また君を殺す
遠くに、うおおおおおおっ! という歓喜の雄叫びが聞こえる。
そんな彼らとは正反対に、カタカタと身体を小刻みに震わせながら更に一歩後退り、わたしを見つめる男の顔は、零れそうなほどに大きく目を見開いて強張っていた。
ついさっきまで優位に立ち、わたしの命を奪うと断言したその男の態度の変わりように、不信感が募る。
「お……お、れ、は」
けたたましく鳴り続けていた爆音がなくなった事によって、わたしの心は少しずつ平常心を取り戻していく。
頬を伝う涙を指先で拭い、視界をクリアにすると、その先に青ざめた男の唇が小刻みに震えているのが見えた。
顔を歪めながらその唇がゆっくりと開き、苦し気に吐き出した言葉は、周囲の歓声に埋もれることなく、わたしの耳に真っすぐに届いた。
「神崎ミナトだ」
神崎ミナト。
どこかで聞いたことのある名前だわ……
そう思うも、なかなか直ぐにその記憶の根源にたどり着けなかった。
わたしは顔を顰めて目を伏せ、口に手を当てて意識を集中し、記憶を探ろうとした。
「死んだら……ふたりだけで一緒になれると思ったのに……」
死んだら……?
その言葉が眠っている記憶をチクリと刺激し、記憶を探ろうとしていた集中力が途絶え、思わず顔を上げて再び視線を男に向ける。
なんだろう、最近そんな言葉をどこかで聞いた気がする。
「どうして君は、そっち側にいるんだ」
男の瞳には複雑な感情が入り乱れ、収拾がつかないみたいに、落ち着きなく揺れ動いていた。
まるで責めるような口調でそう言われて思わず苛立ち、口調が強まってしまう。
「意味がわからないわ。そっち側ってなんのことなの」
「俺は、勇者になった。君は、魔王になった。だから俺は、この世界でもまた君を殺さなくちゃならない……」
男は自分が発した言葉の重みを受け止めきれず、苦痛に顔を歪めた。
「また……殺す?」
それは、一度は殺したことがあるということでしょう?
それってつまり__
脳内がその答えを導き出した途端、わたしの中で渦を巻いて入り混じっていた様々な感情が、台風にでも連れ去られたように、綺麗に消し飛んだ。
ついさっきまで恐怖で震え、泣き叫んだ自分が幻のように無くなって、自然と口角は吊り上がり、目には力が宿る。
身の内から新たな感情が湧き出してわたしを呑み込み、支配するのに時間はかからなかった。
「神崎ミナト。思い出したわ」
身体の中では抑えきれないほどの感情が業火となって、身を焼き尽くすほど暴れ回っていたけれど、それに反して口から出た言葉は凍てついたものだった。
怯えるように顔を引きつらせたミナトを、瞳が溶けるのではないかと思うほど感情を乗せて睨みつける。
ぐつぐつと音を立てて際限なく内から湧き出る感情は、憎悪だった。
あの夜、わたしを殺した男。
日曜日に同伴する予定だった男。
そいつの名前が、
__神崎ミナトだった。
「わたしを殺した男。おまえだったの」
二度と会えないと思っていた。
いえ、死んだのだから、そんなことつゆほども思わなかった。
だけど、こうして再び目の前に現れたこの男を見ていると、憎悪と共に別の感情が湧き上がる。
「あはっ、あははは」
剣先を突き付けられたまま、ふつふつと湧き上がる感情に耐え切れず、わたしは椅子の上で膝を抱え、身体を揺らしながら嗤う。
新しく生まれた感情、それは歓喜だった。
こんなことってあるのかしら。
わたしを殺した男と、また会えるなんて。
でも、こいつがあの神崎ミナトというのなら。
「おまえを絶対に殺してやる」
腹の底から煮えたぎる憎悪が、まるで呪いの言葉のように口から紡ぎ出された。
業火を宿したわたしの瞳に射抜かれて、神崎ミナトの顔は強張って引き吊った。
酷く歪んだその顔は、哀しそうでもあり、怯えているようでもあり、絶望しているような、そんな表情を作り出した。
「わたしは、おまえを絶対に許さない」
この怒りを決して忘れないように、わたしは目の前にある剣先に手を差し出した。
今か今かとわたしを待ち侘びるその聖剣に、軽く手のひらを押し当てると、つぷ、と肉に刃が食い込む。
「な、に、を……」
目を見開くミナトを他所に、押し当てた手のひらに少しずつ力を込めると、手首に血液が滴り落ちた。
不思議なことに、思ったよりも痛みを感じない。
わたしはね、痛みを感じたいの。
この男に味わわされた、あの痛みを、思い出したいのよ。
ぐっと歯を噛み締めて顎に力を入れると、わたしは一気に手のひらを剣先に押し込んだ。
ずぶっという肉が貫通する少し鈍い音と共に、ドクドクと手のひらは脈打ち、貫かれた肉の間から大量の血液が溢れ出す。
その血流はわたしの白い腕をあっという間に伝って紅く染め上げ、肘の関節に溜まった血液が、ぼたぼたと音を立てて床に滴り落ちて血だまりを作った。
視線を落とし、まるで他人事のように、わたしはそれを冷静に見つめる。
痛みはある。
聖剣に貫かれた手のひらは、溶けそうなほどに熱を帯びた。
手のひらから突き出た聖剣が、じわじわとわたしの身を食い潰すように、魔力を打ち消し始め、奪って行くのを感じる。
熱せられた手の中で虫が這いずり回るような感覚と、何かが急速に奪われて行く感覚。
そのなんとも言えない不快さに顔を顰めると、剣を持つミナトの腕がガタガタと震え、かろうじて剣を支えるに留まった。
「やっ、やめ……」
「なぜ。あなたが望んだことでしょう。あの時も、あなたの手にはたっぷりとわたしの血液が流れ落ちていたんじゃないの」
わたしは嗤う。
男の歪む顔が楽しくて。
もっともっと苦しめばいい。
思い出せ、あの瞬間を。
わたしの、死顔を。
「また、わたしを殺すんでしょう?」
ふふっ、と我慢できない嘲りが溢れた。
「勇者! そこをどきなさい! わたしがやるわっ!」
「まっ、待てっ!」
わたし達の会話を遮って、近くから女の怒声が聞こえてそちらに視線を流すと、ミナトの背後で黙ってそのやり取りを見ていた女が、目を吊り上げながら苛立ちを露わにしてわたしを睨み付け、有無を言わせぬ鋭さをその瞳に宿した。
ミナトを押しのけ、ずかずかとこちらに進み出てわたしの目の前に立ち、鼻筋に皺を寄せて口を曲げ、まるで汚らしいものでも見るような視線をわたしに向ける。
__なに、この女。
その侮蔑するような視線に不快さを抱き、わたしもその女を睨み返す。
癖のない金髪を頭頂部できつく一纏めに結び、長いポニーテールにしたその女は、手に漆黒のオーブを飾った杖を携えていた。
その女の突発的な行動にミナトは目を見開き、慌てて身を乗り出しその肩を掴んで後ろに引かせようと手を伸ばす。
だけど問答無用とばかりに、女はすぐさま杖を頭上高く掲げると、早口で詠唱を唱え始めた。
透き通った女の高い声が朗々と響き渡り、魔力を纏い始め、キラキラと輝く粒子がオーブへと収縮されて行くその様を、わたしは呼吸すら忘れて呆然と見つめる。
彼女が紡ぐその言葉は、この世界の理へと干渉するものだ。
彼女の呼び掛けに応じて収束した魔力はオーブに七色に煌めく強い発光を灯らせ、彼女の瞳に強い意志を宿らせた。
魔力が大気を震わせて彼女を中心に突風を巻き上げ、ばたばたと衣服が煽られる。
「アリアっ!」
意を決したように彼女が何かを叫んだのと、焦るようなミナトの悲痛な叫び声が重なった。
そう思った瞬間、オーブに収縮された魔力の塊がわたしに向けて一気に放たれ襲い掛かる。
ごうっという風を凪ぐような音と共に目の前がホワイトアウトして、砂嵐の中に巻き込まれたような感覚に襲われ、思わず目を硬く閉じて顔を覆い隠し、身体を強張らせた。
「きゃああっ!」
「玲奈っ!」
光の微粒子がわたしの身体の爪の先ほども逃さずに捉えて包み込み、竜巻のように巻き上がりながらミナトの悲鳴を呑み込んで、わたしの皮膚を荒らしく撫でながら少しずつ削り始める。
痛覚を伴わない、ざりざりとしたその不思議な感覚は、実に不快なものだった。
顔を腕で覆いながら、薄く目を開けば、目先に見えた皮膚が粒子に削られて生々しい血肉を露わにした。
自分の身に起きている事への衝撃に悲鳴さえも声にならず、吐き気を覚え耐え忍ぶ。
粒子の渦はひたすらうねりをあげながら、わたしの身体を轟々と巻き上げて、削り上げ続けた。
爪先から、指へ、手のひらへ、髪の毛から、首筋へ。
皮膚から血肉を削り、そして骨へと到達する。
「玲奈っ!」
わたしの身体のほとんどが削り取られて粒子の中に消え去り、右目の視覚が無くなった頃、ミナトの悲痛な叫び声が微かに耳に届いた。
わたしに魔法を行使した金髪の女と体格の大きな男に身動きを押さえつけられながら、その腕を振りほどこうと顔を真っ赤にして首を何度も振って泣き喚き、必死にもがきながら、こちらに走り寄ろうとしている。
__なぜ泣いて、いるの?
粒子が邪魔でよく見えない。
朦朧として意識は霞み、完全に粒子の中にわたしの身体は消え去り、そうして再びわたしは死んだ。
この世界観好き!
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