理と業
「お前みたいな転生者は、何かしらの業を背負ってきているって言うのが、この世界の理だ」
怠そうにテーブルの上に開いた分厚い魔導書をトントンと指でこつき、ジャスパーはそう説明した。
転生して間もなく、俺は大魔導師であるジャスパーからこの世界の理と魔力や聖剣について、様々なことを教わることとなった。
ジャスパーが発した聞き慣れない言葉に俺は首を傾げる。
「業? 」
「長年その理を研究してきた稀代の魔導士によれば、それは前世の業に関連してるというのが見解だそうだ。前世での生き方で、勇者となるべきものが背負った業。それを断ち切るために、勇者となり聖剣を携えるんだと」
業を断ち切るために聖剣を携える……
俺が前世で背負った業とは、なんだろう。
玲奈の弱さを知りたいと思ったことか。
玲奈を護りたいと思ったことか。
結果的に俺に心を開かなかった彼女に絶望したことか。
男たちを殺し続ける彼女を止めようと思ったことか。
その彼女の……命を奪ってしまったことか。
想い当たるのは、彼女のことだけ。だけど、転生した時、彼女は傍にいなかった。この世界に彼女はいないのに、その業を断ち切るなんてどうすればいいのか。
あの晩、自分の腕の中で崩れ落ちた彼女の姿を思い起こして目を伏せる。
「断ち切れない場合は、どうなるんだい? 」
「断ち切れるまで戦い続けるしかねぇんじゃねぇのか。大昔から勇者が存在する理由は魔王打倒のためだ。その過程の中で勇者が自らの業を断ち切り、それと共に魔王を倒す。魔王はこの世界から最も断ち切らなきゃならねぇ業だからな。聖剣はそれを達成するための武器だ」
断ち切れるまで。
玲奈がこの世界にいない以上、それは決して叶わないだろう。
それとも俺が抱えた業とは関係なく、魔王を倒せば精算されるのか。それは分からない。
だけど今なら分かる。
玲奈が魔王だったから。
きっと、ただ倒すだけでは業は断ち切れない。俺が背負った業。玲奈が背負った業。それを断ち切るために、どうしたらいいのか未だ俺には分からない。
だけど、俺に出来ることはただひとつ。今度こそ玲奈の心を、玲奈自身を護ることだ。
不敵な笑みを浮かべるジャスパーを睨み付けながら、俺は内心舌を巻く。
玲奈が聖剣の影響によって弱体化していることを知ったジャスパーが、この機に乗じて仕掛けてくると予想するのは容易かった。
だけどこんな短時間で、バーランド国に集結していた魔導士を大規模転移させてくるとは。
「全く、みんなお気楽なもんだぜ。呑んだくれやがってよ。回復かけるのに手間どっちまった。有難いことにシエラもいてくれたんで、酔っ払いを回復させるのは、あっという間だったけどな」
わざとらしく大きくため息をつき、ぽりぽりと頭を掻いてそう言ったジャスパーの背後から、白いローブを身に纏ったシエラが姿を現した。
「魔王の身体から漏れてた光……どういうわけか知らねぇが、あれは聖剣の光だった。おかげで大分弱ってるみたいだが……ミナトは今、聖剣を持っていないんじゃないのか」
ジャスパーの悪びれもなく放たれた言葉に、後方の魔導士達が騒めき立つ。
そんな彼等を慌てて振り返り、焦った様子で見渡しながら、シエラは小さく唇を噛み締めた。
勇者が勇者としての意義を失うなど、あってはいけないことだ。
出来る事なら、全てが終わるまで隠しておきたかったし、ミナトがこの場に来ないで済むのなら、それが一番良かったのに。
ジャスパーは口を結んで目を逸らしたシエラを見てにやりと笑い、ミナトに向き直った。
「ミナト。おまえ今聖剣はどこにある? 見せてくれよ」
「そんな必要はない」
「いいや、ある。聖剣がないと言うなら、おまえは勇者ではなくただの凡人にしか過ぎない」
そう言葉を区切るとジャスパーは後ろを振り返り、後方に控える魔導士全員に聞こえるように声を張り上げた。
「それも、魔王に惚れた人間の裏切り者だ! 」
その声は玉座の間全体にこだまし、響き渡った。
シエラは顔を青ざめて口を押さえ、俺はジャスパーの思惑を悟り、静かに笑った。
ジャスパーは俺が裏切り者であると周知させ、ここで魔王共々俺を殺す気だ。
「魔王を連れて来い! ここで全ての決着を付けてやる! 」
こちらを振り返り、挑むような目つきでそうジャスパーが叫ぶ。
玲奈が弱ってさえいなければ、こんな人数だってきっと相手にならない。
バーランド国で開かれた前夜祭はそもそも、戦いに挑む前に死を覚悟した魔導士達の最後の晩餐会だった。誰しもが魔王に敵わないと、語らずとも理解していた。
実際、玲奈があんな状態じゃなければ、その予想は正しかっただろう。
だけど今は完全に形勢が逆転してしまっている。
唯一の武器である聖剣は玲奈の身体から取り出せず、ジャスパーの言うように、俺は聖剣がなければ只の凡人だ。
チラリと隣に並ぶサシャールと呼ばれた魔族に視線を流すと、俺の視線に気付き、その青い瞳で訝しげに俺を睨み付けた。
「なんだ」
「俺が戦えないのは知ってるだろう。時間を稼ぐ。その間に玲奈を逃すんだ。むざむざ玲奈を殺させるわけにはいかない」
その言葉にサシャールは微かに目を見開いた。
「おまえ、人間と敵対するつもりなのか」
俺が護りたいのは玲奈だけだ。玲奈を殺そうとする奴がいるなら、それが魔族でも人間でも敵対することに変わりはない。
そう、告げようとした時だった。
「わたしは逃げないわ」
背後から聞こえた声に、思わず振り返る。そこには、心配そうな顔をして彼女に肩を貸すガイアの姿と、支えられながら歩み寄る玲奈の姿があった。
顔色には多少血の気が戻っているようだが、額には玉のような汗が幾つも浮かび上がっている。
「玲奈! 君はあそこから出ちゃいけない! ここは俺達に任せて生誕の間にいるんだ! 」
細い肩を両手で掴み、奥に戻るように言うと、彼女は力なく首を横に振った。
「いいえ。どうせ死ぬのなら、最後まで戦うわ。そうしたいの」
そう言う玲奈の視線は真っ直ぐにジャスパーへと向けられている。その瞳にはいつか俺に向けたような、憎しみの色を宿しているように見えた。
「なりません! そのようなお身体でっ」
「サシャール」
納得がいかないように顔を顰めたサシャールをその紅い瞳をすっと細めて黙らせると、玲奈はガイアの肩から手を離し、後方に控える魔族たちに向かって、ジャスパーを睨みつけたままハッキリと言い放った。
「頼むわよ」
魔王の言葉は絶対だ。それがどれほど理不尽で納得のいかないものでも、玲奈の覚悟だけは魂を通してしっかりと伝わる。
自分たちの崇める魔王様が戦うと決めたのならば、自分たちはその意思に添い、尽力を尽くすのみ。
魔王からの最後の指示を受けて、サシャールたちの瞳に力強い意志が宿る。三人は黙ってしっかりと頷いた。
「ミナト……一緒に来てくれるわね」
覚悟を決めたような強い光をその目に宿して、玲奈の瞳が俺を見つめる。そして白雪のように細くて長いその手を俺に向けて差し出した。
その細い指先をすくい上げ、俺は口を開く。
「当然だろう。俺は最後まで君の傍にいる」
いつ、いかなる時も、俺は君の傍にいる。
それが生前からの、唯一の俺の望み。
迷いなど、微塵もある筈がなかった。
一瞬、そんな俺の言葉を耳にした彼女の口元が小さく笑った気がした。
「行くわよ、ミナト」
俺達は手を取り合い、共に正面を向くと、ゆっくりと前へ歩みを進めた。




