第5話
気持ちのいい晴れ晴れとした青空、うざったいぐらいの蒸し暑さ。ケチのつけどころの
ない快晴になったが、剣道日和とは間違っても言えない。
うだるように熱を帯びる中、北野莉子は県大会の当日を迎えていた。
熱の波動すら見えそうな会場で、完全防具を装着しての試合。一般人がやれば数分でお
手上げだが、これまでの長い経験がある莉子には慣れっこといえた。むしろ、「試合はこう
でなくっちゃ」と当然のような環境だ。この熱気がパワーの源となり、自分自身の体の中
にある熱になってくれるほど。
「えやぁっ!」
その掛け声とともに、莉子は対する相手を次々に倒していった。年下に同学年に年上、
構うことなく剣は正確に捉えていく。県下何位という腕前にふさわしい剣さばきで、彼女
は着実に勝ちあがった。
「莉子ちゃん、いいねぇ。このまま、いくとこまでいくんじゃない?」
「そんな簡単じゃないって、ちょっとでも油断したらやられちゃうよ」
午前の部が終了し、午後の部までの休憩時間に待井一音と林部右太と合流した。
一音の作ってきてくれたお弁当を囲みながら、束の間の休息に心を落ち着ける。
「にしても、匠からはまだ連絡ないの?」
「ないねぇ、あいつはありとあらゆる欲に弱い子だから」
この日も当たり前かのように、匠は睡眠欲に負けていた。
「ったくさぁ、一応こっちは4人分でお弁当を作ってきてんのに。そりゃ、匠が寝坊する
ぐらい計算済みだけど、念のために作ってあげてるってのに」
「大丈夫だよ、右太が2人分食べてくれるから」
「俺? 俺はあんまりバカ食いする方じゃないんだけどな」
「だって、私はこれから試合あるから食べすぎれないし。だからって、作った本人に2人
分も食べさせるっていうの?」
「はいはい、食べさせてもらいますよ」
そう言われちゃおしまいだ、右太はあきらめがつく。
会場に流れたアナウンスで、莉子は次の試合の準備へ向かう。
体育館に降りようと一旦外に出たとき、視界に入ったのは匠の姿だった。寝癖がついた
ままの髪に、何も考えず近くにあったものを取ったような雑な服装。夏休みで完全にオフ
モードに入った学生を画にしたら、きっとこんな感じになるのだろう。
思わぬところで偶然に会ってしまったせいか、なんだか気まずいぐらいの空気が流れる。
「たっちゃん、来てくれたんだ」
「あぁ・・・行くって言ったし」
少し空いてしまう間を埋めてくれたのは、ミンミンうるさいセミの声。
「しっかし、暑っちぃよな」
おそらく自転車でここまで来たであろう匠は、顔からまだ汗が出ていた。
「そうだね、見るからに暑そうだし」
「お前、あんな防具なんか着けて暑くないの?」
「暑いに決まってんじゃん。でも、動いてると案外気持ちいいもんだよ」
そう、匠は言いながら流れる汗をシャツの袖で拭く。
「まだ勝ち残ってんだろ?」
「うん、これからベスト16」
「そうか、まだ残ってんならいいか」
遅刻したって、隠れていた言葉を莉子も読み取る。
「でもね、一音は「せっかく4人分のお弁当を作ってきたのに」って怒ってたよ」
「マジ? やべぇな、おい」
「今ならまだ余ってるかもしんないから行った方がいいよ」
あぁ、そう言って匠は振り向こうとする。それを途中でやめると、また元に向き直して
言った。
「・・・・・・頑張れよ」
目線はずらしていた、それでも莉子の心には届いた。
「うん、頑張るよ」
そう2人は別れた、莉子は匠の言葉を体の中に押し込めるように胸に手を当てていた。
ベスト16の相手は1年生、彼女に対して2年生の莉子が昨年に勝ち上がっていた様を
思い浮かべることもできた。昨年の自分は全力で向かっていくだけだった、言葉は悪いが
「やけっぱち」というぐらいに。
ただ今の自分は違う、その相手に負けるわけにはいかなかった。ここで負けたら、昨年
の自分自身に負けてしまうような気がするから。
「えやぁっ!」
試合時間は3分16秒、瞬間技で取った小手、会心の胴での2本先取。
安堵の息をもらす、最低限といえる位置まで来ることができて。昨年と同じベスト8入
り、なんとしてでも勝ち残らないといけないところまでは来れた。
準々決勝の相手は2年生、同学年となれば余計に負けるわけにはいかない。
昨年は3年生に負けた、1年生の莉子には実力者の2つ上は敵わない相手だった。ただ
同い年なら負ける気はさらさらしない、勝つことしか頭に浮かべれないぐらい。
鬼門となる試合にも不思議と緊張感はさほどしかなかった、彼女はプレッシャーを力に
変えられるタイプだったから。
試合時間が迫ると、莉子は胸のあたりにそっと手を乗せる。
「・・・・・・頑張れよ」
さっき匠から貰った言葉を心内で唱える、精神が和らいだ。
「えやぁっ!」
試合時間は5分いっぱい、気合いで取った面1本での勝利だった。
試合場を後にすると、集中から解き放たれて嬉しさが込み上げてきた。念願のベスト4
入り、目標にしていた位置まで来ることができた。
「すごいねぇ、莉子」
2階の応援席から試合を見ていた一音は零れるように言う。
「もしかしたら、このまま勝ってっちゃうんじゃない?」
昼食のときの一音の言葉は現実味がなかったが、今の右太の言葉にはリアリティを感じ
れた。
「おいさん、どう思うよ」
ただ下を眺めてるだけの匠に聞く。
「さぁ、相手の強さ次第じゃない?」
「なんだよ、ずいぶん乾いた答えだな」
知るか、そう言いたげに匠は視線を下に向ける。
準決勝の相手は3年生、さすがに年上となると萎縮する部分は少なくもある。学生生活
の部活なんて縦社会のようなもので、たとえ実力主義といえど年功序列が主とされるのは
確かだ。その中で生活をしている莉子には、年上というだけで引いてしまうところは自然
とあった。
それでも負けられない、ここに勝てば自動的に全国大会への切符が約束されているから。
さすがに彼女にも緊張が芽生えてく、全国の夢の舞台に手を掛ける試合に臨む状況に。
なのに不思議だ、胸の内が高鳴りとともに躍っていくのも感じれて。
フッと莉子は後ろを振り返る、上を見上げると匠と一音と右太の姿が見えた。
莉子の様子に気づくと、一音と右太は
「頑張れ〜」
と手を振って応じてくれた。
匠は隣の一音に肩をたたかれて、仕方なしといったようにグッと握り拳を見せる。いつ
もと変わりない仲間、初めて大会を見に来てくれた恋先。
莉子はニヒヒッと笑いながら面をかぶって、意気揚々と試合に挑んだ。自分でもよく分
からないパワーがみなぎるのを感じれる、こんなことは初めてだ。
「えやぁっ!」
試合時間は7分22秒、相手の面が入った後、莉子のフェイクからの面が入り、延長戦
で接近戦からの莉子の抜きの小手が決まった。
自分が信じられなかった、面の中では見開いた瞳と開いた口が隠れている。
試合場を降りると、外した面をギュッと抱きしめて喜びをかみしめた。
全国大会、自分になんか夢のまた夢だと思ってたのに。中学時代から地元では指折りと
いえたけれど、県レベルになれば小粒でしかなかった。そんな自分が全国に行けるなんて、
そう夢心地になって莉子は愛用のぬいぐるみのように面を強く抱きしめる。
「おめでとう、北野さん」
「あっ、はい、ありがとうございます」
声を掛けられ、莉子はようやく現実に戻る。
「僕もさっき準決勝に勝って、全国決めたんだ」
「ホントですか? おめでとうございます!」
「うん、ありがとう」
先輩も全国大会行きを決めていた。莉子にはそれを心から祝福することができた、今の
彼女はそれがどれだけ嬉しいことか分かるから。
「北野さんはすごいね、2年生で全国行っちゃうなんて。僕も今年が初めてなのに、大し
たもんだよ」
「いえいえ、私はまぐれですから」
「そんなことないよ、北野さんが努力してるのは分かってるから。じゃあ、この後の決勝
も頑張ってね」
「はい、先輩も頑張ってください」
手を振りながら離れていく2人を、上から仲間が見ていた。
「あれって、誰?」
「おやぁ、匠も気になっちゃったかな〜」
「うっせぇ、そんなんじゃねぇし」
気になったのは気になった、莉子が仲間内以外の男と親しげにしてるのは。
「あれは剣道部の主将の見渡当真先輩、ルックスもよくて下級生から人気あんのよ」
「へぇ」
「もち実力も折り紙つき、さっき先輩も決勝に勝ちあがってたし」
「ふぅん」
男の試合なんて気にしてなかったので、一音の言葉は全てが初耳だった。
言おうか言うまいか、悩んだ結果に一音は真実を今は黙っておくことに決めた。
決勝の相手は3年生、莉子も顔と名前が一致するほど県下では有名な選手だった。
まるで有名人に街で遭遇したしまったような雰囲気になる。駆け出しのアイドルが大物
芸能人とマンツーマンでトークするような。
最初から呑まれては負けだ、そう自分に言い聞かせる。
せっかく匠が見に来てくれてるのに、無様なところだけは見せられない。
「えやぁっ!」
試合時間は3分44秒、相手の面と胴が入っての2本先取。完敗だった、気持ちでも技
術でも相手が勝っていた。
そのまま男子の決勝を見学した、見渡も決勝で惜しくも負けてしまった。ただ自分のと
は違う、拮抗した力での試合だった。
「ハハ、格好悪いところ見せちゃったかな」
「そんなことないです、すごかったですよ」
試合を終えた見渡を莉子が出迎える。
「いやぁ、ビシッときめて全国にいきたかったんだけどね」
「いえ、どっちが勝ってもおかしくない試合でした」
「北野さんも残念だったね」
「私は全然です、本当に全国なんてまぐれみたいなもんです」
「そんなこと言わない、実力で勝ち取ったんだから」
見渡の言葉に、莉子は恐縮と笑みをこぼす。
「莉子ちゃん、ホントにあんたは友達として誇り高いよぉ」
着替えを終えて2階に上がると、いきなり一音に抱きしめられる。
「そんなことないよ、たまたまだから、たまたま」
「いいんじゃない? たまたまでも全国に行けたら万々歳ってもんさ」
そうだね、右太からの言葉に莉子もそう笑みを見せる。
「おいさんも何かお祝いの言葉の一つでも言ってやんなよ」
帰り道、4台の自転車がバラバラに走る中で右太から言われる。
匠は何を言ったらいいか悩む、それを察するように莉子が言う。
「いいよ、どうせ優勝できなかったんだから」
自分自身をすぼませるような言葉で納得させるつもりで。
「・・・・・・そんなことねぇんじゃん、俺よく分かんねぇけど。全国行けるなんて結構
すごいんだろ? だったら、素直に喜んでいいと思うけど」
やっぱり匠だと思った、自分が沈みそうなときには引き上げてくれる。
「そうかなぁ?」
「そうだろうよ」
「そうかなぁ!?」
「おぉっ!」
「そうかなぁ!!?」
「おぉよっ!!」
力いっぱい張り上げた声のやり取りに、2人ともアハハと大笑いする。2人でこんな笑
い合ったのは久しぶりだ、それを後ろから見ていた一音と右太も笑っていた。
「ありがとうね、今日は来てくれて」
「いや、良いもん見せてもらったから」
一音と右太と別れた後、莉子は匠の家にお呼ばれになった。匠の家まで自転車で着き、
帰ろうとすると声を掛けられる。
「せっかくだから、上がっていけば」
「えっ?」
「お祝い代わりに、夕食作ってやるから」
「ホントに?」
「そちらさんの剣道に見合うような料理の腕前は持ち合わせてませんけど」
「うぅん、ごちそうになります!」
彼からお祝いなんかあると思ってなかったから、思いのほかに驚いた。匠の方から自主
的にごちそうしてくれるなんて、いつぶりだろうか。
「リクエストはありますか?」
そう言われ、迷うことなく答える。
「ミートソーススパゲティ」
「また? 別に他のでもいいんだけど」
「いいの、私はそれが」
はいはい、匠はそう台所に向かう。
莉子は自然と顔がほころぶ、彼の後ろ姿を見ながら。構わずに料理を続ける匠の後ろで
莉子は喜びの灯火をともした。
「いただきま〜す」
出来上がったミートスパゲティとサラダを2人で食べる。サラダにはちゃんとキュウリ
が入っていた、莉子の手紙を覚えててくれたようだ。
2人の関係はどう見ても順調だった、傍からすれば一目瞭然といえる。
ただその優しさには、相手への必要以上の気遣いが備わっていた。もう、裏では大きく
展開は変わりだしているのが現状だった。
夏休みも中盤に差し掛かり、8月の空に浮かぶ太陽はこれでもかと大地に光を浴びせて
いた。
体育館でバスケ部の練習に参加していた一音は、
「ねぇ、誰か呼んでるよ」
と言われて出入り口に立っている人影の方へ向かっていく。
「どうしたのよ」
「うっす」
意外な来客に、一音は何事だろうと思う。
「なんで学校にいんの?」
「追試の答案を受け取りに来た」
匠は1学期末のテストで赤点を出し、先日受けた追試の結果のために学校に来ていた。
赤点を出したとき、目の前の一音が
「うっわ、ダサッ!」
と顔をゆがませて言ったのは今でもすぐ思い浮かべられる。
「そんで、どうだったの?」
「パスしたに決まってんだろ、そう何回も落ちるかよ」
「よかったじゃん、っていうか赤点取るのがあり得ないんだけど」
というか、もし落ちていたら体育館になんか来てやしない。そんなもの、わざわざ一音
に笑われに来るようなものだ。
「でっ、何か用?」
あぁ、その言葉で逸れていた話題を元に戻す。
「お前さ、何か莉子から聞いたりしてない?」
「はっ、どういうこと?」
回りくどい言い方に、話の真意が全くつかめない。
「右太がさ、何日か前あいつが男と楽しそうに話してんのを見たって」
それで一音には分かった、彼女のところにも右太から電話がきていたから。
「さぁ、っていうか男と楽しそうに話すぐらい普通にあるでしょ」
なんとかごまかそうとする、右太にもそう諭した。
「でもさ、右太がいろいろリサーチかけたみたいで。剣道部のやつから、最近あいつと部
長が結構仲良いってウワサが立ってるらしいんだよ」
あんのバカ、一音は心の中で右太に「よけいなこと」と叫ぶ。
「お前なら、なにか知ってたりするんじゃないかなって思って」
「なによ、だから普通に話すぐらいあるって言ってんじゃん」
また一音はごまかそうとした、それに胸の内が少し痛む。
「そうか、そうだよな」
分かった、そう言うと匠はその場を離れようとする。
一音はどうしようか悩んだ、言うのか、言うまいか。言ったら2人の関係にヒビが入ら
ないだろうか。
でも、言ったことで匠に発破をかけることもできるし。
ウワサが立ってるってことはいずれ匠の耳にも届くだろうし、そこまでウワサが大きく
なってからじゃ逆に事がややこしくなるかもしれない。
「ねぇっ」
帰ろうとする匠を呼び止めると、一音は全てを話すことにした。
校舎の奥の方の一目につかないところまで行き、真実を話し出す。
「莉子ね、さっきも言ってた見渡先輩から告白されたの」
「・・・・・・マジ?」
コクッ、一音はうなずく。
「夏休み入ってからだから最近なんだけど、付き合ってほしいって言われて」
「・・・・・・でっ?」
「考えさせてください、ってその場では返事しなかったみたい」
「・・・・・・そう」
初めて聞く話だった、彼女からの手紙にそんなことは一切書かれてなかったし。
「この前の剣道の県大会のとき、2人で仲良さげに話してたりしたじゃん。なんか楽しそ
うな感じだったし、断る理由はないのかなぁって思う」
あぁ、そう素っ気なく答える匠に一音は不満を覚える。
「でも断る理由があればいいんだよ、誰か別の男がいるとか」
その「誰か」という漠然とした言葉が特定の人間を差しているのは、言われた側にも感
じれた。
「なんだよ」
「なんだよ、じゃないでしょ。莉子、他の男に取られていいの?」
「知らねぇよ、なんで俺が出てくるんだよ」
こいつ、この期に及んでまだしらばっくれる気か。
「今じゃんか、今言わないで一体いつ言うってのよ」
「はっ? 言ってる意味が全然分かんないんですけど」
信じられない、開いた口がふさがらなかった。匠にムカつくのは年中だったけど、さす
がに今回は呆れてものも言えない。
「莉子が見渡先輩と付き合ってもいいの?」
「・・・・・・まぁ、本人がそうしたいなら、そうすればいいんじゃないの」
バシッ、匠の言葉を聞いた瞬間に一音は手が出ていた。
「あんた、最低だよ」
低い声だった、上っ面の言葉じゃないのはすぐに分かった。
「今まで最悪だとか言ってきたけど、今度という今度は見損なったよ。あんたみたいなの
に莉子の近くにいてもらいたくない」
一音は瞳を潤ませたまま、その場を走り去っていく。
痛みはさほど気にならなかった、それよりも匠は心が痛んでいた。いつもなら必ず言い
返していたはずのところなのに、何も言葉が出なかった。
「どうしたの、すごい剣幕で」
「いいから、こっち来て!」
一音は剣道場で練習に励んでいた莉子を訪れる。
「なに、何があったの?」
「もぉおっ、あいつムカつく!」
一音の怒りの理由が分からない莉子には、なにがなんだかさっぱりだった。
「落ち着いて、聞いてあげるから」
「莉子、あんなやつ絶対やめな!」
「はっ? なにがよ」
「もぉ、今回こそは許さないんだから!」
頭の整理がついてないため、なんとか話せるまで一音をなだめる。
「一音、ちゃんと1から話して」
「匠よ、あいつは莉子のことなんか何も考えちゃいないんだから!」
余計に分からなくなる、どうして一音は匠のことでこんな怒ってるんだろう。彼女が匠
にムカついてるシーンは幾度となく目にしてきてるけど、今にかぎってはそれとは明らか
に違う。
「たっちゃんがどうしたの?」
そう聞くと、一音も深く息をついて自分を落ち着けて先刻の一部始終を伝えた。
「たっちゃんが・・・そう言ったの?」
「そうよ、白を切るにも度を越えてるのよ」
「・・・・・・そう」
耳を疑いたかった、いくら匠でもそれは信じがたかった。
「あんなのと一緒になっても幸せになれないよ、莉子も目を覚ましな」
「・・・・・・ありがとう、教えてくれて」
莉子は笑みを見せる、いやに焦点の定まってない笑顔だった。
昼休憩の時間になっても、一音の怒りはおさまらなかった。
校舎の屋上で右太と昼食を食べているときでも、無性にイライラしてくる。せっかく早
起きして作った2人分のお弁当なのに、味も半減だ。
夏休みは教室で昼食を摂らなくてもいいので、これはチャンスだと一音は勇気を出して
右太を誘うことに成功した。
屋上にはカップルが集まることが多く、彼女には念願といえるシーンの実現だった。そ
れなのに、今日にかぎっては嬉しさに勝る感情が自分の中にうごめく。
「あいつ、バカだな」
「でしょ? 信じられないよ、もう」
隣にいる右太にも先刻の一部始終を伝え、彼もまた匠の対応に失望する。
「何のために、俺がわざわざリサーチかけたと思ってんだよ」
もちろん、莉子と見渡がくっつくのを事前に防ぐためだ。2人の関係を防ぐため、匠が
莉子に想いを伝えることを信じて。
「私もだよ。2人のためを思って、匠に全部言ったっていうのにさ」
莉子と見渡のことを言えば、さすがに危機感を抱いて重い腰をあげると思ったのに。
それどころか、あっさり莉子のことを遠ざけるなんてどうかしてる。
「匠が「好きだ」って言って、莉子が「私も」って言うだけじゃん。それで全てがうまく
いくのに、なんで出来ないのかなぁ。莉子はさ、頑張って剣道の試合に誘ったり、手紙を
届けたりしてるんだよ。匠だって、少しくらい勇気出せっていうのに」
「・・・・・・このままじゃ、あの2人まずいことになるぞ」
右太の危惧は正解だった、一音だって分かっている。ただ彼らにやれることには限界が
ある、それを充分なくらいやったはずなのに。
もう祈るしかなかった、あとは本人同士がうまくやってくれるように。
莉子はその日の帰り道、匠の家のインターホンを鳴らした。
毎日ここには必ず寄って玄関ポストに手紙を入れていくのだが、今日は直接話をするこ
とに決めた。
「たっちゃん、今いい?」
「・・・・・・あぁ」
会話はぎこちなかった、前に踏み込みたいのに後ずさりしてしまう妙な心内で。
「今日ね、一音が私のところに来たの」
匠は目をつむる、この展開はもちろん優に予想できたことだが。
「一音から聞いたんでしょ? 私が先輩に告白されたこと」
「あぁ」
莉子は少し悩む、普段の明るい自分を見せようか、会話に合った探りを入れるような自
分でいようか。
「まったく、モテるとつらいよね。どうしよっかな〜、なんて」
前者を取った、極力の笑顔を見せようとする。
「正直なところ悩んでるんだよね。先輩は人気もあるし、人柄もいいし、私じゃもったい
ないのかなってぐらいで」
匠はただ聞いていた、視線は合わせたり合わせなかったりする。
「たっちゃん、どうしたらいいと思う?」
思いきって聞く、莉子は心内をグッと構える。
「・・・・・・一音に聞いたんだろ?」
匠も探るように返す。
「あぁ、自分で決めればいいじゃん、ってことだっけ? でもさぁ、せっかくだから客観
的な意見も聞いてみたいんだよね」
「なら、俺じゃなくて右太の方がいいんじゃないの?」
お互いの本音を探り合う、その言葉をお互いにはぐらかしていく。
「そりゃそうなんだけどさ、たっちゃんは私のことをよく分かってるじゃん。だから、た
っちゃんの意見の方が的を得てるんじゃないかなぁって」
この展開も予想できていた、こうなるのならと匠は考えていた。
「いいんじゃない? そんな良い人なら付き合ってみた方が」
「えっ?」
思わず匠の方を見た、彼の言ってることが分からなくて。
「いろいろ聞いてるかぎりだと断る理由なんかないじゃん、付き合ってみれば?」
莉子は唇の内側の方をグッとかむ、「本気で言ってるの?」と言いそうになったのをおさ
えるために。
「俺は俺で、ちゃんとやってっし」
「えっ?」
鼓動が早まっている、経験ないような歪な間隔と強さで。
「実はさ、終業式の日に俺も告白されちゃったんだよね」
「へっ?」
漏れるように呟く、もう莉子は自分の心内をコントロールできなくなっていた。
「同じクラスの子なんだけど、好きって言ってくれて。最初はどうしようかって考えたん
だけど、そう言ってくれるんならって思って。お前のと同じだよ、断る理由なんかないか
ら付き合うことになった」
「もう・・・付き合ってるの?」
「あぁ。だからさ、お前もその先輩と付き合ってみれば?」
それ、本気なの?
「・・・・・・そっか、そうだね」
どうしてよ、どうしてそんなこと言うの?
「たっちゃんが言うんなら、付き合ってみようかな」
言ってよ、今からでも遅くないから。
「明日から大変だなぁ、剣道部のみんなに冷やかされちゃうよ」
たっちゃん、お願い。
「一音と右太にも言わないとね、帰ったら電話しよっと」
ねぇ、ねぇ、たっちゃん・・・・・・。
「じゃあ、そろそろ帰るね。相談乗ってくれて、ありがとう」
「あぁ」
もう限界だった、これ以上いたら匠の前で泣いてしまう。
莉子は目一杯に自転車を走らせてく、ひたすら目的地に向かって。
匠との思い出の公園の奥まで行き、2人で寝転がった草地の傾斜に着くと莉子は思いき
り泣いた。空のオレンジが暗闇に移ろいでいく様子なんて、まったく気にとめることもで
きず。
莉子が時間を掛けて近づけてきた糸が切れて、また2人は遠ざかった。自分が情けなく
てたまらなかった、こんなに好きなのに何もできない自分が。
匠は自分の部屋の壁にもたれたまま、何も考えず無になっていた。
ただ無意味に時間だけが流れていく、何度ため息をついたかは分からない。
気がついたときには辺りは真っ暗だった、手にした携帯のボタンを押していく。
「もしもし、平尾ですけど」
電話の相手は間村小鳥だった、その声はどこか緊張してるように感じれる。
「この前の返事なんだけどさ、俺でよかったら付き合ってもらえませんか」
電話の向こう側では静かな時間が流れ、やがて抑えきれないように弾んだ声がする。
「うん、じゃあまた」
次の週末にでも2人で出掛けようかと話をして、匠は電話を切った。
匠は嘘をついた、本当は間村と付き合っているわけではなかった。なのに莉子と見渡の
話を聞いて、彼はその場の嘘をついてしまった。
別れ際の莉子の悲しそうな瞳が頭から離れず、どうにもできないもどかしさを抱えてい
く。
今作は全6話ということで、次回が最終話となります。