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第2話 -転移-

 フォーゼルハウト帝国。

 ラウロと名乗る男は、そのような名の国家の所属であると語る。

 聞いたことの無い国の名前である。悠が学んだ限り、少なくとも地球上にはそんな名前の国家は存在しないはずだ。


 ……そもそも、彼は悠達のことを「異世界の諸君」と呼んではいなかっただろうか。

 それが意味するところは、つまり――


 悠は、更に混迷をきたした事態を見逃さぬよう、ラウロを注視する。


「な……」


 皆は、突然の事態の変化に付いていけずに硬直し、半開きの口からは呼気とも呻きとも付かない音を漏らす。

 その凍るような沈黙を破ったのは、朱音であった。

 緊張に汗を浮かべ、動揺に声を震わせながらも、彼女は気丈にラウロを見据え、口を開く。


「……フォーゼルハウトなんて国、聞いたことが無いわ。ここは何処なの? あんた達がここに連れて来たの? 何か知ってるなら――」


『――ああ、待ちたまえ。順を追って説明するとしよう。あまり暇も無いのでね。君達も聞き逃さぬよう努めたまえ』


 ラウロが手を翳し、朱音の言葉を遮ると、渋々と朱音は口を噤んだ。

 

 その男の声は、妙な声であった。

 その声はまるで、空気を介さずに直接鼓膜を震わせているかのように違和感がある。

 ラウロは口を動かしてはいるが、まるで遠隔地と会話するTV中継を見ているかのように、口の動きと聞こえてくる声にはタイムラグが存在していた。


『まず、君達が抱いているであろう最大の疑問に答えるとしよう。先程の彼女の指摘の通り、私の属する国家は君達の暮らす地球のどこにも存在しない。自分の居場所を検索する道具を試した者もいるのではないかね?』


 悠は、手元のスマートフォンを握り締める。

 ラウロは、やけに芝居がかった仕草で、言葉を続ける。


『そして此処ここは、君達がいる世界――<アースフィア>と』


 大仰な動作で両手を広げ、


『我々のいる世界――<セレスフィア>の両世界の狭間の空間だ。君達には、これから我々の世界に、そしてフォーゼルハウト帝国に来てもらうこととなる』


「な……何言ってるのよ……」


 自分は異世界の人間である。これから異世界に来い。

 ラウロは、要はそう言っている。

 いきなり言われて受け入れられることでは無いだろう。


 皆、呆然と異世界人を名乗る男の姿を見ていた。

 ラウロは、絶句している皆を愉快げに見渡し、一人の少年に気付き視線を留める。

 細目を僅かに見開き、どこか感心しているような様子を見せた。


 悠が、その視線の先にいる。


「……ほう?」


 悠は、ラウロの一言一句を聞き逃さぬよう、真剣な眼差しで彼を見据えていた。

 その目には、既に動揺も迷いも無い。

 皆からすれば異世界と大差ない狂気の地獄で生きた悠は、他のクラスメートより早くその言葉を受け入れつつあった。


 ラウロは、「くくっ」と小さく喉を鳴らすと、再び口を開く。


如何いかにも、君達を召還したのは、我々“帝国フォーゼルハウト”だ。帝国の栄えある戦士として、君達には力を貸していただく』


 それは懇願や要求ですらなく、決定事項を伝える断定の物言いであった。


「……ふざけんなよこの蜥蜴とかげ野郎!」


 粕谷が、激昂した声を上げる。

 その顔は真っ赤であり、歯を剥いて青筋が浮き出そうなほどの激怒の表情を浮かべていた。


「訳分からねぇこと言ってるんじゃねぇぞ! いいから俺をとっとと戻し――」


 喚きながら大股で歩み寄り、その胸倉を掴み上げようと乱暴に手を伸ばして、


「やが……あ?」


 その乱暴に突き出された腕は、ラウロの胸に突き刺さっていた。

 何の抵抗も無く、まるで霞に腕を突っ込んだかのように、粕谷の腕はラウロの胸元に埋っている。

 そしてラウロは、そのまま平然と立っていた。

 目を白黒させている粕谷を、ラウロは嘲笑うように見下ろしている。


『残念ながら、私の身体は帝都にある。これはただの映像と大差ないものだよ。私を殴りたいなら、せいぜい頑張って生き延びることだね』


 あまりに聞き捨てならない言葉に、今度は悠が反応した。


「ちょ、ちょっと、生き延びるってどういう……!」


 ラウロは、舐めるような粘着質な眼差しを向けながら、


『君達にはテストを受けてもらう。これより魔界内の魔族と戦闘し、魔道の力を用いてこれを殲滅してくれたまえ』


 魔界?

 魔族?

 魔道?

 訳が分からないが、何よりも捨て置けない言葉が一つ。


「戦闘って、そんな……」


 悠は呻き、眩暈を覚えながら後ずさる。


 つまり、ラウロは悠達に命のかかった死地に赴けと言っている。何の罪もない少年少女達を殺し合いか何かに巻き込もうとしているのか。

 まともな人間のやる事では無い。鬼畜の所業である。

 そしてその外道の言葉を、ラウロは平然と口にしていた。


『安心したまえ、異世界人である君達の魔道の素養をもってすれば、十分に生き残れる見込みはある。冷静な対応と振る舞いを求めるよ』


 俄かには信じ難い内容であり、ラウロの嫌味ったらしい口調は、それを冗談だと思いたくなるようなものだ。


 だが、この異常な空間と状況である。

 誰もラウロの言葉を冗談だと笑い飛ばすことは出来なかった。


「ふざけんなよ、何言ってんだ……!?」

「戦うなんて無理、無理よ!」

「帰りたい、帰りたいよぉ……」


 周囲から、怨嗟えんさや憤怒、嘆きの声が上がる。

 しかしラウロは、そんな負の感情の奔流を小さな一身に受けながらも悪びれる様子も無く、わざとらしく嘆くように肩を竦める。


『……さて、残念ながらもう時間のようだ』


 彼はここで話を終える気だ。

 悠の胸中に激しい焦燥が走る。


 早すぎる。まだ聞きたいことがある。聞かなければならないことがある。

 魔界とは何か、魔族とは何か、魔道とは何か。

 その単語の示す意味すら分かっていないのだ。大勢の生死がかかった状況なのに、情報は致命的に不足していた。


「待って、まだ聞きたいことが――」


『――月並みだが、武運を祈るよ』


 悠の切迫した制止の声を無視し、ラウロの無慈悲な声が漆黒に響く。


『転移、開始』




 ――地面が震える。




「なっ……地震!?」

「お、おい!」

「なに、何なのよぉ!」


 皆は、日本の住む学生である以上、地震という現象には慣れきっている。

 しかし、その震えは今まで体験した如何なる地震とも異なる性質を異にするものであった。


 落ちる――そう表現した方が正しいのかもしれない。

 それはまるで、落下している地面が安定感を失い、揺れているような震えだと、悠は感じていた。

 その揺れには物理的な“根”や“芯”が無く、それ故に揺れは無軌道で、彼等が経験している地震以上にその身を好き勝手に弄ぶ。


「おいこれ、やべぇんじゃないのかよ!?」

「もういや、いやぁぁぁぁぁぁ!」

「誰か助けてよぉ!」

「くそっ、くそぉ……!」


 揺れは次第に大きくなり、最早立っていることすら覚束なくなる。

 早々に転んで尻餅を付いていた悠は、何気なく見渡した周囲の光景に驚愕し、目を見開いた。


 空間が、脈動している。

 相変わらずの漆黒に包まれた空間が広がっているが、確かに脈打つような気配を放っていた。

 まるで、何か巨大な生物の腹の中にいるような背筋の凍る悪寒に、悠は血の気を引かせる。


 その間にも揺れは強まり、遂には周囲の認識すら困難な程となり、


「悠っ……!」


 朱音の声と、手を握られる感覚が――






 ――衝撃。






 空間の揺れは、その余韻すら残さずに一瞬で停止した。


 時間にしてみれば、10秒にも満たない短い時間だったのかもしれないが、その最中の混乱と恐怖はその時間を十倍、百倍にも感じさせいたことだろう。


「あっ……つぅ……」


 悠は、酷い頭痛と気持ち悪さを感じながらも、上半身を起こす。

 平衡感覚も狂っており、しばらくは立ち上がれそうに無かった。

 ふと、手を包む暖かな感触があることに気付く。


 朱音だ。

 朱音が悠の手を握りながら目を瞑り、ぐったりと力無く倒れていた。


「朱音っ!?」


 焦ってその首筋に手を当てるが、朱音の細い首からは確かな命の脈動が感じられた。

 悠は、深々と安堵の息を吐く。

 朱音は気絶しても尚、悠の手をしかと握り締めていた。

 その手は思いのほか強く握られており、悠の貧弱な力では離せそうにない。


「……あれ?」


 悠は、呆けた声を上げながら周囲を見渡した。


 誰もいない。

 先程までそこにいたはずクラスメートも、そしてラウロも、影も形も無く消えている。

 悠と朱音だけが、そこにいた。


 そして、場所もあの漆黒の空間では無い。


「森……?」


 森が広がっている。

 闇夜に包まれた、夜の森だ。

 360度どこを見渡しても背の高い樹木が生い茂っており、その先は暗闇に閉ざされている。

 悠達のいる開けた場所には、森林特有の濃厚な草木の匂いが満ち溢れていた。


 不思議なことに、虫や鳥、獣の鳴き声は全く聞こえてこない。

 あまりに静か過ぎて、逆に耳に痛みのような違和感を覚えるほどであった。


 何だこれは。一体、何がどうなっているのか。

 悠は途方に暮れながら、静寂の森を見渡していた。


「ん……ぅ……」


 朱音が、小さな呻きを漏らす。

 その目が、薄く開いた。


「ぁ……ゆ……ぅ……?」


「朱音さん、起きた?」


 朱音は未だぼんやりとした表情を浮かべながら、悠の顏を見つめていた。

 その視線は朦朧と惚けており、悠を見るその表情が、柔らかに綻んだ。

 薄桃色の唇が、優しい声を漏らす。


「無事……よかった」


 ホッとした様な優しげな笑み。悠の手が、一層強く握られる。

 それは、普段の朱音を知るなら到底信じられないような表情であった。

 朱音の空いた手が悠の頬に伸び、慈しむように緩く撫でる。


 彼女は、まだ夢を見ているのかもしれない。

 夢の中で、自分を家族か誰かと間違えているのではないだろうか。

 悠は、朱音の肩を強めに揺する。


「……朱音さん、何かやばいよ。起きて!」


「なによぉ……」


 悠の緊迫した声と揺すられる感覚に、朱音の表情が次第に引き締まる。その瞳に、徐々に理性の光が灯っていく。


「……あ」


 そして、何かに気付いたかのように目を瞬かせると、頬をみるみる紅潮させていった。

 明らかに狼狽しており、唇を戦慄かせている。


 そして同時に、


「い……痛い!? 頬っぺた痛いよ朱音さん! 手、手も!」


 先程まで悠の頬を優しく撫でていた手が、悠の頬をぎゅっとつねっていた。悠の柔らかな頬が、餅のように伸びる。

 もう片方の手は悠の手を更に強く握っていた。

 女子とは思えない握力であり、かなり痛い。


「うぅぅぅぅ…………」


 朱音は頬を真っ赤に染めながら、威嚇する犬のような表情で悠の顔を睨み上げている。

 手を放すと何やら唸りのような声を漏らしつつ、気まずげに身を起こした。


「と、とにかくお互い無事で良かったよ……」


「……ふんっ」


 頬を抑えながら引き攣った笑みを漏らす悠を横目に、朱音は不機嫌そうに鼻を鳴らした。こちらをチラチラと見くるその姿は、どこか罰の悪そうな、悠に何か言いたげな様子に見える。

 その口元が僅かに動き、「その、ごめ……」などと声らしきものを漏らした気がするが、結局は言葉になることは無くその唇は噤まれた。


「あ、朱音さん……どうかした?」


「……何でもないわよ」


 朱音は誤魔化すように嘆息し、朱に染まる頬を冷まそうとでもしているのか、夜空を見上げる。

 そして、


「……え?」


 そのまま、硬直していた。その目は驚愕に見開かれている。

 頬を冷ますどころか、その顏は蒼白になっていた。


「……何、これ……」


 朱音の震える声に、悠もまた空を見上げた。


「な……あっ……!?」


 空が、生きている。


 星一つ無い漆黒の空に、血管を思わせる無数の赤い線が走り、脈動しているのだ。

 それはまるで、空が巨大な生物に覆われたかのような怪異な光景である。常人の正気を揺さぶるには十分過ぎる魔界の景観だ。


 ラウロは、悠達を異世界――セレスフィアに召還すると言っていた。


 頭上に広がる光景は、忌々しくもそれを肯定せざるを得ない異常さを誇示しながら、どこまでも広がっていた――

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