ハローフェアリー、グッド・バイ
この俺の精神的な苦痛とか痛苦というものを私は憤りと表したいところである。
教室にフェアリー西が来たその日、俺は怒りのあまり教室で倒れた。そしてそのまま保健室へ、病院へと運ばれて今に至る。
真白きバラのよな病室で、俺はやることもなく持ち込んだポータブルなDVDプレイヤー(病院のテレビは金がかかるから)でアニメイションを見ていた。畜生、友だちがいのないクラスメートたちは俺がもう入院して3日も経つというのに誰もきやしない。いや、厳密にはハタケは来た、ご丁寧にクラスの女子の総意、鉢植えの菊の花を持ってきて。
当然、俺は鉢植えをそのままにした。だってそうだろう。それの意味するところが何であれ、女の子から貰ったプレゼントなんだぜ?
ハタケのやつは俺のその話を聞いて呆れて「そのバイタリティだけは尊敬に値する」と言っていたが、確かに俺のバイタリティってすごいかも。いやま、自画自賛は程々にして、とにかく俺は今、退屈だった。
プレイヤーを閉じて外を見る。まったく俺が担ぎ込まれた病院は暇をもてあますどころか病室までも余っているらしく、四人部屋なのに俺以外誰も病床についていやしない。まったく、皆健康的で羨ましいことだな!
だいたいおかしいのだ。本来、こういうイベントが発生したら可愛い女の子が見舞いにくるか、幸薄げな病気の女の子に会うのが相場ってものだろう。およそハタケがこの場にいたら「そんな不謹慎なこと言っているから駄目なんだ」とい言われようものだろう。だが、それがどうした!
俺の夢、古典部の夢は破れた。フェアリーとの出会いは、まさかの穴だらけの俺の予想のもとにやってきたが、ハタケの推測通りの野球のフリークで、また駄目だった。
何故だ、今日日の女子高生は野球とか、泥臭いもの嫌いなはずだろう? じゃなければどうしてサッカーだとかバスケだとか、いや、そもそもスポーツが好きな女人がいたことにオドロキトドロキさんしょの木だ。
窓の外を見る。この病室は三階で中庭に面しているのだが、中庭には大きな木がある。俺、この木が気になりますね。フハハ、そう、まあ、気になる木。五月の半ばでは落葉もへったくれもなく、生い茂っているから「あの葉が散るころには俺は……」なんてできないのが残念だ。
「あーあ、せめて自由に動ければいいんだけどな」
たいしたことない怪我だと思っていたが、その実俺の怪我はわりと重症だったらしい。なるべく安静を申し付けられたのは、やはりめまいとかそこら辺のことがあってのことだ。
もう一度撮ったCTでも異常はなかったそうだが、だからと言ってぶっ倒れた患者を自由にするほど病院側も甘くはないらしい。
いやね、トイレとかは行っていいのだけど、それ以上は駄目なのだ。売店が一階にあるからそこまで買い物に行きたいのだが、そのためには一々ナースを呼ばなければならないそうな。だったら面倒だから行かんわ! って話である。
やれやれ、これじゃあ袋のネズミ。だけど愚痴ったって仕方ない。俺はもう一度アニメイションを見ようとしてプレイヤーを開き、
「あ……」
電池が切れていることに気づいた。参ったね、スペアの電池も使いきってしまったというのに。はあ、面倒だけどナースのお姉さんを呼ぼうかな、まったくお姉さんとはかけ離れた骨太おばさんだけど。
吊るされたナースコールを押そうとしたその時だった。
「ごめんください」
俺は幻聴に戸惑い、ナースコールを押すタイミングを逸した。
☆
説明しよう!
今、何故か俺の隣にはフェアリー西がいる。椅子にチョコンと座っている。しかもお見舞いに鉢植えではない花を持ってきてくれた。
「果物もって考えたんだけど、もし食べられなかったら邪魔になるだけだと思って」
恐縮げにフェアリー西は言ったが、俺としてはその配慮だけでありがたい。ありがとう、フェアリー西!
しかし、何故にフェアリー西が俺のところに来たのか、と言う疑問も当然浮かぶ。彼女も二三、言葉を発したきり目を泳がせている。当然の結果だとは思うけど。フェアリー西もおよそクラスメートの女子連から俺のことは聞いているだろうし。
そう、だからこそフェアリー西が来た理由がわからない。青峰中学校彼氏にしたくないランキング(青峰中新聞部調べ)ダントツのナンバーワンだった俺に会いに来る理由とは、いかに。
「あのフェア、いや西さん」
「は、はいっ! なんでしょう!?」
「え、あ、いや、驚かせるつもりはなかったんだけど……」
俺、話すだけど女の子をビビらせることができるのか。全然嬉しくないわ。いやそうじゃない。俺はできるかぎり誠実な態度でフェアリー西に礼した。
「ありがとう、お見舞いにきてくれて」
「い、いえ、こちらこそこんな遅くになってしまってごめんなさい!」
ああ、いいな。さすがにフェアリー、お淑やかだ。やっぱり俺にボールをぶつけたフェアリーは幻覚だったのではないだろうか。
「いやね、本当に俺は嬉しいんだ。女子連の総意は鉢植えだったで、悲しみよこんにちはってなっていたんだ」
「はあ、そうなんですか?」
お、これは。フェアリー西の反応からしてどうやら鉢植えは女子連の総意ではないようだ。となると首魁、おおよそクラス委員長の桐島の仕業だろう。まったくあいつは俺を目の敵にしやがって。ああ、いかん。今は目の前のフェアリー西だ。
「まあ、鉢植えとはいえこれも見舞い品だからね。それで西さん、あなた、個人できたのは一体なにかな? もしかしたハタケ、ああいや、畠山のかわりにプリントを届けに来てくれたとか?」
「あ、はい。それもあるんですけど。実は一度、個人的に村上さんとお話をしてみたいと思ったので来ちゃいました」
うつむきがちにフェアリー西は言った。俺は昇天しそうになった。ああ、やはりこんな妖精が、いや天使が野球のお姉さんのわけがないと。
そもそも俺と普通に会話してくれるだけど嬉しいな。ハタケ並びに同じクラスの男子以外、直線的な言い方をすれば女子と話したのは久々だ。かれこそ最後に女子と話をしたのは……。ああ、桐島か……。いや、今は目の前のことに集中だ。
「ええ、どうぞ。なんでも聞いてください。俺、いやボクの答えられることなら何だってお答えしましょう!」
「本当ですか!? では単刀直入に申し上げますね」
ええ、なんなりと。俺は君のためなら死ねるね。さあさ、西さん、フェアリー西は少々頬を赤らめて俺を見て、
「村上さん、私と一緒に甲子園を目指しましょう!」
と声高らかに宣言した。ここ、病院だよフェアリー西。いや、そうじゃなくて、甲子園……? それって、ソレって……。
「野球じゃん……」
俺は、得も言われぬ悲しみを抱いた、ブラインドネスになった俺は思わずナースコールを押していた。さようならフェアリー西、花束をありがとう。