出頭
フェアリーとの遭遇に驚きつつも、俺は彼女について考える余裕がまるでなかった。
あの日、額から血が出てパラダイスな俺だったが、それがパラダイスよりむしろパライソ方面への入り口であったらしい。
めまいはする、気持ちが落ち着かない、とろくなことがなかったので翌日、俺は病院に向かったのだ。診断結果は軽い脳震盪だったが、念のためということで検査をさせられ、結局のところ土曜日日曜日と使ってしまった。
☆
明けて月曜日、俺は学校に行くことにした。ポケットには血染めの硬球を入れて。理由は簡単、俺に素晴らしい一撃を与えたこの硬球が青高のものだったからだ。ご丁寧にボールには『青高野球部』と書かれていたのだから。
それともう一つ、俺は額についた傷を見てもらおうと思ったからでもある。ほれハタケ、お前が俺を見捨てたせいでこんな消えない怪我を負ったぞ、と。
ああ、実際のところはパックリと傷口が割れたおかげか、綺麗サッパリ傷跡は残らんそうだが関係あるまい。俺が今、額に傷を持つことが重要なのだ!
潰された土曜日日曜日の合間に買ったグラサンをして、まだ五月で衣替えではないが学ランを脱ぎ、肩口から引き裂いたワイシャツを着て登校したところ、当然ながら生活指導の教諭に捕まった。間が悪いことこの上ない。
まあ、こういう不測の事態に備えて普通のワイシャツも学ランも持ってはいたさ。結局のところグラサンを預け、それを着ることでお咎め無しになった。
あまりに軽い措置なのはその教諭が「これが若さか……」と言ったからに他ならない。きっとこの教諭とは仲良くなれそうだが、それはまた後にしよう。
さあ教室に入るなり俺の行動は早速噂されていた。フハハ、あまり気分の良いものではないが気にしまい。席につくと早速前の席に座るハタケが振り向いた。
「呆れた奴だ。またとんでもないことをやらかしたみたいだな」
「ハハ、そうでもないさ。それよりハタケ、この傷を見てくれ」
俺は額の傷を指差した。ハタケは驚いたような顔をした。
「けっこうざっくりいったなぁ。どうしたんだ、その傷?」
その反応を待っていたのだ。俺はニヤリと笑うと、事の成り行きを全て話した。
「とまあ、それでこれが手がかりさ」
俺はフェアリーとの唯一の接点をハタケに見せた。
「これがお前の額にクリティカルヒットしたわけか」
「その通り。そしてこの印字こそ、フェアリーがこの学校にいる理由になる!」
俺の自信満々の推理に、ハタケは呆れ顔でかえした。
「何だよ、その反応は」
「いやさ、まあ、お前も節操のない奴だと思ってな」
「は、何が?」
「いやだからさ」
ハタケは硬球を取り上げて俺に見せた。
「これ、お前が何よりも嫌いなものだろ?」
ああ、そう言うことか。俺はハタケの言いたいことを理解した。
「何、気にすることはない。ボールは所詮、ボールだ。俺には関係ないことだ」
「さいですか。まあ、それならいいけどよ」
そう言ってハタケはボールをトスしてきた。それを受け取り、俺は改めてボールを見た。まあ、ハタケの言わんとすることはわかる。だがそれがどうした! 俺はとにかくフェアリーに会いたいのだ!
「して、お前に心当たりはないか。こう、フワフワとしていてる、妖精みたいな女の子」
「ずいぶんと抽象的だな。だけどさ、お前が衝撃を受けるほどの美人だとしたら、もうチェック済みなんじゃないのか? そもそも先週、自分でこの学校にはその、美人がいないと言ったばかりだろう」
「相変わらず悲観的な奴! それがどうした、縦令それが本当だったとして、もしかしたら転校生の可能性だってなきにしもあらず!」
「それは矛盾していないか。仮に転校生だったとして、どうしてその転校生が青高野球部のボールを持っているさ」
う! 一々ハタケのいうことは正論だ。しかし、俺はそんなことで諦めたりしない!
「馬鹿め! その娘はきっと熱狂的な青高野球部ファンなんだよ! だからきっと、野球部の練習試合だとか、そうその時に出たホームランを取ったんだよ!」
俺の熱弁に、いよいよハタケは呆れたを通り越して馬鹿にしたようなものになった。
「もうどこから突っ込んだらいいのやら。まあそうだな。いいか、お前の言うことが全て、奇跡的にあったとしてだ。それでお前さん、そのフェアリーと仲良くできると思うのか?」
「もちろんだ!」
「だからお前は阿呆なんだ。いつまでも画面の向こうばかり見ているからそうなるんだ」
「おい貴様! ようやく画面の向こうから目を背けようとしている親友に何を言う!」
「親友を貴様呼ばわりするかね。ま、それはともかくお雨の言うとおりの転校生、フェアリーさんがいたとしてだな、お前は絶対にその子と仲良くなれない」
「はっ、愚か者め! 貴様、この俺の節操の無さ、いや切り替えの速さを忘れたか!」
「じゃあさ、お前、その野球が大好きな女の子と仲良くしたいと思うのかよ」
「誰がそんな奴とっ!」
ハタケの失笑混じりに言葉に私は思わず立ち上がった。あ、周りの奴らの視線が痛い。すぐに俺は椅子に座り直した。興奮のあまり傷口が開くかと思ったが、そんなことはなかったぜ。
そして改めて、冷静になって、俺はハタケに言った。
「そうだな、そんなおなごはこっちから願い下げだった」
「わかればよろしい」
そう言ってハタケは俺の肩を優しく叩いてくれた。ちっくしょう、やっぱりこいつ、いいやつだな。俺が女だったら惚れているぜ! 俺は善き友人を持った感動を身体で表そうと思い立った矢先、教室の前のドアが空いた。
「ホームルームを始めるぞ」
ち、担任が来たのならしかたない。俺は大人しく座して待つことにした。まさか前を向いてしまったハタケに後ろから抱きつくのはアレだったし、それに担任の高田は恐ろしい奴なのだ。少しでも騒ぐと必殺のトリプルクイックチョークが飛んでくる。
こちとら伊達に問題児をやってきたわけではないが、さすがに三つ目のチョークはキャッチすることは不可能だった。よって悲しくも俺は、この担任の軍門に下っているわけなのだが。どうにも今日は高田の様子が違った。
いつも通りを何よりも好む高田が時より、入ってきたドアのほうを気にしている。これはもしや、いや間違いあるまい! 俺は心のなかで快哉を叫んだ。
そしてことは予定通り、俺の予測された通りに進んだ。
「ところで君たちに、新しいお友達を紹介したいと思う」
待っていたぞ、高田! 今まで「高田辞めろ!」って言っててすまなかった! さあ、どうぞ、フェアリーよ! 俺の胸の高鳴りはまさしく、俺があの夜に見たフェアリーの再演に最高潮となった。
新たしいお友達、俺のなかでは抜群のフェアリーは折り目正しく礼をした後、黒板に丁寧な字で名前は書いた。そしてまた礼をして、
「西ホノカです。皆さん、どうぞよろしくお願いします」
と言った。フフ、間違いない。この声だ。ちょっと、イメージしたよりは明るそうな人だが、美人もしくわ可愛らしいと言って間違いない。ハタケもこの時ばかりは俺のほうを見てグッと親指をたててきた。俺もそれを返しつつ、さらなる自己紹介を待った。
通り一遍、そう親の都合、突然の転校、戸惑い、期待、などなど。いいぞ、これは。これこそ俺の待ち望んだ理想の女の子ではないのか。だが、現実はそんなに甘くなかった。
「私、野球が大好きなんです!」
それだけで十分だった。グッバイ、マイ・フェア・フェアリー……。興奮しすぎたせいかめまいを再発させた俺はそのまま横倒しになった。最後、フェアリー西の大きく見開いた目と視線があったが、そんなことももうどうでもいいや。
俺は野球が好きな女の子が大嫌いなんだ……。