◆25話◆女神の裁定
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「ここに。千年の約定が果たされた。」
高く掲げられた砂久弥の手に、銀に輝く錫杖が握られた。
シャラと煌めく銀の光が揺らめき。
次に閃光に似た音色が鳴り響いた。
月光の剣が啼いた声と同じ音色が、更に強く強烈な程に激しく、鳴り響き。啼き叫ぶ。
砂久弥の玲瓏とした美貌が月の下で硬質な輝きを放つ。
「我が名は梨亜砂久弥。白と青衣の導師にして神司たる者。現在リア・リルーラの代行者として此処に在る。」
朗々と、銀に凍る声が低く硬く宣言する。
その夜月の美貌と相俟って、宝石の様に煌めき硬く凍るのに、甘く響く誘惑の声は神の言葉としてヒラリスに届いた。
――ああ。そうか。神様………だっけ。
神司は、末端とは云え神に列なる存在だった。
――ははっ。参った。スッゲ綺麗だな。
ちょっと泣きそうだった。
ヒラリスの想いも知らず、月の美貌が錫杖を前に捧げ持ち。
シャンッ!!
勢い良く向きを変えた。
そのまま縦に翳した銀に煌めく錫杖を地に振り下ろす。
また。
一瞬の耳鳴りにヒラリスの視界が揺れた。
――っつ。この音、脳に響く!
シャ――――ンッ!
今度はすぐに啼きやみ、ヒラリスはホッと安堵した。
気絶する直前の様な、意識の混濁に目眩がした。
「その委任者はリア・リルーラ。代行者は主月神シ・エン。約定は果たされ、いままた代行者梨亜砂久弥が問う。トウゼ王梨燕紫夜蘭。そなたの希みを述べよ!!」
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――燕夜。東是王がそんな顔をしてはダメ。
窘める言葉は声に成らなかった。
――あら。ああ、そうか。
眼下に自分の死体を眺めると云う非現実的な体験に、紫蘭花は感慨に浸る。
燕夜が、セルスト神に苛められていた。
――セルスト神?
その哄笑に紫蘭花は首を傾げた。
何故か、有り得ない事だが。
セルスト神の嗤う声が、哭いている様に聴こえた。
だが。
――燕夜。
悲痛な声が。
紫蘭花に届く。
燕夜の慟哭に、紫蘭花は疑問を忘れた。
――燕夜。泣かないで燕夜。私は……
けれど言葉は途切れた。
燕夜に届かない故ではない。
差し延べられた手故だ。
紫蘭花は息を飲み。
けれど、抵抗する事なくその手に、自らの手を重ねた。
引き寄せられ、地上を遠く離れた。
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「希み?そんなものっ!」
燕夜が嗤った。
今となっては総てに意味は無い。
それとも。
「希めば姫を返してくれるとでも云うのか?それ以外に望みなど無い!!」
燕夜が蔑む声で烈しく告げれば、何故か砂久弥の眼差しに安堵が見てとれた。
嗤いに歪んだ口元が震え、燕夜の眸が暗く沈みかけた闇を払い縋る。
「それを希むか?梨燕紫夜蘭。」
「希むっ!希むとも!!頼む!姫を助けてくれっっ!!」
冷然と冬の声が問い、燕夜が叫んだ。
シャンッ!シャ――ンッ!!シャ―――――ンッ!!
砂久弥は錫杖で地を叩く。リズムをとって、神を喚ぶ。
銀と月光が絡まり、次第に光は増して。
そこに。
至高の女神と、最高神を迎えた。
ただ一人、立ったままだった砂久弥が、サッと拝跪の礼をとる。
普通ならば。
女神の傍らに坐す神は、主月神の筈だった。
だが。
此処に顕れたのは、最高神は最高神でも。
「セルストっ!?」
燕夜は思わず、セルスト神に斬りかかろうとした。
そこに居たのが、普通の人間ばかりなら、それは当たり前に達成されただろう。
燕夜が地を蹴り、その手に剣が現れ、空中で構え。その腕が力強く振り上げられた。スピードに乗った躯の体重も乗せ、振り下ろす。
「っ………!」
シャンッ!
次の瞬間。燕夜はバランスを崩して地に落ちていた。
容赦なく腹を抉られ、咳き込む。
地を蹴った燕夜に、砂久弥は錫杖を持ち直していた。セルスト神と燕夜の間に入り込み、既に逆さ構えた錫杖を、上空に向けて叩き込んだ。
手元に引いた錫杖はすぐさま持ち直され、シャラと銀の静かな音を鳴らす。
「控えろ。リルーラ神の御前だ。」
「っ…!」
冷ややかな眼差しを見返す事すらせず、燕夜はセルストを睨む。
立ち上がろうとした躯に、錫杖が突かれた。
「ガッ!……っぐぅ!!」
打ち据えるのではなく、突きを叩き込まれ、更に足蹴にされた燕夜である。そして再度、腹を突かれて燕夜は息を忘れた。
仰向けの燕夜の肩を押さえ付けるのは、砂久弥の足だ。踏みつけ見下ろす眸に感情は無い。
腹筋を抉る様に、錫杖が突かれたままだった。
「控えろと云った筈。」
燕夜はやっと、そこに友人の姿を意識した。
容赦の無い月姫の神司は、凍る眼差しで燕夜を見下ろしていた。
燕夜がくぐもった声で告げる。
「解ったから………どけ。」
冷ややかな探る眼差しに苦笑した。
「希みを叶える為に、お前が喚んでくれたんだろう?大丈夫。ちょっと我を忘れただけだ。」
掠れた声に疲労と憔悴が滲んだが、苦く次げる声に嘘は含まれない。
砂久弥は見極めると、足と錫杖を引き、踵を返した。
砂を蹴り、錫杖を横に持ち直した。跪拝と共に前方に翳し、恭しく地に下ろす。
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ヒラリスはただ、驚愕に眸を見開いていた。
己が、この場では部外者である事を、ヒラリスは知っていた。
息を殺し、控えるのみだが、視界に映る光景に無関心にも徹し切れず、息を飲んだ。
――怖っ!砂久弥、怖っ!
既に了解していた積もりだったが、砂久弥の強さは半端なかった。
――でも勝てないって云わなかったっけ。
セルスト神の前では、燕夜が「力」を遣えない事を知らず、疑問を覚えたヒラリスである。
そして、跪拝した砂久弥の前に。
煌めく月が困った様に微笑んでいた。
「余り、酷くしないでね?」
「お気遣いなく月姫。これは丈夫ですから、そうそう壊れません。」
燕夜に厳しい砂久弥の言葉は、神々以外には註釈が必要だろう。
何故だか理解してしまったヒラリスは、微妙な表情で地面を見つめた。
――梨燕紫夜蘭に気遣いは不要、丈夫だから壊れない。っつう事だよねえ。
代行者の錫杖は女神のモノとも云えるから、砂久弥としては燕夜を突いた錫杖こそ心配したかも知れない。
そんな予測も簡単に出来たヒラリスだった。
一ヶ月にも充たない期間を、共に過ごしただけなのに、随分と気心が知れたものである。
――っ。親しくなり過ぎたか。
苦く、ヒラリスは心の内で笑った。
あれだけ周囲を騒がせ乍ら、アッサリと紫蘭花を手に入れるだろう梨燕夜に、ヒラリスは憎しみに近い感情さえ覚えた。
神々の寵愛とは、結局そういう不平等なものでしかない。
梨燕夜は僥倖に出逢う。
何故なら神々が愛するからだ。
――まあ、俺も大概恵まれてるし。自分が他者からどう見えるか、学んだと思えば……悪くないよね。
ヒラリスは感情を抑え、唇を噛む。
今は納得し難い気持ちが残るが、時が忘れさせるだろう。
――いつか。懐かしく思い出す。
締め付けられる心は、今だけの筈だった。
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そして、夜闇と月姫が手を翳せば。
紫蘭花は覚醒し、眸を瞬く。
燕夜が紫蘭花を抱き締めた。
「えっ?」
混乱する紫蘭花に、燕夜は慌てて離れた。
だが愛し気に紫蘭花を視つめる眼差しは絡み付いて離れない。
紫蘭花が眉を寄せた。
『媛。約束を覚えているか?』
夜闇の神セルストが、つまらなそうに声を掛けた。
ハッと見上げた紫蘭花に、窘める女神が笑う。
「約定は死した後……でしょう?」
夜闇が揺らめき、舌打ちした気配に紫蘭花は眸を瞠る。
有り得ないが、セルスト神は拗ねている様だった。
『覚えているか?』
しかし、再度の問い掛けに。
燕夜が護る様に肩を抱いた手を、紫蘭花は払い除けた。
「覚えてますわ。」
ニッコリと笑って、紫蘭花は手を差し出したが。
セルスト神は紫蘭花が居心地が悪くなる程に、凝っと視つめた後。
不意に姿を消した。
『それならばヨイ。』
紫蘭花はまた眸を瞬き、ただセルスト神が先程まで存在した空間を視つめた。
――どう、受け止めるべきか。
紫蘭花は可憐な風情を装ったまま、老獪な思考の海に沈む。
死した後、従うとの約定に、死すべき期限は定められなかった。
すぐに、その時が来ると予定された為、必要なかった……とも云える。
しかし死に至る予定は、死への約束でも、また無かったのだ。
紫蘭花も死にたい訳では無く、優先順位の問題として、燕夜の無事を上に置いたに過ぎない。
故に、ヒラリスに対する攻撃が、ヒラリスの命を奪う代わりに、紫蘭花の命をそこに曝す。
その手伝いを、依頼したに過ぎないのだ。
――と云う事は。
紫蘭花は死した後、セルスト神に従う約束は生きるが、寿命を全うする事が許されたと云う事だった。
いくらでも、紫蘭花を不利な立場に追い込めただろうに、随分甘い処置である。
その契約の穴に、セルスト神が気付かない筈も無かっただろうに。
――この状況は私の一人勝ちに見える。
「それが不思議?セルストはそなたを愛するのだもの、その生涯を待つくらい何ともない事よ。」
至高の女神が告げて、煌めきを撒き散らしてキラキラと笑った。
「そなたがコチラに来るのが楽しみね。」
親しみを込めた眼差しと、言葉を残して女神も姿を消した。
――コチラ
一瞬にして紫蘭花は蒼褪める。
――それがあったか。
しかし。
まだ紫蘭花は若い。
その命は、未だ始まったばかりとも云えた。
「姫?ご気分が?」
心配し、労る燕夜に紫蘭花は首を横に振り。
やっと心から微笑みかけた。
――今は忘れよう。
そんな事は、人生が終わる時に考えれば良い。
紫蘭花は割り切って、笑ったのだ。
だが。
笑顔はすぐに凍った。
「お願いです、姫。愛してくれなくても良い。誰を愛しても良い。私の傍に居て下さい。」
縋る燕夜の眼差しに、紫蘭は冷え冷えとした視線を返した。
「あなたは本当に莫迦なのね?」
細く可憐で綺麗な声が、凍りつく様な冷たい口調で吐き捨てた。
そのまま。
背を向けて、紫蘭花は二人の青年に歩み寄る。
「お世話になりました。」
「どういたしまして。」
「いつか、改めてお礼に伺いますわ。」
そう云って、紫蘭花は倖せそうに笑った。
「姫?あの、何かお気に障りましたか?」
そこに、こちらは紫蘭花以外視界に入らない男が割り込んで、紫蘭は二人に会釈した後、踵を返した。
そのまま迷わず、紫蘭花は城塔に向かった。紫蘭花の部屋に戻るには一番の近道だった。
燕夜は慌てて後を追う。
何に怒られたかは、よく解らない乍ら、願いが聞き届けられた事は理解して、倖せそうに燕夜は笑った。
追い付き、姫に邪険に追いやられ、けれど縋る。
「あれがトウゼ王ってどうよ?」
残された二人の青年が肩を並べ、倖せなカップルを見送った。
呆れた口調のヒラリスに砂久弥は僅かに笑って見せた。
「ま。大団円?」
「そうだな。」
「過ぎて見ればまた楽しい……か。」
「うん?」
呟いた声に砂久弥が見返すと、ヒラリスはニッコリと笑顔を見せた。
「楽しかったよ。青の導師さま。」
「こちらこそ。」
ヒラリスが差し出した手を、砂久弥は握り。
すぐに、離れた。
「じゃあね。近くに来たら寄って見て。西国も中々良い所だよ。」
「ああ。」
ヒラリスは、倖せなカップルとは逆方向に踵を返した。
振り返る事も無く。
木々の間に姿を消した。
砂久弥はじっとそれを視つめて。
詰めていた息を吐く。
「未練がましいな。」
自嘲して嘆息する。
ヒラリスの潔い態度は砂久弥に感銘を与えた。
――格好いいなヒラリス。惚れ直した。
クスクスと。
笑う砂久弥は珍しい。
ヒラリスはしかし、それが珍しい事だとは知らない。
――いつか。
気持ちが落ち着いた頃にでも。
教えてやるのも良いかも知れない。
砂久弥は思って。
空を見上げた。
ヒラリスの眸の様な美しい青空だった。
☆☆☆
最後までお付き合い下さり有難うございました。
少しでもお楽しみ戴けましたら倖いに存じます。
結局最後に全面改稿しました。最初に終わらせた時はラスト2話にセルスト関係詰め込んだ、と云えば理由はご理解戴けると思います。
回想で賄うのは無理でした(-.-;)
このサイトでは初めて投稿した作品です。←今は何作品か完結してますがww
宜しければ、ご感想など戴けましたら嬉しいです。
有難うございました♪
2011年12月31日15時半