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第24話 ―聖天来訪・その14(祭・5日目③・告白の夜)―

エロ展開注意。

 伊織は、パニック寸前であった。

 全裸の悠が、全裸の自分を見上げている。胸も、お腹も、それ以外も。

 呆然と、何が起こったか分からないといった表情だ。


 ここから、どうしよう。

 島津伊織は、羞恥と混乱でゆだった思考を、ぐるぐると回していた。

 言おうと思っていたことは、決めていたのだ。

 だが、暴れ回る感情があまりに大きくて持て余し、伊織はその身はおろか、唇すらまともに動かせないでいた。


 脳裏に次から次へとよぎるのは、思い出だ。

 悠と出会ってから、今までの追憶。

 そして、一つの煌々と輝く想い。


 島津伊織は、神護悠に恋をしている。

 好きだ。大好きだ。

 

 いったい、いつからそうだったろうか。

 一目惚れではないと思う。

 初対面での印象は、危なっかしくも微笑ましい後輩といった感じであった。


 切っ掛けはといえば、ティオを粕谷から救うため、悠と一緒に剣術の訓練を行うようになったことだろう。

 彼は、諦めない。

 どんなに地べたを這わされても立ち上がり、剣を取って立ち上がるのだ。

 その姿を、とても好ましく思っていた。


 彼がボロボロになりながらも粕谷に見事勝利してのけた時は、我がことのように嬉しかったものだ。

 その後、不安げな顔をしながらも自らの壮絶な境遇を語ってくれた時には、衝動的に抱き締めてあげたくなった。


 あの頃にはもう、淡い想いは抱いていたはずである。


 そして、アリエスの出現と、夢幻城への誘拐事件。

 あの日々は、かなりの時間を悠と共有した。

 悠に剣の稽古をつけ、カミラから悠と一緒に魔道の訓練を受けた。レミルと遊んであげるのも、悠と一緒のことが多かった。

 

 想いは、日々を追うごとに強くなっていく。

 

 そしてレミルを救おうとする悠を援護するべく、美虎らと共に“覇軍レギオン”のユギル・エトーンを迎え撃ったあの死闘で、絶体絶命の窮地を悠が救ってくれたあの瞬間。


 伊織は、完全に悠に参ってしまっていた。

 ハートを射抜かれた、というやつだ。


 現金だと、チョロいと言いたければ言うがいい。

 誰がなんと言おうと、この恋心に偽りはないのだから。

 その日からも、想いは膨らみ続けている。

 朱音には悪いが、もう我慢などできないのだ。


 しかし、どうすればいいのだろうか?

 伊織は、その手の経験が壊滅的である。

 更には、悠の周囲には自分など霞んでしまうような美女、美少女がぞろぞろと集っているのだ。

 玉砕覚悟で告白しようにも、勝てる気がしない。さすがに腰が引ける。


 本を貸すことを口実にして、悠にこまめに会いに行くという、我ながらせせこましい手段で関係を深めていったつもりであるが、一線を踏み越える思い切りは伊織にはなく、そして悠にもそのような素振りは見られなかった。


 そんな悩みを抱えている時、来栖ざくろが相談に乗ってくれることになる。


 彼女は開口一番、こう言った。


『まず、一度でいいから肉体関係を持つべきだと思うの』


 ドン引きである。

 いずれはそうなりたい、そうなる覚悟をしているつもりであっても、伊織は乙女なのだ。

 何だこのビッチ、と顔を思いっきりしかめる伊織に、ざくろは言葉を続ける。


『悠は、責任感が強いタイプ。責任に縛られるタイプと言い換えてもいい。誰か付き合う女の子を選ぶとしたら、きっと身体の関係を持ったことがある子にすると思う。告白しても、その相手のことが頭によぎって、断る可能性が高い』


 一理あるように思えた。

 

 ルル、ティオ、朱音、美虎――把握している限り、悠が関係を持った4人の女性。

 何だこれ、なんてハーレムエロゲだ。

 頭を抱えたくなる人間関係であるが、現状で悠が選ぶとしたら、確かに彼女たちの誰かのような気がしていた。


『だから、まずはその中に加わる必要がある』


 真理であるように思えた。


 悠に、抱いてもらう。自分のはじめてを、奪ってもらう。

 怖いし、恥ずかしいが、彼が相手なら嫌ではない。むしろ、嬉しい。

 だが彼の平時の貞操観念は、こちらの裸を見ても手を出そうとする素振りすら見せない鉄壁っぷりである。

 では、どうすればいいのか。


『わたしは姐さんの味方。アドバイスはここまで。後は自分で考えて、先輩』


 伊織は悩んだ。祭りの最中、悩み続けた。

 どうにか切っ掛けは無いかと、色々と頑張ったつもりである。

 

 そして、今日。絶好の好機が訪れたのだ。

 ヘルディ広場でのコンテストが完全に終わり、帝城に戻った皆で打ち上げをしようということになった。

 食べ物を持ち寄り、今回のことを話に花を咲かせようと。

 皆は、比較的広いスペースのある宿舎の一つに集まった。

 

 そこには、誰かが持ち込んだ酒もあった。

 そして、場のノリで、みんなが口を付ける流れとなる。

 特に、“ユーリちゃん”による敗北感に打ちひしがれていた女性陣は、ヤケクソ気味に飲んだ。


『ふじゃけんじゃないわよぅ、あたしにもねぇ、プライドってもんがねぇ、あるのよぅ……ちょっと、聞いてんの、ねぇぇ……?』


 朱音は、完全なる絡み酒であった。

 クラスメイトにひたすら不満を垂れまくっていた。 


『むにゃぁ……おっきくなったら……まだ分からないデスぅ……』


 ティオは、すぐに眠ってしまった。


『婿を迎える前の淑女が、あんな恰好を……叔父上に、何と説明すれば……』


 ベアトリスは、ひたすら愚痴っていた。


『それは大変でした。ええ、あなたは悪くなりません、ええ、それは大変でしたね……』


 ルルは、それに付きあわされ、聞いてるようで聞いてない返事を返しながら、ひたすらマイペースに飲んでいた。


『あっはははは! ほら、もっと飲め! オレも飲むから!』


 美虎は、ただただ上機嫌であった。


『うー……我も飲んでみたかったのだ』


 レミルだけは、さすがにアウトということになった。

 更にはすぐに迎えが来て、名残惜しそうに城内へと戻っていった。


 とまあ、そんな感じで皆に酒が回っていき、とろんとした弛緩した空気が流れていた時のことである。


『うーん……』


 悠が、ぐったりとしていた。

 今回の主役のような扱いを受けながら、けっこうな量を飲まされてきたので無理もない。

 特別な身体をしている悠の身体も、アルコールを完全に無効化することはできなかったようだ。


 チャンスだと思った。

 アルコールの勢いに背中を押された伊織は、怖気づくことなく行動した。


『ち、ちょっと悠を、夜風に当たらせてくるばい!』


 そう言って、悠に肩を貸しながら、伊織は宿舎を後にする。

 朱音たちはすっかり酔いが回ってこちらに取り立てて注目するような様子はなく、伊織たち無事に外に出ることができた。


『ユウ様を、よろしくお願いしますね、イオリ様』


 ルルの意味ありげな笑みは気になったが、それはさておき。


 最初は、第一宿舎に運んで、二人っきりになろうと思っていた。

 だが、その宿舎から第一宿舎は、けっこうな距離があったのだ。

 伊織は特別力持ちという訳ではなく、多少なりとも酔いも回っており、小柄で華奢とはいえ、悠の身体をそこまで運んでいくことは困難であった。


 しかし幸運にも、近くにちょうどいい宿舎があったのだ。


 第三宿舎と、そこは呼ばれている。

 第二位階以下の異界兵たちが寝泊まりするための、木造宿泊施設の一つであるが、今は現状に合わせ、異界兵たちの取り決めで少し違う用途に供されていた。


 つまりは、いわゆるラブホテル。

 異界兵たちの間では、男女関係がかなり盛んになっている。

 命の危険がある環境にいるゆえの本能の刺激、そして命を預け合うことによる吊り橋効果もあるのだろうという分析もあった。

 そんな理屈が正しいかはともかく、とにかく恋人関係になる男女が多い。


 そして思春期まっただ中の男女が恋愛関係を燃え上がらせれば、とある“行為”に行きつくことは自明の理といえた。

 ここには、不純異性交遊を取り締まる校則も、風紀委員もいないのだから。

 

 しかし、問題が一つ生じてくる。

 その“行為”を、どこでするのかという問題である。

 いくら情動を燃え上がらせた少年少女といえど、盛った獣ではない。場所ぐらいは選ぶ。

 第三宿舎は、その用途のために供されるための共有物件として扱われるようになったのだ。


 伊織は、第三宿舎へと悠を運び、床に敷かれたシーツの上に寝かせて、服を脱がせ、自分も脱ぎ、そして悠の裸をまじまじと観察しながら、これからどうしようと懊悩している時、


『んー……』


 悠が、目覚めたのだった。






「伊織先輩、ですよね……?」


 薄闇に包まれた部屋の中、悠はその人影に語りかける。

 びくんっ、と大振りなポニーテルが揺れた気配があった。


「ゆ、悠っ……」


 震える声は、やはり思った通りの人物の声であった。

 次第に慣れてきた目が、伊織の姿を認識し始める。


 全裸である。

 寝ころぶ悠の傍らに膝立ちになり、その素肌を晒していた。

 スレンダーな肢体であるが、小柄な割にお尻はやや大きく、太ももがむっちりとしている安産型。

 両手をお腹の前で組み、薄い胸も、その他の部分も、一切を隠していない。


 その顔は真っ赤で、明らかな羞恥に全身をふるふると震わせていた。


「な、何やってるんですか……!」


 悠は、慌てて自分の下にあったシーツを、裸身の伊織に被せた。

 自分も裸であるが、まあそれはそれだ。とりあえず大事な部分だけは見えないように隠す。


「……っ」


 シーツを肩からかけられた伊織は、緊張の糸が切れたように、ぺたんとその場に腰を下ろした。

 うつむいて、悄然しょうぜんと肩を落とす。

 何か言葉をかけようかと思ったが、その前に周囲の状況を確認することにした。


 木造の、あまり上等とはいえない一室である。

 冬馬たちの暮らしている第六宿舎に似ており、恐らくは同じように建築された第一から第五までの宿舎のいずれかではないかと推察できた。


 はて、自分は確か、あのコンテストの打ち上げで皆とわいわい騒いでいたはずなのだが。

 周囲に勧められて、酒を飲まされはじめてからの記憶が曖昧であった。


「ここは……」


「第三宿舎ばい」


 ぽつりとした伊織の言葉に、悠は頬をひくつかせた。

 第三宿舎。入ったことはないが、その名前の意味するところは知っている。

 ここは、異界兵同士がお互いの愛を身体で育む的な、アレなことするために空けられた宿舎である。

 そんなところの一室に、自分と伊織が二人っきり、裸でいる意味。


 思い当たる可能性の一つに、悠は血の気を引かせる。


「も、もしかして、僕が酔っぱらって、伊織先輩に何か失礼を……?」


「ちっ、違うと! 悠は何も悪くなかよ! これは、おいが一人でしたことばい!」


 がばっ、と身を乗り出して訴えかけてくる伊織。

 その切迫した様子に気圧されて、悠は後ずさる。

 当惑しながら、伊織へと問いかけた。


「ど、どうして、そんなことを……?」


 伊織は、叱られた子供のように俯きながら、媚びるような上目遣いでこちらを見つめていた。

 

「あの時、言ったけん……ご褒美ばい」


「ご、ご褒美って」


 察しは付いている。付かない方がおかしい。

 伊織が、悠を第三宿舎に運び、服を脱がせ、自分も裸になった。

 その意図が分からないほど、悠も鈍感ではない。

 その予想通りの答えを、伊織は口にした。


「だからっ、おいが、おいの身体が、悠へのご褒美ばい……!」


「…………」


 察してはいたが、いざ言われてみると、絶句せざるを得なかった。

 急展開過ぎる。思考も感情も、付いていけていない。

 かろうじて、悠はありきたりな言葉を絞り出し、 


「な、何言ってるんですか……駄目ですよ。そんな大事なもの、こんなことに使っちゃ」


「大事だからとよ!? こげなこつ、他の男子にしたことなんてなか! はじめてばい! ずっと大事にしてたから、悠にあげようとしてるの、分からんと!?」


 顔を上げ、切に訴えかけてくる伊織に、続く言葉を飲み込んだ。

 彼女の表情は、真剣そのものだ。

 誤魔化すことなど許されない空気が、その場に満ち満ちている。

 殴りつけるようにぶつけられた感情に、悠は喘ぐような言葉を漏らす。


「な、なんでっ……そんな」


「それ、それはっ……!」


 ますます頬を赤らめる、子猫みたいな可愛らしい相貌。

 そのつぶらな瞳に、狼狽する悠の顔がはっきりと映っていた。

 彼女は悠を真っ直ぐに見つめながら、やがて震える唇を開く。


「……好き」


「……えっ」


「好きばい! 悠のこと、大好きばい! 好きで好きで、もう耐えられなかと!」


「あ……」


 告白された。

 真正面からぶつけられた、純粋な好意。

 その真意を疑う余地など微塵も感じられないほどの、切々とした愛の訴えであった。

 不安げにこちらを見つめる彼女の表情は、まるで怯える子犬だ。


「悠は、おいのことどう思っとーと?」


「それは、その……」


 同じように告白されたことはある。相手はティオだ。

 だが彼女は、その直後に自分から一歩引き、悠の気持ちが定まるまで待つ、別に選ぶのが自分でなくてもいいと言ってくれた。

 だが今回は、それとは違う。


 答えを、求められているのだ。

 悠は、躊躇いがちに正直な気持ちを口にする。


「伊織先輩のことは、好きですよ……でも、僕には、友情の好きと、愛情の好きの区別が、よく分からないんです……その、普通の生活を、送って……こなかったから」


 本心である。嘘などついておらず、言うべき答えはこれしか見つからなかった。

 だが卑怯だ。なんて汚い物言いだろう。

 悠は語りながら、自己嫌悪に陥っていた。 


 伊織はしゅんと肩を落としながら、悲しげに言う。


「……そう言うと思っとったばい」


「すみま、せん……」


 気まずい空気が、流れていた。

 悠は、続く言葉に困って黙り込む。

 先に行動を起こしたのは、伊織であった。


「悠……見て?」


 シーツが、ぱさりと落ちる。

 伊織の裸身が、ふたたび露わとなった。

 すっかり薄闇に目が慣れた今では、彼女の肢体をはっきりと認識できる。

 悠は、慌てて顔を逸らして、 


「い、伊織先輩っ、シーツ……!」


「悠に、見て欲しいと……お願いするけん、ね?」


 媚びるような、切なげな声。

 だが同時に有無を言わせぬ覚悟が込められた声色であった。

 悠は、おずおずと伊織に視線を戻す。


「……っ」


 彼女は、悠の目の前に膝立ちになり、そのすべてをさらけ出していた。

 よほど恥ずかしいのだろう、肌はすっかり上気して、プルプルと震えている。

 それでも彼女は、ぎこちなくも微笑み、小首を傾げて問うてきた。


「……おいの身体、どげんばい?」


「綺麗、です……」


 正直な答えに、伊織は嬉しげに口元を緩ませる。

 一生懸命に色っぽく見せようとしているのだろう、身体をしゃなりとくねらせながら、

 

「この身体、好きにしても、よかよ……? して欲しいことあるなら、何でもするけん」


「そ、そんなっ……言ったじゃないですか! 僕は、伊織先輩の気持ちに応えられるか分からないんですよ!? そんな相手に、そういうこと許しちゃ駄目です! 僕なんかよりずっといい相手、いくらでもいますよ!」


 ただでさえ、4人もの異性を相手に不誠実を重ねている身である。

 そしてその誰とも、関係をはっきりさせようとしていない。

 答えを出すことから、逃げているのかもしれない。

 自分はそんな、情けない男なのだ。


「嫌!」


 だが伊織は、悠の拒絶を、さらに激しく拒絶した。

 ポニーテールを振りたくるようにかぶりを振り、声を荒げる。


「悠じゃなきゃ嫌ばい! 悠以外の相手なんて、ぜったい御免とよ! 考えられんけん! ……悠がよか」


 その悲鳴じみた声は、次第に涙声にかわっていく。

 くりっとした瞳から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれていた。

 目元をぬぐいしゃくりあげながら、嗚咽混じりの声が悠に届く。


「悠が、よかよぉ……」


 小さな子供みたいに泣きじゃくる伊織。

 悠はどうするべきか分からずに、ただ申し訳なさと情けなさで唇を噛み締めていた。


「伊織先輩…………僕は、その」


「やっぱり、おっぱい小さいから魅力なかと? おいの身体、抱く価値なんてないって思っとーと……?」


「き、綺麗だって言ったじゃないですか! 伊織先輩の身体は魅力的です!」


「だったら――」


 その時だった。

 ガタンっ、という物音が、遠く聞こえてくる。

 外からではない。第三宿舎の中から発生した音だ。


『……!?』


 誰かが、宿舎の中に入ってきている。

 ギシ、ギシと、足音のようなものが聞こえてきた。近付いている。

 悠と伊織は、顔をこわばらせながら同時に口を噤んだ。


 誰か、他の利用者が現れたのだろうか。

 この第三宿舎は、いくつかの部屋に区切られていると聞いている。

 本来は、集団で寝泊まりするための大部屋と、悠たちがいるような倉庫などの用途に供されていた小型の部屋が5つほど。

 大部屋は、まあ業の深い上級者向けだ。

 普通は、小部屋の一つを選んで利用するらしい。


 足音は、二人ぶんのようだった。

 だんだんと、大きくなっている。

 小部屋の一つを利用するために移動しているのだろうか。

 

「…………」

「…………」


 悠と伊織は、青ざめた顔で見つめ合っていた。

 暴走気味であった伊織も、さすがに冷や水をぶっかけられたように固まっている。

 とにかく静かにしていよう、バレないようにやり過ごそう。

 その認識を共有しながら、二人はひたすら息を潜めている。


 足音は、まだ近づいてくる。

 まだ、まだ、まだ――もしかして、この部屋に向かっているのではないか?

 その危機感は、伊織も抱きはじめていたようであった。

 

 どこか、隠れる場所は……!

 悠は部屋を見渡して、壁と一体化したクローゼットがあることに気付く。

 その間も、足音は危ういまでに近くなっていた。

 迷っている時間は無い。悠は決断した。


「……っ」


 “煌星剣サジタリウス”を介して、魔道に繋ぐ。

 力を引き出し、身体能力の強化を行った。


 伊織を抱え、床に丁寧に折り畳まれて置かれていた二人分の衣服を掴み、迅速に、静粛に、クローゼットへと。

 開けて、隠れて、閉める。

 我ながら驚くほどの精密な動作で、悠と伊織はクローゼットの中に身を潜めることに成功していた。


 伊織を背中から抱き締めるような体勢、二人で入るには窮屈な空間のための、密着せざるを得ない。

 悠に口元を抑えられていた伊織はびっくりはしていたが、事態を察して、悠に振り返ってコクコクと頷いていた。

 手を離し、二人して安堵の吐息をつく。


 そして、嫌な予感は的中した。

 二人が隠れた直後、部屋のドアが軋んだ音を立てながら開く。

 一組の男女が、足を踏み入れてきた。

 気まずいなあ、と思いながらも、悠は隙間からその人物が誰なのかを何気なく確認した。


「……こ、ここでいいんだよね、冬馬」


「そ、そうだな綾花……ドアの前の札も、未使用になってたし」


 壬生冬馬と、世良綾花。

 悠のクラスメイトであり、親友にように思っている男子生徒と、その幼馴染である眼鏡と三つ編みの文学少女。


(はああああああああああああ!?)


 と、思わず声に出して叫びそうになった。

 伊織も、驚愕に目を見開いている。


「ちゃんと、使用中にひっくり返したよね?」


「ああ、普通忘れねえだろ……誰か入ってきたら気まずいなんてもんじゃないし」


 そうか、そういうシステムか。

 そして、この部屋の前の札は、ひっくり返ってなかったと。

 悠は思わず半眼で伊織を見下ろした、伊織は、気まずそうに顔を逸らす。

 

 まあ、それはそれとして、それどころじゃない問題が発生している。

 冬馬と綾花が、この部屋を利用しようとしていた。

 利用する……何のために? 言うまでもない。

 そういうことをする関係にまで発展しているのは、応援していた身としては喜ばしいことなのかもしれないが、よりにもよって、クローゼットに悠たちが隠れている状況ではじまってしまうというのは、恐るべき事態といえた。


 今からでもクローゼットから出て、事情を説明するべきではないのか。

 だがしかし、悠と伊織は現在、すっぽんぽんの全裸な訳で、それはそれでものすごく気まずい事態になることは想像に難くない。

 それに、自分だけではなく、伊織の問題でもある。


 どうしましょうかと、伊織に目配せした。

 彼女も、ひどく迷っているようであった。誠意と羞恥の間で、つぶらな瞳が泳いでいる。

 だがそれは、彼女も出ていくべきだろうと思っているということではないか。


 10秒以内に決めよう、というか、覚悟を決めて出て行こう。

 悠が、そう決意した時だった。


「綾花……」

「冬馬……」


 初々しいキス。

 互いの身体を抱き締めあい、互いの唇を小鳥のようについばむ姿はとても微笑ましい。

 甘ったるくも幸せそうな、恋の雰囲気。


(展開早いよっ!?)


 ますます出ていき辛くなった。

 伊織が、口元に手をやって「あわわわ」とでも聞こえてきそうな狼狽の顔を見せている。


「ド、ドキドキするね、冬馬……」


「あ、ああ……俺、こういう経験ねえから、うまくできるか分からないけど……」


「わ、私もだよぉ……」


(初体験……!)


 想い合ってきた幼馴染同士が、ようやく結ばれる時。

 二人にとって、忘れられない思い出になるだろう。


 どうしよう、とても出て行ける空気じゃない。

 悠と伊織は、顔を見合わせる。


「ま、まず服を脱げばいいんだよな……?」


「そそそ、そうだよね!」


 よく聞けば、二人の声は微妙に呂律が怪しい部分があった。

 多少なりとも、酔っているのだ。

 お酒の力を借りて、一線を踏み越えようということかもしれない。


 それでも、大変な決心があったはずだ。

 邪魔をしてしまえば、次の機会はいつ訪れるのだろうか。

 そんな思いが、脳裏をぐるぐると巡っている。

 自縄自縛に陥った悠と伊織は、クローゼットから出ていく機会を完全に逸してしまっていた。


 どうしよう、どうすれば、どうするべきなのか。

 悠と伊織はただ無言で密着しながら追い詰められた眼差しを交わし合う。

 音を立てるのが怖くて、身動きすらできない。


 そんなクローゼットの中の混沌とした状況など露知らず、悠の大切なクラスメイト達は、その絆を物理的に深めてく行為を続けていた。


 綾花が、恥ずかしそうにしながら服を脱ぎはじめる。


 そこで悠は、目を閉じた。

 自分は、見ちゃいけない。

 あれを見ていい異性は、冬馬だけなのだ。

 耳も塞いでしまいたかったが、腕を動かすことはできなかった。


 もはや脱出不可能と覚悟を決めた悠は、事が終わるまでひたすら待つ覚悟を決める。

 伊織はどうだろうか、小刻みな息遣いと、密着した肌の体温と震えだけが伝わってきた。


 衣擦れの音。

 交し合う、初々しくも微笑ましいむつみ合う言葉。

 おっかなびっくりといった行為の様子が、声と音だけでも伝わってきた。


 ああ、はじめて同士だとこんな感じになるんだなあ――という思考を、慌てて脳裏から振り払う。

 別のことを考えよう、別のことに集中しよう。

 冬馬と綾花の状況を、意識から切り離すために。


「……!?」


 そこで悠は、意識してしまった。


 柔らかく暖かい、汗ばんだ肌。

 全裸でぴっとり密着した、伊織の肢体。

 クローゼットの中は狭いので、密着どころか押し付けるような状態になっている。

 悠は、伊織を背後から抱きすくめるような姿勢になっており、お尻の丸みが、腰を介して伝わってきた。


 まずい、その位置はまずい。生物学的に、とてもまずい。

 何とか位置をずらそうと身動ぎするが、


「ぁっ……」


 伊織の、悩ましげな吐息が漏れる。

 ぴくん、と彼女の身体が反応するのを、直に肌で感じてしまう。

 思わず、目を開けてしまった。


「……ゆぅ」


 伊織は、ずっと悠を見上げていた。

 口元に手を当てて、吐息を押し殺しながら、悠を切なげな瞳で見つめていたのだ。

 潤んだ瞳は、何かを訴えかけるような切実な光をたたえていた。


 その向こう、隙間から、裸で寝そべる綾花を、冬馬が――いやいやいや。駄目だ、見るな。


「ゆぅ、ゆぅ……」


 伊織が、小さな声で呼んでいる。

 彼女は真っ赤な顔で、視線を下に落とした。

 悠の、腰のあたりに。 


 彼女が何を見ているか、容易に察することができた。

 悠も、頬を真っ赤に染めて声ならぬ羞恥の呻きを漏らす。


「~~……っ」


 ……悠だって、男である。

 こんな風に可愛い女の子と裸で密着して、柔らかなお尻を腰に押し付けられたりしたら、悠の意思の関係なく本能的に反応してしまう部分はどうしてもある。

 耐えられる人間がいたら、特殊性癖か病気のどっちかだと思う。


 とはいえ、死ぬほど気まずいことには変わりない。

 何とか、姿勢をずらせないだろうか。

 できれば、伊織と密着したこの体勢をどうにかしたい。


 そう思って、悠が音を立てないように悪戦苦闘している時であった。


「!?」


 掴まれた。

 悠の男性として極めて重要な器官を、伊織の指が包んでいる。

 愛でるような、優しい手つき。

 悠は、身をこわばらせた。


 伊織の顔が、近付いてくる。

 足がプルプル震えているのは、爪先立ちになっているからか。

 囁くような小さな声、このように言ってきた。


「……ごめんばい」


 何が?

 その疑問は、次の瞬間に察せられた。

 悠を包んだままの伊織の手が、彼女の太ももの間におそるおそる添えられ、そして触れ合ったから。


「ちょ……!?」


 思わず、声が出そうになる。

 目を見開く悠の顔を、伊織は申し訳なさそうな、しかし覚悟を決めた眼差しで見つめていた。

 悠はまともに身動きできず、伊織のなすがままになるしかない。


 冬馬や綾花にバレるのを承知でやれば、抵抗はできたのだろう。

 しかし、あんなに幸せそうに、一生懸命に睦み合っている二人の邪魔など、断じてできない。


 あるいはこれはただの言い訳で、悠の内心は伊織の求めるままにすることを卑しくも望んでいるのかもしれない。

 そんな思考が、酔いで処理能力の低下している脳裏に渦巻いて、何も決められず、けっきょく悠は動けなかった。


「……ゆぅ」


 伊織のこわばっていた口元が、緩む。

 羞恥で顔を真っ赤に染め、潤んだ瞳からは涙をこぼしながらも、伊織は笑った。

 眩しいばかりの、恋する乙女の笑顔であった。


「……大好き」


 そして、伊織は、腰を落として――






 ――冬馬たちは、とっくに去った後であった。


 室内には、二つの衣擦れの音。

 悠と伊織が、お互いに背を向けながら服を着ていた。

 身体は、部屋の片隅に置かれた桶の水を使って拭いている。

 部屋に戻ったらきちんと清めることが必要だろう。


「……お、終わったとよ」


「ぼ、僕もです……」


 悠が振り返ると、いつも通りの服装をした伊織が立っていた。

 髪はかなり乱れ気味で、愛らしい顔には疲労の色が刻まれている。

 子供っぽさのあった顔立ちが艶っぽくなっているように見えるのは、気のせいだろうか。

 

 どう声をかければいいか、分からなかった。

 しばし黙って見つめ合い、悠はようやく躊躇いがちの言葉を絞り出す。


「す、すみませんでした……」


 伊織は目を丸くして、ぶんぶんと首を振る。


「どうして謝ると? 悠は何も悪いことしてなか、原因は、ぜんぶおいにあるとよ……?」


「いや、それでも、何というか、男として……」


 最終的には、悠も我慢できなかったのだ。

 痛みに耐えながら、いじましく悠を求めてくる伊織はたまらなく可愛らしかった。


 同時に、自分の意思の弱さに幻滅して密かに自責し、凹んでいるのだが……あまり伊織の気を病ませたくないので、顔には出さないようにする。

 彼女は、もじもじとしながら気恥ずかしげに言った。


「よ、酔った勢いみたいなものもあったけん……別に今日のことで、責任取れとか、今すぐ告白の答えをくれとかは言うつもりはなかよ?」


「でもですね、あの……」


「……?」


 子犬のように首を傾げる伊織。

 しかし悠は続く言葉に迷い、誤魔化すように鼻の頭を掻きながら、出口を指し示した。


「……とりあえず、宿舎に戻りましょうか」


「そうとね……あっ」


「先輩!?」


 ふらつく伊織を、慌てて支える。

 悠の腕に抱き止められながら、伊織は罰が悪そうな笑みを見せた。


「ま、まだ、足がガクガクすると……違和感、あるばい」


「……そ、そうですか」


 気まずい。

 先ほどまでの伊織の表情や、その行為、その言葉を思い出してしまい、悠は赤面した。

 それを誤魔化すように背を向けて、悠は身をかがめる。


「おぶっていきますから、どうぞ」


「……ん」


 伊織は、黙って身を委ねた。

 悠の肩に顎を乗せ、ぴっとりと身を寄せてくる。

 悠は、伊織の太ももを抱えるようにして、立ち上がった。


 普段の悠の腕力ならば絶対に無理な行為だが、“煌星剣”の力を借りる。

 誰かに見られないよう、人の気配に気を使いながら、第三宿舎を後にした。


 満点の星空、巨大な真円の月が、帝都を見下ろしている。

 もう、完全に深夜だ。

 打ち上げは、もうとっくに終わっているだろう。 

 敷地内の雑草を踏み締めながら、悠は第一宿舎の方へと向かっていった。


 涼やかな虫の音に包まれ、撫でるような夜風を感じる。

 帝城の敷地から見下ろす帝都は、そのほとんどが闇に包まれ、静まり返っていた。

 まるで世界に自分たち以外の誰もいないような、そんな錯覚を覚えていたのは、悠だけだったろうか。


 そんなことを考えながら、悠は伊織に語りかけた。


「先輩、あの……告白の、返事なんですけど」


 返事は、ない。

 振り返ると、伊織は健やかな寝息を立てていた。

 悠は苦笑しながらも、自らの意思を確かめるように言葉を続ける。


「伊織先輩がそう言ってくれたことは、すごく嬉しいです。光栄です……まだ、僕の中にはっきりした答えはないけど、でも」


 自分は、彼女たちに甘えている。自らの過去にも甘えている。

 今のままでは、いけないのだ。

 それまでは漠然とそう思っていただけであった。


「ちゃんと、考えます。そして、決めます。先輩の気持ちに応えられるか、応えられないのか……答えを、出しますから。もう少し、待っていてください」


 だけど今は、強く思っている。

 取り返しのつかないこともあったが、そういった意味では今日はよい切っ掛けだったのかもしれない。


(……だけど)


 自分はもしかしたら、1年後にはもう生きていないかもしれない。

 そんな自分が、他者と深く寄り添うことを前提とする幸福を得ても良いのだろうか。

 残された相手に、途轍もない悲しみを背負わせる結果になってしまうのではないか。


 そんな考えが、悠の決意に迷いの一滴を落とす。

 波紋のように広がっていく胸のざわめきを、悠は深呼吸とともに吐き出した。


「……それでも、今のままじゃ駄目だよね」


 一歩、一歩、自らの胸に決意の足跡を刻みこむように、悠は帰路へとついていった。

本当は今話で書籍2巻に登場する伊織のキャラデザを公表したかったのですが、まだ出していいファイルが出来ていないために断念。


悠の身近に登場しているヒロインは、これで一通りイベントが発生しましたね。

人間関係についてはむしろこれからという感じなのですが。

どのキャラが対象になるかは秘密ですが、原則として1章に一つはイベントが発生する予定なので、期待してくれている人はまた気長にお待ちいただければとw

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