桜色の魔女が二人 1
部屋の家具は兄によって、動いたらもとの場所に戻るという便利な魔法が掛かっている。なので砕けた食器や壊れた椅子の脚を片付けながら、段々気持ちが落ち着き始めると考えずにはいられないこと――どう考えても怪物が突如出現した家に一人でいるなんてできない。無理だ。
それを秋月さんに伝えると、まあそうよね、と彼女は納得してくれた。
「じゃあリウのとこは?」
というのはさすがに予想外だった。
「あのさアキヅキちゃん、」
「だったわたしの家、弟子と精霊で狭いんだもの」
「……ミユに聞いてくるよ」
「あんた自分の家あったじゃない」
「あーあーあーほんとアキヅキちゃんそういうとこどうにかしたほうがいいよ!」
リウが不機嫌な顔で言うのも素知らぬ顔をして、秋月さんは組織に報告があるからと帰ってしまった。何かあったら呼ぶように言い残していったけれど、呼ぼうにも手段がわからない。
「体良く逃げられたな」
リウがぽつりと呟く。そういえば彼は、サリタについて聞きたがっていた。
「……サリタって、どういう人なの?」
昨日現れた少女のことを自分はよく知らないままで、聞くタイミングを逃していた。リウたちとなんとなく対立しているようだなというのは感じられるけれど、わたしにはお願いがあると言っていて。内容を聞けなかったので、それが良いことなのか悪いことなのかもわからない。彼女についてどう判断したらいいのかわからないのだ。
「……あ、興味ある?」
一拍置いてからわざとらしく意外そうな顔をして言われたのでイラっとした。
「興味も何も、昨日の様子から自分に関係があると思でしょう?」
「うーん……でもさあ、コーヤちゃん今自分が抱えているものわかってる? トーヤのこと、空間の綻びを直すこと、それに伴う知識を得ること、あとこの家にいたくないなら少しの間住む場所を考えること。サリタのことは今すぐ関わらなくても良くない?」
当然のことのように彼は問う。
気持ちがざわつくので、落ち着け、とわたしは自分に言い聞かせる。信用してもいいんじゃないかと思っていたでしょう。兄さんを探そうと手を尽くそうとして、わたしにも協力してほしいと言っていたでしょう。
「リウ、サリタに兄さんの居場所を知らないか聞いていたわよね」
「あれは念のためだよ。君に接触してたから、もしかしてと思って」
とぼけるように答える。確信を持って聞いていたような様子だったが。
「そう。そうなの」
「コーヤちゃん?」
なんだろう、この感じは。
「もしかして、わたしが、サリタのことを知るのは、何かまずいのかしら」
ゆっくりと言葉にしてたずねてみた。
するとリウは心なしか嬉しそうに表情を和らげる。動揺するかしれっとした顔で通すかと思っていたので、どう解釈したらいいのかわからない。からかわれているのだろうか。
「知りたいよねえ。わからないことは」
「ええ、そうよ」
「よくわかるよ。だから僕も教えてくれないことは自分で調べてるし。やだよねー勝手にこっちの気持ち推し量らないでほしいよねーそれは僕が決めるんだよ」
リウは口元に笑みを浮かべて、恭しく手を差し出した。
「じゃあ言質を取りに行こっか」
誰の? と聞こうとする前に、
「〝眠っておいで〟」
パンッ、と軽い破裂音とともに意識がなくなった。
目覚めてすぐの視界で、天井の幾何学模様の連なりをぼんやり目で追った。飴色の木材で組まれている。白く発光する照明も花が開いたような形をしていて、花弁の先に滴の形をしたガラスが下がっている。
寝かされた状態で視線を横に向けると、テーブルを挟んで向かい側にソファーがあって、ああ自分が寝ているのもソファーの上なのだなと思った。
「あ、起きたね」
リウの声だ。……確か彼が何か唱えて、それから意識を失ってしまって。
身体を起こすと、誰かが掛けてくれた上着が床に落ちた。近付いたリウが差し出した手を無言のままに払い、右手に意識を集中させて――そこには大きな鎌が現れる。
「リウ、」
室内にはわたしとリウの他にも二人立っていて、その内の背が高い男性がリウを呼ぶ。
わたしはゆっくり立ち上がり、両手で握った重みのない大鎌の刃をリウに突き付けて、
「何をしたの」
だから良くないって言ったじゃないかと室内にいたもう一人、帽子を被った少年の声。
「何って、眠らせてた」
悪びれもなくリウが答えるので、皮膚すれすれに大鎌を当てる。装飾の目立つこの鎌はただ相手に向けるだけでは傷付けない。明確に〝断とう〟と思わなければ。
「なぜそんなことをする必要があったの」
まだ、断つとは強く思っていない。
「組織に連れてくるのに、入り方を見られるのはまずいかなーって。まだ君はここに所属しているわけじゃないからさ」
「目を瞑るとかすればいいんじゃない?」
「ツァウベルを辿られて理解されるかもしれないし」
「せめて一言断るつもりもないの?」
へら、とリウは表情を緩める。
「だってランヴァルの魔女がどの程度なのかずっと気になってて」
そこでさすがに怒りが上回った。
人殺しなどしたくはないし、ものに当たりたくもないけれど。殴りたくもないけれど。普段であれば。
いったん大鎌を振り上げて、表面のごてごてした装飾でも殴れば痛いだろうと、
ゴン、と、
「――――いっ」
大鎌の表面がリウの頭のてっぺんに、誰にも邪魔されずに振り下ろされる。誰も止めようと動かなかったのだ。
「ちょっ……と、これは、」
頭を押さえて彼は蹲る。
「…………リウ」
出た声が自分でも驚くくらい低い。名前を呼ばれて薄っすら涙目で、それでも殴られて何も思うところがないというように彼は平然と、「何?」と返事をした。その様子に一瞬自分が混乱してしまいそうになったが、ここは怒るところだと踏みとどまった。
「できれば自分で考えてほしいところなのだけれど」
「あー……勝手に眠らせられるのは怖いよね」
「……ええ」
「何されるかわかったもんじゃないし」
「……あなたそこまで考えられるのにやったの?」
「うん」
うん、じゃない。
「えっと……あ、ごめんなさい……?」
疑問形で謝るな。
自分の目つきが悪くなっていっているだろうというのが鏡を見なくてもわかる。わたしはこんなのを信用しても良いかなと思っていたのか。こちらが無言でいると、リウがまた口を開く。
「あの、ね? 僕がサリタのこと教えてもいいかなって思ってたんだけど、やっぱりそれよりうちの偉い人に許可を得てからの方がスムーズかなって思い直してね? でもそうするとこっちにいったん聞きに来ないといけないし、コーヤちゃんが組織に入るかも決めなきゃいけないし、時間掛かるし、だったらちょっと強引にまとめちゃおっかなあって……それが僕ならまたかって思われて済むだろうし……」
「お前自分が迷惑振り撒いてる自覚あったのか」
ここまで黙ってやり取りを見守っていた青年が、思わずといった感じで声を上げた。
「その……自分の都合ばっかりでした。ごめんなさい」
今度はきちんと謝った。そう聞こえた。
そう聞こえはしたけれど、許すという言葉を口にするのが躊躇われて、代わりに溜息が出た。なんでこの人わたしより年上だろうに物事も考えられるのだろうに、しかもちゃんと自分の非を認めて謝れるのに、こんな……。
なんだかとても疲れた。ついでに秋月さんに言われたことを――こいつに疲れたら離れるのよと――思い出してしまった。今すぐ家に帰りたい。でも家はまたあれが、エルガーが出るかもしれない。
途方に暮れそうになったところで、少年の声が掛かる。
「はい! この続きしたかったら別の場所にして!」
合わせてパンパンと手を叩く。手袋をしているので大袈裟な音にはなっていない。
「ランヴァル、その杖は仕舞ってもらっていい? ここじゃ見た目が物騒だし嗅ぎ付けた好奇心の塊たちに襲われたくないでしょ」
複数におわされる好奇心の塊がなんなのか気になりつつ、いつまでも持ったままなのは邪魔なので杖を仕舞った。今さらだが床に落ちたままの上着を拾って汚れを払う。誰のものだろう。
「リウはさっさと立ってこっち座りなさい。あとさっきの発言聞かなかったことにしてあげるけど仕事増やすよ。あっそのローブヒカルのだから。ヒカル、お茶淹れて」
てきぱきと指示を出し、少年はわたしの向かいのソファーに座った。君も座ってと促される。ヒカルと呼ばれた青年がローブを受け取りに来たので、落としてしまったことを謝ると、
「気にしなくていい。それより具合が悪くなったりはしてないか?」
「はい。大丈夫です」
気分は下降を続けているけれど。
「そうか。ラグノットの持ってる茶葉は香りもとてもいいから、少しはリラックスできると思う。甘いものは好きか?」
「はい。あの、」
「遠慮はいいから、座って待っていてくれ」
そう微笑まれて、すると途端に彼が美しい人だという認識がなされてぽかんとしてしまった。ぼんやりきれいな人だとは思っていたけれど、リウに対する怒りで周りが見えていなかったらしい。そう気づくと人前でリウを殴ったことなどが恥ずかしくなってきて、いたたまれない気持ちが襲ってくる。
「さてじゃあお茶を待つ間に自己紹介でもしようかな。僕はラグノット。調律会の一番偉い人だよ」
少年が愛想良く告げる。
この人が、というのと、この人の前で、というのが混ざり合って、いよいよ思考が焦りだした。