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第18話 陰謀と玉の輿(こし)

 ベルリンにあるヨゼフのバーはそれほどお高いところではなかったが、静かな店ではあった。だから若い女性客も珍しくはなかった。まあお高いところではないので、女性が入りやすい店と言っても、彼女たち自身が上流人士とも限らないのである。


 だから本物の上流人士が来ると目立った。最近よく見かける初老の客は、いつも背筋を伸ばしていて、どこかネクタイに慣れていない風があった。こういう酒場に出てこない高位軍人が、お忍びで庶民と会話しにやって来たのだろうとヨゼフは思っていた。


 その初老客は、最近は給仕のルイゼとよく話しているように見えた。親元を飛び出し、初めて直面した本物の困窮になんとか立ち向かい、水平飛行を維持しているルイゼである。上流人士の後妻か何かにおさまることは、そこから脱出する方法の中では上々の部類に入るだろう。だからルイゼを応援する気持ちもなくはなかったが……


 この仕事を何十年も続けているヨゼフは知っていた。ドイツ士官というものは、配偶者が無産者であることを許されないのだ。だから表立って夫人になることは、決してできないのだった。だがいつ注文の声がかかるかわからない店内では、そのことを気にしてやる時間はヨゼフにもなかった。みんな自分なりに生きるしかないのだ。


--------


「ほう、それは素敵なお話ですな。ぜひ応援したい。国防軍士官も新たなる時代には幅広い階層の代表であるべきです」


 ヘルマン・ゲーリングは必要なときには政治家らしい笑顔と甘言を振りまくことができた。党の集金担当として長く活動したおかげであった。バツイチの舞台女優と再婚していたが、ゲーリングの党活動を支えて亡くなった前妻に似た女性だった。権力や収入に強いこだわりを見せることもあり、愛するとなるとそれもまた強く、あるいは1934年の「長いナイフの夜」のようにヒムラーと組んで、政敵の処刑に手を染めることもできた。


「よろしくお願いします。総統と将軍が私の頼りです」


 その敵にするにも味方にするにも危険すぎる人物に、ブロンベルクはすべてを打ち明け、結婚への助力を頼んでしまったのだった。陸軍の伝統を破るこの恋愛については、ドイツ陸軍士官全体が敵に回ったようなものだから、それを抑え込めそうな劇薬を飲んでみるしかなかった。


「とりあえず……その、飲食業からは足を洗って、速記者として働くようにされるのですな?」


「はい、どうにか彼女の家族のことは、深く突っ込まれないようにします」


 ブロンベルクの想い人の母親は、娘とは喧嘩別れだったが、マッサージ店を経営していた。ゲーリングは提案した。


「必要でしたら、証人なども用意できます。家庭の事情について、その……説明が必要でしたら」


「感謝の言葉もありません、将軍」


 ヒムラーに警察関係の権力はほとんど譲ってしまったが、ヒムラーとの黙契関係はまだ続いていた。陸軍の発言力が弱まれば、ヒムラーは親衛隊を拡張して、陸軍の任務と権限をいくらか奪い取れるはずである。ゲーリングに協力してくれるのは間違いなかった。


 ある年齢を過ぎると、人は過去に縛られる。病身の前妻カリンを要人接待に使い立てした挙句、ブリューニング政権と敵対するか妥協するかという重大時期に容体が悪化して、死に目に遭えなかった。そのことはゲーリングを縛っていた。カリンの愛し信じた国家社会主義だからこそゲーリングも信じているようなところがあり、ヒトラーが生前のカリンに気を遣い、その願いも聞いてくれたことがヒトラーとの絆ともなっていた。


 目の前のこの哀れな男も、亡き妻との子供が成人したこの年齢になって、子供より年下の後妻を迎えようとしていた。どんな思いがそこにあるのか、ゲーリングにはわからなかった。だがゲーリングにはゲーリングの想いがあり、そのためならこの男は破滅してもよかった。


--------


「告発のための情報は整いました」


「だいたいわかっている」


 ヒムラーが机の上に写真を広げようとしたのを、ゲーリングは止めた。ひとりの女性の写真で、脱衣の程度はさまざまである。なんとか現金収入を得ようと、ルイゼ・マルガレーテ・グルーンが4年前の1934年に撮ったものである。写真を売り歩いた同棲相手が8枚売ったところで捕まり、ルイゼは微罪放免で犯歴がつかなかった。


「実の母親がマッサージ店をしております。傷痍軍人がよく来るような店です。少々噂を立てましょう。売春婦をいくらか用意します。仕事仲間だったということにしましょう」


「実際にはこの女性は、堅気で食いつないできたのだな」


「たぶんね。店の中の方は、正直分かりません」


 ヒムラーは即座に肯定した。そして無表情から、はっきり嫌悪を示す表情に変わって、もう1通の封筒を取り出した。


「フォン・フリッチュ閣下はじつに物堅い方です。そこで人を立てまして、同性愛の告白をさせます」


 ゲーリングが事態を呑みこむのに3秒かかった。新生ドイツ共和国には法体系の細部を調整する余裕がなかったから、同性愛と獣姦を禁じたプロイセン王国以来の刑法第175条が生きていた。これに無理やり引っ掛けようと言うのである。ゲーリングはやっと言った。


「ばれるだろう」


「長持ちはしないでしょうな。しばらくフォン・フリッチュ閣下に要職を離れて頂けば、それでよいわけでして」


 つまりゲーリングはヒムラーを巻き込んで、三軍統合司令官の有力候補ふたりを倒し、自分がそれになってしまおうというのである。ヒトラーに正面切って自薦してもゲーリングに任せてはくれないだろうから、そうせざるを得ないように持っていこうと思っていた。ヒトラーの下で抜きんでた実権を持つ者をヒトラーが嫌うのは、レームの粛清でゲーリングにもよくわかっていた。だが三軍統合司令官というのは、どうしても強大な実権が集まるポストなのである。ならば他人に取らせてはならなかった。そして、陰謀はヒトラーその人に知らせてはならなかった。ヒトラーにゲーリング指名を強いることは、ヒトラーをはめることである。


「了解した。ではまず、結婚式だな」


 ヒムラーはうなずいた。ブロンベルク夫妻の結婚式は、ヒトラーその人を証人のひとりとして、1938年1月12日に行われる予定だった。ゲーリングはその日、笑顔をまだまだたっぷり振舞うつもりだった。


--------


「この写真の人物は、ブロンベルク夫人に間違いありませんか」


 カイテル大将は、夜に自宅を訪ねてきたベルリン警視総監のヘルドルフから、1枚の写真を差し出された。若い女性が写っていた。


「じつは会ったことがないのです。式にも参列しましたがベール越しでしたので」


「将軍のご息女が、ブロンベルグ元帥閣下のご長男と婚約されていると聞きましたが」


「その通りです。元帥のお母様が亡くなられたので葬儀に参列しましたが、閣下にも奥様にもお会いできませんでした」


 カイテルはウソはついていなかったが、知っていることを全部話してもいなかった。少々後ろ暗い経歴の女性と結婚するつもりであることは本人が漏らしていたし、新婦より8つ年上の長男を始め、5人の子供たちに事情を話し結婚への同意を取り付けたのが年末の休暇中であったとは聞いていた。


「誰なら真実を知っていると思いますか」


「結婚式で証人になられたゲーリング大将なら、おそらく夫人と会っているかと」


「ふむ……夜分に失礼しました」


 ヘルドルフは立ち上がった。ヘルドルフ自身は上司から捜査書類を渡されただけで、予断なく捜査してゆくと、ヒムラーたちが用意した証人や証拠を引っ掛けて、予定されたひとつの結論に至るように仕組まれていた。


--------


 数日後、ブロンベルクはカイテルに事情を説明し、ヒトラーが要求した離婚を拒否して、国防大臣を辞職したと告げた。そして、ヒトラーはカイテルを呼んだ。もちろん初対面と言うわけではなかったが(第13話参照)。


「ふたりだけで会うのは初めてだな、将軍。報告書ではよく見る名前だ。1935年の大演習では歩兵師団長だったな」


「はい、ずっと続けていたかったのですが」


 手振りで着席を勧めると、ヒトラーも着座した。すこしの沈黙があって、ヒトラーの視線がふっと上がってカイテルを射た。


「ブロンベルクの後任について、どう思う」


「私の考えでは、我が総統、ゲーリング将軍が適任かと存じます」


「ゲーリングか。彼はいかん。総統後継者として政治経験を積んでもらわねばならんのだ」


 ゲーリングをヒトラーに事故があったときの後継者に指名する指示は何度か出ているが、1934年12月7日のものは指示したこと自体が極秘事項であった。


 カイテルはもう、親族とはいえブロンベルクを助けることは考えていなかった。これが東洋であれば、王祖の祭壇に対し責任を負う「社稷の臣」と自己規定したところかもしれない。三軍統合司令官たる国防大臣は、実力をふるう立場なのだから、実力者でなければならなかった。そのことは副次的にNSDAPの党内バランスを崩すかもしれなかったが、それは軍の知ったことではなかった。カイテルがゲーリングをまず推したのは、そういうことである。それがかなわぬなら、最近のあつれきは忘れることにして……


「では、フォン・フリッチュ閣下ではいかがでしょうか」


「告発があるのだ、将軍」


 机の上にはさっきから、告発状が乗っていた。差し出されたそれに目を走らせると、フリッチュの同性愛への告発であった。カイテルはすでにブロンベルクからそれを聞かされていたから、驚きはなかったが、やはり心は騒いだ。


「明日、本人を問いただす。最初の反応が判断のカギになる。だから言うな。ところで将軍」


 ヒトラーは巧みに話題を変えた。


「フリッチュの後任は誰が良いと思うか」


「ルントシュテット大将閣下がよろしいかと存じます」


「ふむ……彼は国家社会主義が嫌いだろう。年齢のこともある」


「ならば、フォン・ブラウヒッチュ大将がよろしかろうと存じます」


 ヒトラーは黙った。「誰だそれは」とヒトラーが問うことはなかったし、カイテルにも意外な反応ではなかった。ブロンベルグ自身がカイテルに、自分の後任としてヒトラーにブラウヒッチュを推してきたと語ったのである。


 ブラウヒッチュはかつて軍務局4課長(組織課)だったブロンベルクの課員をつとめたことがあり、軍の内部で四面楚歌のブロンベルクから見ると数少ない味方……まあ、味方に見える人だった。経歴的に、軍のリーダーとして育てられてきた人ではない。ブラウヒッチュが陸軍全体を束ねるとなると、それは難しいことであった。


 フリッチュを推してかなわないとしたら、まあヒトラー政権を嫌って参謀総長を降りたアダムの復帰は無理としても、ベックでもよさそうなものだったが、カイテルはそうしなかった。おおらかさを持つフリッチュはともかく、ベックとその下のチームメンバーはヒトラーと正面衝突することが必至だった。それは戦争ではないが、戦争同様にドイツを瓦解させる、軍と党の全面衝突になるはずだった。


「ライヒェナウではいかんのか」


 カイテルは深呼吸をした。軍が国を滅ぼすことも避けねばならないが、党が軍を滅ぼすことも防がねばならない。ここが正念場だった。


「我が総統。彼は勤勉でもなく、物事を考え抜くこともしません。士官の間で人気もありません。純軍事面より政治面の野心があるという印象も受けます」


「最後の点は私もそう思っている。だが、それほどダメなのか」


 カイテルは押し黙った。ブロンベルクの不人気などライヒェナウの嫌われっぷりとは比較にならない。一番最初にNSDAPに接近し、歓心を買って出世したと見なされているのである。ヒトラーから見るとブロンベルクやライヒェナウは親NSDAPグループとしてひとつに見えるのだが、日々ベックら主流チームとやり合ってきたカイテルから見ても、ベックの上座につくのがライヒェナウではダメなのだった。


「明日また来てくれ」


 ヒトラーは協議を閉じた。それは、フリッチュとの対決の後でということだった。


--------


 総統官邸で執事をつとめるカンネンベルクがドアをノックし、開けると中に一礼し、ドアの脇に避けて今度はカイテルに一礼した。砲兵大将の軍服に身を固めていても、やはりこのドアにはプレッシャーを感じた。カイテルは息をひとつして、歩み行った。


 ヒトラーは、塹壕内で敵兵と戦い勝ち残った兵士のような形相をしていた。挨拶もなく、手振りで着席が指示されただけだった。


「ホスバッハが、話を漏らした」


 カイテルは説明を待ったが、なかった。昨日の話と合わせると、総統付陸軍副官のホスバッハ大佐が、私淑するフォン・フリッチュに「じつは同性愛の嫌疑で呼ばれているのだ」と耳打ちし、フォン・フリッチュはヒトラーに会うなりその侮辱的な嫌疑に反論したので、ヒトラーの考えていた手順とズレてしまったのであろう。悪いニュースだった。だがカイテルの慎重な沈黙が、ヒトラーを落ち着かせたようだった。


「ブロンベルクの後任は置かない。私がブロンベルクの……ああ、OKWだったな。その司令官として立つ。君はその幕僚総監として、国防大臣の職務を兼ねろ」


 カイテルは口をパクパクさせた。三軍を統合指揮する軍人が置かれないと言うのは耐え難い打撃だった。それに……自分は今、何になると言われた? いちどに対応することができなかった。


「ブロンベルクから君のことは聞いている。作戦指導は誰かに任せろ。君は軍政を見ればいい」


 カイテルは師団長を1年やっただけで抽象的な権限だけを持った職に就き、大将まで進んでしまった。将軍たちを指揮できる器でない自覚はあったが、あからさまに軽く見られると不愉快だった。だがヒトラーは構わず続けた。


「フリッチュの後任だが、そのブラウヒッチュに会ってみよう。手配しろ。それからホスバッハは官邸で勤務するに及ばない」


「ちょうど異動の時期でした。急いで後任の候補を挙げます」


 カイテルは何とか最後の件にだけ反応した。実際、後任としてシュムント少佐が絞り込まれていた。


 カイテルがドアを開けると、ありがたいことに誰もいなかった。


「誰か、俺の地位を乗っ取ってくれないものかな」


 カイテルはつぶやきながらとぼとぼと歩いた。


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 1938年2月4日、一連の人事が発表された。ヒトラーは自らOKWの司令官を務め、その幕僚総監たるカイテル大将は国防大臣の職務を引き継ぐものとされた。ブラウヒッチュは陸軍総司令官となって上級大将に進み、同時にゲーリングは残念賞のように空軍元帥とされた。同じ日、ノイラートは外務大臣を解任され、NSDAPで外交をやって外務省との二重性が問題になり始めていたリッベントロップがその後任となった。


 ボーデヴィン・カイテル少将が陸軍人事局長を拝命したのも、この時だった。軍で政争が起きたとき、人事担当者ポストは焦点となる。日本陸軍で皇道派と統制派が争った経緯を思い起こされる読者もおられるだろう。反ブラウヒッチュ派に人事を牛耳られては何としても困るので、たまたまボーデヴィンを知っていたブラウヒッチュが望んだのだった。


 そしてマンシュタインも転出させられた。一連の不祥事を受けて、ベックチームの反ヒトラーな雰囲気を弱めようと言うことであった。OQu Iにはハルダーが横滑りした。有能さは疑いないが、前大戦で一片の武功もない作戦担当参謀次長が出来てしまったわけである。少なくともマンシュタインやベックより、OKWとのやりとりは柔らかくなると思われた。


 この時点でヨードルは国土防衛課長であり、カイテル大将との間には作戦部長のフィーバーン中将が挟まっていた。軍を退いてから政治家としてNSDAPに入党し、親衛隊幹部となっていたフォン・デア・シュレンブルク名誉少将(のち名誉大将)が、もと部下のフィーバーンを登用するようヒトラーに推して決まった人事だったが、じつはフィーバーンはベックの親友だった。フィーバーン本人も、ヒトラーの暴走を止めることを心に誓ってこの職に就いたのだが……いずれ、ある出来事に触れねばならない。


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 ドイツ人以外の住む土地のほとんどを失ったオーストリアを、ドイツと合邦させるアイデアは、ヒトラーのものではなかった。ヒトラーの台頭以前から様々な分野で推進されては、国内国外の反対にあって実現していなかった。


 1934年にドルフス首相を暗殺したクーデター事件(第15話参照)でもう一歩のところまで行き、イタリアの強硬な反対で合邦実現を逃したが、「ヒトラー独裁のドイツ」との合併となるとオーストリアの世論も変わって来た。だいたい17世紀の30年戦争までさかのぼって、後のプロイセン王家であるブランデンブルク選帝侯はプロテスタントにつき、オーストリア皇帝は(引き続き)カトリックの守護者となったのだから、宗教の問題は合邦にあたってデリケートな問題だった。この点でヒトラーは、もともと中央党の支持母体だったカトリック教会が青年団体などを持っていることを警戒して禁止に踏み切り、カトリック教会もヒトラー政権を批判する文書を世界の聖職者に配布して、オーストリア国民には「ヒトラーはカトリックの敵」と憂う人々も多かったのである。もとカトリック修道女を妻に持つフォン・トラップ海軍少佐がアメリカへ脱出したのは、一家の厚い信仰心が主な理由だった。


 オーストリアが独立を守るためには、まず経済力を必要としたが、イギリスやフランスがオーストリアに援助する手段は限られていた。これに対してヒトラーは、オーストリアに出国するドイツ人に高額の出国税をかけるだけで、観光客や留学生をオーストリアから奪うことができた。オーストリアはこの圧力に屈して、クーデターを起こしたDNSAP(いわゆるオーストリア・ナチス)のメンバーを、そして最後にはDNSAPそのものを少しずつ復権させ、政権に取り入れていった。ヒトラーのことを抜きにしても、ドイツとの経済連携を巡る長年の対立は国内政界に大きな溝を作っていて、現政権を維持するにはカトリック教会とヒトラー系勢力の両方が必要だったのである。


 1938年2月、ドルフスの後継者であるシュシュニック首相はヒトラーに会談を求めた。ドイツの介入を何とか食い止めようとしたのだが、すでにイタリアはドイツの友好国となり、英仏は自分の守りを固めるのに大忙しで支援は実質的に見込めず、ヒトラーは「英仏の介入がないと見込める好機」をつかんだと感じていた。


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 2月10日、幕僚総監になって1週間にもならないカイテルは茫然としたまま仕事が手につかず、指示が降りてこないのでヨードルなどはいら立っていた。そのカイテルが、ベルヒデスガーテンのベルグホーフ山荘に朝から呼ばれたのだが、理由は教えてもらえなかった。ただ来いと言うのだった。着いてみると、シュシュニック首相が間もなく到着するとかで、ヒトラーその人には会わせてもらえないようだった。


 政治家と官僚に混じって、知らないこともない相手がふたりいた。見つけたのではない。来意を告げると官吏があたふたとやってきて、控室風の部屋に通され、そこにふたりの先客がいたのである。


「君も呼ばれたのか。我が総統から何か聞いているか」


「いえ」


 カイテルも事情を知らないと聞くと、ライヒェナウ大将は露骨に安心した顔をした。すっかり軍内部で浮いている、ヒトラーべったりのこの将軍は、自分よりヒトラーに近い将軍がいることには耐えられないようだった。いまライヒェナウはオーストリアと国境を接する第7軍管区の司令官をしていた。


 もうひとりの将軍は空軍大将の軍服だった。鷲鼻に鋭い顎、楔形に発達した太い眉、そしてゲーリングにも負けない胴の幅は、「将軍を演じる役者」としてまさにふさわしいものだった。


「第3航空集団(のちの第3航空艦隊)を指揮しておりますシュペールです。カイテル大将閣下はOKW幕僚総監でしたな」


 名前を言われてカイテルも思い出した。スペインに派遣したドイツ軍部隊(コンドル軍団)を介入当初から去年まで指揮していた人物である。陸軍大学校に行く年齢になってから空中勤務者の訓練を受け、とはいっても偵察や砲兵観測の方面であるが、前大戦の終わりまで飛行隊長などを歴任してきた。


 ライヒェナウもシュペールの姿を上から下まで眺めていたが、やがてつぶやくように言った。


「我々は役者なのではないか。制服軍人が何やら相談している様子を、シュシュニック閣下にお見せするのだ」


 それは真実を射ぬいていた。結局彼らが呼ばれたのは、昼食と午後のお茶へのお相伴だけだった。何の指示も、何の打ち合わせもなく、ただ出てきたものを食べるだけだった。


 心が帰り支度を始めた夕刻、カイテルはひとり呼ばれた。残されたふたりの表情には倦怠しか読み取れなかった。それぞれ要職にある身が、朝から何もさせてもらえないのだ。


 会議室を出た人物の後ろ姿が見えた。シュシュニックが自分の閣僚と相談するため中座したのだった。カイテルはヒトラーのいる会議室に入った。


「お呼びでしょうか、我が総統」


「呼んだ。だが用はない。まあ座りたまえ」


 結局、雑談をするしかなかった。ヒトラーはシュシュニックに対して、「幕僚総監を呼び込んでひそひそ協議している」絵を見せようとしたのである。


--------


「何ですと。ほんとうにオーストリアを攻めるのですか」


 3月10日、ヒトラーに呼び出されたカイテルの声は裏返った。


「私も本当にこのような命令をすることは考えていなかった。だが事情が変わったのだ」


 DNSAPの閣僚たちに少しずつ権限を奪われ、その一方でDNSAPの若者たちは各地で不穏な動きをしていて、シュシュニックは合邦を受け入れる選択しかないはずだった。ところがシュシュニックは「25歳以上の国民による投票で、合邦の成否を決する」という奇手に出た。若いNSDAP支持層を除外されて結論が引っくり返ることを懸念したヒトラーは、武力介入を再びちらつかせることにしたのである。


 だからある意味で、カイテルの嘆きは杞憂であった。ヒトラーが攻撃を「命じたこと」が重要だったのである。実際にはカイテルがベックを呼び寄せ、ヒトラーがベックの反対を直接はねつけて攻撃計画の策定を命じ、海外出張から慌てて帰国したブラウヒッチュが総統の攻撃指令を受け取って官邸を出る頃には3月11日になっていたのだが、ヒトラーが攻撃を「命じた」効果によって、10日の午後4時にはシュシュニックは国民投票の中止を発表せざるを得なかった。


 だがミクラス大統領が辞任したシュシュニックの後継として、DNSAPのザイス=インクヴァルト(二重姓)を首相に任じるところで、やはり時間稼ぎの懸念があった。もはや後には引けないヒトラーは、ザイス=インクヴァルトの要請ということにして、実際に進駐を行うよう3月12日に命じた。ここでもドイツ軍にとっての救いは、事実上ドイツに抵抗するオーストリア政府やオーストリア軍の動きは首相辞任などで麻痺していたため、抗戦の恐れがないことであった。現場がその状況に確信を持てたわけではないとしても。


 3月10日夕刻から、グデーリアンの第16軍団司令部、第2装甲師団といったわずかな部隊が移動命令を受けて、国境に向かっていたが、補給関係の命令が間に合っていなかった。オーストリア情勢が不穏なときに介入する「オットー作戦」が立案されてはいたが、その前提条件は曖昧だから、すぐ実行できるような計画は用意されておらず、泥縄で実施するしかなかったのである。


 そしてヒトラーはヒトラーで、3月12日早朝にムッソリーニに電話して、ドイツ軍の進駐に対してイタリアが介入しないことを確認した。大声で感謝するヒトラーの声は、近くに控えるカイテルのところまで聞こえた。その叫びが、オーストリア進駐の最終的な号砲となった。


※ブラウヒッチュは1925年からしばらく、軍務局4課長(組織課)だったブロンベルクの課員を務めました。第1軍管区司令官の後任がブロンベルクであったので、その前は参謀長であったと誤認しました。お詫びの上訂正させて頂きます。


第18話へのヒストリカルノート


 ドイチュ(Harold C. Deutsch)という研究者が1974年に出したHitler and His Generals: The Hidden Crisis, Jan.-June, 1938(University of Minnesota Press )という著作があります。この研究は当時を生きた関係者の書簡(本人たちはもういない)、まだ存命だったブロンベルクの秘書へのインタビュー、そしてもちろんゲシュタポ等が残した記録を駆使して、ブロンベルク=フリッチュ事件の真相に迫ったものです。


 この本は(1)ブロンベルクが35歳下の、昔に露出度の高い写真をちょっと(8枚)売った庶民の女性にべた惚れした(2)相談を受けたゲーリングは、三軍統合司令官の地位を狙ってブロンベルクとフリッチュを追い落とそうとした(3)ゲシュタポの助けを借りようとヒムラーに話を持ち掛け、共謀成立(4)少し前に捕まっていた同性愛事件の被疑者を使ってフリッチュ事件をでっち上げ+ブロンベルク夫人の過去もちょっと盛る(5)ブロンベルクは論外として、フリッチュもヒトラーとの話がこじれて罷免に至る(6)しかし「ゲーリングはダメだ」とヒトラーが言い、ついに空席とする……というストーリーを語ります。


 ただ全体に、いわゆるオーラルヒストリーであり、(それも本人以外の)証言だの書簡だのに基づいて構成され、隙間を著者の推論が埋めています。証拠薄弱なのです。


 いっぽう通説は(a)ゲシュタポがブロンベルク夫人を送り込んだ(b)主犯については語らない(ヒトラー以下、NSDAPの全員がグルという印象を与える)……というものが多いのですが、べた惚れ→ゲーリングにブロンベルクが相談→ゲシュタポが恋人の身辺を洗うという順序はまず堅いであろうと思われます。また、良くも悪くも朴念仁のカイテルが書き残したヒトラーの様子から、(当然途中でははぁ……と身内の策動を察したでしょうが)フリッチュ事件の報告は半信半疑で読んでいた様子です。ですから「ゲーリング主犯」を軸とするドイチュ説は「筋の通った説明……だが、証拠が弱い」のです。


 通説を支持する人たちには、ホスバッハ覚書の描いた1937年11月の会議が「重要なものであってほしい」という予断めいたものがあるかもしれません。ヒトラーが侵略戦争の意思を持っていたことを示す会議ですし、それに対する懸念や反対が記録されたブロンベルク、フリッチュ、そして後にノイラート外務大臣がハブられた……という説明は「ヒトラー一味の計画的な悪巧み」としてわかりやすいからです。ところが海軍も空軍も「あー陸軍が怒られてやんの」と聞き流していて、ヒトラーもその程度のつもりでいた会議だとしたら、まあ侵略戦争に関する故意(英仏については、未必の故意)は明らかだとしても、なんとなく盛り下がってしまいますよね。


 ブロンベルク夫人は1970年代まで沈黙を貫いて死にました。もし彼女がゲシュタポの仕込みでブロンベルクに接近したのなら、NS体制の被害者として国家賠償を求めるか、でなければ回想録を売ってもよさそうなものですが、どちらもしませんでした。また、ヒトラーはライヒェナウなら三軍統合司令官でいいと思っていたのですし、ブロンベルクにも「とにかく離婚しろ」と言った様子です。それを峻拒したのはブロンベルクの方なのです。ですから私は通説(a)(b)のどちらの点でもドイチュ説を取りたいと思うのです。


 そういうわけで、小説である「士官稼業」ではドイチュ説をペースとしますが、物証を欠いたドイチュ説が通説に組み込まれていないのも、それなりの理由があるものと思います。なお文中のヨゼフは架空の人物です。



 DNSAPはもともと独立した政党でしたが、ヒトラーが政権を取る前からNSDAPの幹部をアドバイザーに迎えて、ヒトラーを支持する政党になっていました。



 本来、ドイツ軍の軍団番号、軍管区番号、大隊番号はローマ数字で示します。「第4軍第XI軍団第21歩兵師団第113歩兵連隊第III大隊第9中隊」といった記述を多少でも間違いにくくしようと言うのでしょうが、80番台の軍団などでこれをやるとうっとうしいので、軍団番号と軍管区番号はアラビア数字で書いて行こうと思います。ちょっと「雰囲気が出ない」のですが。



 何年もこの原稿をいじくっているうちに、「本当はこうだったのではないか?」と浮かんだアイデアがあります。ヒトラー政権ができると、ゲーリングはプロイセン州首相として警察権力を掌握しました。その後、その権力を譲って空軍を取る過程でヒムラーと強い連携ができ、長いナイフの夜(第14話)はふたりがヒトラーの背中を押すようなところがありました。1937年秋のホスバッハ覚書が残された会議(第17話)では、ゲーリングはヒトラーが「実際に英仏と戦争する可能性」を鼻で笑いました。そして1938年のブロンベルク=フリッチュ事件(第18話)は、動いたことがはっきりしているのはヒムラー(の部下たち)ですが、どうもゲーリングが三軍の司令官におさまろうと共謀していた節があります。


 ヒトラーは、1938年になるとゲーリングに苦々しさを感じていたかもしれません。明らかに大戦直前、ゲーリングは英仏との交渉現場から外され、最新の情報を受け取っていません。そしてじつは、ミルヒ空軍次官が戦後になってイギリス空軍から尋問を受けた(あまり適切に整理されていない)記録があるのですが、1938年になってゲーリングはミルヒが自分の地位を狙っているという疑念を強めた……とミルヒは感じていました。誰かがゲーリングに「ざん言」を吹き込んだに違いないと。しかしそれは、ヒトラーが「調子に乗ると代えるぞ」という含意で、ミルヒの名前を会話に混ぜていたのだとしたら、どうでしょう。


 このことによって空軍内の分業関係は崩れ、ミルヒが手綱を握っていればここまでひどくならなかったような、いろいろな問題が起きました。ヒトラーの運命はいろいろな道筋をたどり、最終的にはすべて自業自得となるように展開しましたが、これもその道筋のひとつと言えるかもしれません。しかしすでに大戦期に詰め込むべきプロットは、邪魔なくらい複線的になっていますので、この話はここでボソッとつぶやいて、ここ限りにしたいと思います。ゲーリング関係の積読もありますので、本編完結後にそれを読み込む順番が回るようでしたら、外伝が書けるかもしれません。



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