絵
狐は意外にもこういうものは退屈すると思っていたがじろじろと集中して展示物を一つ一つ見ていた。
興味深げに絵を見る彼女を見てこんな質問を投げてみる。
「ねえ、君にとってこの絵は何か感じるものとかはある?」
「感じる?」
「うん、どう思うか抽象的な感想で良いよ。特に何も、ならそれで」
そう尋ねると狐は顎に手を置いて、
「ふむ、そうだな……この者の描く絵には複雑な心境が表れておるな」
「へぇ」
杉糸は妖にはやっぱり書き手の心境もわかるものなのかと驚いた。
「苦しみ、悩み、悲しみ、主に負の感情が多いが……恋人……いや家族か、罪悪感混じりの家族思いな面も感じ取れた」
「実際仲がいいと言えるのかわからないけど彼には大切な弟がいたね。でもそんなのもわかるんだ」
すると狐は自信気に笑い、いつも杉糸に見せる無邪気な少女へと変わった。
「芸術には書き手の性格が象徴されると言うだろう? 感情の無い芸術など優れた品止まりでしかないよ。それに加えて魂の籠った絵なら尚更だ。其方が生者の目を見て判断するのならわらわは遺物を見てその者の感情を判断してみせよう」
狐は一瞬、目に青い火を灯してニヤリと口元を歪めていた。
「しかしわらわを試すような物言いをするが其方の方がこの画家に詳しいのだろう? 其方の説明でもわらわ聞きたい」
「うんいいよ」
杉糸は言い伝えられてきたゴッホの基礎知識程度を彼女に説明した。
だが説明していくにつれ彼女はある部分に大きく反応した。
それは世間一般では有名で狂行とされる珍エピソードの一つ、耳を切った云々の話である。
「当時は切り裂きジャックっていう殺人鬼の事件が大きく話題になったせいで耳を切っただけでゴッホは狂人扱いされちゃったんだ」
実際、ゴッホの行動が狂気的に報道されているのも当時の殺人鬼による事件の影響もなくもない。まあ結局精神病院に入れられて病んでしまったらしいけど。
「耳を切る時点で中々アレだと思うぞ、指ならまだしも」
流石妖で昔の狐、未だに倫理観が少しだけ現代とズレている。
しかし杉糸も狐の事悪く言えるタチではないので敢えてその点に関してはスルーした。
「指は嫌だな……日常生活にさしかえそう」
「だから指だ、わらわはそれほど其方を愛していますという花魁や遊女が使った覚悟の一手だ」
今となっては指の切断はヤクザがカタギに戻る為の一手となっているが。
「って花魁ももう少し後の時代だよね」
彼女は封印された時代を誤魔化している説が浮上。
しかし杉糸が何とも言えない顔で彼女を見ていたが狐は何やら自分の世界に入り込んでしまっていた。
そしてハッと目を開き何か気づいたような顔をした。次に顔を赤く染めてどぎまぎしながら彼女は言う。
「そ、そっ、其方は、わっ、っわらわの指を欲しくないかっ? 一本でも二本でも、五本までなら許容できるぞっ」
「現代じゃその告白は狂気に満ちてるからね」
偶然通りかかった一般通行人がこちらを見てドン引きしていた。
ノーの意思表示を間接的に伝えると冷静に戻った顔で狐は言う。
「それくらいは知っておる。其方の前以外でこんな事言わぬよ」
「僕の前だから、か……」
彼女は知っててボケただけだと思い安心した。もし違うならこの三カ月の自分の努力とは何だったのかとなってしまう。
ふと気が緩み、何か狐が僕に向けて呟いていた小言を聞き逃し呆気に取られた返事をしてしまう。
「それで好きなのか?」
「何が?」
狐は聞いてなかったなと、目で言い不機嫌そうにもう一度声を出す。
「ごっほとやらが其方は好きなのか? とわらわは問うている」
ふと質問を吹っ掛けられ一瞬答えに詰まる。
興味を持っているのは母関連が大きい。ただ母が好きだったと言えば良いだけなのだが不思議と中々声が出ない。狐に対し、家族の事を話した事はあまりないから慣れていないのだろう。家族の話をすると必ず同情される、自分が殺したというのに悲しまれる矛盾が嫌だからこそあまり話したくはないのだ。
だが呪いを知っている狐なら喋っても良いかも知れない。
「母さんが」
数秒、間を置いた。息を呑む。
「母さんが好きだったんだ」
そして杉糸は何事もなかったかのように言葉を続け、ある絵(星月夜)の前で立ち止まった。
「特にこの絵がね」
見るだけで視界が吸い込まれそうな不安定なうねりで統一されたこの絵は、奇妙で不気味で不思議な美しさを写し出している。
「母さん曰く初めて見た時頭ん中ぼーっとしてパーって見惚れてここの店員さんに貰えないか頼み込んだって……破天荒な母さんらしい話だよ」
「確かに其方の母らしいな」
「僕そんなに破天荒かな?」
母の話は父から聞いただけだがあの母ならやりかねん信頼が多少はあった。過去の母の天真爛漫破天荒迷惑っぷりが過剰に思い出として残っている。
「うむ、其方もどっこいどっこいだ」
「僕は他人には迷惑かけない主義なんだけどね」
「問題はそこではないであろう……ん?」
狐はふと顔を顰めて額縁に飾られた絵をじっと眺めて、あっ、とした顔をする。
「ふむ糸杉、糸杉……其方の名の由来か?」
そこに気づくのか、と狐印に対して杉糸の評価が少し変わった。やはり子供っぽいが彼女は僕より年寄りなだけある。真面目な時の彼女とは隙を見せれば心の中を丸裸にされてしまうかも知れない。
そんなことを考えながらも杉糸は名の由来に対して説明を続けていく。
「うん、糸杉の花言葉は主に死や絶望等の負の単語。ゴッホも死という概念に悩まされてから糸杉の入った絵が増えていくんだ」
狐は知らないので伝える気はないが他にもキリストの磔に糸杉が使われていて一見良いイメージはないだろう。
他にも隠された意味は幾つかある、だが敢えて省いて説明を終わらせて笑う。
「まあ僕ぴったりな名前じゃない?」
これは自虐なのだが杉糸の口調には一切捻くれた感情は無かった。寧ろ喜ぶようで何事もないような感じでもあった。
間があった。
「……其方の母は何を思ってそんな名を与えた?」
狐は苦い顔をしながら言う。
「…………さあ、どうしてだろう」
杉糸が一瞬返事に躊躇ったせいか狐印の眉が軽く動く。
はぐらかした事に気づかれた。
狐は察しが良い、流石年長者と言った所か数カ月の付き合いとなると彼女に対し心の奥底を覗かれないようにするのに苦労する。
しかし彼女自身触れようとしない事を知っている。何故なら自分と同じだからだ。心が不安定でどうしていいのかわからない。
「……まあよい、其方には沢山教えてもらいたい事が山ほどあるからな。わらわが満足するまで死なれては困る」
狐はそれ以上聞く気はない意思を見せ、手を引かれてついて行く。
「わかってるよ」
そう一言だけ言い、この話を切り上げようとした瞬間だった。
「あの人、倒れる」
館内の少し離れた先で女性に不審な動きがあった。いや不審以前の問題だ、遠くからでもわかるほどの青白い顔をして前のめりに倒れようとした。
その瞬間、杉糸の隣で青い爆発が起きた。
「はやっ」
杉糸が瞬きをした瞬間、既に狐は女性を抱き寄せて助けていたのだ。杉糸も遅れてその女性の元に駆け寄る。
酷い病状ではなさそうだが体調不良なのが見てわかる。
救急車を呼ぶか、そう思いスマホを取り出したのだが狐にその必要はないと止められた。
女性は小さな声で狐に向け謝罪をしていたが、狐は別に気にしてない様子であった。
「謝罪する必要などない、しかしふむ貧血か。まあ少しだけ目を瞑っておれ」
指を鳴らした途端、狐の頭と尻から耳と尾が生えたのを杉糸は見た。そしてその瞬間に狐は女性の全身が青い炎で燃えていた。
だがそれも一瞬、それも一秒にも満たず周囲が見ても脳が何故か燃えている女性とケモミミ娘がいた事を認識している。と困惑するくらいであろう。既に何もなかったかのように消えていた。
「あれ……?」
女性は不思議そうに呟き、何事もなかったかのように平然と立ち上がる。
「そちはちゃんと食事を摂っておるのか? 今回の貧血は栄養不足と日射が原因だ」
狐は女性が落としたバックを持ち、ほれ、と渡す。
「あ、ありがとうございます! でもどうやって……あ、もしかして、医療関係の人だったりするんですか?」
どうしてそこで医療関係が出るのだろうか、狐は思いながらも適当にはぐらかす為に肯定する。
「わらわは健康のツボを熟知していてな」と適当に答えたのだが本気に捉えられてしまったようで女性は目を輝かせる。
「私は看護師を目指してまして今も研修医なりたてで__」
そこから狐にとって聞き慣れない単語、ドラマでちょっと齧った程度しかない単語の洪水が襲い掛かった。
それに対し狐は「ああ」「そうだな」「そんな感じだ」と冷や汗混じりに具体的な返事が出来なかった。
もうだめだ、これ以上誤魔化せる気がしない。
「わ、わらわには連れがいる……奴を待たせては悪いのでなっ__」
狐はそう言って杉糸のいた方向を見た。
いなかった。
「杉糸?」
奴は逃げていったのだと頭の中に怒りが芽生えた。




