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スライムもどき

 二年の下駄箱が並ぶ一画、その隅のほうに、落ち着いた青色の下駄箱や、すのことは、全く違う色味をしたモノ(・・)が蠢いている。

 一見して、生き物とは思えない。

 ひとことで説明するなら、蛍光グリーンの水たまりだ。


 いや、水にしてはやや粘性があり、水銀のように膨らみがあった。

 大きさにして、軽く僕の両手を前に突き出したぐらいの幅だろうか?

 五十センチ前後だと思う。


 それが、ゆっくりとだが、動いている。


 僕の脳裏にまず浮かんだのが、スライムという、空想上のモンスターだった。

 RPGと呼ばれるゲームでは、おなじみのモンスターである。

 そして、その色合いの毒々しさは、同じように、RPGゲームの毒の沼などを連想させた。


 僕は悩んだ。

 そのスライムもどきは、それほど動きが素早そうには見えなかった。

 僕の下駄箱は、列の半ばあたり。

 その蛍光グリーンのスライムもどきからは、少し離れている。

 下駄箱に入っている登校用の靴は、新品に近いスニーカーで、好きなシリーズものだった。


 そもそも、それ以前に、靴を諦めたら、上履きで家に帰らなければならない。

 一つ、深呼吸をした僕は、泉川さんに告げた。


「靴を取って来るけど、もし、僕に何かあったら、泉川さんだけで逃げて」

「え? 嫌……」


 拒絶されたようだったけど、そのときには、僕は既に動いていた。

 上履きを手に近づき、静かに素早く自分のスニーカーと交換する。

 とは言え、まぁ、発言自体がフラグ臭かったせいか、スニーカーを無事に手にした安心感のせいか、気づいたときには、ぷるぷると震えたスライムもどきが、びっくりするようなスピードで、身体の一部を、まるで伸ばした水あめのように打ち出して来ていた。


「っつうっ!」


 粘っこい液体と泥の中間のような感触がしたと思ったら、スニーカーを持った手が痺れて、手にしたスニーカーを取り落とす。

 くそ、こいつ、見た目に(たが)わぬ毒持ちか。


 必死に振りほどこうとするが、へばりついた部分が、剥がれない。

 それどころか、剥がそうとする右手のほうにまで、粘り気のある一部が伸びて来て、指先が痺れ始めた。


 ヤバい、死ぬ。

 あの、スライムもどきに全身を痺れさせられて、ゆっくりと溶かされて死ぬ。

 それは、あのイソギンチャクモドキに溶かされたいじめっ子達よりも、酷い運命のような気がした。


 僕の内側に広がりつつあった諦めを、押しのけるように口惜しさが、何よりも怒りが湧いて来た。

 こんな、理不尽なこと!


「先輩! どいて!」


 僕のなかの怒りが爆発する寸前、背後からかわいらしい声が聞こえた。

 よく見ると美人だよね、と言われそうな、眼鏡っ子女子が、般若のような形相で、とても見覚えのあるものを振りかぶっている。


「い、泉川さん?」


 ガゴンッ!

 すさまじい音を立てて、スライムもどきの中心部に叩きつけられたのは、学校のあちこちに備え付けられている消火器だ。


 いや、普通、それ投げる?

 噴射しない?


 あまりの出来事に、一瞬、脳がフリーズした僕だったが、スライムもどきが、まるでお湯が沸騰するかのようにボコボコッと、活性化し出したのを見て我に返った。

 本体がそんな風になったせいか、僕を捉えていたスライムもどきの一部がほどけ、本体に合流して、一緒にボコボコ始めている。

 見た感じだと、なんとかして消火器を消化しようとしているような感じだ。

 いや、ギャグじゃないよ。


「うわっ」


 見ると、ぼくの両手は悲惨なことになっていた。

 スライムもどきが接触していた部分が、紫色に変色し、皮膚は水疱だらけで、自分で見るのも気持ち悪い。


「先輩、早く!」


 僕のその手と全く違う、白くて細い手が伸びて、さっと、僕のスニーカーを攫った。

 ついでのように僕の腕も引っ張られる。


 はぁはぁと荒い息を吐き出しながら、一、二年の教室がある東校舎の、正面玄関を潜り抜け、花壇と、テニスコートに挟まれた、外水道がある場所に到着した。


「先輩、酷い!」


 そこで、ようやく僕の手を見たっぽい泉川さんが、悲鳴のような声を上げた。

 若干涙目だ。

 もちろん僕が泉川さんに何か酷いことをした訳ではなく、僕の手を見た感想だと思う。


 正直、自分自身ですら直視したくない状態になった手を、泉川さんの目に晒すのは、視覚の暴力と言っていいだろう。

 僕は既に感覚のない手を後ろ手に隠そうとしたが、腕を取られて、外水道の蛇口のところに引っ張って来られた。


 そして、蛇口をひねって、水を出し、流水による毒の除去を試みてくれたのだ。

 もう毒の影響が表れている以上、効果のほどは怪しいが、少なくとも、僕に付着した毒で、泉川さんにまで被害が及ぶ事態は避けられそうだったので、されるがままにしている。

 

 とは言え、手の酷い見た目が変わる訳ではないので、泉川さんの表情は一向に晴れなかった。

 それどころか、涙をこぼし始めている。


「私に、私に、先輩を助ける力があれば……」


 そう口にした途端、ビクッと、泉川さんの身体が電流にでも触れたかのように硬直した。

 そして、泉川さんの流したあたたかい涙が、僕の醜く変色した手にぽたぽたと落ちる。


「お?」


 その瞬間、信じがたいことが起った。

 水疱だらけで、人の手とは思えない色に変色していた僕の手が、まるで、時間を巻き戻しでもしたかのように、異常な部分が消えて行き、元に戻ったのである。


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