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ランヴァルの魔女  作者: 春群端
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魔女と魔術師 1

 家の中に入ってすぐ、腰まで届く黒髪を桜色に変える。一年経ってこの色にも慣れたので、今は気分によって魔法をかけたり解いたりだ。玄関扉の上には幾何学模様のステンドグラスが嵌め込まれて、夕日によって仄明るく色付いた影が床に落ちていた。

 今日も一日、自分は恙無く平穏に過ごしていた。学校へ行って、帰宅して、今から夕食を作る……けれどそこに、兄がいない。

 今日で一週間になるけれど、何も連絡がないままだった。仕事に出掛けてそれっきりだ。家を空ける時はまずその日の内に一通、便箋に短くこちらを心配する旨を書き付けて送ってくる人なので、それがない時点で違和感があった。両親が数年前に他界しているので、二人で暮らすには広すぎる家の防犯や、妹を一人にすることに対して人一倍心配するのが常である。どうにもおかしい。誰かに相談したかったが、身内が魔法使いである、その関係の仕事に出て行ったきり帰ってこない、などといったいどうやって打ち明けたら良いのだろうか。あいにく自分と兄以外の魔法使いや魔女を知らなかった。


「……本当に、どうしたのかしら」


 思わず口から出てしまう。ただでさえ広い室内で一人呟いてみても、虚しさが募るだけだ。手にしている鞄の持ち手に力が入った。

 とにかく兄がいない間、彼が心配しないようにしっかりしなくてはと思う。気持ちを切り替えようと、冷蔵庫にあった食材を思い出そうとした。


――トン、


 厚みのある木材の扉を、一度ノックする音が耳に入った。玄関ホールから台所へ続く廊下に足を踏み入れた時だ。


―――トン、トントン、


 続けて音がして、振り返ってみてふと気づく。

 この家はぐるりを柵で巡らせて、門扉は鍵を持つ人間でしか開けられないようになっている。だから自分が門を閉じてきた今、直接玄関の扉が叩かれるなんてあるわけがない。そもそも兄が屋敷全体に仕掛けをしているので、無理やり柵を越えてきたとしても、その時点で中にいる人間に異変を伝える仕組みになっているのだ。

 ぞわ、と恐怖が背筋を伝った。

 柵を越えられてここまでこられたということは、木の扉一枚隔てた向こうにいるのは、普通の人間ではないのだ。

 どうしよう。自分以外誰もいないのに。


「にいさん、」


 頼れる人も、今はいないのに。


 ガチャリ、


 重たい音が玄関に響く。閉めたはずの鍵が簡単に開いた。

 咄嗟に逃げなければと、身体の向きを変えた直後だった。


「ごきげんよう、ランヴァルの子」


 耳朶に掛かった息に仰け反った。廊下の壁に背中をぶつけたのが痛い。目の前には自分とほぼ同じくらいの目線の少女がいて、無表情の視線とぶつかる。もう日がほとんど落ちているため暗い場所で、淡く色付く髪の色がはっきりしないその人物は、いつからそこにいたのだろうか。瞬間的に誰かに似ていると感じる。


「あなたにお願いしたいことがあるの。もう一人の子ではできないことだから」

「もう一人……って、」


 兄さんのこと? と尋ねようとした時だ。

 勢いよく開いた扉が壁に叩き付けられる音がして、その方向から何かが飛んできた。小さくて光るもののまとまり。それらは目の前の少女の周りで青い光を大きくして、一瞬でバチッと弾けた。眩しくて腕を翳して見やると、彼女は眉を顰めただけだった。


「わたしにしたらみんな小さな子たちだけれど、遊んであげる暇はないの」


 煩わしそうに手で光を追い払う仕草をすると、ぼたぼたとそれらが落ちた。色のない石に見えるけれど、なんなのか。


「遊ぶつもりはないんだけどさ、他のみんなは君と話す気がないみたいで」


 その人はわたしを後ろに庇うように姿を現した。束ねた髪が背中で揺れている。


「怪我はさせてないでしょ? 僕は手荒なことが苦手だし」

「あなたは……ブルクの子ね」

「そう。名前はリウって言うんだ、初めまして。君はサリタで合ってる?」

「……エリットそっくりだわ」


 声に不愉快だという気持ちが滲んでいた。黙って成り行きを見守りながら、何かしなければと焦りが生まれる。片方におそらく守られてはいるけれど、どちらも無断で家に入り込んできたのには変わりないのだ……鞄でも振り回してしまおうか。


「そーんな何代も前のじいさんの名前出されてもなー。僕の質問には答えてくれないしさ」


 ずっと握ったままの彼の右手に光るものが見えた。


「あなたと話してもしょうがないの」

「そう言わないで。聞きたいことは二つ。君の目的とトーヤの居場所だよ」

「……兄さんのこと知ってるの?」


 唐突に兄の名前が出てきて、口を挟んでしまった。


「ねえ、なんなの、」


 兄さんのことを知っているならわたしだって聞きたかった。


「ごめんなさい、また来るわ。ブルクの人間はどうも苦手みたいなの」


 そう言って瞬きの間に彼女は消えた。なんの音もしなかった。理解が追い付かなくて呆然としていると、また新たな声がする。


「リウ、勝手なことをするなと言っていただろう」


 すっかり暗くなった玄関ホールに灯りが点る。廊下の脇のスイッチを入れる音はしなかった。


「あー……ミユも来たから警戒されちゃったのかなー」

「なんだと?」


 続いて廊下も明るくなって、近づいてきた人物も含めて姿が照らし出された。


「せっかくサリタと話ができると思ってたのにさ」

「またそれか……無駄だと言っただろう。あれには無理だ」

「でもランヴァルの人間がいたらちょっとは違ったよ。今まで無視しかされてなかったじゃん。ね、()()()()()()


 背を向けていた彼が振り向き、彼等の顔が瓜二つであるのが明らかになる。艶やかな黒髪に紫の双眸。同じ顔で、それぞれ違った雰囲気を持っていて。

 それよりも。


「……どうしてわたしの名前を知っているの」


 いきなり全部飲み込むなんて無理なのだ。


「なんなのあなたたちは」


 どうして兄のことを知っているのか。わたしのことを知っているのか。あの少女はなんなのか。何もわからないまま押し寄せて来て、怒りが今にも爆発しそうだった。なんだか泣きそうにもなってくる。いい加減にしてと叫びたかった。

 こちらがどう思っているのかわからない彼等の片方が、笑みを浮かべて話し出す。


「僕等はね、トーヤと同じ組織の魔術師なんだよ。トーヤに聞いたかな、名前のない組織。誰か適当に付けちゃえばいいのに」


 ね、と同意を求めて同じ顔のもう一人の肩に腕を回す。身を寄せられた方はそれに動じず、落ち着いた様子で口を開いた。


「私がミユ・ブルクで、こいつが弟のリウ・ブルク。名乗るのが遅くなって申し訳ない。君のことは燈夜に話を聞いていて知っていたんだ。リウ、」

「何?」

「扉を繋ぎ直してきてくれるか」

「え……ええー、ちょっとー、なんで開けたままにしないの面倒じゃん」

「他人の家の玄関を開けたままで上がり込む奴があるか」


 不貞腐れた顔になりながら、リウは彼等が出てきた扉の方に戻って行った。


「悪気があってことを起こす奴ではないんだ。気を悪くしたなら許して欲しい」

「……無茶苦茶だわ。何がなんだかさっぱりわからない」


 声が震えていないか心配になった。

 ミユは身を屈めて目線を合わせてきて、ぎこちない笑顔を作る。こちらは笑うのが下手らしい。


「本当に申し訳ない。色々と突然のことで、理解するのも難しいと思う。けれど私たちは君と話がしたいんだ」


 玄関側から「繋がったよー」と知らせる声がする。どこと繋げているのかわからないけれど、きっと昔聞いたいくつもあるという世界のどこかのことなのだろうと見当をつけて、それなら今すぐ兄がいる場所に連れて行って欲しかった。


「どうだろう、こちらは食事の時間なんだ。一緒の席に着いてもらえるだろうか」


 確かに何かいい匂いは漂ってきている。


「……荷物を置いてきます」

「ああ。ありがとう。扉の前で待っているから、ゆっくり支度をしておいで」


 柔らかな言い方に、どこか燈夜兄さんを思わせるものがあった。彼も年長者だからだろうか。本当に信用していいのかわからないけれど、ミユの言葉は誠実そうに聞こえたので、それに従うことにした。

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