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何度目の剣先だろう……
目先にキラリと光を反射する鋭利なそれを呆然として見つめ、そんなことを思う。
相変わらず微動だにひとつ出来ない身体に対する苛立ちと、愚かなこの男に同情しながら、抵抗できる術もないのにグッと歯を噛みしめて、これから自分に振り下ろされるであろうその聖剣に対して身を強張らせる。
高く掲げた聖剣を、ミナトは光を失い闇に飲み込まれた虚な瞳をわたしに向けて傀儡人形のように表情を打ち消し、重力のみに頼るように、真っ直ぐに振り下ろした。
ズシャッ…
「くはっ……」
聖剣はわたしの魔力を打ち消しながら、易々と血肉を斬り裂いて突き刺さり、侵入を果たした。
身体の中心を貫かれ、焼けつくような激痛と衝撃に呼吸が止まる。
身の内から濁流のように喉から口内へと熱いものが込み上げ、堪えきれずに口の端から溢れ、一筋の鮮血があごを伝い落ちる。
腹部に感じる熱と痛み、込み上げる血液。
身に覚えがあるその感覚に、既視感を覚え、再び前世のあの夜の出来事を思い出した。
最後に目にした、ヘッドライトの光がまるでカーテンのように広がったあの光景を。
じわじわと内側から貪るように聖剣はわたしの身体の奥深くへと沈んで行き、聖剣を中心に焼け付くような熱が蝕み、そこから急速に体内にある魔力が打ち消されていくのを感じる。
ミナトは自分の心を閉したかのように、その顔に感情を映さず、わたしの中に差し込んだその剣を持つ手に力を込めた。
ずぶずぶと肉を裂く音がして、身体はベッドに沈み、その度にまた煮えたような血液が喉に込み上げ、苦し紛れに咽せ返る。
ごふっ
大量の血液が口内から溢れ出て、口周りをどろどろとした血が濡らした。
首筋に伝い、耳の中にまで伝って流れ、その不快感に顔を歪めることすら出来ず、ただただ自分の血液が流れ行くのを感じることしか出来ない。
「はっ、魔王の血も赤いのかよ」
うるさい。
そう言いたくて、横からかけられた男の声に視線を向ける。
だけど喉がひくついて声は出なかった。
茶髪、茶目の快活そうな顔つきのそいつは、皮肉気に顔を歪ませて、壁に寄りかかり、嘲笑いながらわたしを見ていた。
まるで面白い見世物でも観賞しているようなその男の様子に、言葉に出来ない怒りと憎しみが湧き上がる。
「アリアの仇だ。ざまぁみやがれ」
アリア。
あの金髪女か。
敵討ちなんて、そんなことして、なんになるというの。
女のために誰かを殺す。
そんな愚かで意味のないことをして、満足なわけ。
これだから女に不慣れでのめり込みやすい男はめんどくさい。
__本当にバカな男。
身体を突き刺されたまま、視線だけを壁際の男に流し、わたしは最後の力を振り絞って唇を吊り上げ、嗤った。
男の視線がそんなわたしを捉えた瞬間、嘲笑い余裕を浮かべていたその表情を掻き消し、目を見開いて顔を大きく歪ませると、業火の如く煮えたぎるような怒りを瞳に宿してわたしを睨み付けた。
「てめぇ、何笑ってやがる!」
__女のために敵討打ちなんて、無駄なこと、するからよ。
声にならない言葉を、心の内で答えた。
男を見つめる瞳の瞼に力が入らなくなり、腹部から身体を伝う血液が温度を失ったかのように、ひんやりと感じられた。
聖剣からじりじりと魔力が打ち消される感覚も、もうほとんどない。
焼け焦げそうな熱の感覚も気付けば薄れて、シーツ越しに染み渡る血液がぐちゃりと背中を濡らし、その血溜まりの中に身体が沈んで行くような感覚を覚える。
「玲奈……頼むから、他の男の物にならないでよ……」
ミナトの声が上から降り注ぎ、かろうじて動く瞳を向ける。
意識は朦朧とし、その言葉はフィルターがかかったようにくぐもって、単なる音として耳に届いていた。
懇願するように項垂れて、おもむろに腰を浮かせて濁った瞳をわたしに向け、少しずつ前のめりになりながら、両手で握った剣に体重を乗せ始める。
聖剣はミナトの重みに応じながら、更に奥へと向かって肉を斬り裂き、わたしの身体にのめり込む。
奥へ奥へと突き刺さる度に喉に血液が押し出され、ごぷっ、ごぷっ、と壊れた蛇口のように口から血が湧き出た。
最後にずぶっ、と音を立てて聖剣は完全にわたしを貫き、ベッドのスプリングが跳ねて、その上に横たわるわたしの身体も呼応して小さく跳ね上がった。
「玲奈、ごめんね」
瞳に映し出されるミナトの顔が霞み、周りから徐々に光が失われて、吸い込まれるような闇が視界を満たし始め、ついには何も見えなくなる。
何がごめんよ、何度目だ。
おまえは、何度わたしを刺し殺せば気が済むの……
ふざけるんじゃないわよ……
その意識を最後に、
わたしは再びこの世界で意識を手放した。
◇
……ま
……お……さま!
冷たい水の底に沈んでいたわたしの意識が、静かに浮き上がる。
……魔王様!
微睡の中で少しずつ意識が明瞭としたものとなり、ついにその声は、はっきりとわたしの意識の中に突き刺さった。
「魔王様っ!」
驚きのあまり、心臓に痛みが走る。
思わず呼吸を止めて目を見開き、桜色の光に染められた空間の中に広がる、天井を見上げる。
「魔王様っ、いかがなされたのですか!」
荒らげた声に再び驚いて、視線だけを流すと、そこには取り乱したように顔を歪め、泣きそうに瞳を揺らすサシャールの顔があった。
「……サシャール……」
「魔王様! お目覚めですか! 」
わたしの顔を覗き込み、瞳を潤ませたサシャールの背後にガイアとロンザの姿が見えて、氷が溶けるように心が温まっていく。
ゆっくりと身体を起こし周りを見渡すと、部屋にはわたし達しかいなかった。
手のひらに感じるシーツにも、滲みひとつ、ついていない。
そっとお腹に視線を落として、手で触れてみても、そこには傷ひとつない滑らかな柔肌があるだけだった。
「これは……」
呆然とするわたしの横で、ガイアが身を乗り出して視線を遮ぎるように、何度も目の前で手を振った。
「おーい」
「ガイア……」
「大丈夫かよ。客が部屋に入ったら、魔王様が寝てるって言って出て来やがったんだ。見に来たら、声かけても揺すっても全然起きねぇし、何事かと思ってみんな集まったんだぜ」
眉を寄せて顔を顰め、そう言って心配そうに黄金色の瞳を揺らす。
客が入って来たら、寝てた?
「その客って、魔道士の……若い童顔の男? 」
今でもまだハッキリと覚えている。
あの母性をくすぐるような、つぶらな瞳、さらさらの薄茶色の髪の毛。
首筋にあった、小さなほくろ。
「ああ、そうだったかな。若い奴だった。まだホールで待ってやがるぜ。どうする? 」
わたしの様子を見て安心したように、小さくため息を漏らしてベッドから離れ、アゴで部屋のドアを指した。
誘導されるようにそのドアに視線を送り、そして、思い出した。
「ダメよ……」
この先に、どんな未来が待っていたのかを。
「魔王様? 」
あのドアから、この先、誰が姿を現すのかを。
背中に氷水を垂らされたような感覚を覚え、青ざめたわたしの表情に、サシャールもその後ろに控えたロンザも、訝しげな視線を向ける。
「逃げるのよ」
「いかがなされたのです、魔王様」
ドアを睨み付け、震えそうになる身体に力を入れて、歯を食いしばる。
恐怖と焦燥感に掻き立てられるように、わたしはベッドから飛び起き、サシャールの首元に掴みかかった。
「ここに勇者が来るわ。拘束魔術を仕掛けてくる。館内の吸血鬼にも今すぐ逃げるように伝えなさい。早くっ! 」
透き通るような蒼い瞳が、驚いたように見開かれる。
今は1秒でも惜しい。
ここにあいつらが来るまでどれほどの時間が残されているのか不確かで、焦りは募り、呆然とするサシャールに声を荒げた。
「サシャールっ」
「はっ、直ちに! 」
はっとしたように息を呑み、短く返事をすると、サシャールは空を切って姿を消した。
その後間も無くして、館内は水を打ったような静けさに包まれ、館内の魔力を探り、みんなが無事に逃げられたのだと感じる。
「わたし達も行くわよ。ガイア、ロンザ! 」
「はっ! 」
わたしの様子を黙って見ていたふたりは、ただ事ではないと感じたのか、真剣な表情を映し短く返事をした。
それを合図に、わたし達はしゅんっという音と共に急いで空を切り、娼館を後にする。
__それから間も無くして。
娼館は蒼色の炎を纏わせ揺らめき立つ、魔力に包まれた。