消え失せたもの
音もない暗闇の中を堕ちて行く。
静かにゆっくりと沈みゆく意識の中で、鮮烈に様々な光景がフラッシュバックしてまぶたの裏に蘇る。
『俺と一緒に暮らそう』
そう言って差し伸ばされた手。
バカね、そんなこと出来るはずがないでしょう。
『君を護りたい』
真剣な眼差しでそう言ったミナトの姿。
何度もわたしの命を奪っておきながら、何を言うの。
『俺が! 必ず、君を護る! 』
まぶたの裏に蘇るのは、真っ赤に染まった瞳から流れ落ちる一筋の鮮血。
ミナトの叫び声が耳にこびりついている。
抱き留めた身体はずしりと重くて、背中は焼けただれて生々しい血肉を露わにしていた。
そう、これはあの時の……
『俺が君を護ってみせる』
わたしの髪の毛を優しく撫でる誰かの手。
隣にいた、男。
いつかの夜が途切れ途切れに蘇る。
『もちろんよ』
そう答えたのは、わたし?
いつもと同じ笑顔でそう答えたのに、あの男はとても悲しそうな顔をして目を伏せると、小さく笑って、最後に何か……
男の口元が動いて何かを言ったのに、急に音を失ったように聞き取れなくなった。
ああ。あのひとはあの時、なんと言ったのだったかしら。
あの言葉をもう一度聞きたくて思い出したいのに、思い出せない。
そうしてわたしの意識は再び闇の中へと堕ちて行った。
◇
「ミナト……? 」
ふと気が付けば、大きな栗色の瞳がすぐそこにあった。
長い睫毛が瞬きを繰り返して、不思議そうに首を傾げている。
「シエラ……? 」
「今日朝早く行くんじゃなかったの? 何を寝てるのよ」
「ああ……ごめん」
半分寝ぼけた頭で身を起こし、前髪に指を差し込んで少し痛む頭を揉みほぐす。
__夢?
随分懐かしい夢を見た気分だった。
懐かしさを覚えると同時に胸が痛み、訳も分からなく苦しくて、急に押し寄せる原因不明な不安が胸を掻きむしり、早鐘を打つように脈打つ心臓の音に、叫び出したい衝動に駆られた。
ぎゅっとその痛みを押し殺すように胸元を掴んで抑えつけると、不意に握り締めた手の甲に、ぽたりと何かが落ちた。
「ミナト……あなた、泣いてるの? 」
「泣いて、る……? 」
思わず彼女を見上げれば、驚いたように目を丸くして俺を見つめている。
頬を何かがゆっくりと伝う感覚を覚え、無意識に手で拭い取れば、それは涙だった。
「あれ……どうしたんだろうな」
呆然と自分の手のひらを見つめて、このいわれのない胸に襲いかかる不安や悲しみが、一体なんなのか答えも出ずに、言葉が漏れる。
「悪い夢でも見たの? これから魔王城に行くっていうのに、大丈夫? 」
眉間に皺を寄せて心配そうに俺を見つめるシエラに、完全に目を覚ますようにごしごしと荒く目の周りを拭い、頷く。
「大丈夫。少し昔の夢を見ただけだよ」
そう答えたものの、心臓の音は落ち着かない。
額や首筋にもじわりとした汗が滲んでいた。
俺は一体なんの夢を見ていたんだ?
思い出そうとすると目の奥を突き刺すような痛みに襲われて、これ以上は考えるのをやめることにした。
「そう? それならいいけど。行くなら急ぎましょう。みんなに気付かれないうちに行かなくちゃ」
「……そうだな」
元々夜が明ける前にはここを立つ予定だった。
それなのに窓を見れば、地平線の彼方に薄らと白々しい光が闇夜を打ち払うように覗き始めていた。
「計画通り、聖剣をクリスタルにしましょう。封印を掛けるのもラクじゃないんだから。少し練習させて欲しいし」
「ああ……」
シエラと言えども、さすがに一発勝負に出るにはリスクが大きすぎるのだろう。
言われるままに枕元の横に置いてあった聖剣の場所に当たりをつけて手を伸ばす。
「ん……? あれ……? 」
そんなに距離を離して置いていたはずがないのに、手を伸ばして左右に動かしてみても、何も擦りもしないことに、首を捻る。
思わず振り返り、枕元を確認してみたが、ベッドの上に聖剣が見当たらない。
「ミナト? 」
ひやりとしたものが身体の芯を通り過ぎ、息を飲んで思わずベッドから飛び降りて下を覗き込んでみたけど、床を見渡してみても剣は落ちていなかった。
「ちょっと……どうしたの? 」
寝ぼけた頭は冷水をかけられたように覚醒して、とくとくと再び鼓動が早鐘を打ち、焦る気持ちが優先して、シエラの問いに答える余裕もなかった。
ばさりと掛け布団を持ち上げ、何度か波打つように動かしてみても、何も重みを感じない。
埃が立った部屋に朝日が入り込み、キラキラと埃を反射させて煌めかせる中で、シーツを端から端まで手で綺麗に撫でつけ、異物が入り込んでないか確かめる。
最後にシーツをめくって掴むと、バサリと大きな音を立ててベッドから引き剥がした。
柔らかな薄手のシーツが軽やかに宙を舞い、クリーム色のマットレスが露わになる。
その上に再び舞い落ちたシーツから手を離さず、愕然として呟いた。
「ない……」
「ミナト? あなたさっきから何を探しているの? まさかと思うけど……」
耳心地の良い鳥のさえずりが遠くで聴こえ、薄暗かった空が白じんで、眩い太陽の輝きが空に広がる。
部屋を明るく照らす太陽の陽に背を向けて、俺は呆然と呟いた。
「聖剣が、消えた」
◇
「魔王様のご様子はどうなのだ」
生誕の間から出て来たサシャールを待ち構えていたロンザとガイアが、ふたり揃って厳しい目をサシャールへと向ける。
だがサシャールは眉を寄せ、悲しげに視線を伏せると静かに首を横に振った。
「まだ目を覚まされません」
「なんだと? おい、どうなってんだ? 」
苛立たしげに生誕の間へと視線を向けるガイアの肩に、大きなロンザの手がどしりとした重みをかけて置かれる。
「落ち着くのだ。魔王様が眠られている間は、我々がしっかりせねばならない。時にあのジャスパーという魔導士はどうしたのだ」
「ああ? あいつなら、魔王様の術が解けるとやべぇから、拘束してある。本当は殺したかったけどな。サシャールが魔王様の命令のないうちは勝手なことするなって言うからよ」
舌打をしてここには居ないジャスパーに対し、憎々しい光をその瞳にたぎらせるガイアに、サシャールは小さなため息を漏らした。
「魔王様とて、何かお考えがあってあの者を生かしておいたのでしょう。勝手に殺してはいけません。それよりも……早くお目覚めになられると良いのですが……」
三人の視線が一斉に生誕の間へと続く扉に注がれる。
何ものの光も寄せ付けず、全てを覆い隠す閉ざされた暗黒の空間で、まるで眠り姫のように安らかな吐息を立て、彼女は横たわる。
そんな彼女の身体から仄かに煌めき立つ淡い光があった。
それはとてもとても儚いものだったが、全てを飲み込もうとする闇にも負けず、彼女を包み込みながら煌めく七色の光。
柔らかなウェーブを描いた艶やかな紅い髪は、光に照らされてより一層輝きを増して彼女の身体を包み、七色の煌めきを身に纏った彼女は、まるで聖母マリアの如き優しさに溢れる美しさだった。
そんな彼女の閉ざされた長い睫毛の下から、静かに一筋の涙が零れ落ちる。
まぶたが小さく動いて睫毛が震え、ゆっくりと開かれる。
薄く開かれたまぶたの中にはルビーのような瞳が姿を現し、眠れる美女はようやくその眠りから目を覚ました__




