欠けているもの
俺は時間を忘れてしまった気がした。目の前に広がる光景に過去の光景が重なった。まだ、俺が考えるのをやめ、ただ暗殺を繰り返していた頃の自分と。俺はその頃の自分が頭に染み付いたように忘れられない。心の中には虚無が広がり、たった一つ、されど深い後悔という名の塊があったあの頃の。
ドゴォォォォォン!!!
屋敷全体を揺るがす爆発したような衝撃が俺の後ろで響いた。俺はハッと後ろへと振り向くと、アーミング将軍が土煙を立たせて階段の前に佇んでいた。彼の真上の天井を見上げると、パラパラと石片がこぼれ落ちていた。今立っている地面も放射状にヒビが入っている。
「ちょこまかと小賢しいわっ!!!堂々と戦えっ!!」
アーミング将軍の手には彼の愛剣らしき両手剣が2丁。アーミング将軍のガタイは一般の人間より2倍ほどあるため、大剣ほどの大きさの剣も片手剣のように見える。
俺が下に逃げ込むあの間に武器を調達したようだ。正確に俺を殺すために武装してきたのだろう。
と、その時。
俺の横を何かが通り過ぎた気がした。バサバサとローブが波打ち、アーミング将軍を警戒しつつ横目を見ると、さっきまで向かいの階段で死体を積み上げていたはずのそれがアーミング将軍へ向かって走り抜けていた。
その速さはアーミング将軍よりもはるかに速く、ふとしたら見失ってしまうほどの勢いだ。そのスピードを持って、アーミング将軍に向かって一直線に突撃を仕掛けた。
「なっ!?」
案の定、アーミング将軍は不意打ちにも近いそれの一撃を両手の剣で弾いた。だが、流石にトップスピードの衝撃を打ち消すことができずバックステップをとる。それはその勢いのまま、アーミング将軍を飛び越え、着地した。
(あいつ、俺を見向きもしなかったな)
風向きが変わった。それの乱入のおかげで、面倒な段取りを踏まずに暗殺する手間が省けた。どうやらそれは俺を眼中にないようだが。それともまだ俺の存在に気づいていないかだが。
俺はそれの方向に目を持っていき、俺への警戒を低くしているアーミング将軍に小刀を思いっきり投げた。それと同時にアーミング将軍との距離を縮める。
「ぬっ!?」
アーミング将軍が俺の投擲に即応し、右手の大剣を胸にかかげて弾き、俺に目を向ける。
「おい、俺を見てていいのか?」
俺がどんなに身体能力が低くとも、アーミング将軍にとって俺は無意識に目が惹かれてしまう。どんなにしょうもない牽制でも、意識をこっちに引き剥がすことができる。
アーミング将軍がそれの視線を切る。それだけで効果はてきめんだった。それはアーミング将軍との距離を食らい潰す。それが狙うは背中において一番筋肉の防壁が薄い首元。
「ぬっ!?」
アーミング将軍は大剣を手放し、直感が赴くままに首の後ろに掌底を放つ。見事に急所をそらすが、肩口を深く切り裂かれた。無理な防御のせいで左手も深い切り傷が入っている。
俺はアーミング将軍が視線を切った瞬間、アーミング将軍の下に潜り込む。腰より下へと視線を向け、足払い。
「ぐはぁ!?」
ドシンと鈍い音が廊下に響く。俺はすかさず追撃に入り、両手の小刀をそれぞれ別方向へ振り下ろす。
「ぬん!!」
(やっぱりな)
アーミング将軍はもう片方の大剣を手放して俺の二刀の小刀を防ぐ。どちらも急所を外すだけだから深い裂傷が二つ増やされる。
「次はどうだ?」
それ が俺に続いてアーミング将軍に渾身の振り下ろしをした。風を纏うその一撃は胸元へと吸い込まれるはずだったが…。
「甘いっ!!」
アーミングは異常な速さで脚を振り上げ、それの胸元を蹴り飛ばす。衝撃をモロに浴びたそれは1メートル程吹き飛び、ゴロゴロと転がる。その時、身体を包み込んでいたローブは切り裂かれた。俺は初めてそれの姿を見ることができた。
その子は年端のいかない幼い少女だった。髪の色は多分金色。血や泥で薄汚れてかつての輝きは失われているように見える。生まれた頃から一切切られなかったのだろうか、腰辺りまで伸びて、手入れをしていない毛がばらついている。頰は過度の栄養不足で骨ばっている。唇はカサカサに乾燥しており、口の端からは血がツーと小ぶりな顎まで垂らしている。
来ている服は奴隷が身に付けるようなボロで、そこからホッソリとした、多少筋肉の足りない骨ばった四肢がのびていた。そこには数え切れない裂傷が刻まれてただ汚れ切っており、美しさのかけらもない無残な状態だった。
なにより、見過ごせない点はこれだ。耳が尖っていることだ。これが示すことは、この子がエルフだということだ。
【エルフ】、風の力に長けた森の住人だ。分類上は亜人に位置し、人である俺たちとは一線引かれる存在だ。また、人間には持たない様々な能力を種族として授かるので、少数派の種族だが強力な力を持っている。ちなみに、亜人と人間は敵対関係にあり、亜人の中でも様々な派閥がある…らしい。
それはさておき。あの華奢な身体であの威力を出せたのは納得した。今はあの子の存在については保留にしないとな。
俺は視線を手前に引き戻し、アーミングに視線を投げる。振り上げた脚の勢いを使って体勢を立て直したようだな。蹴り上げたそのまま後転で立ち上がったようだから、俺と相対し、エルフの少女には背を向けている。
チラリ、と後ろを見てその耳に視線が縫い付けられ、怒りが増したようだ。メラメラと怒りのオーラが湧き上がるのが見える。亜人と真っ向から敵対している彼にとっては許しがたいことだろう。
彼は意外にも視線を切り、俺に視線を戻した。
「あやつの存在が許せないから俺を差し置いて殺りに行くとでも思ったか?」
「…まあな」
「若い頃は真っ先にあやつを絶命させに行くところだが、今は違う」
コンコン、と脚を地面に打ちつけながらアーミングは話す。足元に視線を向けているが、警戒されているから不用意に動けない。
「名誉を手に入れてしまったからな。後方で指揮官として立つことが多くなった」
彼は肩をぐるぐると回し、バキッゴキッと関節のなる音が不気味に響く。
「昔ほどな力が無い分、知恵でカバーしないと戦場では死ぬ」
不意に彼はこちらに目を向ける。彼は、笑っていた。ニイっと開く口から見える歯の間から出る空気はなんだかたぎっているように見えた。
「久しぶりだ。この感覚は。死と隣り合わせの感覚。俺がかつて身をやつしていた場所だ」
ふーっと一息。深呼吸を一つ入れた彼の目はみるみる研ぎさまされていく。ゆっくりと開いてた口が結ばれる。
「来い。俺の全力をもってお前らを叩き潰してやる。俺は、お前を一人の敵としてみてやる」
そう宣言した彼は、徒手空拳の構えをとり、俺を素手で戦う態勢に入った。大剣は一歩脚を伸ばせば届くところに転がっているが、取るつもりはないらしい。隙を突かれないための処置なんだろう。
(まずいな…)
ぶっちゃけ、ここまで手こずるつもりはなかった。
相手の顔を伺うに、冷静さを取り戻したようだ。何度かの致命打を決め切れなかったのが原因だろう。
俺自身、ぬかった所があった。いくら脳筋将軍といってもやはり戦闘のスペシャリスト。それを考慮して臨んだつもりだったが、予想を低く設定してしまっていた。長年の経験が生んだ怠慢が失敗を招いた。
改めて言うが、俺はこの状態が一番弱い。正面切って戦闘するなど、俺のもつ【】を殺し切っている。素の10分の1の能力で戦闘など、無謀でしかない。
視線をほんの少しずらしてアーミングの後方にいるエルフの少女に目を向ける。まだ、転がったまま起き上がれない状態のようだ。手先を見ると、軽く痙攣していて立てないって所だ。先ほどの振り上げがかなりダメージをもらったんだろう。
一対一では勝ち目は殆どない。ならばあの少女を利用するしか活路はない。
俺は腰にはいた剣帯から片刃の剣を抜く。それは小刀よりはふた周りほど長いが、片手剣より少し短い取り回しのききやすい代物だ。
右手に片刃と剣、左手に小刀を持ち、左半身を前に出し、軽く半身の状態で構える。
ジリ、ジリっとすり足で位置の調整をし、アーミングを視界に収めながら動く。俺は飛び出さず、相手が来るのを待つ。
「そちらから来ない、か。ならばこちらから行かせてもらうぞっ!!!」
アーミングは足に力を溜め、地面を砕く勢いで踏み切った。
「疾っ!!!」
(速いっ!!!)
巨躯に似合わない異常な速さで俺とアーミングの距離が食いつぶされた。
繰り出されるのは突撃で繰り出される右の手刀。
俺は前に出していた左手を斜め左上にタイミングよく振り上げる。左手に持つ小刀の柄がアーミングの手の甲に当たり、軌道は僅かにずらしてその間隙に身を滑り込ませる。
「ぬんっ!!」
彼は手刀のずらされた向きの勢いを身体に伝え、右脚を軸に左脚の回し蹴りをかます。
弾丸と見紛う超速の蹴りを俺は肩刃の剣を斜めにたてて蹴りを上にかちあげた。
地面に空いた一瞬の安全地帯に前転で踏み抜き、一気に距離をとる。
ドゴォォォォォン!!!
俺の背後で爆発もかくやの衝撃を全身に浴び、軽く吹き飛ばされた。
空中で体制を立て直して後ろに向き直す。
「まあこんなもんか。まだ思った通りに動かないがな」
ズポッと地面に刺さっていた右脚を引き抜きながらアーミングはそうごちる。
刺さっていたのはつま先からかかとではない。膝の関節の手前までだった。
(…マジかよ。それかかと落としだろ?)
イかれた威力のかかと落としに度肝を抜かれる。あれがピーク過ぎた中年の身体能力かよ!?と心の中で叫ぶが、決して表に出さない。あの時即踏み抜いてよかったと心の中で安堵のため息をつく。
距離を詰められたら負けだ。拳の射程に入られるとさっきのような回避などできるわけない。逆に遠すぎるとあの突撃をされたら距離がないのと変わりない。タメを作らせない距離を保たなければダメだ。
近過ぎず、遠過ぎず。
この男をいなすにはそのポジションを死守しないと。
ザッ!
また俺の左耳の側で風を切るような音が轟く。
(おいっ!?それはさっきアーミングに見せた動きだろっ!?)
最初アーミングに突撃した動きと全く同じ動き。
そんな手の内を見せびらかした動きなど、あの化け物に通じるわけがない!
「あぁ!?てめえ、なめてんのかぁ!!」
怒りのこもった声とともにアーミングはナイフを鉄拳で殴り潰し、そのまま細い身体を撃ち抜く。
エルフの少女はボールのように吹き飛び、俺の前でまた同じように倒れ伏した。
(こいつ、なんの防御体制を取っていない)
モロにあいつの衝撃を浴びやがった。多少武芸に嗜むモノなら、衝撃を少しは受け流すはずなのに。
そう。
さっきからそうだ。全ては突進による刺突しかやっていない。さっきの死体の山を思い出しても、腹部を深く貫いたものばっかりで、死体自体はそこまで損傷がなかった。
こいつはこの技を繰り返すだけだ。
まるでからくり人形のようだ。こいつに死の恐怖がひとかけらもない。
俺はなんとなく、だが、はっきりとこいつを見殺しにしてはいけない気がした。任務よりも大事な事な気がした。なんだろう。俺はこの時ボンヤリと確信を得ていたんだと思う。
この子は、俺を変えてくれる、と。