邂逅
「お前は一体…」
目の前にいるそれを見て俺は無意識にそう呟いた。
俺は見てしまった。
その瞳を。
その、光を遮断する虚無の眼を。
それは、俺の宿す眼と同じだった。
むしろ、向こうの方が本物ではないか。
俺はその場で呆然とした。
俺と同じ運命、いやそれ以上か。
考えもしなかった。
俺でさえ、いや、俺ごときがそんなこと抱いてはいけなかった。
俺はこの世で最も神に見放された人間だということを。
凄惨な人生を背負う悲劇の人間ではないということを。
俺はハッと意識を戻し、それがいた方向を見ると、すでに音もなく消え失せていた。
俺の伸ばした手は虚無を掴むだけだった。
――――――――――――――――――――――――
俺はその時、ちょうど対アーミング・テラ・モルストの暗殺のための工作をしていたところだった。
あの時、なんでそこに導かれたのかはわからない。
だけど、そこを目にしないといけない気した。
俺にとって必要なことだったのかもしれなかったと思ったんだ。
これから俺の歩む人生にとって。
俺は一日かけて商業都市【レクリア】に潜入している。
俺の特性と性格のせいもあって、最速で都市間を移動するのはなかなか骨が折れたが、なんとかなった。 俺の人生において数少ない俺の存在を知るものがたまたまいて、手引きをしてもらっただけだが。
そいつは俺の元依頼主だから、俺とは同業者ではない。
まあ、その話は置いておいてもいいだろう。
過激派将校アーミング・テラ・モルストより先んじてこの都市に潜入することが出来た俺は、奴を暗殺するために、布石を打っているところだ。
その時に見かけたそれ。
いまだに頭から離れない。その面影が頭に浮かぶ。
全身を覆うぶかぶかなローブで全身を拝めることはできなかったが、目深く被ったフードの奥に隠れる眼ははっきりと思いだせる。
(あれは何だったんだ・・・)
あれが何度も頭の中によぎり、工作が遅々として進まない。
切り替えようにもあれはどうしても忘れられない。
(そのことはいったん保留。やることをやるべきだ)
俺は頬をパシリと叩き、工作に戻る。
(よし、ちまちまとした準備は終わりだ)
と、俺はかがみこんでいた背をググっと伸ばし、こわばった背中にやすらぎを与える。
ここまでか、と思うくらい背を伸ばしたら、ゆっくりと立ち上がった。
俺は机の上に積みあがった紙の束に目をやり、次の工作の策の構想を思い描く。
あとはこれを大通りにばらまくだけで終わり。
情報通りなら、世間の怒りがかなり溜まっているはずだ。
あとはきっかけがあれば爆発するのみ。
この紙の束がきっかけになる。
俺は、山のようになった紙をもってその場を後にした。
「なんだこれは?」
場面は変わって。
アーミング・テラ・モルストは忠実な部下が差し出す1枚の紙を見る。
「はい。今、街中で大量にまき散らされている告発書です」
部下は恭しく頭をたれ、そういった。
彼の手先は微かに震えていた。まるで何かに怯えるかのように。
アーミングはその告発書とやらを頭から読み始める。
その告発書を読むことに比例して、彼の手はプルプルと震えていく。
「なんだこれはっっ!!!!!!!!」
彼はくしゃっと告発書を握りつぶす。
「ふざけるな!!!!!!!!誰だ!!!このような我に対する侮辱を書きつらねたやつは!!!!」
バンっ!!と拳を机に振り下ろし、部屋全体が悲鳴を上げるかのように揺れた。
「いえ、まだ消息はつかめておりません。ただいま捜索中であります」
「もういいっ!俺が自ら断罪してやるっ!」
ドンっ!と忠臣を手ではね退け、執務室から出ようとするが、二人の従者が覆いかぶさるようにして彼を引き留めようとする。
「やめろ!俺の名に泥を塗ったんだ!タダじゃおかねえ!」
「落ち着いてください閣下!今は暴動を沈めることが最優先です!」
「元凶を抑えなければまた煙が立つ!イタチごっこをしてる暇ないわ!」
「ですが!閣下直々に世間の目がある中で断罪をするともはやそれを認めたようなものになります!」
従者たちは必死に止めようとするが、アーミングは止まろうとしない。
完全に頭にきていて、冷静な判断を下さなくなっている。
彼は従者を振り払い、執務室から出て行った。
(誰だっ!!?俺の名を傷つけた不届き者は!?)
アーミングは情報通り頭が筋肉で詰まっている脳筋だ。
彼の見えているのは今自分の目ではっきり見える敵であり、未来敵になりうる存在など頭にない。
頭に血が登ればなおさらだ。
彼は、今もなお配られる大通りをどすどすと大股で歩き、ビラを配る元凶を目で射殺さんばかりに探している。
そんな彼を見る世間の目は、
「あれってまさかアーミング将軍じゃないの?」
「ほら、この新聞に載ってる人よ」
「なにをしているのかしら?」
と、いぶかしむような目線を向けている。
彼は執務室からその身そのままできたため、鎧を纏っているままだ。
とても目立つ。
新聞に乗っているのも相まって、視線を集めやすくなっている。
と、アーミングは大通りをひたすら歩き続け、必死に元凶を探すが、見つからない。
血眼になって探す途中、ちょうど目の前が新聞を受け取っている男をアーミングは見つけた。
「おい!貴様!誰からそれを受け取った!」
アーミングは初対面の相手の胸ぐらをいきなり掴み、脅すように問いただす。
「えっ!?確かその人から…。て、あれ?いなくなってる」
と、その男がさっき受け取った方向を見るが、そこには誰もいなかった。
「ちっ!使えないやつめっ!!」
アーミングは突き飛ばすようにして、男を吹き飛ばす。
また、彼は告発書をばらまくやつを探しに出るが、結局足取りも掴めなかった。
「ふうっ」
まずは一段階。
俺は大通りでひたすら告発書を配り続け、ようやく全て配り終えた。
もちろん、誰にも気づかれていない。
途中、アーミング将軍が現れたのが少し焦ったが、問題なく過ごせたようだ。
さて、これでアーミング将軍の任務は少しは邪魔を出来たはずだ。
ここまで怒りを煽ったんだ。
本人単身で俺を追うのだから、相当視野が狭くなっているはずだ。
頭に血が上っている相手はこちらからしてはいけない好都合。
今夜仕掛けてさっさと帰路につこう。
―――――――――――――――――――――――
夜半が過ぎ、街が眠りについたかのように静まり返ったなか、俺は暗殺のため、街に繰り出した。
標的はもちろんアーミング将軍。
彼は今、高級住宅街の最奥で眠っていることを告発書を配った後に特定しておいた。
尾行も考えない将軍の後をつけるのはとても楽だったわ。直に帰ってくれたから、苦労せずに特定できた。
俺は大通りを避け、裏通りを駆使して高級住宅街へとたどり着いた。
流石高級住宅街というべきか。一つ一つ、屋敷が大きく、前庭も一家に一つといった感じで備え付けられ、一つの家で普通の家10個分はくだらないため区画が以上に大きい。
家々を挟む通りは、馬車をつつがなく通れるように大きくとっているため、大通りと遜色のない広さになっている。
それぞれの大門には、最低一人の巡回兵が常駐し、門の脇に巡回兵専用の小屋がよりそうようにして建てられている。
それぞれの屋敷にはユニークさか目白押しで、一つとして同じものがなく、また飽きない。
成金の屋敷ならひかりもので埋め尽くされて、夜中でも月明かりを反射してすごくまぶしかったり。
古くからある屋敷は、成金の華々しさはなくとも、渋さを兼ね備えている重厚感のある作りになっていて、古いなりの美しさをだしていたり。
俺はそれらに軽くみとられるが、目的の屋敷まで迷いなく歩いていく。
途中、何度か衛兵の前をすり抜けるが、彼らは俺に目を合わせることもなく隣の衛兵と雑談を交わしていた。
(なんだよ、これ…)
ふと、足が止まる。
俺は屋敷の前の大通りを歩いていたんだが、目の前に広がる惨状をみて足を止めてしまった。
端的に言えば、崩壊していた。
まず目につくのは放射状に入った亀裂だろう。
大理石でできているはずの相当硬い壁がボロボロに崩れていた。
いまもパラパラと石片が降ってきており、軽く砂埃が上がっている。
石片で満たされた地面には華奢な足音が大通りに向かって伸びていた。
他にも、人型の魔物のような大きな足跡と、もう一つ特徴のない足跡があったが、先程の足跡が妙に俺に印象付けさせる。
どう見ても、その華奢な足跡は、裸足の後だ。
それに、その足跡の近くは黒ずんだ血が滴っていて、その人が重傷であることを物語っている。
(そういえば、あの時のやつも血まみれだったな…)
一瞬だけ目にしたローブを目深に被ったそれ。
足元はよく見ていなかったが、確か裸足だったはずだ。
足元まで伸びていたボロに近いロープの裾は、血で黒ずんでいた気がする。
パッと大門の奥にそびえる屋敷をのぞいてみると、そこは、人がいるような雰囲気がなく、もぬけの殻になっているようだった。
大門のそばにいるはず衛兵は消え失せ、小屋の中の灯りはなく、風がヒュウとなるだけだ。
(ここを調べたら、それのことがわかる、のか?)
全て推測で話を進めているが、根拠なき自信が何故かあった。
必ずと言っていいほどここになにかてがりがらあると思う。
それのことについて。
だが、俺には関係ないことだ。
俺はすぐに方向を変え、大通りの左端をスタスタと歩き、目的の場所へと向かうのだった。
真反対方向には、先程の華奢な黒ずんでいない足跡があることを知らずに。