彼の生き様
音もなく標的の後ろをとる。もちろんそいつには全く気取られることなく。
今回の標的は楽だ。今回のとある貴族の首領の暗殺依頼で、冒険者のではない。
標的自身は前線に身を投げた経験が一度もない人間のため、もちろん殺気を充てられた経験も少なく、身の危険が迫っても気づかない。
ローブの中に仕込んでおいた短刀を取り出し、シュッと喉元を一閃。
「がっっっっっ」
深く斬りこまれた喉は噴水のように血が吹き出し、命の水がとめどなく流れていく。
標的は叫び声を上げようとするが、喉に溢れる血と声帯も切断されているため、ヒュー、ヒューとこするような音しかだせない。
後ろを振り向いてもそこには誰もいない。何も無い空間がただ恐ろしかった。
意識が遠のいていく。死にたくない思いとは裏腹に死神が彼を歓迎している。
最期は本当に醜い顔だった。声にならない感情を顔に表したかのようだった。
そして_______________彼の意識は途絶えた。
「……」
やっぱり人の死に際に立ち会うのは慣れないな。俺が殺めたやつなら尚更だ。
死に際の絶望、怨み、怒りを全て俺自身に降りかかっているように感じる。
人にはその人が主人公の物語が存在する。その物語に横槍を入れ、バットエンドを叩き込むのは、慣れてはいけないだろう。どんなに相手が悪人だったとしても。
もし、慣れてしまえば______________その頃には俺は人間を辞めてるだろう。
だが、俺も『それ』に慣れつつある。殺す相手になんの思いも馳せなくなってきた。
そんな俺の在り方がとても怖い。
標的の暗殺完了。
俺は直接標的の骸を確認してそう判断する。もちろん、魔力視点での確認も忘れない。あたりに魔法道具の存在も無い。想定通りだな。
さて、脱出に段階を変えていくとするか。
魔法道具の警報音も鳴っていない。新たな刺客が訪れるのは無いと見ていいだろう。
ならば、慌てて出るのは愚策。この館の執事として潜伏、ごく自然に脱出がベターだ。
この魔法、魔力消費激しいから使うの避けたいしな。
さて、行動に移そうか。
魔力探知でドアの先の人の有無を確認。情報通り最上階を見張る守衛が二人両階段で待機している。壁越しに伝わる、身体を巡回する魔力がはっきりと確認できる。魔力の濃さがありありと伝わってくるからこいつらは相当な手練れだろう。
この館は四階建ての階段が二つ。一般的な固め方だ。
窓で降りてもいいが、いかんせん目立つ。それにこの館は正方形で中庭があり、この部屋は内側にある。
中庭にも守衛がいるから、なしだろう。警報の魔法道具もある。
侵入時はあれを使ったから窓から侵入は行けたけど、使いたくないからな。
穏便に済む方法は、やはりこれだな。
俺は書斎机の上にあるベルを手を伸ばす。そして、ベルの音を三度鳴らす。
チリーン、チリーン、チリーン。
これでよし。しばらくしたら本物の執事がやってくるだろう。
このベルもおそらく魔法道具、執事を呼ぶ類のものだ。
事前の調査でこの魔法道具がある事は確認済みだから、ありがたく使わせてもらおう。
___________________________________________
しばらくすると、
コンコン。
とドアを叩く音が響き渡る。
(来たな……)
俺はドアの接合部の部分で身を潜め、より気配を薄くする。
「ご主人様、お呼びでしょうか」
もちろん、返事はない。ご主人様と呼ばれていたものは地に伏せているのだから。
主人の返事がなく、静寂が返事をするようで、
「ご主人様、おられませんか?」
執事はドアをノックする音と共に、少し大きめな声で訪ねる。
さて、ここで一つ執事を入る仕掛けをしないとな。このまま放っておくと執事の勘違いでこの部屋を後にしかねない。
俺は、魔法を詠唱し、その魔法を横たわる主人の中に魔力を込める。
(音響魔法)
魔法をかけた瞬間、死体がビクンと身体をゆらす。
そして、
「ご、ごごごごごごごごごごごごごごごごっ」
醜い音が主人の穴という穴から吹き出す。
ドアの中からはおよそ人のものの声ではない事をはっきりとわかるが、執事はドアを隔てた先にいる。
主人が亡くなっていることも知らないこともあり、本人には気づかない。
「ご主人様!?ご無事ですかっ!!!???」
執事は主人の異変に慌てて、ドアを勢いよく開ける。
かかったな。
俺は口を釣り上げ、慌てた執事の背後をとる。
(必要な犠牲だ。悪く思うな)
ローブに隠し持っている小刀で執事の喉元をスパッとかっ切る。苦悶による声を上げさせないため、もちろん左手で口を塞いで。
「んー!んー、んーーーーーーっ!!!!!」
執事は目を見開き、最初は抵抗しようとしたが、まもなく力が抜け、膝から崩れ落ちる。
喉に力が入らなくなり、コヒュー、コヒューと口で必死に呼吸をする。
目端で己を殺めた面を見ようとうつ伏せで倒れた顔を横にして後ろを見ても、そこには誰もいない。
そして、首もまわす力もなくなり、徐々に視界が閉じていく。
執事も、主人の後を追うように意識を途絶えた。
(ふう、これで逃げる段取りは済んだな)
俺は光の失った執事の目を凍りついた瞳で見下ろす。
俺は神には祈らない、こいつの人生を閉ざしたのは俺だと、その罪を背負い込む。誰にもわたしはしない。
逃げる準備をしよう。
俺は慣れた手つきでうつ伏せに倒れる執事の服を剥ぎ、俺の服と交換していく。
もちろん武器は執事服に入れ替え、暗殺に使った小刀を執事の手に握らせておく。
これで、この状況を見る第三者は、執事の反抗により、主人を殺害し、自らも命を絶った構図に見えるだろう。
もちろん、キナ臭い、不自然な部分があるが、そこに気付くまでに時間がかかればいい。
一番キナ臭いのは上階に上がっていた執事と下階に下る俺で、明らかに一人多いんだが、そこに気付けても、その頃俺はここにいない。
この界隈じゃあ、殺した奴を探し回るより、その死人の後継を探す。いわゆる勢力争いだな。殺した奴を復讐し、それを功績に、も考えられるけどそんな面倒なことより外堀を埋めた方が対処は楽だ。この世界には死んだら最後、絞り尽くされて捨てられるだけだ。
(じゃあ、帰るか)
俺は蝶ネクタイをギュッと締め、不気味な静寂を保つ主人の部屋を後にした。
そして、俺は守衛に何も疑われることなく通り抜け、屋敷を後にした。
主人の暗殺が発覚したのは、6時間後、夕刻の時刻だったらしい。
__________________________________________
真夜中。月明かりの無い不気味な暗闇の中を迷いなく歩いていく。
ここはケーティア王国の商業都市ナラクの商店街の裏通り。ただでさえ裏通りで光が射さないのに、真夜中もあいまって一寸先は闇状態だ。
ここにきた理由は一つ。依頼の完了を報告、報酬を頂くためだ。
もうここに来るのは手馴れたもので、この闇の中が手に取るようにわかる。
ここの通りにいる依頼主は俺のお得意様であり、恩人でもあり、恨んでいる人でもある。
暗闇をこのまま歩き続け、ある通路のど真ん中で立ち止まる。
この裏道は基本通路の脇に木箱や樽など、ガラクタが山積している。その何の変哲も無いガラクタの山を一つどかし、下の通路に繋がる戸口を露わにする。
俺はその戸口の取手に触れず、その脇に手のひらを掲げる。
そして手の平から俺の魔力をジワジワと石の地面に流し込む。
すると、どこからともなく声が俺の耳に届く。
「名は?」
「名はない。誰でもない。この世界にいない」
俺はそう返す。
ズズズズズ。
戸口の下で何か重いものが動く音が響く。
俺はそんな事に気を止めず、戸口に手をかける。
俺は狭い戸口の中へと身を滑らせ、地下へと降りていった。
やけに長い縦長の通路を梯子でゆっくりと降りていって、ようやく足についた。
梯子から手を離し、後ろにあるドアノブを回す。
ドアをゆっくりあけると、ドアの隙間から暗い光が溢れ、暗闇から解放される。まあ、暗いのに変わりはないけど。
ドアをくぐった先は、寂れた居酒屋の店内だ。
しかし、人は誰もいないし、椅子やテーブルは埃が被っていて、長年使われてないことがすぐにわかる。
世間から見放された、忘れられた雰囲気を纏う空間がこの居酒屋に広がっている。
俺はズカズカと床の埃をたてながら、酒場の通路を歩く。
酒場のカウンターの一角に着く。カウンターの左端っこで、左側はボロボロに腐った木の壁があり、そこから隙間風が溢れる。
その椅子は他の椅子より不自然に埃が積もっていない。
俺はそこにどかっと荒々しく座り、一度辺りを見回す。
そこには静寂を包む、居酒屋の店内。
「ふぅ…本当にここは変わったよな…」
かつては人で溢れていた居酒屋。今となっては見る影もない、か。
なんとも言えない寂しい気持ちになる。そんな自分に耐えられなくなり、カウンターに向き直す。
「ふっ」
俺は失笑を漏らす。いつまでこんな同じことを繰り返しているんだ。
任務を完了するごとにやってしまっている。一人になってからもう十年、か。本当に俺はこの世界を生きているのだろうか。人とまともに関ることがなくなってから久しく、自分が生きている実感が本当に消えかかっている。
先ほど言った合言葉が今の俺に投げかかる。
「この世界に存在にしない」
本当に俺はこの世に存在してないんじゃないか。薄ら寒い悪寒が身を走る。俺は全うな人ではない。もはや人を襲う魔物と何も変わらないのではないのではないか。普通の人とは違うという事実が俺の心をむしばんでいく。___________________________もう、疲れたな。生きることに。最近任務の最中でも物思いにふけてるし。
感傷に浸ってる場合じゃないな。さっさと依頼主に任務完了報告を済ませないと。
俺はカウンターに手をかざす。そして、自分の魔力を机に流し込む。
薄っすらと机が俺の魔力色、藍色に染まり、俺の顔を淡く照らす。藍色に光る机が少しの間輝き続け、その光が形作っていく。
最初に現れたのは、”ミッション”という文字。その形の光はすぐに霧散し、また新しい文字”コンプリート”という文字が浮かび上がる。
よし、これで報告完了だ。次は報酬をもらわないと。
もう一度手をかざし、魔力を送り込む。
”コンプリート”はまた霧散し、次は”報酬場所”が浮かび上がる。その文字もまた消え、”ローニア居酒屋の裏の樽の中”と浮かぶ。
よし、報酬の場所は確認できた。さて次は。
同じように、魔力を机に送り込む。
光が霧散し、”次の任務を提示”と浮かび、”デグリ帝国の過激派将校のアーミング・テラ・モルストの暗殺”と出る。
「次は、デグリ帝国か…。きっついな」
デグリ帝国は、この世界で唯一の武力国家だ。この国は、代々王位が受け継がれる世襲制の王国ではなく、より武で功績を上げたものが上に立つという弱肉強食を理念としている。隣国に例を見ない制度を実行しているため、上に立つものはより有能な人間が固まり、強力な国家を育て上げている。
しかし。武の功績を収めるのは二通りある。戦場を駆け巡り、自身の身体能力で敵将を討ち取る脳筋な輩と、巧みな戦術を駆使し、自陣を優位に進め、戦略勝ちをする知的な人物。
もちろん、国家を動かすには頭が必要なので、国家に必要なのは公社であり、前者ではない。しかし、武勲を挙げたものに叙勲を与える性質上、脳筋が一定数権力をもってしまう。
だから、間引きをしてほしいという依頼なのだ。帝国の上の者からの、ね。
俺は正直この依頼を受けたくない。なぜなら、いわずもがな、脳筋は戦闘だけはぴか一のセンスを持ち合わせているから。
いくら奇襲の形をとるとしても、戦場の勘とやらで奇襲をなんなくいなすのだ。それで、かつての同じ
釜の飯を食った同僚は返り討ちに会い、見るも無残に殺されている。
俺もそうだ。何度か依頼をこなしたが、いくつもの死線を超え、なんとか今にまで命をつないでいる。
______________________________だが、受けるしかない。
俺は、断ることが出来ない。拒否権がないのだ。ただ依頼をこなすだけの人形に過ぎない。
「はあ。やるしかないのか」
ため息を一つ。
俺はカウンターに魔力を流すのをやめ、藍色の光を薄らぐのを待った。
藍色の光が完全に消え、あたりを暗闇が包み込む。光源はたった一つの切れかけの魔石灯のみ。
バチバチっと灯りの光がはじけ、少し闇に包まれ、また薄っすらと店内を照らす。
「よう。今度こそ死んだと思っていたよ。我が息子よ」
倉庫へと繋がるドアの前に初老の男がローブで顔を隠して立っていた。音もなく、一瞬に。
「そんなわけないだろ。あんなぬるい仕事で死んでられるか。親父殿」
俺は声色を変えることなく、返事をする。親父の方へ体を向けずに。
「まあ。そうだろうな。あんな仕事で犬死じゃ、俺も育てた甲斐がないってもんだ。ま、成功したのはお前だけだったが」
「そうだな。そして、俺はこれを繰り返す」
俺は少し、今の気持ちを吐露する。誰かに聞いてもらったかもしれない。話せる相手はこいつ以外にいない。憎いが仕方がない。
「いつも考える。俺はこの生業をいつまで続けるのかと」
「死ぬまで」
「そう。死ぬまで。あんたの呪いが俺をこの道から外れさせない。籠の中の鳥と同じだ」
「俺は何もしておらん。お前の選んだ道だ。お前がこの道を進むと決めたんだ」
「いや。これは呪いだ。魔法の類ではない、正真正銘の呪いだ。俺はこの籠の中から飛び立てない」
「飛び立てないのではない。飛ばないのだ。言い訳するな。そして忘れるな。これはお前の選んだ道だ」
「わかってる。それはわかってる。だがな、俺も人間だ。老いもするし、疲れもする」
「ふははははははっ!!!お前が人間だとぬかすか!お前はすでに人間をやめてるだろうに!」
親父は俺の言葉に笑い転げる。確かに滑稽だ。人の血を浴び、人の命を踏み潰している俺が人間とぬかすのは滑稽以外に何ものでもない。
「ふっ。確かにそうだな。俺は人間をやめた身だ。籠の中の鳥じゃあ、ないか。これは宿命か」
俺は失笑し、己の運命を嘲笑う。俺は常人が持つ悩みを持てない。持っちゃいけないのだ。
「それはそうと」
初めて俺は親父へと視線をよこし、ローブに隠れた瞳を射抜く。
「また厄介な依頼を持ってきやがって。断れないからっていい気になってんじゃねぞ!」
二ヤリ、と初老の爺は口角を吊り上げる。
「仕方なかろう。常連の客だ。断るわけにはいくまいよ。それに、お前の望みはそこにあるんじゃねぇか?ふっふっふっふっ」
「望み?そんなもんあるわけないだろ」
「俺はお前に言ってないよ。お前の中に言っているんだ」
「は?訳が分からん。ふざけるのも大概にしろ」
「へいへい」
ローブが微かに揺らめく。肩をすくめたんだろう。
俺はまた視線を彼から切り、カウンターの机を見下ろす。また、気持ちを打ち明け始める。
「俺は…もうこの仕事を辞めるだろう」
「ほう?やめるのか?好きにすればいい。ただ、お前の天職は暗殺者しかないのにか?」
「戦闘だけが仕事じゃない。この世界には仕事であふれているだろう」
俺は両手を目いっぱい広げて言う。そう世界にはいろんな仕事がある。つまり、生き方がその仕事の数だけある。
「その血濡れた手でか?命を奪ったその手で?仲間を殺したその手で、か?」
俺はゆっくりと両手をおろす。そして、ぎゅっと握りこぶしを作り、肩を震わせる。
「そうだ、俺は、俺は、俺はこの仕事から離れられない。離れてはいけないんだっっ」
声を震わせながら、己の贖罪を胸に刻みなおす。俺は、この職を続ける。死ぬまで、永遠に。
「そうだあ。お前には罪がある。贖わなければならん。それほどまでに罪深いことをした。なあ?これがお前の望みだろ?」
親父が笑いを含みながら俺へと指さす。
そのら指差す姿があいつと重なり、俺に迫ってるようで、ビクッと身体を震わせる。
「っつ。ああ、これが俺の望んだ結末だ」
「そうかあ、そうかあ。俺はそれでいいと思うぞ、ふっふっふっふ。お前が望んだなら仕方がないなあ」
ふっふっふっふっふっふ。
寂れた居酒屋に親父の気味悪い笑い声が木霊した。
________________________________________________
彼が酒場を後にした後。
ローブを纏った初老の男は動かずにはしごへと繋がるドアを見つめていた。
「・・・・・・・・」
その顔は哀愁が漂うようで、男の眼は本当の息子を眺めるようだった。
「あいつはああなった。ああなってしまった、か。変えてしまったのは俺、誰でもなく、この俺だ」
彼がいたときとは全く違う声色で独白する。道化じみた声は一切なく、しっかりとした父の声だ。
「ほかの道はなかった。俺は暗殺しか教えられない。ほかの道はもとよりなかった。だが」
コツン、コツン、コツン。
親父は重い足取りで居酒屋の店内を歩き回る。それは、終わりのない思考を体現しているかのようだった。
「ほかの道を歩んでいれば?あいつは違う人生を歩んでいたのか?今よりも幸福な人生を歩んでいたのか?」
コツン。
居酒屋のど真ん中で立ち止まった。そしてすすれた天井を見上げる。
「いや、やめよう。空しいだけだ。あいつには才能があった。それも卓越した才能が」
ここからは見えない澄み渡った空を想像して、つぶやく。
「カエルの子はカエル。俺と同じで、空が見えない」
薄汚い天井の埃が地面に落ちていった。