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◇4話◇姫君の本音

☆☆☆


 王子が冒険への出発を遂げた頃、黒の王子に掠われた姫はと云うと。


 魔法使いの高き塔にてため息をついていた。


 窓から月を眺め、彼女は月よりも美しい姿を哀しみに沈ませて……いた訳でもない。

 美食もドレスも宝石も、望むだけ出て来る。いや望まずとも、姫君を美しく飾り立て、黒の王子は倖せそうに彼女を見つめる日々である。

 心細いかと云うなら、それもない。


「燕夜?燕夜っ」


 姫君の声はどんな楽士が出す事も敵わず、どんな音楽よりも美しい。呼ばれた男はふわりと姫の傍らに降り立った。

 魔法に慣れた姫は云う。


「退屈だわ。」


 素っ気ない口調に声、冷めた眸に表情、掠われた身で、当然と云えば当然だが、姫君は何ら温もりを与える事をしない。

 冷ややかに、誇り高く、己を掠って来た魔王を、けれど躊躇なく呼びつけるのだ。


 魔王は喜々として従う。

 姫から向けられるものならば、冷たい眼差しさえ黒の王子を魅惑する。


「では音楽でも」

「飽きたわ」

「ならば新しい宝石を」

「宝石で退屈が紛れるとでも?貴方はどこまで莫迦なのかしら?」


 柔らかい口調で笑みを含んで紡がれる、姫君の容赦ない言葉も、黒の王子を惹き付ける材料にしかならない。


「わたくしはね、何か面白い、目新しいモノが、欲しいの」

「例えばどんなモノですか?」


 当然だが、その質問には冷ややかな眼差しが返される。

 黒の王子の名にしおう、闇色の髪と闇色の眸が、白い肌に映える。神秘的で美しい王子。

 東国の名を持ち乍ら、黒の色彩は北のもの。そして肌は西と東の融合した、滑らかな陶磁器の白。


 年若い娘が、この美々しい若者を前にして、ましてや日々崇められ、こんなにも熱を持った眸で見詰められ、心が動かない訳もない。


 紫蘭も結局は初心な姫君だった。例え、相手には決して覚らせなかったとはいえ。打算に依る結婚を、自ら進んで選び取ったとはいえ。そして、此処でも、心に打算がひしめいていたとはいえ、結局は初心な小娘の心を、捨て切る事は出来なかったのだ。


 例えば、財産がクルトに匹敵しても、よしんば、勝る事が有っても、西の大国を敵には出来ない。

 ヒラリス王子が紫蘭花姫を諦めない限り、紫蘭の立場から黒の王子を選択する事は出来ない。


 それでも、夜の眸に凝視られる事を、嬉しいと想う自分に気付いてはいた。


 気付いたからと云って、何が出来る訳でも無い。唯こうして…退屈を口実に呼び出したり、悪態をついたりして、振り回してみたりがせいぜいだ。

 燕夜はいつも、彼女の為に様々な趣向を用意してくれるので、城に居る時よりも楽しいくらいだった。


 楽士を呼んだり。

 芸人を呼んだり。

 時には、夜の空を燕夜は姫君を抱いて飛んだりもする。


 城に居た時よりも、行動には自由が有る。とは云え、城での生活の不自由さは彼女が選択したものだった。

 良き姫。素晴らしき姫と呼ばれる為に、その名に傷がつく様な事は避けて通って来たのだ。


 穏やかで優しく、思いやり深く、誰より美しい。賢く、誇り高く、近寄り難い程に高貴で、けれど高慢さは露程もなく、見つめるだけで倖せになれる様な、そんな姫。


 そんな評判を守っていたのだ。抑圧も半端ない。


 沢山の男を袖にはしたが、誰一人として、彼女を悪く云う者は居ない。

 確かに彼女は賢明で、必要以上に偉そうな女は敵を作ると知っていた。

 特に彼女が慎重に優しさを振り撒いたのが、女性陣相手なのが証拠のひとつだろう。


 男の恨みを捻り潰すより、女を敵にした方が余程体力と根性が必要なのは当然と云うものだ。

 それでも彼女は楽しかった。敵を避け、味方を作り、人を操り、政治のゲームに興じる事が、多分何より彼女を楽しませていたのだ。


 夜会の席で、さりげなく動かす政治の駒に彼女はゾクゾクする程の快楽を覚えた。そして、彼女のその性質――勿論、性格では無い――の一端を知る王と王妃は、彼女をとても頼もしく思っていたのだ。その国王夫妻にさえ、彼女は本音で接して居たとは云えない。



 だから彼女が、自らの本音を曝し、その性格を顕らかにしたのはこの塔に来て初めての事でも有った。


 長い間被って来た仮面を外す事は、例え望んで演じて来たとは云え、一種の爽快さを彼女に感じさせたが、それは当然の事だったかも知れない。

 晒した自己を賛美する美しい青年の存在がその理由だった。その眼差しに、紫蘭花は無関心ではいられない。

 彼女の企み好きな性質は、一介の村娘に生まれたとしても、平凡な一生に倖せを感じ取る事は難しかっただろうが、それでも娘らしい恋心に無縁と云う訳でも無かったのだから。それは結婚相手の容色に、必要以上にこだわる事からも知れる。


 退屈だと云えば彼は来る。いや、名を呼ぶだけで充分なのだろうが、彼女は理由が欲しかった。


 云い訳、と呼ぶべきだろうか。

 だが、そんな自衛の手段よりも、自分を喜ばせる為に懸命な彼を見るのが嬉しくてたまらない。

 何とも業だなあと思いつつも、姫君は冷ややかに彼を見遣る。

 その美貌に、熱い眼差しに惹かれ乍らも、それを表現する事が許されない。

 自分の立場を生まれて初めて腹立たしいと感じた。


「それを考えるのが、貴方の役目だと思ったけれど…役立たずにも程が有るのでは無くて?」

「申し訳ございません、姫君。例えばセリカの城で、どんな事が貴女の楽しみだったか、どうか愚かな私に、お教え願えませんか?」


 悩ましくも夜の眸が煌めき、怯みそうになるのをグッと堪えた姫君である。

 くっ、と喉を反らし、自然に、冷ややかに、腰を低くした黒の王子を見下して、仕方ないわねと言葉を綴る。


「そうね、夜会が好きだったわ。城ではそれが1番楽しみだったかしら。」


 正確には巧妙に政治的手腕を発揮するのが、彼女に快い緊張感と満足感を与えていた。

 それは普段の生活でも同様だったが、決して覚られずに立ち回る事が、逆に彼女の心を解放するのだ。


「陰謀と打算。欲に満ちた罠。」


 ゆったりと笑みを浮かべ乍ら、それらが今迄通り愉しませてくれるかは疑問だが、と彼女は思った。

 勿論、それらの政治ゲームに対する気持ちを霞ませたのは、この美しい黒の王子に出逢った所為に外ならない。


「貴方は楽しくなかったの?」

「そう…ですね。楽しくなかったと云えば、嘘になる。けれど、そんなものに構けていたから、私は…大切な家族を失った。」


 そう云って燕夜は淋しい笑みを浮かべた。

 静かに穏やかに微笑み乍ら、彼の眸には空虚な色が有った。

 殊更に哀しみや苦悩を見せる事もせず、だからこそ見る者を切なくさせる色彩だった。


「梨那季亜さま、と云ったかしら?弟君は。3代前の主の、妾腹の王子でしたわね。お祖父さまは、貴方の大切な家族には含まれなかったの?」

「景影か。いや。愛しい弟だったのは確かだ。けれど、季亜は誰より大切だった。あれが死んでから、私は自分の罪に気付いたのですよ。」


 祖父の兄である美しい王子の哀しみに、紫蘭姫は首を傾げた。自嘲さえ出来ない程の罪が、燕夜に有るとは思えなかったのだ。


「どんな罪ですの?」

「誰も、……妻も、両親も、弟達も。誰の事も、本当には愛さなかった罪です。」

「……でも、貴方は梨那季亜さまを愛されたのではなくて?それこそ、王位を継ぐ立場を捨てて、此処にお篭りになった。」


 誰よりも、そう、歴代の王の誰よりも素晴らしい王になると謳われた男。なのに弟の為に、その美貌と才を隠したのでは無かったか。


「あれの事さえも、本当には愛さなかった。それに気付いて、初めて愛しかけて、余りの遅さに………私は自らを棄てたのですよ。」

「燕夜…」


 時を留めた王子の嘆きは、素直に哀しむ事も出来ない程、深く捻れている。

 梨燕紫夜蘭。リエンシャランと云う名の、セリカの伝説の人物は、こんな所で、別の伝説になって居た。


 黒の王子。魔王と呼ばれる男として。


「何だかわからないけれど、どうでも良いわ。」


 彼女は色々と云いたい事をグッと堪え、努めて詰まらなそうに、あっさりと、云った。

 過去より、現在や未来が良い。この人の哀しみより笑顔が良いと、紫蘭は思った。同じ名を持つ男に――この男の名を貰ったのだから当然の事だが――、初めて愛を教えたのが自分だと云うなら、彼に笑顔を与える事が出来るのも、また己だけだと今の彼女は知っていた。

 この数日で知ったのだった。


「そうですね。夜会とはいきませんが、祭が有るようですよ?」

「そう?空から眺めて見たいわ。散策に出ましょう。」

「御意のままに、美しい姫君。」


 白い手に口付けて、夜の眸が熱を帯びる。


 愛さなかった弟に、愛してくれた弟に、孫として彼女が産まれて来たと知った時、彼は何を思ったろう?


 何気なく水鏡に映し出した祖国の地で、少女は美しく賢く育った。そして、その行動が自分に似ていると知った時には、既に誰よりも深く愛していた。

 誰にも渡したくないと思った彼は、己と同じセリカの王族としての価値観を持つ少女が、何処の国を選ぶかを知っていた。

 きっと、と、思い。


 クルトの国に至る道に、罠を、仕掛けたのだ。


 自分に似ていて、けれど自分に無い、大切な何かを持っている姫。

 彼女を掠って来た時に、彼は彼女の為なら死んでも良いと、そんな事を思ったのだ。死とは無縁の彼が、である。

 初めての恋は、けれど多難を極めていた。

 それでも、死んでも良い等と考える程に、死にたくなくなったのなら、いつか倖せを求めたりも、するように、なるかも知れない。

 少なくとも、この後ろ向きな思考に非常に立腹している前向きな姫君が、今は傍に居るのだから。


☆☆☆



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