落ち着かせる。
「大丈夫か?」
「うん……多分」
「無理はするではないぞ?」
彼女の心配にありがとうと答え、徐々に心臓の鼓動が規則正しいものへと戻っていく。
「それでも家族以外の墓参りもしないと……」
その言葉を言うと狐の頭に獣耳が生えた。
「まさか其方他の者の墓も参るわけではないだろうな」
「そのまさかだけど」
杉糸は狐の頭を押さえて耳を消しながら言った。
「墓参り一つでこれではこの先が思いやられるぞ……」
「ごめん、でも目を逸らすわけにはいかないんだよ。僕が殺した人達とちゃんと向き合うんだ。もう少し生きるってのならこれくらいはしないと」
誰から要求されたわけでもなく単なる自己満足に近い決意でしかない、だが何か自分の生を肯定化させる目標が無ければ生きていけないのだ。
「叔母さん達や佐久弥の墓は関西にあるから結構離れてるから長旅になるだろうけど」
「長旅」
その一言でまた耳が生えた。
「いや待て、わらわは別に旅に反応したわけではないぞ、其方の贖罪の為に同行するというのに不謹慎な事など一切考えてはおらぬ」
「わかってるわかってる」
杉糸はそろそろ行こうと言い先を歩く。
狐はそれについて行き横を並び歩いた。
杉糸はそんな彼女を見た。
「?」
不思議そうに軽く首を傾げる狐、だが杉糸は知っている。彼女は僕の為に自分の心を殺す人だと。
それだけはさせたくない、ただ入れ替わっただけに過ぎない。
だから杉糸は言う。
「僕はもう君の前だけでは本音で生きる事にする、辛い時は辛いと言うし悲しい時は悲しいっていう」
「そうか」
「だから君も辛い時は隠さないで良いよ」
「……」
「一方的に依存するんじゃなくお互い共依存して生きて行こう」
「心を壊した者同士の傷の舐めあいというわけか」
狐は杉糸の手に自分の手を伸ばす。
そして指に間に指を入れていき恋人のように手を握った。
「ハハハ……」
「今の話に何か可笑しい所でもあったか?」
「いやふと思い出してね」
「何を」
「杉の花言葉が今の僕の状況にピッタリで」
杉糸は彼女に歩調を合わせながら言った。
「その花言葉は『あなた(君)のために生きる』」
狐は恥ずかしそうに視線を逸らす。
「うむ、わらわの為に生きよ」
「うん」
お互い心の底から笑い歩き続ける。
そして前方には幼い自分がそこにいた。
幼い自分はただ無表情で自分を見ていた。咎めるのか憐れむのかさえわからない。
そんな自分に杉糸はただ一言、ぼそりとだけ呟いた。
さようなら、と。
そして過ぎ去った後、杉糸は後ろを振り向く。
そこには過去の自分の姿はいなかった。
「行くぞ、わらわの愛しき人よ」
杉糸は狐に手を引かれて歩いていく。
血に濡れた地獄のような道も狐といれば多少はマシに思えた。
「ありがとう」
そう小さな声で狐に伝えた。
一章はこれにて完です。
取り敢えず五章分までは書こうかなーとは考えているつもりです。ちなみに二章からは一章のように長く続かないとは思います多分(現在三章執筆中)
二章以降はキャラが増えていきますがあくまでこの話は狐と青年のお話なので大事なそこだけは絶対に外さない事を意識します。
最後にコメディとして短編的幕間書きたい(願望)




