屋上の扉の前で
いじめられていた眼鏡っ子女子は、階段を上へと進む。
この上って、確か何もなかったような?
案の定、階段を上がったところは、狭い踊り場のようになっていて、その上に短い階段があり、頑丈そうな扉が閉まっていた。
「そこ?」
僕は、その扉を示してそう聞いたが、眼鏡っ子女子は首を横に振って否定する。
「この、上は……屋上に出る扉で、施錠されていて、開かない、の」
この子は、すごく小さな声でボソボソと話すので、とても聞き取り辛いんだが、今は周りがシーンとしているし、二人しかいないので、それほど支障なく、聞き取ることが出来た。
彼女の話からすれば、ここは行き止まりである。
なんでここに来たんだろう?
そんな僕の心の声を読んだかのように、眼鏡っ子女子は言葉を続けた。
「ここ、ほら、転落防止のために壁になっていて、下から見えないし、誰もここに用事がないから、人が……来ない」
ふむふむ。
あれだな、よく不良とかのたまり場になる学校の死角的な場所ということか。
この学校は有名進学校なので、そんな不良はいないから誰も来ないんだな。
いじめっ子はいたけど。
僕は、うかつにもいじめられていた眼鏡っ子女子の話から連想して、いじめっ子のことを思い出してしまった。
そして、その壮絶な死にざまも。
「う……」
「……先輩?」
頭がくらくらする。
自分の周囲が大きく膨張して、収縮するのを繰り返しているように感じた。
それどころか、自分自身がどんどん膨らんでいるような、錯覚を覚える。
ドクン、ドクン、と、心臓の音がうるさい。
「っ……う」
「先輩!」
ちょっと驚いたように呼びかける声も、なんだか囁くようなんだな、と、約体もないことを考えたのが最後だったと思う。
僕は、どうやらこのときに意識を失ったらしい。
「ん……ん?」
身体が揺れているのを感じた。
誰かに呼ばれているような気がする。
【レベルシステムが解放されました。特殊スキル、影人発現を確認】
この声、まるで読み上げアプリの声みたいだな。
機械的というか、感情が全く読めない。
「……せ……ぱ……!」
お、今度の声は、ずいぶん感情的だ。
慌ててるというか、焦っている? んー、悲しんでる?
おいおい、誰だよ、女の子を悲しませてる奴は。
「先輩っ!」
明瞭に聞こえた声に、思わず飛び起きる。
目を開けると、なんと正面にドアップの眼鏡っ子女子の顔があった。
泣いてる?
ぽたりと涙のしずくが僕の頬に落ちて、その温かさを感じる。
「あ、悪い。もしかして僕、寝てた?」
なんだかひどくドキドキしながら、尋ねた。
おいおい、顔赤くなってないよな?
「よかった。私、私、どうしたらいいか、わからなくて、ご、ごめんなさい」
ただでさえ、顔が近くてドギマギしていたのに、急に、いじめられていた眼鏡っ子女子に縋りつかれて、あたふたしてしまう。
なに、なに、こんなときどうしたらいいの?
どうしたらいいのかわからないのは僕のほうです。
「いや、謝らなくていいから。見ててくれたんだろ? ありがとう」
「いえ、私ただオロオロしてただけで、保健室に連れて行くにも私の力じゃ、無理だし、助けを呼ぶのも、怖くて……」
「そっか」
無理もない。
トイレで化け物に襲われた直後だ。
そりゃあ怖いよな。
そんななか、悠長に寝てしまって、本当に申し訳ない。
「あ、あのさ。よかったら自己紹介しないか? 名前がわからないと、話がし辛いし」
「あ、はい。ごめんなさい」
この子、謝り癖があるんだな。
そういうところに付け込まれていじめられていたんだろうか?
思考がまたいじめのことに流れて、トイレの虐殺場面を思い出したが、今度は、なぜだか前より冷静に、起こったことを受け止めることが出来た。
僕って、意外と精神的にタフだったんだなと、ちょっと思う。
「まずは僕からだね。僕は、勇樹英人。この学校に転入して来たばかりの二年生だ」
「え? この学校に二年から編入なんですか? 優秀なんですね」
「いや、たまたま、運がよかっただけだよ」
有名な進学校なので、途中編入の場合は、普通に受験するよりも厳しいと言われている。
おかげで、彼女は僕のことを凄い出来る人みたいに思ったようだ。
誤解なんだけど。
「あ、失礼しました。私は、一年の泉川小夜です」
「よろしく、泉川さん」
「はい。よろしくお願いします先輩」
あ、自己紹介しても、先輩のままなんだ。
まぁいいけど。
「あれ、現実だったのかな?」
今さらだけど、トイレでの出来事を思い出せば思い出すほど、現実とは思えない。
吐き気が襲って来ることはなくなったけど、それは、現実感の無さも一つの要因かもしれない。
「……わ、私」
また、眼鏡っ子女子改め、泉川さんが泣き出してしまう。
どうした!
女の子に泣かれると、男ってのはオロオロするしかないんだぞ?
「私のせい、かも。……私が、いなくなっちゃえって思ったから……」
「は?」
なんと、泉川さんは自分のせいで化け物が現れたと思ったようだ。
いやいや、そんな力があれば、そもそもいじめられてたりしなくないか?
それに……。
「いや、それはないだろ。だって、あの化け物、君も食べる気満々だったじゃないか」
あんなに触手に絡みつかれて、引っ張られたんだから、相手の殺意は肌で感じたはずだ。
殺意というか、食欲だったのかもしれないけどね。