魔女と魔術師 2
「お待たせしました」
「あ、着替えたんだね。可愛い」
リウはこちらを見るなりそんなことを言うものだからたじろいだ。ただの無地のワンピースだ。彼は玄関の扉に背を凭れて抑えている。先にミユが扉をくぐり、それにわたしが続いた。
クリーム色の壁の部屋の真ん中には楕円のテーブルが置かれ、扉の向かいにある窓の外は、霧が濃くて様子がわからなかった。右手にあるガラス張りの扉の向こうはもしかしたら庭に続いているのかもしれないけれど、やはり霧に満ちているので詳細がわからない。部屋の意匠はこれといって凝ったところはないように見えた。ところどころに小振りな花が飾られている。
自宅から繋げたという場所は、また別の誰かの家に繋がっていた。
「私の家だ。リウ」
最後に扉をくぐった弟に声を掛ける。
「準備は私とチェルニーでするから、大人しくしているように」
「はいはい」
そのままミユは左手にあった別の扉から出て行った。リウと二人きりされても大いに困るのだが。
「さ、こっちに座って。特に席順もないし、ここは宗教もないから畏まらなくていいよ」
入ってきた扉側の椅子を引いて再度手招きされたので、言われるまま座った。家具はいずれも木製で、テーブルの中央には大振りの薔薇がドーム状になるように花瓶に活けてある。
リウはわたしの向かいに座ると、肘を付いて手を組み合わせた。彼は上着の袖を通さず肩に掛けていて、シャツのボタンも一つ開けているだけだが、ミユと並ぶとだらしない印象になる。ミユはきっちり着込むのと立ち振る舞いに真面目さが滲むようだった。
「さて。あんまり動じてないけど大丈夫? 君は魔女だと思うから、ここの空気は毒にはならないと思うけど」
「毒?」
「そう。ツァウベルに耐性のない人は息が続かないんだよ。だからこの空間には魔法使いや魔女、魔術師くらいしかいない。植物は育つし動物も少しはいるけどね。猫とか」
「それじゃあどうやって生活するんですか」
「畏まらなくていいよー僕偉い人じゃないしー。嫌なら無理しなくていいけど」
彼はにこにこと笑いながら話を続ける。
「一応ね、物好きな人が食べ物を売ったり生活用品を売ったりしてるんだよ。だから何年も掛けてここも町みたいにはなっているんだ。これから先も変わっていくと思う」
「その人たちも魔法使いとか、なの?」
「その通り。僕は商売には向いてないから組織で仕事をしているけど、ここで暮らすためにみんな色んなことをしている。それにここは別の空間とも繋がりやすいから、ものの仕入もしやすいんだって」
組織、と聞いて兄の顔を思い浮かべた。途端にざわざわと落ち着かない気持ちがぶり返す。
「……兄も、ここに来ていたんですか?」
すると何か気付いた様子で、リウはちょっと間を置いた。
「トーヤもよく来ていたよ。組織はもちろんだけど、僕等は気が合ったから。それに家のこともあったし」
あのね、とリウは困ったような表情をして、
「君の家に突然訪ねたのはびっくりさせたよね、ごめん。トーヤを見つけたい気持ちは本当だし、君のお兄さんには悪いけど、僕は君の力も貸してもらえたら嬉しい」
「……わたしにできることがあるの?」
一週間探す方法もわからず、ただ日常を過ごすことしかできなかった自分に。何かできるというなら、なんだってしようというという気持ちが湧いてくる。ただ、兄に悪いというのは……と考えたところで、先程ミユが消えた扉から明るい声が入ってきた。
「わあ、本当に連れて来たんですね!」
輝くような金色の髪を一つにまとめて、空の色にも新緑の色のようにも見える瞳をきらめかせながらやってきた彼女は、両手で持っていた皿をテーブルに置くなりいそいそとわたしの方へ近づいた。あたたかいものをぎゅっと詰め込んだような人だと、見る人全てに印象付けられそうな。彼女は自然な動作でわたしの両手を取る。
「初めまして、チェルニーです。扉の四人であるブラン家の末になります。急にこういう運びになっているのでわたしもびっくりです!」
「初めまして、季高……広夜、ランヴァル、です」
相手が立っているのに合わせて立ち上がると、チェルニーが頭一つ分背が高いことが知れた。自ずと見上げる形になるので、本当に、さっきまでの不安が掻き消えそうなくらいの笑顔を浴びる事になる。好意的であるのが纏っている雰囲気でとても伝わってくる。存在が眩しい。
「こちらの空気はどうですか? 気分が悪くなったら言ってくださいね。始めは慣れない人もたまにいますから」
「ええ……先程リウに聞きました」
それを聞いたリウが、おっ、と嬉しそうな顔になるのが横目に見えた。
「そうだリウさん、いきなり空間を繋いで出て行ったので、わたしもミユさんも驚きました」
今から敬称を付けるには遅いだろうか。
「ああ、ごめんね。でも繋いだままにしたからすぐわかったでしょ」
「リウさんが感覚で動くのはいつものことですけれど、あんまりミユさんを困らせちゃ駄目ですよ。でもよくコウヤさんが危ないってわかりましたね」
「だってトーヤの代わりにあの家の守りを補強したの僕だもの。自分の関与したものを害されたらそりゃわかるよ」
驚いてリウを見ると、彼は慌てた。
「人には向き不向きってあるだろう? トーヤにはトーヤの得意なものがあって、僕はまあツァウベルを使うことくらいしか得意なことがないだけで、君のお兄さんの名誉を傷付けるつもりはないよ」
わたしの様子を窺うように上目遣いで見られても、そこまで考えてはいなかった。そもそもここに来てから聞いている話を振り返ると、魔法使いと魔術師と、もしかしたら魔女についても、何か違いがあるように聞こえる。男だから魔法使いとか、女だから魔女だとか、そういうことではないのか。
「……ありがとう。あの、聞いてもいい?」
「はい、なんなりと!」
ずっと手を取られたままだったのを強く握られた。もう離してもいいと思うのだけれど、それを彼女を目の前にしてなんだか言いづらいのだ。
「あなたたちには当たり前のことなのかもしれないんだけれど、その、」
声が縮こまりそうだ。
「魔法使いと、魔女と、魔術師って……話を聞いているとそれぞれ違うように聞こえるのだけど、どう違うの……?」
チェルニーは何か言おうとして口を開きかけ、助けを求めるようにリウを見た。リウはあーとかそっかーとか呟いている。何がどうとは言えないけれど、言ってしまった自分も段々恥ずかしくなってくる。彼等にとっては至極当然のことかもしれないけれど、わたしにとって魔法使いは兄さんで、魔女は自分のことであって、自分たち兄妹以外がどうであるかなんて知らなかったのだ。兄さんもそこまでは教えてくれなかった。わたしが彼がいなくなる前に聞いていたのは、自分たちが魔法を使えること、リーヴェル・ランヴァルという人物のこと、世界が自分が知る以外にもたくさんあること、そしてツァウベルを使うための心得と……具体的ではないが、兄さんは悪いものが世界に影響を与えないように調整する仕事をしていること。彼はこれらがわたしの人生の役に立たないのが一番だと言った。
二人が動揺している間に足音が近づいてきて、チェルニーが部屋に入る際に両手が塞がっていたため開けたままにしていた入り口から、ワゴンに人数分の料理や小さな鍋を載せてミユが姿を現した。
「ミユ、彼女、僕等の違いがわからないって」
「ミユさんたち双子の見分け方ではなくて、わたしたち魔術師、魔女、魔法使いの違いについてです。学校で教えてもらったままで良いのでしょうか」
チェルニーの補足に彼等にも学ぶ場所があるのかと思いつつ、わたしもミユの方を見た。年の差がある兄弟なのか判じかねていたけれど双子なのか。三人分の視線を受けてもミユは落ち着いたまま、
「燈夜はそこまで話していないと言っていたからな。実感しなければわからない点でもあるし……チェルニーは誰に何を習ったって?」
「クレインバート先生です。最初の講義で、わたしたちはツァウベルによって選別されて、それによって魔法使い、魔女、または魔術師となる。つまりツァウベルは魔法そのものでありながら、わたしたちを各々特性を持つように仕向ける因子として働く、というように。わたしはちょっと言い回しがわかりづらかったんですけれど……」
「そういう言い方もある。まずは食事をしよう。腹が減った」
そうでした、とチェルニーはすぐさま切り替えてそれぞれに皿を配りだす。ようやく手を放してもらえてほっとして、立っているついでに手伝おうとワゴンに近づいた。ミユにありがとうと告げられてから料理の乗った皿を渡される。香草の香りが引き立つ、魚料理だった。スープやサラダを見ても馴染みのある食材が使われているように見えるので、おそらくそれ程食生活は変わらないのだろう。どれも家庭料理のようで美味しそうだ。
「今日はチェルニーちゃんが一人で?」
「そうですよー。たまたまいっぱい作っていたから良かったものの、人数が増える時は教えてくれないと困るんですからね」
わざと口を尖らせてから、リウが謝るとチェルニーはふふっと表情を崩す。彼はお詫びに飲み物を、とそれぞれのグラスへピッチャーから小さな緑の実が入った水を注いだ。
「さて、食べようか」
わたしの左にチェルニーが着席し、彼女の向かいにミユが座った。彼の声が食事を始める合図になる。本当に宗教も何もないようだった。とても……とても普通の食事風景だ。そして彼等が親密な関係であるのがありありとわかるために、ちくりと自分勝手な疎外感が生まれる。
フォークを持ったところで手が止まってしまったため、目敏く気付いたリウが何か言おうとした。
「たとえば今私たちといて、君はこの場に性質の違うものを肌で感じているだろうか」
リウの動作を遮るように、ミユが先に口を開いた。
「性質が、違うもの」
どうだろう、とミユは首を傾ける。
魔法とは縁のない集団にいる中での、なんとなく自分と合わなさそうだなとか、惹かれるものがあるなとか、そういうのとは違うのだろう。
自分と兄の間では特段感じなかったけれど、ここにいる自分以外の三人に対して感じるもの。
「透明な……感じ……?」
言い表すのが難しくて、そんな言葉しか出てこない。リウがツァウベルを使う時に手に持っていた石の事を思い出して、あの石や水を連想するような透明な空気を纏っているイメージに近かった。思った事をそのまま伝える。
「では君や燈夜は?」
「……湿った土の匂いが満ちている場所のような、草花の匂いも混じる空間のようなイメージ」
こちらは家の庭を思い出していた。雨が降ったあと、庭に咲く花や木々に雫がとどまり、草花の匂いと土の匂いが混ざり合った場所が生まれる時に感じる、生まれたものの息吹に包まれているような感じだ。
「それぞれの性質の感じ方って、はっきりした答えはあるの?」
「ない」
ミユは一口水を飲んで続ける。
「ただ自分と相手が異なる性質であるということを認識できれば問題ない。魔女であろうと魔術師であろうと、そして魔法使いであろうと、全て私たちにとっては個性の一つだ。大昔は優劣を付けていたというが、たとえば魔女だからといって皆均一の力を持つわけではない」
「ちなみに僕は魔術師が空で、魔女が森で、魔法使いは朝陽って答えた」
リウが口の中のものを飲み込んでから喋りだす。
「みんな小さい頃に聞かれますものね」
「チェルニーちゃんはなんて答えたの?」
「えっと……魔術師がつやつやで、魔女がふんわりして、魔法使いがつるんとした感じですね」
「つやつやとつるんは違うの……?」
「違いますよ」
ね? とチェルニーがミユに視線を送るので彼は一瞬黙ると、
「鞣した革がつやつや、インクの壜がつるんだ」
「適当じゃない?」
「チェルニーは何がとは断定していない」
「そうなんです。なんでも感覚は同じじゃないというお話なのに、なぜか基準になるものを求められるから不思議で不思議で」
「ああ……一口につやつやって言っても、人それぞれ対象にしてるもの違うもんね……」
話が違う方へ流れて行く。チェルニーが思い出したように口を開く。
「そうだ、広夜さんから魔女と魔術師の違いは聞きましたけれど、魔法使いにはお会いになったことがないんですね」
え、と驚きが漏れた。
「兄さん……が、魔法使いなんじゃ、」
と、そこまで口にしてはたと気づいた。
ついさっき、ミユにわたしと兄の性質について聞かれて、自分は何を考えたのだったか。自分と兄を別々の感覚で捉えることなく、同じ性質のものとして語らなかったか。
「もしかして……燈夜兄さん、魔女なの?」
そして性質の同じ、わたしも魔女なのだと。
「燈夜も魔女だ。性別は関係ない」
「でも、」
「君には自分が魔法使いだと語ったのなら、それは君への気遣いだろう。君が元々住む世界がある考え方を持つなら、私たちにもまた別の考え方があるんだ。君の置かれた場所での理解ができるように、言い方を変えてもおかしくはない」
確かに、自分と兄の二人だけしか判断材料がない状態で、魔女と言われるものは女性でしか知らないわたしに自分が魔女だと告げるのは、何かしら誤解が生まれて話がすんなり受け入れづらかったかもしれない。今の段階で既に飲み込むのが厄介な印象を持っている。
「話を進めても大丈夫だろうか?」
ミユが確認してきたので、わたしは黙って頷いた。
「性質が違うことが認識できたら、次はどうしてそのような違いが生まれるのかという点について話そう。これは先程チェルニーが言ったように、ツァウベルの性質によるところが大きいとされる」
「これがまた一部の魔女にしか詳しいことはわからないんだよね」
「そう。私たちはツァウベルに好かれる素質のある者として生まれ、自分を好いているツァウベルの集う度合いによって力の大きさが決まり、性質によって自分が何者であるか決まるんだ」
生まれたばかりの赤ん坊に、ふわふわと綿のようなものが纏わりつく様子を想像しながら、綿が多いと力が大きい、綿の色が違うと性質が変わる、と考えてみた。同時にツァウベルとはなんなのか、と思わずにはおれない。
「あの……わかるようにはなってきたと思うのだけれど、ツァウベルって……」
「ツァウベルとは魔法そのものだ」
それは以前、兄にも聞いた。兄と同じことを言うミユに苦笑して、これにはリウが答えてくれる。
「ツァウベルがなんなのか、っていうのは、僕等みんながずっと考えてきて、ずっと答えの出ない問いかけだよ。人の素質に対する好みがあるから生き物じゃないかとか、磁石とそれにくっつくものがあるように、ただツァウベルというものであって人に付着しているだけじゃないかとか、色々言われてはいるんだ。ただ誰も本当のところはわからないから一番実感するところで、魔法そのもの、っていうのが座りがいいんだよ」
なるほど、と言って済ませるほかどうしようもない事柄だ。
頭の中で整理していると、これから自分自身で体感でわかるようになる、と言ってミユは彼のスープの皿をとんとんと人差し指で示してみせた。一瞬なんだろうと思ったが、自分のスープの皿を覗いて、ほとんど減っていないのだと気づく。ようやく一口食べてみて、
「おいしい……」
普段自分が作るより味が濃い。中に入っている、赤いキュウリのようなものはなんだろう。ちょっと苦みがある。
それからわたしは黙々と料理を平らげた。久しぶりにまともに食べた気がする。先に食べ終わった彼等の話を聞きながら、リウと二人だけのときに彼が言った言葉について考えていた。
魔女であるわたしにできて、彼がしてほしい助けとはなんだろう。