first
__またあの男に殺された。
同じ男に二度も殺されるなんて、憎しみがリミッター振り切って誰でもいいから殺したくなってしまう。
そこらじゅうの物をぶち壊して、暴れて、世界すら破壊してしまいたい。
この感情をどうやって消化すれば良いんだろう。
腕で目を覆い隠し、唇が白くなるほど噛みしめて、煮えたぎる己の中の憎悪を押し殺す。
__神崎ミナト。
わたしの魂に刻まれた名前。
最後に見たあの男は、自制の効かない子供のように泣き喚いていたっけ。
泣きたいのはこっちだっていうのに。
ああ、殺してやりたい。
今すぐにでも殺してやりたい。
押さえ込んだ憎悪がふつふつとにじみ出る。
「お目覚めでございますか、魔王様」
ふと聞こえたその声は聞き覚えのあるものだった。
思わず思考が途切れ、わたしは腕をそっとずらして、その男を見つめた。
闇よりも深い暗黒の世界の中で銀色の髪だけが薄っすらと光って見える。
この髪の色……
「サシャール?」
「魔王様……なぜ、わたしの名前をご存知なので?」
夢でも見ているのかしら。
サシャールも他の異形の者達も、みんな死んだはず……
「サシャール、なぜ生きているの?」
「どのようにお答えするべきか……未熟者のわたしにはその質問に答える術がございません」
明確な解答が得られないまま、辺りを見渡して見る。
__似ている。
似ているというより、まったく同じ空間だった。最初に目覚めたあの場所と。
何一つ光のない虚無の世界。
あの敵の女はなんと言ってたっけ。
確か__
「生誕の間?」
「はい。この場所はこの魔界で最も魔素が圧縮され生成される場所でもあり、歴代の魔王様が誕生されてこられた場所でございます」
歴代の魔王。
前もサシャールはわたしのことを魔王様と呼んでいた。
「ねぇ、わたしは魔王なの?」
「はい。第69代目魔王様に在られます」
「69代目……」
69と聞いて、思わず思考が卑猥なモノを連想してしまう。
男たちを誘惑するために蒔いた甘い毒。その毒は当然のようにわたし自身の身体も蝕み犯していた。
「ここから出してくれる? 」
「はい、魔王様」
二度目の会話と、身体に感じる浮遊感。
わたしは悲鳴をあげることもなく、しっかりと首にしがみついた。
光が溢れる扉をくぐり、視線を向けた先には頭を下げて跪く、見覚えのある異形の者達。
壇上の上には大きくそびえ立つ背もたれの漆黒の椅子が見える。
サシャールの歩幅に合わせて揺られながらその肩越しに、そっと視線を移す。
跪く異形の者達の背後……しかし、まだ何もない。
この巨大な大広間にも傷ひとつ付いていないし、異形の者達以外は誰もいない。
これではまるで__
「時間が戻ったの……?」
とても信じられない事だった。
ついさっきこの場で起きたあの出来事。
恐怖で叫び続け泣き喚いたわたしの身体は、言葉通りバラバラにされて、あのおぞましい感覚はいまでも尚、肌をざりざりと削っているようだった。
思い出すと吐き気が込み上げて顔を歪め、同時にミナトとあの女に向けてはらわたが煮えくり返るような憎しみが込み上げる。
だけどこの先の未来が、先に経験したあの未来ならば。
__また、会える?
そう思った瞬間、思わず口が吊り上がる。
もしかしたら、また会えるのかしら。
忌々しいあの、神崎ミナトと。
サシャールの歩幅に合わせながら上下に揺れる身体で、今はまだ何もないその空間へと突き刺すような視線を向ける。
もうすぐ、あそこから現れるはず。
そっと椅子に下され、サシャールが異形の者たちの列へと戻り始める。
だけど、それを今回は黙って見つめるつもりはなかった。
やらなければならないことがある。
あの神崎ミナトに立ち向かう為に。
「待ちなさい」
皆が沈黙を守る中、わたしの声はよく響いた。
その声にサシャールはその足をピタリと止めて振り返る。
「はい、魔王様」
「こちらにいらっしゃい」
「……かしこまりました」
不思議な感覚があった。
魔王、魔素、聞き慣れない言葉たち。
でも意識をすれば、確かにわたしの中に満ちる力の流れを感じる事が出来た。
誰に教わるわけでもなく、わたしはその力をどうやって使いこなすのか分かる。
一度降りた壇上を再び登り始めるサシャールの背後に、小さな光の球体が姿を現し始める。
わたしはそれを目を細めて見つめた。
まだ、誰も気付かない__
わたしはその球体から目を逸らさずに、サシャールを腕の中へと招き入れる。
少し長めの銀髪に白い肌、透き通るような蒼い瞳。サシャールはどこか儚げな印象を持つ美形だった。
前回はそんなことにすら気が回らないほど動転していたのね。イイ男には常にアンテナを張っていたわたしが、そう思うと自分に呆れて情けなくなる。
そしてこれほどイイ男を、無惨にも死なせてしまった事が、腹立たしい。
サシャールとその後ろに控える異形の者達にそっと視線を移す。前回身を挺して、わたしをその命が尽きるまで護ってくれた者達。
今回はむざむざと殺させてやるわけにはいかない。
だけどその為には今のままでは、足りない。
敵の女が言っていた通り、わたしの中に有る力は不安定で危うい。これでは、あの膨大な数の魔力には抗えない。
もっと、もっと力が必要だ。
「あなたの力をわたしに頂戴」
「魔王様? 」
サシャールの首筋にそっと手を滑らせ、引き寄せる。
驚き目を見張ったサシャールには構わずに、わたしは唇を重ねた。
「ん……」
サシャールの顔越しに見える球体は徐々に大きくなってゆく。
わたしはそれから視線を外さない。
まだ、時間はある。
「ふ……」
サシャールの咥内深くにもぐりこみ舌を絡め、私の身体は足りない物を補おうと干渉し始める。
もっと、もっと。
その中の温かで甘い熱気が、口づけと共にわたしの中へと流れ寄せる。
少しずつ熱気が魔力へと変換されて、サシャールから引き出されるのを感じ、咥内から身体中に染み渡るように、身体がじわじわと熱くなる。
いいわ、でもまだ足りない。
あいつを倒すのには、まだ。
「ま……おう、さ……ま」
はあっと熱い吐息を漏らしながら、サシャールは必死にわたしの求めに応じた。
交える咥内で何度も濡れた音が立ち、そこから濃くて甘い蜜のようなサシャールの魔力が流れ出す。
甘美なそれをもっともっと求めたくて、いつまでも味わっていたくて、理性など軽く吹き飛んで、我慢が効かない。
さらに吸い出そうとサシャールの首に強く抱き付いた時だった。
「う……」
突然苦しそうに顔を歪め、サシャールがわたしの腕の中で、ガクッと膝をついて崩れ落ちた。
そのサシャールの頬にそっと手を伸ばし、指でなぞり、唇に微かに残る蜜を舐めとりながら、わたしは薄く笑う。
「ごちそうさま」
まだ加減が分からないわたしは、思ったよりもサシャールから魔力を引き出し過ぎたのかもしれない。
サシャールは立ち上がることも出来ずに、何も言わずその場で荒く息を繰り返した。
そのサシャールを尻目にわたしは壇上を降り始める。
次の目的へと向かって。
狼になった者とツノが生えた者。
この中なら、ツノが一番まともかな。
今現在は額に捻じれたツノが生えているだけで、浅黒い肌をした普通の男に見えるそいつの前にわたしは立つ。
バチバチ!
球体がプラズマ音を鳴らし始め、膨れ上がる。
急がなければ。そう思った矢先、球体が爆発的な光量と共に部屋中に満ちた。
異形の者たちは驚きに声を上げ、振り返る。
それを横目で見ながらも冷静を保ちつつ、わたしはツノの生えた男の首に手を回し、自分に引き寄せた。
「あなたのも、頂戴」
「えっ……? 」
構わずに口を塞ぐ。
この男からも甘くとろけるような蜜の味がする。
舐めるほどに甘さを増してわたしの中へと流れ出る、サシャールより少しだけ薄いその甘みは、深く絡ませるほどに溢れてわたしに注がれ、身体中を満たし始める。
驚いたように目を見張って身体を強張らせた男の、金色に輝く瞳を至近距離に捉えながら更に彼を味わうと、次第に鼓動が早くなって身体が火照り、魔力が溢れて身体に纏い始めた。
「んっ……はあっ」
引き寄せたツノの男が苦しそうに荒く息継ぎをしたのを見て、そっと唇を離す。
回した腕の中で肩で息をする男の頬に口づけをし、耳をくすぐるように囁いた。
「ごちそうさま」
身体の熱はほどよく満ちている。
完璧とは言えない。
けれど、これくらいならば……
男の横をすり抜けて、ゆっくりと異形の者達の前へと進み出る。
身体中に満ちる魔力は気分を高揚させ、この先に姿を現すはずのあの男を想い、自然と口角は吊り上がり目には熱がこもる。
__早く、来なさい。
待ち侘びるわたしの前で、ついに膨大な光は周囲の音を呑み込みながら消え去り、その中から再び、銀色に輝く大軍が姿を現した。