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ヘルティアナ

「あ……ふっ……」


「可愛い声だしちゃって。ん、美味しい……」


 厚い雲が月も星をも覆い隠し、淀みに満ちた夜のとばりが辺りを包み込む。

 城下町の一角にある寂れたぼろ小屋の中で、男女が息を荒くし、お互いを貪りあうかのように、舌を絡めあっていた。


「……俺、もう我慢できねえ……」


「ふふ、まだダメよ」


 妖艶な笑みを浮かべ、女は男の上に跨ると、両手首を頭上に持ち上げ、ひとまとめに掴み留めた。

 頬に垂れた女の長い赤髪が、ふわりと甘い匂いを運び、さらにその艶めかしい身体が自分と重なり合うだけで、男はあっけなく快楽の蜜の中へ沈み堕ちる。


 その夢の中で自分の身体が末端からサラサラと崩れ、形を失っていることに男は気付かない。

 最後に交わした口づけと共に、サラリという塵となって男の姿はその場から完全に消え失せた。


「ごちそうさま」


 艶やかな赤い唇を指腹ですっとなぞり、女は嗤う。


「やっぱり、人間じゃもたないわね」


「我々魔族と違って人間の生命力は薄弱ですから。仕方がありません」


 闇の中から姿を現したサシャールの言葉に、小さくため息を漏らす。


 魔王としての力を取り戻すため、もう何人もこうして生気を吸っては魔力へ還元する事を繰り返している。

 だけど一度に吸収できる量は微々たるもので、その上人間だと原型を留められずに塵と化してしまう。


「おーい、お二人さん。さっきの男の知り合いが探しに来てる」


 おどけるような明るい声に、入口に現れた褐色の肌の男に視線を流す。

 扉に身体をもたれかけて足を組み、捻じれたツノを額から生やし、闇夜の中で一段と輝くその金色の瞳を向ける。


「ガイア」


「もうこの町も限界じゃねえのか、魔王様」


「そうね。この町は小さいから、そろそろ噂が立つかもしれないわ」


「だったら、バンガイムでいいじゃねぇか。あそこが一番デカイし、目的の男もいるんだろうが」


 あそこは確かに大きい街だけれど、帝国と勇者たちのお膝元だし、力が完全になるまでは、危険は避けたい。

 もっと効率よく生気を吸うには、魔力が豊富な人間を狙うのが一番良いけれど……


「奇襲を仕掛けて来た魔導士マジックキャンサー達は、いまどうしているかしら」


「各国から招集された魔導士マジックキャンサーどもは、奇襲作戦が失敗して作戦を立て直す間、再び招集の声掛けがあるまで一度バンガイムから離れ、時間を潰しているようです」


 情報収集に当たらせていたサシャールが受け答え、わたしは考える。


 あれほど大掛かりな転移は、そう簡単に何度も出来るものじゃない。

 作戦の立て直しに時間が必要になるのも理解できる。

 再招集がかけられるまでの時間つぶし……


 わたしは首を傾げ、うわ言のように呟いた。


「バンガイムから離れてどこに行ったのかしら。あそこは帝国なのでしょう、わざわざ離れる必要があるの? 」


 わたしに擦り寄り、肌触りの良いその毛並みを肌に掠めながら、その問いに答えたのはロンザだった。


「それならば既に。我が眷属が追って喰らっておりますので。バンガイムから東へと向かった先に、娼館で賑わうヘルティアナという街がございます。召集されるまでの間、そこで楽しんでおるようですので、我らが潜入するのも容易いかと存じます」


 娼館……

 どこの世界も男どもの考える事はひとつだ。

 魔王討伐前のひと時のやすらぎ。

 それを女に求めるなんて。


「娼館……ふふっ、それは楽しそうね。ではヘルティアナへ向かいましょう」


 薄らと笑みを浮かべてそう言ったわたしの言葉を合図に、しゅんっと風を切り、その場にいた者達は姿を消した。

 静けさを取り戻した小屋の中には男物の衣服だけが、人の形を模して床に靡いていた。


 ◇


「なあ、ミナト。ヘルティアナに行ってみねぇか? 」


 バンガイム帝国城内の一室で、気怠そうに窓の外を眺めていた俺に、ジャスパーがそう声をかけた。


「ヘルティアナ? あそこは娼館が多い場所だろ?俺は興味ない」


 会いに来ると言ってから、もう3週間近く経つというのに、まったくその気配がないことに、俺は毎日を憂鬱に過ごしていた。


 帝国は奇襲攻撃の失敗をかえりみて、正攻法に作戦を変える腹積りのようだった。

 魔王城のある魔界は、人間が住む土地の国境を越えた先にある。


 その手前にあるバーランド国に基地を構え、そこから魔界へ向けて進軍することを決めたようだが、今はまだバーランド国にその旨を了承して貰う段階で、使節団のやり取りが続けられている最中だ。


 つまり、各国から招集された魔導士マジックキャンサーは暇を持て余し、最近では帝国の外にまで足を伸ばして遊んでいる状態だった。


「そう言うなって。この前ヘルティアナで散々遊んで来た奴から聞いた話なんだけどよ。ヘルティアナには今、魔性の美姫がいるんだってよ。そりゃあもう、一目見れば魂すら売り渡したくなるような色気と美しさなんだと! 最近ヘルティアナに店を出したばかりらしくて、すんげぇ話題になってんだ。なあ、一緒に行こうぜ」


 ジャスパーは話しながら夢でも見ているかのように天井を見上げて、にやけ顔を作った。


 __アリアのことは、もういいのかよ。


 内心そう思ったが、いつまでも哀しみに暮れていても仕方がない。

 ここまでジャスパーが浮上したのは、シエラの功績が大きかった。


 魔王《玲奈》の魔力に喰われた手もシエラに治して貰ったし、毎日優しく慰めて、ご飯を一緒に食べ、時には冗談を言って笑わせた。


 ジャスパーの中では、永遠に忘れられない痛みだと思うけど、こうして表向きだけでも明るく振る舞えるのなら、それだけ前進したってことなんだろう。


 娼館なんて興味はないが、せっかく前向きになったジャスパーの心を挫くことはしたくなかった。


「分かった、分かった。付き合うよ、それでいいんだろ」


「うおっ! 本当かよっ、嬉しいぜっ」


 ため息交じりに了承すると、ガシッと俺の手を握って目を輝かせる。


「シエラには秘密なっ! 」


 __その後、息巻くジャスパーに連れられて、俺たちはシエラには内緒で城を出て、ヘルティアナへと向かった。


「なあ、どうしてシエラには秘密なんだ? 急に俺たちがいなくなったら、心配するんじゃないのか? 」


 道のりの途中でジャスパーに尋ねると、ぴくりと顔を引きつらせ、何度も瞬きを繰り返しながら呆れたように俺を見た。


「おまえ、それ本気で言ってんの? 」


「本気だけど」


「そんなこと知ったら、シエラが傷付くに決まってんだろ? 」


「意味が分からない」


「シエラに同情するぜ、まったく」


 男が娼婦を買うのなんてこの世界じゃ当たり前の嗜みだ。

 玲奈以外の女に興味のなかった俺が娼婦を買う事はなかったが、俺達がそうしたからと言ってなぜシエラが傷つくのか。

 首を傾げながらも俺は話題を変える。


「ここからヘルティアナまで2日くらい? 」


「そうだけど、めんどくせぇから、転移しちゃおうぜ」


「そんな事で転移使うなよ……」


 ジャスパーはこう見えて大魔導師のランクを持っていた。

 いつもは、おちゃらけてバカばっかり言う奴なんだけど、いざって時は頼りになる男だ。


「そんなに早く行きたいのか」


「おう、今すぐ行きたい! 」


「分かったよ」


 ため息混じりにそう答えると、ジャスパーは実に嬉しそうな笑顔を作り、詠唱を始めた。

 紡がれる言葉に魔力が上乗せし、顔つきも徐々に真剣なものへと変わる。


 転移魔法を使いこなせる人間はいるが、膨大な魔力と集中力がいるため、よほどのことがない限りむやみに使ったりしない。

 だけどそれを、娼館に行くために易々と使おうとするのは、おそらくジャスパーしかいないと俺は思った。


「来い」


 そう言って差し伸ばされた手を握ると、ブワッという魔力の圧に包まれて、目の前の景色が陽炎のように霞み、くらりとする軽い目眩を感じれば、そこには男性客が多く行き交うヘルティアナの街並みが広がっていた。


「噂には聞いていたけど、凄いな……」


 まだ日も高いというのに、ズラリと立ち並ぶ娼館からは、惜しげもなく肌を露出した女性たちが、行き交う男性の手を引いては店の中へと連れ込んでいた。


 その歳も見るからにバラバラで、まだ幼女とも思える歳の頃から、身体中に脂肪を蓄え、頬やアゴがたるんだ女性まで、実に千差万別。


「よっしゃ、噂の娼婦探そうぜ! その娼婦の名前、確かレーナっていうんだ! 」


「レーナ? 」


 思わず心臓がトクンッと跳ねた。

 偶然かもしれないけど、玲奈は店では源氏名を使っていた。

 その名前が『レーナ』だった。

 思い付かなくて、と笑った玲那の顔が浮かぶ。


「そうそう。それで真っ赤な長い髪で〜、肌は真っ白で〜艶々のスベスベなんだって〜」


 真っ赤な長い髪……

 この世界で赤髪は珍しくない。

 だけど、思い出してしまう。

 あの時、俺のすぐ近くにあった長い紅い髪。

 ふわりと甘い良い香りがした。


 まさかな__


「名前が分かってるなら、誰かに聞けば教えてくれるかもな。行ってみよう」


「おうよっ! 」


 浮足立つジャスパーの後を追いながら、俺は微かな期待に胸を躍らせて、ヘルティアナの娼館街へと足を踏み入れた。

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