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第二話 愛とは深淵のごとく

「ああ、彼が私のことを好きでいてくれたらどんなに素敵なのかしら」


 ため息交じりにそう呟くのは恋する乙女、イザベル嬢。


 バラのように紅く染まったふっくらとした頬に風にながれる見事なブロンドの髪。愛嬌のある笑い顔が評判のどこにでもいる可愛らしい村娘だ。


 彼女は恋をしていた。


 相手は村一番のハンサム男、チャールズだ。


 彼の事を考えるだけで心臓がドキドキと高鳴り、胸がキューっと苦しくなる。しかしイザベルは生来の恥ずかしがりな性格もあって、愛しのチャールズとまともに会話が出来ないでいた。


 彼ともっと近づきたい。でも、彼を目の前にすると頭が真っ白になってすぐ逃げ帰ってしまう。


 チャールズは顔が素敵で力持ち、性格も優しく、両親もそこそこ裕福という優良物件だ。今はまだ恋人はいないようだが、もたもたしていると他の娘にとられてしまうだろう。


 焦りばかりが高まっていく。イザベルはまだため息をつくと買い物のために居住区から少し遠くにある市場まで足を運ぶのだった。









「やだ、遅くなっちゃった」


 買い物をしている内にあれもこれもと必要なモノを思いだし、気がつくと辺りは夜の闇に包まれていた。


 田舎とはいえ、こんな夜に年頃の娘が一人でいる状況はあまりよろしくない。少し足早に家へ向かっていると、市場の端にぽつりと小さな露店が開いているのが見えた。


 こんな時間に開いている露店は珍しい。しかも市場の中心からはかなり遠い場所だ。


 少し興味を覚えたイザベルはその露店に寄ってみる事にした。これくらいの寄り道ならそう遅くなることも無いだろう。


「いらっしゃイ。ゆっくり見ていてネ可愛いお嬢サン」


 奇妙なイントネーションで出迎えてくれた店主の男は、黒ずくめの衣服に身を包んでいるため、闇の中に顔だけ浮いているような錯覚をしてしまった。


 大きな鷲鼻に小さな丸いサングラスがちょこんと乗っており、頭はつるつるにそり上げられている。


 いかにも不審者といったような怪しさ。イザベルは少し怖くなったが、せっかくここまで来たのだからと気持ちを切り替えて並べられている商品を見た。


 どうやらこの露店は薬を扱っているらしく、ラベルの貼られた薬瓶がずらりと並べられていた。


 普段よく見るような滋養強壮の薬や風薬、傷薬はもちろんのこと、やれ強くなれる薬やら不老の薬やら見るからに怪しいラインナップで見てる分には飽きなかった。


「・・・あら? これは・・・」


 そんな中、イザベルの眼に止まったのは薄ピンク色の液体が入った一本の薬瓶。ラベルには雑な字で惚れ薬と書いてある。


「アイヤーお嬢サン、その薬がお気に入りネ? もしかして今恋しテるかナ?」


 店主の言葉に少し頬を赤く染めながらイザベルは答えた。


「その通りだけど・・・別にこの薬はいらないわ。もし本物だとしてもこの恋は薬になんて頼りたくないの」


 そう、恋は自分の力で為し得てこそなのだ。


「アイヤ! 泣かせるネお嬢サン。私心打たれたヨ! いい話聞けたお礼にこの薬無料でお嬢サンにあげるヨ。お守りに持っていると良いことアルかもネ」


 そう言って大げさなリアクションを取った店主はイザベルにその薬瓶を差し出した。使う気は無いのだが、せっかく無料でくれるというのだ。貰って置いて損は無いだろう。


「・・・それじゃあ貰って置くわね」


 そう言って瓶を受け取ったイザベルを、店主はどこか歪な笑みを浮かべて眺めていた。










 イザベルは今日も彼を眺めていた。


 部屋で縫い物をしながら窓を開けると、ちょうどそこから見える彼の畑。そこで汗をながしながら畑を耕す彼をそっと眺めて幸せな気分に浸るのだ。


 ここはイザベルの特等席。


 誰にも邪魔されず彼を独り占めする素敵な時間・・・・・・しかし何事にも変化というモノは唐突に表れる。


 いつものように畑仕事を終えた彼に来客が現れた。


 それは可愛らしい茶髪の女の子。


 手にはタオルと冷たい水の入った瓶。


 彼は彼女にそっと笑いかけ、水を受け取ってそれを飲み干した。彼女はそれを幸せそうに見つめ、手に持ったタオルで彼の額の汗を拭う。


 それは幸せそうな。本当に幸せそうな光景だった。


「・・・・・・・・・嘘」


 イザベルは自分の世界がガラガラと崩れてゆくのを感じた。









「・・・だめよイザベル・・・だめ、それだけは・・・」


 視界がチカチカと点滅する。


 頭はぼんやりともやがかかったように不鮮明で、まともに思考ができない。


 ふらふらと伸ばした右手の先にあるのは先日怪しい薬屋から貰った薄ピンク色の媚薬が入った薬瓶・・・。


「だめ・・・なのに・・・」


 ああ、頭の中で先ほどの光景がフラッシュバックする。


 微笑むチャールズ。


 幸せそうに彼の汗を拭う茶髪の女・・・。


 嫌だ


 嫌だ


 嫌だ。


 彼が他の女と一緒にいるなんて耐えられない。


 あの微笑みが自分以外に向けられるなんてあって良いはずが無いのだ・・・。


「・・・・・・ごめんなさい」


 ぽつりと呟いたその言葉は誰に向けたものなのか。


 イザベルは禁断の薬を手に取った。












「買い物に行ってくるわねアナタ」


「ああ、気をつけて行ってくるんだよイザベル」


 あれから数年後、見事チャールズの心を射止めたイザベルはついに彼と結ばれる事となった。


 幸せな家庭。


 彼の優しい視線は自分だけのもの・・・。


 薬を使った後悔なんて無い。だって、今のイザベルはこんなにも幸せなのだから。








「少し、遅くなっちゃったかしら」


 買い物に夢中になってしまい、気がつくと辺りは夜の闇に包まれた。旦那も心配しているだろう、イザベルは早足で帰路につく。


 夜は少し冷える。


 手に息を吹きかけて暖めながら歩いていると、不意に後ろから声をかけられた。


「・・・・・・見つけた」


 背筋が凍るような冷たい声。遅れて聞こえた刃物で肉を抉る湿った音と供に背中に激痛が走った。


「・・・え?」


 力が入らない。


 イザベルは力なくしゃがみ込むと振り返って襲撃者の姿を見た。


 可愛らしい顔をした、茶髪の女の子・・・。


 記憶にある幸せそうな顔とは違い、眼は殺意でギラギラと輝き、見事な茶髪は手入れをしていないのかボサボサになっていた。


「やっと見つけたわよ、この泥棒猫」


 そう言って右手に握っていた大ぶりのナイフを振りかざす。


 ああその刃は血に濡れて、月明かりをきらりと反射するのだった。










「イヤー怖いネ。こんなに月が綺麗なのニねー」


 どこからか現れた胡散臭い男がゆっくりと死体に歩み寄る。


 ずたずたに切り裂かれたその死体が、襲撃者がどれほどの殺意を持っていたかを物語っていた。


「まあ、愛に生きると決めてあの薬使ったんだヨネ? なら愛に殺されるくらい覚悟の上だろうネ」


 そう言ってもう一度「怖い怖い」と呟くと、男は夜の闇に消えてしまった。


 残された愛の残骸は月の明かりに照らされて、見るモノに愛の凄惨さを刻みつける。



 




 ここは市場の外れの薬屋さん


 珍品名品なんでもござれ


 効果のほどは折り紙つきだがご使用は自己責任でお願いいたします。



 では、またのご来店をお待ちしております。


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