俺は平穏を手に入れたい
初恋は実らない。
世の中の確率の程は知らないが、俺に限って言えばばっちり当たってる。
だって、初恋のK先生は、幼稚園前で倒れた過労のイケメン営業マンを介抱したことで、そいつとくっついてしまった。あの絶妙な細目と上向いた鼻と顔のエラを気にしているところが、最高に可愛かったのに。
「せんせい、かわいい! けっこんして!」
懸命にアピールしていた4歳の俺に、三郎君は優しいねと泣きそうな顔で微笑んできたあの女神はもういない。
その代わりに俺に立ったフラグは、先日たまたま助ける形になったひったくり被害の女性が、同じく当時幼稚園にいたR先生だったことだ。父兄からどよめきが上がる美女だった彼女は、あの頃から変わらない麗しい顔を赤らめ、「君……」と呟いていた。
イヤイヤ、見ていたはずだ。曲がり角からちょうど出てきた俺の足が、逃走する犯人に引っかかってこけてしまったところを。おうっとかなんとか情けない声を出した俺が、尻もちをついた挙句に降ってきたバッグを腹で受け止めたところを。
何一つかっこいいことはしていない。かけつけた大学生くらいの若者が、呻く男を取り押さえている。スゲーな、筋骨隆々。ラグビーでもやってそう。通報する友だちらしき男も含めてイケメンだ。
R先生、ほら、かっこいいのはあの人たち。バッグはお返ししますけど、ときめく対象が間違ってますよ。お名前を、なんてR先生が細腕ですがってくる。名乗る名前はありません、そう言って俺は全速力でその場を後にした。
俺は、「女は結局イケメンが好きなんだろ」なんてことは言わない。世の中十人十色、好みは人それぞれだ。俺だって美人には興味がない。
俺が好きなのはブスだ。百人が見て百人がブスだと頷くような女がいい!
そんな女が、見た目を気にして必死に装ったりする姿が好きだ。ブスなのに――否、ブスだからこそ頑張ってる、その健気さがたまらない。頑張らないブスも好きだ。己の顔面を受け入れ、もしくは諦め、ありのままにその容姿をさらけ出しているのもいい。
ブスですが何か?
そんな表情で町を闊歩する、妙齢のブスがいたとしよう。道行く人は視線をちらり、これは結構なブスだと感想を持つ。その瞬間、人々の心には彼女が確かに存在している。ブスとしての威厳を見せつけ、女は去っていく。
ああ、かっこよすぎる。惚れるしかない。俺にとってブスとは褒め言葉だ。最大級の賛辞だ。
とにかく、ブスがいい。最低限の清潔感と礼儀があれば、諸手を上げて歓迎だ。美形はお呼びじゃない。
綺麗だとは思う。俺とて美醜が分からないわけではない。だが、それは例えば桜の花を見て、おーと感心するようなものなのだ。大抵の人は見事なものだと褒めて終了、俺も同じだ。それ以上の感情を持たない、ただそれだけ。
もちろん、花に並々ならぬムラムラ……想いを抱く人がいたなら否定はしない。お互い、センサーの赴くまま謳歌すればいい。
ここまでくれば、さぞかしお前はイケメンなんだろうと考える人も出てくるだろうか。
K先生とリーマンの件があるからな。お前だってあと十年ちょっとすればワンチャンだったんじゃとか思ったりしていますか。嫉妬に狂っていますか。イケメンだからってブス連呼とかありえねえって歯ぎしりしていますか。女性の尊厳を踏みにじってるって激怒していますか。
そうだな、そしたら少しは違っていたんだろうか。
俺は、紛うことなきモブ顔だった。集合写真で飲まれるタイプの顔だ。目立つほどガリでもなく、デブでもなく。キモいと徹底的に避けられるわけでもなく、騒がれるルックスでもない。
学園アニメで烏合の衆として描かれる生徒を思い出してほしい。声も当てられず、ただ背景として描かれるちょっと作画の崩れたしょっぱい見た目だ。
ブサイクと評するならそれでもどうぞ。とにかく、イケメンではないことが分かってもらえればいい。
そんな男が、万に一つの最悪な奇跡に引っかかってしまったのか、とにかくモテた。
誰にって? 数ある美形にだ。何の因果か、老若男女ありとあらゆる美形に俺は好かれまくった。
よくあるだろう、フィクションで。「はわわ、こんな俺僕私が美形に愛されて~!?」というやつ。あれだ。
ただのやれやれ系なら、なんだかんだそのうちの誰かとくっついていたかもしれない(俺はノンケなので女に限られるが)。
だが、俺はブスが好きだった。ブスだけを求めていた。モブ顔を選んでいただくためにもこちらの努力は必要だが、そうして添い遂げてくれる一生もののブスのためなら何の辛さもなかった。ただ平穏に、俺はブスを愛でていたかったんだ。
それなのに、全く好みでない美形たちに迫られまくって、俺は疲弊した。まだ羨ましいとか言ってる奴らがいるなら、自分に置き換えて逆のパターンを考えてみろ。美形が好きなのに、寄ってたかってブスとブサイクが集まってくる。より取り見取りのブスとブサイクに四六時中求愛される。勝手にフラグが立って、勝手に惚れられる。
……いいなあ、ブスだけ俺にくれ。そうか、こういう気持ちなのか。
さて。モブ男を巡ったドロドロの争いに疲れ果て、もみくちゃにされ、引っ張りまわされた俺は。気づくと、駅のホームから転落していた。一緒に逝こうよと抱き着いてきたツインテール美少女はヤンデレ代表のMさんだ。昏い瞳で俺を捕らえて、これでずっと私だけのものなんて言ってくる。
そんなのごめんだ。あの世でくらい、ブスをナンパさせてくれ。
俺は渾身の力で美少女をホームに押しやると、向かって来る電車の前に一人投げ出された。
そして、今がある。
「イアン!」
呼ばれて、俺は振り返った。
イアン。それが俺の今の名前だ。この最高にしょうゆ顔でイアン。笑っちまうが、俺を拾ってくれた親方がそう名付けたのだから仕方がない。
子どもに恵まれなかった夫婦の元へ、神から御慈悲が与えられた。海辺に倒れていた俺はそう形容されて親方の元に迎えられた。当時は記憶喪失になっていたため、周囲が明らかに外国の風景、住人であっても違和感は感じなかった。言葉の不便がなかったこともある。
それがどうも異世界というやつらしいと気づいたのは、親方が口から噴いた炎で暖炉に点火する場面を見た時だ。普通は口から火を出したりしない、ドラゴンじゃあるまいし。
え、ちょうどドラゴンがいる? 山の上を飛んでいるのが窓から見える? オイオイ冗談も程々に――本当だ、いた。
何もかもを忘れてしまっていたが、これは何かがおかしい。本能でそう思った俺は気絶した。
摩訶不思議なことに出会う度、よく俺は倒れた。キャパオーバー、一種の防衛反応だと思うのだが、そのせいで一際身体が弱いと認識されている。皆のような力(魔力というらしい)を持たない、記憶をなくした素性不明の怪しい男。間違いなく厄介者のはずだが、周囲はよくしてくれた。その恩には報いたいと思っている。
「こんな潮風に当たるようなところにいては駄目よ。風邪をひくわ」
「エリザ」
駆け寄ってきたのは、隣家のパン屋の娘エリザベスだ。お気づきかもしれないが、美人である。赤毛にエメラルドの瞳で、そばかすがチャームポイント。愛嬌たっぷりにくるくるとよく働く、村で評判の看板娘だ。
「海を見ていたの?」
「うん」
問いかけにただ頷いただけだったのだが、エリザは切なそうな顔をした。
発見された時の俺は大いに服が乱れ(美形共の取り合いにより)、殴られたような跡があり(争う女の子のバッグが鳩尾にめり込んだ)、首筋に鬱血痕がついていたりして(虫刺され。盛大な誤解を生んで揉め事になった、最たる原因)、お察しな状態だったらしい。
諸々の事情でインドア派だった俺は特に日焼けもしておらず、ガタイの方も西洋系の彼らと比べるとどうしても小柄に見えた。
それらを鑑みて、どうも「そういう場所」で売られそうになっていたところを逃げ出してきたようだと推測が為された。つまり、ショックで記憶を失っているのだと。夜中、親方夫妻がこっそり話しているのをトイレに立った時に聞いてしまった。
だから、村の人間は俺にとやかく言わない。むしろ、記憶を取り戻そうとする俺を止めるほどだった。エリザもその一人で、俺が時々こうして海を眺めているとすっ飛んでくる。実はこうして回想できるくらい記憶が蘇っているのだが、あちらのことを話しても到底信じてはもらえないだろう。よって秘密にしていた。
「イアン……」
俺はふいに背後から抱きしめられた。
大丈夫よ、大丈夫。
子守唄のような囁きが耳元で響いた。温かくて柔らかい。彼女の気質に合った優しい匂いもしたし、嫌ではなかった。あくまで親愛の情だとは追記しておく。
エリザのママは割といい感じの素朴なぽっちゃりブスなのだが、旦那はスーパーイケメンだ。一人娘はパパに似てしまったようで、非常に残念なところ。
「帰りましょう。ね?」
エリザはいい子だ。本当に。だから、イケメンと幸せになってほしいと思う。そして、俺好みのブスが残る世の中の一手になってくれ。
共に村へ戻りながら、俺は暮れなずむ山々を見つめた。