チュートリアル
杉糸は美術館外の柱にもたれ掛かり生あくびをした。
「最後にまともに寝れたのいつだっけ……」
よく悪夢を見るようになってから杉糸は寝る、という行為が億劫となりまともな睡眠を取る事をやめるようになった。とは言っても睡眠は生きる為には必須であるからただ気絶するように寝るようになっただけの事。
他は狐と共に夜更かししたり狐が心配しないくらいには寝て起きる、後酒を飲んで無理矢理眠気を誘う事も増えてきた。
しかしそれをする事はもうしなくていい。
杉糸は狐の現代の適応ぶりが予想以上に早く嬉しかった。現代のモラルや知識を覚え既に自分の教えなど無くても最低限生きていけるほどには成長したと思っている。
自分が教えるのはチュートリアルだけで良い、後は彼女自身が勝手に自分で蓄えていってくれるだろう。
だがそれ以上に嬉しかったのは__
「そこにいたか、探したぞ」
すると起こり気味の狐の声が柱の陰からひょこっと顔を出した。
「しかし其方は倒れた女子を無視する薄情者とは思わなかったぞ、わらわの事も見捨ておって其方は今【つーあうと】という状況だ」
「置いていった事を怒るんだ」
「? 其方は何を言っておるのだ。怒るに決まっているであろう」
泣く、悲しむでもなく、怒り。安心した。
しかし彼女は本気で少し怒っているようでこれは美味しいご飯でもご馳走しなきゃ機嫌は直りそうにないだろう。だがその前に杉糸は狐を試した。
「あの後、あの女性はどうなった?」
「ついて行けない会話を適当にはぐらかし別れたよ」
「じゃあ僕をどうやって見つけた?」
「?」
まるで心理クイズを投げているような口ぶりに狐は疑問に思う。しかし一応答えておくべきだと口を開いた。
「無論人に聞いた。其方の髪は目立つからな、白髪の男は知らぬか、これで終わりだ、フンっ」
怒り気味の狐は吐き捨てるように言い終えて視線を逸らす。だがちらっと反応を窺うように杉糸の顔を見るとぎょえっと変な声が出た。
「何故そこで笑う……?」
「え、笑ってる?」
「ああ、どう見ても笑っておる」
狐は両手で杉糸の頬を抓って痛い痛いと杉糸は笑う。
表情に出てたのは知らなかったが内心笑っていたのは事実だ。
狐は始め、僕以外誰とも今を生きる人間とコミュニケーションを取ろうとしなかった。いや取れなかったのだ。
だが心が癒えて知識を備えていった今の彼女なら平然と見知らぬ人と話が出来て今のように訪ねてくる事が出来た。
それが一番嬉しいのだ。
「アハハハ、今日は赤飯だ」
「其方どうした、もしや日射病になってしまったのか?」
狐が心配そうに顔を覗くが杉糸は気にせず笑い続ける。
これで良い、これが良い。
もう僕なんて必要ない、今の彼女なら勝手に誰かと関係を作ってもっと多様性のある生き方が出来るようになる。
ここから先は彼女が頑張れば何とかなる。その土台はもう作り終えたのだから。
「お腹空いたな、何か食べたいものでもないかい?」
「……きつねうどん、しかし本当に大丈夫か? 其方が苦しいのなら冷たいものでも構わぬが……」
「大丈夫大丈夫、うどんにしよう。折角遠くに来たんだ。美味しい店を探そう」
杉糸は何一つ悟られぬよう意識しながら笑う。
もう覚悟は出来た。後はやるべきことを済ませば全て終わる。
もう楽になれるんだ。
もう苦しまなくてもいいんだ。
もう生きなくてもいいんだ。
今週の日曜日、僕は死のう。
もう何もかもが限界だった。自分自身よく耐えた方だと思う。




