◇2話◇王子の出発
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此処は西の大国クルト。
国王夫妻が表情を固くして、心配を隠せない様子だ。
「まだか!?」
青い顔で、王が声を荒げる等、滅多に有る事では無い。だが今の王は、傍らの王妃が今にも倒れそうな様子にも頓着出来ないで居る。
何故なら、待ち詫びた王子の花嫁が、国境を前にして掠われてしまったからだ。
彼等はセリカの姫の行方に関する報告をずっと待っていたのだ。
魔女や兵士を始めとして、ありとあらゆる人々が、ありとあらゆる方法で、姫を探索していた。
そして、その指揮をとるのは、嫁盗人の被害者たるヒラリス王子であった。
「父上、余り周りの者に当たらないで下さい。」
恐れ気もなく声を発したのは、クルトの唯一の王子にして神々に愛されたヒラリス王子だ。
「ヒラリスか…どうだ?何か解ったか!?」
気難しい王の表情を和ませたのは、何も王子が唯一人の息子だからだけではない。
ヒラリス王子ならば何とかすると信じればこそである。
クルトの民は知る。王子はあらゆる神の寵愛を得ていると。
美と芸術の神、知の神、武の神にも愛され、剣の技は天才の名を欲しいままにしている。
どこの国より富み、どこの国より強く、民も豊かで倖福に暮らして居るが、人はそれだけでは満足出来ない。
クルトが何より望むモノ。
それは歴史、文化、芸術、はっきりと言葉や形に表すのが難しい、美の中に有る。
文化的でないとは云わない。クルトの民自身思ったりはしない。
けれど、芸術を誇る国を、歴史の深い国を、どこか羨まずにはいられない、それがクルトの国民性なのだ。
文化も芸術も何処か借り物に等しいこの現状こそが、クルトの悩みだと云っても良い。
美と芸術の国セリカの姫を娶る事で、その不満もかなり解消される筈だった。
いや、解消されなければならないのだ。
王はそう思って、王子に尋く。
「何処に居るのだ、姫君は?そして、掠った魔女はどこの者だ?」
王子は応えた。
「東の森の………魔王のようです。」
「黒の王子か!?」
そんなバカな?と、王は激昂し、王妃は意識を手放した。
それだけ手強い敵であった。
普通なら敵にしてはならない相手でも有る。
黒衣を纏った魔法使い。東の森は魔物さえ近付かない禁断の地だった。
行って戻って来れたらそれだけで――目的地に辿り着けず迷い出ただけでも――倖運だと云うくらいの。
禁断とは聖地の証でも有り、聖地を破る者が赦されないのは当然とも云える。
だが、例え禁忌を破ろうとも、王族として為すべき行動が有る。
だから、王妃は王子がそこに行く姿を想像しただけで気が遠くなったのだ。
「行くのか」
王妃が侍女達に運ばれて、広間から去った後の…第一声がコレで有った。
王子は一言。
「はい」
「そうだな、そうでなくてはならん。だが……」
王の眸には絶望と哀しみと希望が有った。
複雑に絡み合う感情を抑えて、王は告げた。
「行くがよい。クルトの名誉の為に。そなたの誇りの為に。そして、彼の姫、美の女神の娘たる硝紫黎蘭花姫の為に!?」
仕来たり通りに、口上を述べ、右手にて指し示す。
東の方角を。
ヒラリスも仕来たりに従って礼を取り、姫君救出の旅に出る。
ショウシレイランカ姫、5つの名を正式に呼ばれる事は滅多に無いが、それでも2つ名で呼べるのは彼女を『持つ』者だけだ。
今迄は、彼女の両親。セリカの国王夫妻。
今となってはヒラリス王子のみが許された呼び名。
「はい、必ずや。次にお目にかかる折には、紫蘭姫と共に!」
そして王子は出発したのだ。
魔の森へ。
東の森へ。
黒き王子の治める領地へと、彼は姫君を救出すべく。
冒険の旅に出た。
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