絶対包囲網
「諸君、どうかこの私と共に歩もうではないか! 輝かしい青春を、その手に! だからどうか、力を貸して欲しい!」
うん、我ながら決まったぞ! 俺は今、壇上で輝いている! これで俺は、きっと新たな一歩を踏み出すことができるのだ!
☆
そして現在、俺は生徒指導室を経由して教室に戻った。心なしか、皆が俺を見て引いている気がするが、気にしないことにした。
席につくと例によってハタケが、そして珍しく桐島も俺のところに来た。桐島は開口一番に
「馬鹿ね、本当に」
と言った。まったくその通りだ。
「やっぱり諸君じゃなくて同志のほうがよかったね」
「そうじゃないわよっ」
スパーン、と小気味よいツッコミが入った。さすがに桐島だ、わかっている。
「まあまあ桐島さん、そう言わないで。ツカサがこうなのは今に始まったことじゃないじゃないか」
おお、心の友よ。君ならわかってくれると思っていたぞ。俺は感動に打ち震えた。
「畠山君、あなたがそんなだからこいつが図に乗るのよ」
「でも、ツカサはこうじゃないとね」
俺はハタケの言にしきりに頷いた。
「その通り、ハタケの言うとおりだぞ。俺から行動力を取ったら何も残らない」
「むしろ私は、その行動力こそなくなるべきだと思うけどね。正直あんた、かなり危ない人だと思われているわよ?」
「危ない! 結構、それでええじゃないか! 普通であっても何も得なことはないぞ」
「あんたの場合、特異って言うのよ」
「まあまあ二人とも……」
言い争いになりそうになったところですかさずハタケが仲裁に入った。俺も桐島も少しトーンダウンしたものの、まだ桐島は俺のことを睨んでいた。何がそんなに、気に食わないのやら。
ハタケの言うとおり、俺は中学時代からこんなものだ。変わっている点と言えば部活に入っているか、入っていないかの差くらいなものである。
まあ、桐島からすれば俺が部活に入っていないことが気に食わないのかもしれない。だが、人にはそれぞれ事情ってものがあるのだ。
ふと、そう言えば桐島にはそのことを話していなかったことを思い出した。さて、どうしたものか。説明するか、しないか。だが、そんなことを考えてどうなるだろう。
ドタドタとすさまじい音を立てて何かが来たかと思うとドアをガラッと明けて入ってきたのはフェアリー西だった。手には、何故か新聞を持っていた。
「村上さん、水臭いじゃないですか!」
彼女は俺を見つけるなりそう言って、するすると机のあいだをぬって俺のところに来た。そして手にしてた新聞を俺の机においた。
「これは?」
「今朝の新聞です。ここの地方欄に村上さんが載っているじゃありませんか!」
「はぁ!?」
俺が驚いたのは言うまでもなく、クラスメートたちもざわつき始めた。
「あんた、ついに罪を犯してしまったのね……」
様々な流言が即座に飛び出すなか、まあまっさきにこう言うあたり桐島は本当に俺を何だと思っているんだ。そもそも新聞に載っていたら俺がここにいるかよ。
ここにきて一番冷静だったのはハタケだった。奴はフェアリー西がさした記事をすぐに読んだらしく、納得の顔であった。
「確かにツカサの名前が載っているね。もっともインタビューのなかで出たくらいだけど。ほら、ここ」
「なにぃ、俺が何でインタビューのなかに出るんだい」
俺のような路傍の石にどなたが何を仰るって。俺はハタケの指差した箇所を見た。そしたら確かに、と言うかこれは……!
「そうです村上さん! あの強豪校、連山工業に入学してわずか一ヶ月で四番の座を奪った期待の新星、内村選手が村上さんのことについて語ったんです!」
フェアリー西が興奮気味に話す。それを聞いて次第にクラスメートたちのざわつきも、具体的なものになってきた。
「連山工業って?」「ああ、野球の強い」「キモオタクと一体どんな関係なの?」「そう言えば聞いたことがある、確かに青中のエースの名前が」
聞こえてくる、そしてそれは確実に俺の首を絞めるものだった。不味い、不味いぞこれは……! しかし、そんなことを意に介さず、むしろ意気揚々とフェアリー西は皆に向かった。そして、
「そうです! まさしくこの村上さんこそがあの内村選手が認めるライバル、『青中のキモい奴』ことエース、村上ツカサさんです!」
ちょっとーっ、どうしてその渾名まで知っているの!? いや、そうじゃねえ! 皆が好奇の目で俺を見てきているじゃねえか!
俺はハタケに目配せをした。しかし奴は首を横にふるばかり。手遅れと言うことだろう。桐島は……。見るだけ無駄だった。こいつは昔っから熱気というか、そういうのに弱い。明らかに俺以上に戸惑っていた。
かくなる上は、そう思って立ち上がったところでがっしりとフェアリー西に手を握られ、何かを渡された。
「やっぱり私の見る目に間違いはなかったんですね! さあさ村上さん、これに野球部の名を書いて! 今すぐ入部しましょう!」
「や、いや、あの……」
これはいらない。そう思って返そうとしてもフェアリー西は受け取らなかった。それどころかフェアリー西はヒートアップするばかりで、
「村上さん、あなたはヒーローになれる逸材です! きっと村上さんなら連山工業も打ち破り、私たちを甲子園へと導いてくれる。そうですよね!」
どんどんどんどん、話は大きく膨らんでいくばかりである。ああ、これがまだしも、野球の話でなければ俺もきっと、柳に風と流せたのかもしれない。だが、怒ってはいけないのだ。
「に、西さん。俺はその、そう期待されるような人間じゃあないよ」
「そんなことありません! 村上さんは凄い才能を持っています! それを活かさない手はないと思いませんか!」
才能。フェアリー西は、ついに一線を越えてしまった。そして俺もまた、どこかで何かが切れる音がした。そしてーー
「いい加減にしてくれ! もう野球の話はたくさんだ!」
俺は叫んでいた。フェアリー西が硬直する。フェアリー西だけじゃない、ハタケも桐島も、クラスメートもまた、俺を見て固まっていた。
……やってしまった。俺としたことが、やってしまった。そして俺は急速に皆の視線に恐怖を感じた。
「ア、アハハ……。その、どうも今日は調子が悪いようだ。ともかくごめんよ西さん、これは返すから……」
俺はそれだけ言うのが精一杯だった。フェアリー西は俺から用紙を受け取ったが、まだ呆然としたままだった。
「じゃあ俺、帰るから……!」
俺はもう、何もかもが耐え切れなかった。荷物を持つことも忘れて、気がついたら教室を飛び出していた。そのまま俺は校門を抜け、ひたすらに走った。走って走って、ようやく止まった時には既に学校から何キロも離れた土手にいた。
ここまできて、ようやく頭が冷えてきた。そして己の失敗を悟った。
「……やっちまったなぁ」
適当なところで斜面に寝そべり、晴れた空を見上げた。しかし空は、雲は俺をあざ笑うかのように太陽を隠して影を落とした。