家に送る
「えっ? 毒にやられたところが治ってる! てかこっちの手も?」
涙が落ちた場所だけでなく、反対側の手も、治っている。
どういうことか全然わからない。
あれか? まさかゲームみたいに、回復魔法とか使えるとか? いや、そんな。
僕は混乱しながらも、泉川さんを見た。
さっき硬直したように見えた泉川さんは、今は普通に見える。
いや、普通と言っても、僕と同じように、毒にやられていた部分が元に戻ったことに驚いているけど。
と、言うことは、泉川さんが、わかっていて治療したという訳じゃないんだ。
「あ、ありがとう泉川さん」
とりあえずお礼を言う。
因果関係はわからないが、泉川さんの涙が落ちた途端に治ったのだから、原因はそれしか考えられない。
だけど、泉川さんは、何がなんだかわからないという顔で首を横に振った。
「いま……変な声がして、レベルやスキルがなんとかって……。私、疲れてるのかな? あんな化け物が見えるし」
ひどく力のない声だ。
あまりにもいろんなことが起こりすぎて、考えが追い付いてないのだろう。
「それ、僕も聞いたよ。確か、レベルシステムが解放された、とか、ユニークスキルがなんとか」
「わ、私は、ただのスキルでした。テンプルとか」
「テンプル? お寺?」
「確か眼鏡のツルの部分も、テンプルって言うんですよ」
「おー、さすが眼鏡っ子」
「え?」
あ、しまった。
心のなかの声が口に出てしまった。
そのときだった。
キーンコーンカーンコーンと、聞きなれたチャイムの音が響き渡る。
五限目の授業が終わったのだ。
校舎のほうからはざわめきが聞こえる。
だけど、じっと待っていても、悲鳴らしきものや、騒ぎは聞こえなかった。
僕は校舎の屋上を見上げる。
ほぼ真下からは、フェンスの端がちらりと見えるだけで、あの、不思議な視覚が見た恐ろしい化け物の姿は見えない。
あれは全部、幻で、僕と泉川さんは、何かの幻覚を共有したのだろうか?
それは、世界が揺らぐような、恐ろしい考えだった。
「……先輩。ここにいたら、誰かに見つかってしまうから。外に、出ませんか?」
「学校外に?」
泉川さんは、こくりとうなずいた。
まだ授業中なのに、学校外に出るというのは、罪悪感を掻き立てられる行為だ。
僕の気持ち的には、少しハードルが高い感じがあったのだけど、こういうときは女子のほうが強いのか、泉川さんが積極的だ。
「わかった」
僕もいまさら教室に戻る気になれないし、ゆっくりと考える時間が欲しい。
まずは泉川さんを送って、家に帰る。
うん、やることを具体的に考えると、なんとなくやる気が出て来るな。
僕は立ち上がると、僕のブレザーを羽織った泉川さんにうなずきを返して、正門に向かった。
そこで、思いついて尋ねる。
「自転車とかは?」
「い、いえ、歩きです」
なぜか赤くなりながら泉川さんが答える。
僕は実は自転車通学を考えていたのだけど、両親が借りてくれた部屋から学校までの距離がかなり近かったため、やめた。
学校も近場の生徒には推奨していないしね。
正門には、当然ながらひとけがなく、また、ざわざわする気持ちを抱えながら、外に出る。
振り返って、僕達のいた東校舎の屋上を見た。
鳥のような姿が見えたような気がしたが、よくわからない。
カラスやハトなどよりも大きかったようにも思えたが、僕の精神状態のせいで見えた、錯覚の可能性もあった。
だって、あんなもの、存在するはずがないのだから。
「泉川さん、バス通?」
「いえ、あの、……歩きで十五分ぐらい……ご、ごめんなさい」
なぜか泉川さんがペコペコ頭を下げる。
いや、謝る意味がわからない。
「謝る必要はないよ。方向はこっち?」
「あ、いえ、西側です」
西側と言うと、駅や繁華街の逆側で、まだ田舎っぽい古い町並みが残るエリアのはずだ。
僕は転校前に、学校周辺はひと通り歩き回ったので、なんとなく周辺事情は把握している。
というか、歩きで十五分は、自転車通学OKのはずだけどな。
いや、何か事情があるのかもしれない。
口に出すべきことじゃないな。
僕達は肩を並べて歩いた。
カバンも持たず、女生徒は男子用のブレザーを羽織ってる。
ちょっと変な光景だ。
あまり人通りがない西側でよかったと言える。
僕達は、ほとんどお互いに言葉を発することなく、ただ歩き続けた。
聞きたいことはある。
泉川さんもあるはずだ。
レベルとかスキルって、ゲームじゃないんだから……とか。
あの化け物って、実在していたのかな? とか。
だけど、なぜか何も口に出せない。
口に出してしまうと、また怖いことが起きてしまうような気がして、僕達はただ黙って、一緒に歩いた。
「あ、先輩ここで……」
突然、泉川さんが、僕に上着を手渡しながら言った。
そして深く頭を下げる。
「ありがとうございました!」
「待った!」
「あ、はい?」
「お互いに連絡出来るようにしておいたほうがいい。電話番号、わかる?」
「あ、あの……ええっと……スマホは部屋なので、う、家まで来てもらえますか?」
「うん」
泉川さんの家は、そこからすぐの古びたアパートだった。
今時、セキュリティのセの字もない、むき出しの外階段を上がった二階。
泉川さんは、ポケットから可愛らしい財布を取り出して、そこから鍵をひっぱり出し、ドアを開けると、なかへと飛び込むように入った。
さすがに一緒に入る訳にはいかないので、外で待った。
しばらくして、紙片を持った泉川さんが出て来る。
「これ、番号」
「ありがとう」
「そ、それじゃあ……あの、ありがとうございました!」
勢いよく頭を下げられ、僕も慌てて頭を下げ返す。
「いや、僕こそ、助けてもらったから。ありがとう。ええっと、その、何かあったら、遠慮なく言って欲しい。帰ったら、すぐに電話する」
「あ、ありがと……」
そして、泉川さんはまた泣き出した。
その顔を隠すように、玄関のドアが閉まる。
さて、僕の家は学校の東側の駅近く。
ちょっと歩くけど、いろいろ考えるには丁度いいな。




