表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冥途の土産  作者: 夏目歩知
1/7

みつ89歳。今が一番いい時。青春だ。


「きみちゃーん、生きてるー?」築二十年の日本家屋。玄関の引き戸を手で開けながらみつ八十九歳が枯れた声をはりあげる。「いきてるよー」中から別のばあさんの声が聞こえた。きみちゃんだ。みつのシワシワの細い手には美しく咲く赤い薔薇の花が一本。みつは膝が曲がって弓のような脚をしている。

ガラガラとゆっくり戸を開けて老婆が出てきた。


「あんれまあ、また盗ってきたの?」

「あげる」

「だめだよー、人んちの盗ってきちゃあ」

「すんごくきれいだったからさ」

「花がかわいそう」

「そんなことない。もってって欲しそうだった」

「またそんなこと言って」

「担担麺くいにいかねぇか」

「担担麺?」

「かれえもん、食いたくてさ」

「辛いの?まぁ、いいけど。ちょっと待ってて、今娘に言ってくる」


 二人の老婆が歩道をゆっくりと歩いている。みつの唯一の友人きみちゃんは娘夫婦と孫と四人で暮らしている。今どき珍しい二世帯住宅。きみちゃんの優しくて穏やかな性格もあって家族楽しく幸せに暮らしているように見える。一方のみつは、夫とは死別。息子とも死別。築四十年のアパートに一人暮らしだ。生まれた家は病院を経営していたので何不自由なく育てられたが戦争で父親が戦死してから暮らし向きが変わってしまった。十九で結婚して二十歳で子どもを産んだが自分が幸せだと思ったことは一度もなかった。

 なぜならみつには兄弟がいなかったから。兄弟がいないというのは本当につまらない。みつは兄弟のいる人がうらやましくてたまらなかった。母親に弟か妹を産んで欲しいと頼んだが叶わなかった。兄弟のいない寂しさを紛らわすために食べることに執着した。おかしはいくらでもあったし、普通の家ではめったに食べられない肉や魚もよく食べられた。


 子供の頃のみつは子豚のようだったし、大人になってからはずっとデブだった。夫は痩せていて背が高かったので二人で並ぶとアンバランスでコミカルだった。だから二人で写った写真はほとんどない。息子はみつの遺伝子をついで赤ちゃんの時からデカかった。生まれた時から心臓が悪く、あまり長く生きられないのではないかと医者から脅された。

 子どもが親より先に死ぬほど不幸なことはない。みつはずうっと憂鬱な気持ちで子育てをした。それでも息子は19歳まで生きてくれた。不幸中の幸いとはこのことかとみつは思った。みつが39歳の時だからちょうど五十年も前のことだ。


 池袋西口の中華料理屋で担担麺を啜りながらみつは考えていた。自分ときみちゃんはどうしてこうも違うのか。きみちゃんは取り立てて美人でもなかったし、特技があるわけでもお金持ちでもなかった。ただ普通に生きて普通に暮らしているだけだ。でも、みつと違っていつもニコニコしていたし友人も多かった。何より家族に大事にされている。みつときみちゃんが仲良くなったきっかけはパチンコだった。

 みつは若い頃よく競馬をやっていた。競馬で生計を立てていたと言っても過言ではない。競馬場へ足を運んでみたことは一度もない。新聞とテレビとラジオの情報だけでやっていた。それでも勘が働くのか大穴を当ててしまったことがあり、それ以来競馬はやめてしまった。還暦を過ぎてからは近所のパチンコに出入りしていた。その時に知り合ったのがきみちゃんだ。きみちゃんはあまりギャンブルをするようなおばあちゃんには見えない。いつも明るい色のブラウスをきちんと着て、シワのないズボンを履いている。誰からも好感を持たれるタイプのおばあちゃんだ。


 みつが、いつものように他人のパチンコ玉を拝借しているところをきみちゃんに見られた。きみちゃんは黙って自分の箱を指さした。「取るならこっちからとりな」と言っていたが音がうるさくて聞こえなかった。それから時々会うようになって、一緒に蕎麦を食べたりうどんを食べたりした。「なんでパチンコなんかやってるの?」と聞くと、きみちゃんは「孤独を楽しんでいるの」と言った。みつにはちょっと理解できなかった。みつは孤独を楽しむことができなかったから。家に帰ればいつでも孤独だったから。きみちゃんは贅沢だと嫉妬した。


「辛いね、おいしいけど」

きみちゃんは笑った。

「うまいよね。あたし辛いもんが大好き」

「あとで甘いもの買って食べない?」

「いいね、そうしよ」


 中華料理屋で最高齢の二人。目立たないわけがない。周りの若い人たちからジロジロ見られていた。きみちゃんは気にしていないようだが、みつは暗い気持ちになった。もうこういうところへ来ちゃいけないのだろうか。ババアは家にひっこんでろって思ってるのかな。きみちゃんはラーメンを少し残したがみつは完食して店を出た。もうすぐ90歳だがみつは胃腸が異常に丈夫だった。体もだんだん痩せてきて標準体型になったというかしぼんだ。食べてもぜんぜん太らなくなったのである。これには驚いたしとても嬉しかった。たくさん食べても太らない体を手に入れることが長年の夢だったのである。老後になって夢を手に入れる人はどれくらいいるのだろう。少なくとも自分はそううちの一人だ。今が一番良い時。青春だ。


(つづく)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ