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第9話 ー警戒ー

「ん……」


 悠は、朝の気配を感じながら、夢から現実へと帰還した。

 薄く開けた瞼に、淡い日光が差す。

 小鳥の愛らしい囀りが、耳を心地よく撫でていた。

 そして鼻腔をくすぐる爽やかな香り。清涼感が、脳にこびりついた眠気を溶かしていく。


「ふわぁ……」


「おはようございますユウ様、良く眠られていましたね」


 聞き心地の良い、涼やかな響きが耳を包んだ。

 上半身を起こした悠がそちらに目を向けると、柔らかに微笑む娘が一人。


「ルルさん……」


 獣の耳と尻尾、薄桃色の髪。

 帝国から悠の世話係として付けられた奴隷の娘、ルルが立っていた。

 寝る前は寝間着を来ていたはずであるが、今はメイド服に着替えている。


 部屋に漂う清らかな芳香は、ルルが淹れている茶の香りのようだ。


「……おはよ」


 そして朱音は椅子に座り、ティーカップを両手で包むように持ちながらお茶を飲んでいた。

 彼女はまだ起きて間もないのかゆったりとした寝間着であり、いつもお洒落に整えられていた黒髪も乱れている。

 あの藤堂家の中でも見せたことのない隙だらけの姿だった。


「お、おはよう……」


 少々面喰いながらも挨拶を返す悠。

 朱音は茶を口に運び、緩んだ吐息を漏らしていた。

 一見すると何事も無いように見えるが、その頬はわずかに赤らんでいるように見えるのは気のせいだろうか。


「珍しいじゃない、こんな時間にあっさり起きるなんて」


 部屋に置かれた時計に目を向ける。

 この世界の時間の概念は地球とほぼ同様らしく、1年や1日といった単位も変わらないらしい。

 時刻は午前の7時を回ったあたりだ。寝起きの悪い悠としては確かに珍しい。


「うん、何かすっごく良く眠れてさ。こんなにすっきり起きれたの初めてかも。朱音さんは……」


「……あたしも、起きたばっかりよ」


 悠が起きる時間としては早いが、朝の早い朱音が起きる時間としては少々遅い。

 さすがの彼女も疲れているのかもしれない。


「そっちも珍しいね」


「ふーん……」


 何故か朱音が半眼でじとっと睨む。その頬が、少し赤くなっていた。

 ルルが、苦笑を浮かべている。


「……?」


 悠は二人の様子に、首を傾げるのだった。






 フォーゼルハウト帝国。

 この異世界セレスフィアでも列強の一つに数えられる、広大な領土と長い歴史を誇る大国。

 あの悠と朱音が戦った森も、このメドレアの近く、帝国の領土に広がる森林であったようだ。


 悠達が現在いる都市メドレアは、フォーゼルハウト帝国の主要な都市の一つであり、領地が召喚に適した広大な森林地帯に隣接することから、悠達のような異界からの召喚者を一時的に滞留させる役割もあるらしい。


 悠と朱音は汗ばんだ身を清め、朝食を取って部屋を出た。着ているのは、帝国の軍学校で使われている制服のようで、地球の学校のそれと大差ない馴染みやすいデザインであった。

 そのメドレア城内にある魔道省、メドレア支局の施設の中を、悠と朱音はルルの案内で歩いている。

 魔道省は帝国内でも大きな権能を持つ機関であるらしく、頑丈そうな石造りのその施設も立派なものだ。

 陽光に照らされた石畳のその道は、日本では見られない情緒のある風景を作り出している。


 途中、幾人もの鎧を着た兵士や文官と思しき服装の人物、そしてルルとは異なる色と拵えのメイド服を着た女性とすれ違った。

 ルルの話によれば、身分を一目で確認できるよう、奴隷用のメイド服と正式な侍従用のメイド服はデザインが異なっているようだ。

 皆、日本人離れした容姿をしており、ここが日本ではないという事実を改めて認識させられる。


 彼等はちらりと視線を向けることはあっても、悠達に話しかけてくる者はいない。

 むしろ目を逸らし、どこか関わらないようにしている雰囲気があった。


「嫌われてるんでしょうか……」


 勝手に召喚しておいて、あんまりではないだろうか。

 周囲を気にして居心地の悪さに身を縮める悠に、ルルは微苦笑を漏らした。


「むしろ後ろめたい、と考えている方も少なくないかと。無関係の異世界の人間を利用する、というシステムには国内外から非人道的に過ぎるとの批判も多いのですよ。先代の皇帝陛下の治世においては、使用を停止が命じられておりました」


「へえ……そうなんですか」


「心情的には難しいと思いますが……ユウ様方に対して同情的、好意的な者もいるということは、胸の片隅にでも留めていただければと存じます」


「……努力します」


 ……ルルは、どうなのだろうか。

 朱音と二人きりになった時、彼女とルルとの接し方について話したことがある。


 あの女を信用するな、警戒しろというのが朱音の一貫した主張だ。

 ルルはあのラウロの命令に従っている。何を考えているか分かったものじゃない――その通りだと思う。ルルにはその本心を巧妙に隠す奥深さや底知れなさを感じるのも確かである。


 会話に入ってこない朱音を一瞥すると、あからさまに悠を気にしている風だった。悠に向ける眼差しは、どこか苛立っているようにも見える。悠がルルに籠絡されないか、気が気でないといった様子である。


 失敬な、と悠は胸中で鼻息を荒くする。

 彼女はいったい、自分をどれほどチョロいと思っているのだろうか。


 せいぜい、知らないおじさんにトイレに連れ込まれそうになって、朱音に助けられたり、

 藤堂家の親戚を名乗る人物からの電話に大金を振り込みそうになって、朱音に止められたり、

 駅前で呼び止められて話してたら、いつの間にか絵画を買うことになっていて、朱音に――


「…………」


「ユウ様? 何やら虚ろな眼差しをされておりますが……」


「な、何でもないです。ないはずですよ?」


 大丈夫、大丈夫だ。あれから悠も成長している。朱音に迷惑をかけないためにも、ここは毅然とした振る舞いを見せなければならないのだ。

 自分のチョロさを、悠はきりっと表情を引き締めて封印した。


 悠のきりっとした顔を見たルルは、眉を八の字にして、


「……どこかお身体の加減でも悪いのでしょうか? 悪いものでも食べたようなお顔をされていますが、何でもおっしゃってくださいね?」


「えっ……」


 切なげな呻きを漏らす悠を見つめ、ルルが言葉を続ける。


「それとも、何か疑問やお悩みごとでもありますか? 私で良ければご相談に乗りますが……」


 こちらを覗き込むようなルルの顔。琥珀の瞳が、気遣わしげに優しく悠を見つめている。

 そこに悪意など、微塵たりとも存在しないように思えた。


 やっぱり信じてもいいんじゃないかなあ、と胸中でむくりと起き上がるチョロいものがあったが、悠は一生懸命に無視していた。


「いや、別に……何でもないです、ルルさん」


 あなたは信用できますか、など彼女に直接問えるような内容でもないだろう。

 ルルとの接し方に悩み顔を顰める悠に、ルルは困ったような顏で言葉を続ける。


「……ユウ様。今の私は貴方の奴隷です。どうぞルルと呼び捨てにし、目下の者として御扱いください」


「でも、ルルさんは年上ですし……」


 彼女は18歳。悠達より三つ年上である。

 日本なら、すでに高校を卒業して就職か進学している年だ。

 敬語を教えてくれた藤堂からも、年長者相手は立場に関係なく原則として敬語を使うことと教わっている。


 それに……他の皆からは変に思われるだろうが、悠は敬語を使うのが楽しかった。

 それは、実験動物であったかつて人生には殆ど存在しなかった、特定の人間関係を前提とする言葉遣いだ。

 自分の人生が広がっていくような実感があり、悠はとても新鮮な心地良さをその言葉遣いに見出していた。


 また、そもそも奴隷という制度や身分そのものが受け入れ難い。

 聞くところによれば、このフォーゼルハウト帝国における奴隷は主である人物の所有物も同然であり、生殺与奪権すら把握されるようだ。

 同じ人間で、どうしてそんな立場の隔たりを作らねばならないのか。

 生まれた時から人権など与えられなかった悠にとって、尚更そう思わずにはいられなかった。


 少なくとも、悠にとっては奴隷という身分を介して他者を接することは断じて許容できないことであった。

 ただ、この世界にはこの世界の文化や価値観、法や制度がある。ルルの立場からすれば、それでは不味いのかもしれない。

 ならば自分の意志だけ押し通す訳にもいかないだろうかと懊悩する悠に、


「考えておいていただければ幸いです」


 ルルはそう言い、話を終わらせてくれた。 

 そのまま、しずしずと悠の隣を歩いている。


(……この人は、どんな理由で奴隷になったんだろ) 


 悠から見て、とても育ちの良い女性に思えた。加えてあの5体の魔族を一瞬で屠った弓術を思えば、彼女がありきたりな経歴の持ち主ではないことは明らかだろう。

 しかし、それを問えば彼女の大きな傷に触れてしまうかもしれず、口に出すことは躊躇われた。


 それでも、ルルという女性をもっと知ることが出来れば、彼女との接し方も見いだせるかもしれない。

 そう考えた悠は、前々から気になっていた疑問を口にした。


「その……ルルさんの耳と尻尾って……やっぱり本物なんですか?」


 ルルは服の隙間から伸びる尻尾を円を描くように振り、頭の上の耳を寝かせたり立たせたりして見せた。

 とても偽物には見えない。


狼人ワーウルフ……わたくし共は、そう呼ばれる人種です。ユウ様方の世界では、私のような人間は存在しないそうですね」


 快く答えたルルは、柔らかな笑みを浮かべる。思わず気を許したくなるような、見る者の心を解すような微笑みである。

 狼人、という名からすれば、その耳と尻尾は狼のものということだろうか。


 悠の知る人間では決して持ちえないその器官を興味深く見つめる悠に、ルルが小首を傾げながら、


「……ご興味がお有りでしたら、お触りになられますか?」


 そう言い、お尻をこちらに向けて尻尾を立て緩やかに左右に振って見せる。

 良く手入れがされているのだろう、ふさふさとした艶やかな毛並に覆われた尻尾は、とても触り心地が良さそうだった。


 悠は、ごくりと唾を飲み込む。

 動物は好きな方である。特に毛が豊かな動物は。


「い、いいんですか……?」


「今の私はユウ様の奴隷です――という物言いはお好きではないのでしたね。狼人の文化ではありふれたスキンシップですので、ご遠慮なくどうぞ。尻尾の手入れをしているのも、こういう時のためでもあるのですよ」


「じゃ、じゃあ失礼して……」


 誘うように揺れるふさふさの尻尾に、恐る恐る手を伸ばし――


「ひっ……ひたいっ!」


 朱音に、ぎゅっと頬をつねられた。

 いつの間に近寄っていたのか、涙目で目を向ける悠を、朱音は半眼で睨んでいる。

 その眼差しは「何してるのよこの馬鹿」と無言で罵っていた。

 先ほどの言葉を忘れたのかと言いたいのだろう。悠はしゅんとしながら手を引っ込める。


「……またの機会に致しましょうか」


 ルルは苦笑しながらぱたりと尻尾を下ろす。

 その美貌と人当りの良さも勿論だが、彼女の言葉や振る舞いには、どうも思わず警戒を解いて信じたくなるような不思議な魅力があるような気がする。

 決して悠がちょろいだけではないはずである。たぶん。きっと。


「あ、朱音さん……」


 弱々しい視線を向ける悠を、朱音はじとっと睨んでいる。

 きつく結ばれたへの字口は、見るからに不機嫌そうだ。

 何を慣れ合っているんだ、言ったことを忘れたのかこの馬鹿、とでも言いたげな眼差しだった。


「…………」


 朱音はそのまま無言で、ぷいと前を歩き出す。

 彼女がどんどん前を進んでいくので、朱音が行った先をルルが紹介するような形になってしまっていた。


 また、朱音に叱られてしまった。

 こうも失点を重ねていると、いつか愛想を尽かされてしまうのではないだろうか。

 しょんぼりと肩を落とす悠に、ルルが朱音には聞こえない程度に小さく耳打ちする。


「……実はアカネ様は、ユウ様よりずっと早く起きてらしたのですよ。ですが、ずっとベッドの上から動けずにいたのです。何故だかお分かりになりますか?」


「えっ……?」


 目覚めた朱音が動けなかった理由?

 見当もつかない。

 かぶりを振る悠に、ルルは少し悪戯っぽい笑みを浮かべ、


「寝ているユウ様が、アカネ様に抱き付いていらしたからです。それはもうぴったりと密着して、あの豊満な胸元にお顔を埋められて」


「はぇっ!?」


 素っ頓狂な声が漏れる。

 周囲が何事かと振り返り、朱音も胡乱げな眼差しをこちらに向けていた。

 ルルは一瞬で身を離し、何事も無かったかのようにお澄まし顔で歩いている。

 朱音が前を向き、再びルルは顔を寄せて、


「アカネ様は、ユウ様が離れられるまで、引き剥がそうともせずにじっとしてらしたのですよ」


 眠った悠に抱き着かれたまま、頬を赤らめ我慢している朱音の姿を思い起こす。

 悠の眠りを邪魔しないように、待っていてくれたということだろうか。きっと、物凄く嫌だったし恥ずかしかったろうに。


「完全にセクハラじゃないか……僕は、何てことを……」


 更に肩を落とす悠に、ルルが朗らかな笑みを向けながら、楽しげな声で、


「私には、嫌がっているようには見えませんでしたが。むしろ――」


「――むしろ?」


 ルルは言葉を切り、身を起こした。

 形の良い唇に指を当て、意味ありげな笑みを浮かべる。


「……いえ、何でもございません」


「……?」


 小首を傾げる悠に、ルルは優しい表情を見せた。


「少なくとも情の無い相手に許すような行為ではないと私は思います。そこまで怯えられずとも、お二人の絆はそう簡単に切れないように見えますよ」


「あ……」


 悠の表情から、心中を察してくれたのだろうか。

 どんよりと曇っていた気持ちに、光が差すような心地であった。

 まあ、自分はそんなに単純な人間だったのかと少し情けない気持ちもあったのだが。


「ありがとうございます、ルルさん……僕、そんなに分かりやすい表情してました?」


「昔……似たような顔を、見たことがありましたので」


 弟を見守る姉のような、微笑ましげな慈愛の眼差し。

 同時にその琥珀の瞳には、確かな憂いの色が浮かんでいた。

 ここではない遠くを――もう還れないどこかを見つめているようにも思えた。 

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