神崎ミナト
「サキュバス? 」
「はい。魔王様はサキュバスの性質を強くそのお体に反映されておられるようです。もっとも、基盤となっている性質がサキュバスのそれであって、元来のサキュバスとは強さも何もかも異なりますが」
なんとか勇者の大軍を追い返す事に成功したわたしは、再び椅子へと身を預けて足を組み、肘をついて恭しく跪くサシャールを見下ろしていた。
その足元には狼姿のロンザが身体を長くして横べり、細めた黄金色の瞳をサシャールへ流している。
「サキュバスって男の精を喰らうってアレよね……」
思わず自虐の笑みが浮かぶ。
男の精を喰らうなんて、生前に散々してきたことだった。
それが魔王となって反映されたと言われれば納得するしかない。
「魔王様はまだ生誕されたばかりで魔力が安定せず、我々魔族を殲滅せんと動く人間どもや、此度誕生した勇者に対抗するだけのお力がまだ備わっておりません」
「そう、それならやるべきことは決まったわね」
魔力を蓄える方法なら本能的にも理解している。
まずは、力をつけなくては。
あの男に復讐を果たすために。
◇
「うわぁああっ、アリアぁぁっ! 」
すぐそこに地面に額を押し付け、身体を震わせ、大声で泣き叫びながら、アリアの死を嘆き悲しむ仲間がいた。
魔王討伐のために集い、友情も信頼も深めた仲間たち。
思い出をさかのぼれば、辛く悲しい気持ちも確かに芽生える。
けれどアリアが殺されたあの時でさえ、俺は彼女に魅入っていた。
自分の耳をそっと手で押さえ、あの時の彼女の吐息を思い出す。
耳にかかった濡れたような吐息、艶めかしい声、微かに触れた滑らかな肌。
そのすべてに意識がさらわれて、もっと近くにいたいと、もっと触れていたいと、あんな状況でただただ、そんなことを思っていた。
だけど__
なぜ彼女が魔王なんかに転生するんだ。
ミナトは、彼女の後を追い自殺した。
そうすれば、もう二度と自分以外の人間が彼女に触れることなど出来なくなる。
最後に彼女に触れて、髪をなで、血まみれの口にキスをした。
そうしてやっと、彼女を自分だけの物に出来たと思ったのに。
ふと意識を取り戻せば、周りには俺を”勇者”と呼ぶ人間が取り囲んでいて、玲奈がすぐ傍にいないことに絶望しながら、周りからほだされるようにして、俺は勇者として生きる事にした。
ここは地球とはまったく違う世界だった。
魔力が存在し、魔法を行使出来る世界。
人間以外の異形の者達がひっそりと息をひそめ、人間を食い物にする世界。
魂を、精神を、肉体を喰らう異形の者たちをこの世界では魔物と呼んだ。
対して、それら魔物に抗う術を持った人間たちの中でも、聖剣を扱える者を勇者と呼び、人間はそこに希望を見出して集い、魔族を殲滅せんと奮起した。
彼女がいない世界を往生しても仕方がないと思ったが、魔王討伐はこの世界の人間の念願であり、希望だった。
半ば投げやりに”勇者”を演じ、仲間を集い士気を高めて、魔導士総勢百名と大魔導士の力を借りて、やっと探し当てた魔王城へ奇襲をかけるべく、総勢千人の転移を行う事に成功したその矢先で。
まさか、
魔王に転生した彼女と会うなんて__
『わたし達は殺し合わなければならない』
彼女の言葉が己の魂を切り刻むが如く、突き刺さった。
勇者として全うするのならば、そうしなければならない。
だけど、俺の中じゃ勇者なんて肩書きはどうでもいいものだ。
せっかく再び会うことが出来たのに、また彼女を殺すなんて、絶対に嫌だ。
俺は彼女を愛している。
魔王に生まれ変わった彼女は、人間の大敵だ。
憎まれ、敵視される事はあっても、もう誰も彼女を求めようとはしない。
それならば、俺だけが彼女の味方になれば良い。
この手に彼女を抱いて、彼女の熱を感じ、彼女の全てを、俺だけが手に入れる。
そうすればいい__
「また、必ず会いに来るって言ってた……」
周囲では大勢の仲間が、奇襲作戦が失敗に終わっただけでなく、その中で勇者の仲間としてずっと傍を守ってきた、大魔導士のひとりであるアリアの存在を失ってしまったことに、絶望し悲しみ嘆いていた。
そんな中、ミナトの顔には歪んだ笑みが浮かび上がる。
その瞳はどこか虚ろで夢心地のように恍惚とした表情を作り、遠くに想いを馳せるようにぼんやりとして、周りのことなど気にも留めない。
彼女がまた俺に会いに来る。
俺のためだけに、会いに来る。
そう思うと、魔王城で起きた出来事など、どうでもよくなる。
今すぐにでもまた、彼女に会いたい。
だけど、俺が単身乗り込んで行っても腹心にまとめてかかって来られたら、やられてしまうかもしれない。
それなら、ここで待っていた方がいいかもしれないな。
彼女に殺されるのならば本望だが、それ以外の連中に殺される訳にはいかない。
そうして混乱していた思考を、ようやく纏めあげた時だった。
「ミナト」
ふいに呼びかけられて意識が霧散する。
気付けば目の前には顔を泣き腫らしたジャスパーが、俺を睨み付けて佇んでいた。
「アリアのことは残念だったよ」
ジャスパーはアリアに惚れてた。
この戦いが終わったら告白するんだなんて嬉しそうに話していたのにな。
「ああ、残念だったよ。ところでおまえ、あの時何してた? 」
「あの時? 」
「アリアが攻撃を受けた時だよ。魔王に抱きつかれて、身動きひとつしてなかったよな」
涙で真っ赤に充血した瞳に憎しみを宿し、俺を睨み付ける。
何も反論出来なかった。
だって俺は攻撃の手を止めるよりも、あの時間を堪能していたかったんだ。
「ごめん。間に合わなかった」
「ごめんじゃねよっ! 」
心のこもらない言葉を発したと同時に頬に鈍痛が走り、身体が地面に勢いよく叩きつけられる。
痛みに堪えながら上体を起こすと、口内に苦いものがじわりと広がった。
ぷっと吐き出して指先で口を拭う。
あの時、玲奈の唇から味わったのと同じ味がして、懐かしさに目を細めると、周りにいた人間が、突然起こった暴力沙汰を目にして騒ぎ始め、その騒ぎを聞いたシエラが垣根を縫って飛び出して来た。
「ジャスパー! 何をしているのっ!? 」
俺を庇うように背を向けると、風に乗って柔らかな栗毛色の髪の毛が、サラリと俺の頬をかすめた。
「そいつ、魔王に抱きつかれて気持ちよくなって、アリアを見殺しにしたんだ」
「何を言っているのよ。ただ動けなかっただけでしょう。変な風に勘ぐるのはよしなさいよ」
「どうだか。確かにあれは魔王だが、超絶良い女だったろ。うっかり魅入られちまったんじゃねぇのか」
「男っていうのは、どうしてそうやって直ぐにそっちの方向に考えるのかしら。魔王と対峙するのは皆初めてだったでしょう? 緊張もしたし、恐怖もあった。その中で急にあんな事されたら、誰だって固まっちゃうわよ」
「俺はちげぇ」
「あなたとミナトは違うもの。ねぇ、ジャスパー。アリアのことはとても残念だわ。だけど、ミナトだけのせいじゃない。わたし達の誰も彼女を助けられなかった。だから、ミナトのことを許してあげて」
シエラは仲間想いの優しい子だ。
何かと言うと相手をフォローするし、喧嘩の仲裁役も必ずと言っていいほどシエラの役目になっていた。
だけど今回は、ジャスパーの言い分が正しいんだと言えなくて、俺はシエラの背中で顔を歪めた。
「分かったよ……確かに、ミナトだけを責めるのはおかしいよな。俺も、手も足も出なかった。なのに、おまえに当っちまった……悪かったよ」
涙を手荒く拭って目を伏せ、小さく謝るとこちらに歩み寄り、俺に向けて手を差し伸ばした。
その手を取り、立ち上がる。
「おまえとアリアのことは、俺も知ってるから……気にしなくていいよ。さあ、作戦を立て直そう。アリアの追悼も……しなくちゃな」
「ああ、そうだな」
俺たちは肩を組み、再び歩き始める。
目の前には転移を行ったバンガイム帝国領敷地が広がる。
向かいからは一気に転移で戻された大軍に気付いた帝国の騎士団が何事かと走り寄って来る所だった。
その遥か上空にて__
夜空は煌めく無数の星々を纏い、大きな月がその淡い輝きで空を染めていた。
その月を背に、彼は灰色の羽を羽ばたかせ、海よりも蒼いその瞳に勇者の姿を映し、目を細める。
「バンガイム帝国」
勇者の居場所を突き止めろ。
それが彼女に与えられた命令。
何人か仲間の名前も手に入れた。
恐れ多くも魔王様生誕の直後に、魔王城へと奇襲を仕掛けた愚か者ども。
その要である勇者、神崎ミナト。
二人の会話からは何か因縁めいた物を感じ取ることが出来た。
あの二人の関りが気にならないと言えば嘘になる。
なんにせよ、魔王様の望みを叶えるのが自分の役目。
「神崎ミナト。必ずおまえを殺しに行く。それまで待っているといい」
ミナトの背にその決意を向けて、サシャールは空を切り、その場から姿を消した。




