◆3話◆黒の王子
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月を見上げ、燕夜は眸を閉じた。
聖光が刺さり貫く痛みに喘ぐ。
夜闇の眸も艶やかな黒髪も、生まれ落ちた時より燕夜を飾るものだ。
人間で在った頃の燕夜は、光り輝く存在だった。
黒髪も黒眸も、決して月光を拒みはしなかった。
手の平を見る。
肌はまだ白い。
血に濡れた肌が、闇に染まる日を意識させる。
そこここの陰で、小さな闇が蠢く。
燕夜を崇め、賛美し、命令を待つ。
『応えて遣らないのか?』
「消えろ」
『姫は首尾よく掠った様じゃないか。』
「消えろと云っている!」
燕夜が上げた手に剣が握られた。
空間より月光と共に顕れ、横薙ぎに払えば閃光が、燕夜の眸を夜闇の神々を焼く。
小さな闇は単なる影に立ち返り、燕夜の眸にも輝きが戻る。
だが、その男だけは平然と嗤った。
『おお怖い。怖や怖やのう。』
流石に月光の剣からは距離を取り、斬られれば無事では無い事を物語るが、単に月に身を晒したくらいでは消滅もしない。
「セルスト神。お前は何がしたいんだ。」
クツクツと夜闇の神は嗤う。
『神と呼び乍らその態度か。出逢った頃は殊勝で在ったものなのになあ。』
「答えないなら消えろ。」
燕夜は剣を振り上げた。
狙い違わずセルストの眉間に刺さる。
が、燕夜は舌打ちをした。
剣はそのままセルストを突き抜け地に刺さり、陰の様にセルストの姿は消えた。
滅した訳では無い。
剣は単にセルストの幻影を貫いただけだった。
哄笑が響き渡る。
燕夜が崇める神は他に存在して、その光り輝く神も燕夜を愛し子と呼ぶ。
だから、燕夜は闇に堕ちた存在では無い筈だった。
だが、人々の間では燕夜は魔王とさえ喚ばれ、夜闇の王であるセルスト神も呼ぶ。
愛し子と。
「解っている。私は姫には相応しくない。」
凍りついた声が、闇を呼ぶ。陰に沈む闇が、また蠢き始めた。
燕夜は嗤った。
夜闇の眼差しが月を見上げ、痛みに耐える。
姫が生まれるまで、この痛みは無かった。
欲望さえ失っていた燕夜は、闇に誘われても染まる基盤が無かった故だ。
だが。
欲しては為らぬと戒め乍ら、姫を望む心が在る。
狂おしい程に愛すれば愛する程、闇は強く深くなる。
希望も苦痛も忘れ、ただ黙々と職務を熟す日々には、セルストは眠そうな顔で傍らをうろつくだけだった。
紫蘭花が生まれ落ち、燕夜がその光に心囚われた日。セルストは眸を煌めかせた。
華やかな美貌に似合わぬ寝呆けた表情が、その日を境に消え失せた。
代わりに淫らな迄の艶が甦り、闇の力が活力を取り戻した。
燕夜の何が気に入ったのか、抜け殻だった頃から顕れる神である。 姫の存在で心を取り戻せば、煩い程に燕夜に付き纏う様になった。
――リア。
燕夜は祈る。
月の光に焼かれ、眸の痛みが消えれば、燕夜は聖浄な存在に戻る。
だが、本当にそうなのだろうか?
本当に清らかな者の前に、セルストが顕現するだろうか?
燕夜は嗤う。
「私は、やはり汚れている。」
このまま、月の光に洗われて、消えてしまえれば良いのに。
そうすれば、愛する姫の心を煩わせる事も無くなるだろう。
――だが、生きる限り……私は姫を思い切る事も出来ない。
燕夜は思って、いつまでも月の下に佇んでいた。
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