表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/53

第5話 フルンゼ、そして戦車兵たち


 ヒトラーが逮捕され裁判を待っている間に、ソヴィエトではレーニンが死んだ。今までの実績から言えばトロツキーが指導的地位についてもおかしくはなかったが、トロツキーは徒党を組むよりも正面切って戦い、あるいは交渉するタイプの人間だった。だから外交や軍事を長く担当し、国内政治で有力な派閥を持たなかった。相手が悪いことに、レーニンの死と入れ替わるように台頭してきたのは、徒党づくりに巧みなスターリンだった。


 そして国防人民委員としてのトロツキーの実権を食い荒らし、軍のドンとして君臨したのは、フルンゼだった。


 初期の労農赤軍は2種類の士官が混じりあっていた。共産党の活動家から軍人になった素人と、もとロシア軍士官である。例えばトハチェフスキーはロシア軍士官だったが、熱心に共産党の考え方を学習して政治士官もつとまるようになった。フルンゼという男はその逆で、共産党で活動してきて士官教育を受けていないのに、軍事を深く理解した俊才だった。主にシベリアで反革命軍と戦って実績を積んでいた。


--------


 会議室の長テーブルをはさんで、カーキ色の軍服を着た男たちがずらりと並んでいた。丸みのあるスキンヘッドにつぶらな瞳で、決して老け顔ではないスヴェチンも、若々しい労農赤軍の司令官たちに混じると老教授のように見えた。実際、ロシア帝国士官としての軍歴が長すぎるスヴェチンは重要な指揮権を与えられず、それでも軍事理論家として尊敬を受けて軍事大学校教官に任じられていた。


「我が労農赤軍は国土に対して軍容が小さく、ひとつの決勝局面に戦力を集中することは困難です。動員が完結するまでの相当期間、全般的な消耗戦を仕掛けつつ守勢に甘んじることを想定すべきであります」


「お言葉ですが、同志教官」


 その老師に、若いトハチェフスキーが果敢にかみついた。


「我が国は貧しい国です。国力をもって弾丸とする消耗戦では、西欧諸国からの反革命戦争に力負けしてしまいます。攻勢的性格を我が労農赤軍のドクトリンとして共有すべきであると考えます」


 次の相手は西欧諸国……というのは、自分も軍事大学校に籍を置いたことのあるトハチェフスキーが考え抜いて確信したことであった。激動の世を生き抜いてきたスヴェチンは、政治的な事柄を軍人が決めつけてしまうことには慎重であった。そして正直に言うと、トハチェフスキーはそうしないと党官僚たちからの批判を浴びることを感じ取っていたし、スヴェチンは立場上、そうした圧力に比較的鈍感だった。


 フルンゼは、政治的な慎重さが求められる事項に議論が踏み込んでしまったので、仕方なくボールを拾いに行った。


「だが精神主義的な願望を冷静な判断の代わりにするのは、唯物論的な態度ではないという批判もありうる。どのように答えたらよいだろうか」


 出席者の中でも重要な会議に以前から出ている者は、それをよく言うのがトロツキーで、よく言われるのがフルンゼ本人だと知っていた。だからやはり、口を開かなかった。新しい国には新しい国なりの長生きの秘訣(ひけつ)があった。


「同志将軍」


 多くの首が同じ方向に回った。発言者は長いテーブルの末席近くにいたからである。特に同席を許されている軍事大学校の生徒だった。教官としてスヴェチンは困った顔をフルンゼに向けたが、フルンゼは鷹揚(おうよう)に笑って見せた。


「発言したまえ」


「労農赤軍は世界のプロレタリアートの剣であります。我々の武器は世界的に最新ではないかもしれませんが、我々が多数であることを想定することは、許されるのではありませんか」


「名を聞こう、同志生徒」


「セミョーン・コンスタンティノヴィッチ・ティモシェンコであります、同志将軍」


 先のポーランドとの戦争では25才で騎兵師団長をつとめて勇戦し、そのあと軍事大学校に入ってきた若手有望株だった。


「セミョーン・コンスタンティノヴィッチ、我が軍は反革命を退ける間には550万人を数えたこともあったが、いまや50万を少し上回る程度だ。動員速度に注意を払うべきだとするスヴェチン同志の発言は傾聴に値しよう」


 フルンゼは穏やかな口調でスヴェチンの顔を立てた。ティモシェンコは空気が抜けたように着席し、周囲では苦笑いの連鎖が起きた。まさに労農赤軍は、低い工業生産力に悩まされながら、兵の数で反革命を圧倒し、抑え込んだのである。逆に言えば革命当初の国内ではともかく、隣国との紛争では労働者たちが戦場で労農赤軍になびくことなどないと言う現実が、そろそろ共有されてしかるべきところだった。だがそれをあからさまに否定することは、ソヴィエトに生きる軍人たちには困難だったのであった。


--------



 パーシー・ホバート名誉大佐は、ヴィッカース中戦車Mk.Iが配備され始めたと聞いて、無理矢理に見学予定をねじ込んだ。なにしろ任地は現在で言えばパキスタンの陸軍大学校だったから、所用で本国にいる間に見るべきものは見るしかなかった。幹部学校の教員として「箔」が必要なため、本当は少佐なのに大佐扱いされていて、今回のような無理を通すにはちょうど良かった。


 この戦車は最高時速15マイル(約24km)という画期的な高速が出るとされていた。いい道路なら30マイルを出したこともあると聞いていた。第1次大戦末期の菱形戦車であるマークV戦車と比べると、エンジン出力は60%だったが、重量は43%に抑えられていた。ただそのために、装甲は6.5mmしかなかった。


 イギリスのTank Corpsは直訳すると戦車軍団になってしまうが、戦車兵総監部と訳しておこう。そのスタッフは専門家として意見は求められるが、自分で作戦指揮をするわけではない。1918年5月に、戦車兵総監部の主要な幕僚だったフラーは「Plan 1919」という有名な文書を出した。1か月前に構想が提案され、設計図どころかスケッチ画しかなかった「中戦車D」は、画期的に速くて長く走れる戦車……の予定だった。それが翌年には配備されると決め込んだフラーは、それがあれば戦線を突破して、はるか後方にあるはずのドイツの上級司令部に突っ込み、「頭脳を一撃」出来るはずだと画期的な戦車の運用法を唱えた。それが「Plan 1919」である。ところが「中戦車D」は画期的すぎてトラブルが解消せず、もっとマイルドな性能で妥協したのが、ようやく完成した中戦車Mk.Iだった。


 偉い士官は挨拶だけで引っ込み、案内役は中尉だった。戦時ならもう少し出世していそうな年恰好だった。演習場はキャタピラに掘り返され、土ぼこりの匂いがした。


「遅いな」


「すみません。今日はレース日じゃないんで」


 中戦車Mk.Iは1両だけ、時速10km出るか出ないかでそろそろと走っていた。何気なくホバートが近づこうとすると、中尉が鋭く叫んだ。


「側面はダメです、大佐殿」


 その言葉が終わらないうちに、金属が金属に打ち付けられる不快な音がした。続いて小さな低い音が長く続いた。数十m向こうを転輪がひとつ、ころころと転がっていた。人がいたら大怪我になったかもしれない。砲塔のハッチから車長が半身を伸ばして叫んだ。


「今度は何番の転輪だ」


 大出力のエンジンは高価だし生産に時間がかかる。エンジン出力を上げずに高速を出そうとすると、車体そのものを軽くするしかない。装甲だけでなく、転輪やキャタピラの幅も切り詰めたほうが良いのだが、そうするとわずかな面積に車体の重みが全部乗ることになる。その結果、折れたり壊れたりする部品も多くなるのだった。


「大佐殿、こちへどうぞ。動くMk.Iは明日の修理上がりまでもうありません」


 背中から中尉の声が聞こえた。


「動かないMk.Iでしたら、こちらの整備庫にたくさんありますので」


 ホバートは肩をすくめるしかなかった。


--------


 整備庫には先客がいた。動かないMk.Iの足回りをのぞき込んでは、オイルに汚れた整備士に質問をしていた。仕立てのいい服を着た民間人、それも老人と言ってよい年恰好だったが、服が汚れるのもかまわず戦車に見入っているようだった。


「ホバート大佐とおっしゃいますか。ジャン・エスティエンヌと申します」


「エスティエンヌ少将閣下でいらっしゃいますか」


 ホバートは敬礼した。戦車兵科に転じたばかりのホバートでも、フランス最初の戦車兵総監の名前くらいは聞いたことがあった。もともと砲兵として、航空機による観測と連携した砲撃の方法を確立するなどあらゆる技術問題に首を突っ込み、ルノー社に戦車開発を勧めたのもこの人物と聞いていた。


「いやいや、止してください大佐殿。もう民間人ですからな。サハラ砂漠のほうでバス会社を経営しております」


「パーシー・ホバートと申しますが、パトリックとお呼び下さい」


 ホバートはとっておきのネタを出した。パーシーが本名だから、親しい友人だけが彼をパトリックと愛称で呼ぶのである。1923年に軍を退いたエスティエンヌは、現在のマリとナイジェリアを結ぶ、仏領サハラ縦貫路線を中心とした陸運会社の社長にスカウトされていた。


「とうとう馬より速い戦車ができましたな。我が国などはまだ遅い戦車ばかりでお恥ずかしい」


「信頼性が課題です。ごらんのとおり」


 短時間の早駆けはともかく、騎兵の移動速度は時速10kmというところだった。戦車兵が新しい世界に入る……はずが、イギリスの事情がそれをとどめていた。広大な帝国を警備するため、騎兵を装甲車部隊に置き換える動きが進んでいたし、戦車の一部を偵察用としてタンケッテ(豆戦車)で安上がりに済ませる動きもあった。これはキャタピラは持っているが、車体から機関銃が突き出ているだけで砲塔もないものである。


 だから中戦車Mk.Iは、新しい時代の芽であって、芽でしかないのが現状だった。


「フランスはバタイ・コンデュイに似つかわしい遅い戦車で我慢するつもりのようですな。技術者としては歯がゆいことです」


「FT17が何と言っても多いでしょう」


「まことに多い」


 エスティエンヌは社長の鷹揚さで笑った。フランス政界は軍に対して「国土を戦場にしない」国境防衛を強く求めており、その費用を思えば騎兵の機械化は後回しにするしかなかったし、それ以外の兵科は砲兵の傘の下でしか戦わないとすれば、速い戦車を要求する口実もないのだった。


「いや、しかしうらやましいですな。このような時代にお若いというのは」


 ホバートは、はるかな先輩の言葉に微笑で応じた。


 エスティエンヌが言うように、アメリカが戦車兵を歩兵科の下で細々と残している現状では、戦車兵の潮流はひとえにイギリス陸軍が作るものだった。だが肝心のハードウェアは質も量も伸び悩んでいて、若い士官たちの「構想」だけがぶんぶんと回っている状態だった。


 フラーやホバートは、もっぱら戦車「が」新たな戦いの主役となるのだと信じていた。戦車についてこられない兵器や部隊は脱落すると思っていた。しかし結果から見れば、第1次大戦で有効性が示された歩兵と砲兵の協力関係に戦車を参加させる……というもうひとつの可能性が、第2次大戦では勝ちを占めることになった。


 そしてその考え方は、ドイツでも直ちにコンセンサスになったわけではなかったし、その苦闘はまだ始まってすらいなかった。


第5話へのヒストリカルノート


 ソヴィエトでの会議シーンは、実際には1921年から1926年ごろまで、様々な組み合わせで続いた論争を要約したものです。このあいだにそれぞれの人物が目まぐるしく肩書きを変えましたから、ぼかして書いています。特にフルンゼは1925年10月に41才の春を待たず死んでしまい、論争の締めくくりを指導することができませんでした。


 セミョーン・コンスタンティノヴィッチというのは「コンスタンティンの息子セミョーン」という意味で、「父親のはっきりしている者」と考えれば敬称と言えなくもありません。


 ハンス・デルブリュックという軍事史家は4巻に渡る古今の戦争を取り上げた著書を出し、その中で「撃滅戦略」「消耗戦略」というふたつの戦争概念を使いました。消耗戦略はもともとの議論では、傭兵隊に頼る君主たちのように、「大規模・長期の動員は財政的に不可能」な勢力の間で起きる、間欠的・限定的な戦争をイメージしたものでした。晩年のルーデンドルフが『総力戦』という本を書いたので、ついデルブリュックもそういう話をしたのかと思ってしまいがちですが、もう少し一般的な、今も昔もある程度当てはまる話をしていたのでした。しかしたしかにデルブリュックは第1次大戦後にルーデンドルフの戦争指導を批判し、ルーデンドルフ本人と雑誌などで論争しました。撃滅戦略とは相手の戦闘力を大きくそいで、戦後一方的に言うことを聞かせることを目指す戦いであり、消耗戦略とは少しずつ部分的な勝利を得て有利な決着を目指す戦いでした。そしてデルブリュックは、英仏を一方的に打ち破ることなどドイツの総力をさらってももともと不可能であるのに、撃滅戦略を採って大きな損害を出すだけに終わった……とルーデンドルフを批判したわけです。


 ラパッロ条約に従い、ソヴィエト軍はドイツ軍人を招き入れて演習場を貸すだけでなく、ドイツの戦い方を学びました。おそらくその過程で「撃滅戦略」「消耗戦略」といったコンセプトも入ってきたのでしょう。ただソヴィエトの軍人たちは、デルブリュックと同じ意味でそれぞれの言葉を使うことに、あまり厳格でなかったようにも感じます。



 イギリス軍のbrevetを名誉階級と訳してよいものかどうか、ちょっと迷いはあります。「心得」と訳している例もあります。ホバートは少佐→名誉中佐→名誉大佐→中佐と昇進して行きましたが、中佐になるまでは少佐としての給料しか出ませんでした。


 タンケッテ構想の主唱者だったマーテル少佐(当時)は、安上がりな歩兵支援兵器としてタンケッテを考えていましたが、安い代用軽戦車としても需要があり、1930年代になると輸送も含めて何にでも使えるユニバーサル・キャリアにその役目が引き継がれていきました。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ