君のために出来ること
コツンコツンと靴の音が響き渡る。
いつか訪れた玉座の間は、今は人気がなく殺風景で、ただふたりで肩を並べて歩くには広すぎて、空気は冷え冷えとして寂しさすら感じた。
数段高い場所にある漆黒の玉座は、今は主を失い、主人の帰りを待ち詫びるように物寂しげにそびえ立っている。
その脇を抜けた先の扉が開かれると、そこには暗黒の空間が広がっていた。どこからともなく魔素が常に生み出される、生誕の間。
周囲の魔素はこれまで感じたこともないほど、重く、濃い。
開かれた扉から射し込む明かりに照らされて、その中にさらにふたりの魔族がいるのが見えた。
闇の中で浮き上がるように、蒼い瞳と黄金色の瞳が自分へと向かって突き刺さる。
「こちらへ。勇者、神崎ミナト」
促されるまま、真っ直ぐに闇の中へと足を進めると、徐々に彼らの目の前に誰かが横たわる姿が目に入った。
そのシルエットを捉え、ぴくりと眉が動く。
「玲奈……? 」
混沌とした魔素の中にあり、全てを飲み込んでしまいそうな闇の中で、薄らと彼女の白い肌が浮かび上がり、更に近づくとその身体からキラキラと輝く七色の粒子が光を放っているのがハッキリと見て取れた。
「これは……」
彼女の身体から溢れるように発せられるその光は、見覚えのある物だった。
瞳を閉じたまま横たわる彼女の腕にそっと触れると、その光がふわふわと立ち上がり、俺の手のひらに纏い付く。
それは親を見つけた幼い子供のように、無邪気に戯れているように見えた。
「聖剣……なのか? 」
その言葉に呼応するように、玲奈の身体を包み込んでいた七色の煌めきは、ゆっくりと彼女から浮き上がると俺へと向かって集まり出し、身体の周りで踊るように螺旋を描いた。
「聖剣だと? その輝きは聖剣なのか? 」
玲奈を挟むように向かいに佇んでいた青眼の男が、俺の言葉に反応する。
彼女から発せられる光で薄らとその表情が浮き上がり、どこか思い詰めたように顔を強ばらせた、綺麗な顔の男だった。
「……そうだ。これは数日前に突然俺の手元から消えた聖剣だ。それが粒子化して……玲奈の身体に同化している」
「聖剣が……同化だと!? 」
驚愕に声を張り上げた男の言葉に、周囲にいた魔族も無言ながら緊張感を漂わせたのが分かった。
だけど、そんなことを気に留める余裕など俺にはなかった。
自身で結論付けたその言葉に、それほど動揺していた。
魔力を打ち消す聖剣が魔王である玲奈と同化する。
それが一体何を意味するのか。
「それでは……このままでは、魔王様がっ……」
その意味を悟った魔族が焦りを含んだ声をあげた。
そう。このままでは……
「死ぬ」
その言葉と共に身体の芯を冷たいものが通り過ぎた。
心臓が脈打つ音が耳を打ち鳴らす。
何よりも望まない答えを自分の口から出してしまったことに絶望した。
「……っ! 」
ハッキリと告げた俺の言葉に男は言葉を失い沈黙した。聖剣は今も尚、じわじわと玲奈の身体を蝕む病のように身を食い潰しているのだろう。
どうすればいい、どうすれば……!
「ミナト……? 」
不意に俺の名前を呼ぶ声がして、はっとして声がした方向を振り向けば、薄く開かれたルビーのような瞳があった。
「来て……くれたのね……」
その声は酷く弱々しいものだった。
身体を聖剣に蝕まれ、衰弱しているのが見るも明らかだ。
額に薄らと汗を滲ませ、ただでさえ白い顔は血の気を失って青白くさえ見えた。
鮮烈な印象を持っていた美貌が儚げに霞み、その有り様に思わず心が押し潰されそうになる。
「玲奈……どうしてこんなことに……」
「……これは、聖剣なのでしょう。お願いよ、わたしの身体からこれを取り出して頂戴。あなたなら……出来るはずよ」
小刻みに震える唇でそう言った彼女は、涙を薄く浮かべながら、そう懇願した。
世界で一番憎んでいる俺に助けを求めるなんて、彼女としてはこの上ない屈辱なんだろう。
もちろん、出来ることなら今すぐにでも助けたい。
だけど……
「出来ない」
口から次いで出た言葉は、彼女の期待と希望を粉々に打ち消すものでしかなく、死刑宣告でもした処刑人のような気分になる。
「なんだと、貴様っ! 」
黙って口をつぐみ、俺を見つめる玲奈の傍らで向かい合わせに立つ男が、今にも攻撃を仕掛けて来そうな殺気を放ち、怒鳴り声をあげる。
俺だって出来ることならそうしたい。
でもこれは……
ギリッと唇を噛み締め、俺は言葉を紡ぐ。
「……聖剣は玲奈の身体と同化してしまっている。今はこの生誕の間を満たす魔素を補給しつつ、彼女自身の魔力が聖剣の力を辛うじて押し留めているだけに過ぎない。だけど彼女の魔力と同化した聖剣を抜いたら、一気に彼女の中の魔力は外に引き摺り出されることになる。恐らく……根こそぎ奪われることになる」
「そんな……なんとか、なんねぇのかよっ! 」
額からツノを生やした魔族が、今にも泣き出しそうな顔をして頭を抱える姿から、俺は目を逸らした。
魔力が生命の源である魔族が、その魔力を全て失うというのは死と同義だ。
「……残念だけど、恐らく時間の問題だ。だけど、その時間を引き伸ばすことなら、出来る」
「時間を引き伸ばす? 」
「俺の命を、玲奈に渡す」
俺の言葉に魔族は目を見開いて言葉を失った。
「おまえ……勇者だろ。勇者が魔王を助けるって言うのか? 本気か? 」
「勇者なんて肩書きは俺にとってはどうでもいい物なんだ。俺の中で何よりも大事なものは、昔も今も変わらない」
そう言って魔族から横たわる玲奈へと視線を向ける。
玲奈の瞳は、困惑しているように揺れ動きながら俺を見つめていた。
「俺の命がどれだけ君の命の足しになるか分からないけど、それで少しでも君を生き永らえさせることが出来るなら、俺は本望だよ。俺の命で生き永らえるなんて、君としては嫌かもしれないけどね」
自嘲するようにそう言って小さく笑った俺を玲奈は嘲もせず、罵倒もせずに、じっと見つめていた。
「……今のわたしには、ほとんど魔力がないわ。制御も出来ない。本当にあなた、死ぬことになるわよ。それでもいいの? 」
「それが君のためになるのなら、構わないよ」
「……本当にバカな男ね」
額に幾つもの汗を浮かび上がらせながら、玲奈は力なく笑った。
その笑みが何を意味するのか分からない。
これで復讐が果たせると思ったのか、愚かだと思ったのか。
君の心が何を想おうと、君の命の灯火が消えようとしているこの時に、黙って見ていられるほど俺は冷静でいられない。
例えほんの数十分足らずの延命になろうとも、誰にも頼ることのない君が、俺を頼ってくれたことが心の底から嬉しい。
その代償が俺の命であっても。君が望み、君のためになるのなら、俺は躊躇わない。
俺は玲奈の顔を挟み込むように手を付いて、ゆっくりと顔を近づけた。
彼女の紅い瞳が小さく揺れて俺を見つめ、心を決めたようにそっと瞳を閉じた。彼女の温かで小さな吐息を感じながら、俺はその柔らかな唇に自分の唇を重ね合わせた。




