◆23話◆対決
◆23話◆対決
☆☆☆
「お願いです。ヒラリス様。どうかお帰り下さい。トウゼ王は、貴方の命を奪う積もりですわ。」
そう云われて、はいそれでは、等と帰還の途につく訳にもいかない。
ヒラリスは困った様に微笑んだ。
「出来たら……お前が何もせず、帰ってくれたら、それに越した事は無いんだがな。」
昨日の夜に、砂久弥にも云われた台詞だった。
「そんな訳いかないだろ?」
呆れて返したヒラリスだった。
今また、今度は婚約者の媛に云う。
「そんな訳にも、いかないでしょう。」
そう告げて、消え入らんばかりの儚い風情の媛に、明るく笑いかけたヒラリスである。
安心させたかったが、紫蘭花は絶望の眼差しでヒラリスを見上げた。
――ああ。そうか。
ヒラリスは優しい笑みを浮かべて見つめた。
紅玉と紫玉の金銀妖瞳、美しい媛。
――惹かれたのは。その眸。
紫蘭花の、紅玉はそれよりも淡く、紅茶の様に甘い色彩だった。
ヒラリスは紫蘭花の横を摺り抜け、トウゼ王の城前に拡がる、整地された広場に足を踏み出した。
横を歩く筈の砂久弥が遅れ、訝しみ振り返る。
「………入れない。」
「は?」
ヒラリスは顔色を失った砂久弥を凝視した。
それは直ぐに証明された。砂久弥がヒラリスに向かって一歩踏み出すと、途端に姿が掻き消え踏み出す出前の位置に現れた。
「あ〜うん。入れないね。」
――魔法。魔法か。何でも有りかよ。
「こんな筈は………。」
砂久弥が焦る口調を、ヒラリスは物珍しく聞いた。
入れないものは仕方ないだろう。
そう考えると肩を竦めた。
「待て。これを持って行け!」
「ん?おお。月光剣。」
「シャランの剣も月光剣だ。同等の剣はそうは無い。」
硬い声は、こんな時でも甘い。
ヒラリスは苦笑した。
「オッケ。女神の剣って訳だね?心して遣わせて貰うよ♪」
片目を瞑り、軽やかに笑ったヒラリスだった。
そこに昏く笑う声が届く。
その声は闇の毒に濡れていた。
ゾッと背筋を疾る官能に、ヒラリスは受け取った月光の剣を構え、振り返りザッと足を踏み締めた。
音に聞く、夜闇のセルスト神も斯くや、黒衣の魔王がそこに立つ。
「悪くは無い。だが砂久弥。まさか、この坊やが私に勝てるとも思わないだろう?」
「………何をした?」
見た事もない、艶やかな眼差しに、砂久弥は希望が失われた気がした。
「私も、酔狂で闇を遣わした訳でも無いと云う事だ。」
「私が、結界を抜けない様に……か?それをして何になる。」
云い募れば闇の気配も濃密に、甘い声が囁く。
「少なくとも、リアのお苦しみは、ひとつ減る。」
「リアはヒラリスも愛するぞ!」
「だから?」
燕夜の心に、その言葉が届く筈も無かった。
――何か放置?
ヒラリスは一応当事者の筈だったが、疎外感をひしひしと感じていた。
紫蘭花が燕夜に駆け寄った。
――今度は姫か。
「燕夜。お願い。やめて頂戴。私は残ります。此処に残るから……」
姫君が縋れば、一瞬その眼差しが揺らぐ。
だが直ぐに嗤った。
「危ないですよ姫?どうか塔にお戻り下さい。」
「………燕夜!」
姫君が泪さえ浮かべ、悲痛な声を上げた。
――ああ。そうか。
ヒラリスは気付いた。そして笑った。
「なんだ。本当に帰った方が良かったんだ?」
ニッコリと明るい笑顔を向けたヒラリスを、セリカの王族が三人三様視つめた。
☆☆☆
「ちょっ!?」
いきなり斬りつけられ、ヒラリスは慌てた。
「何だよ?帰るって云ったろ!?」
「姫を蔑ろにする男を放置しろと?」
月光の剣を片手で軽く振り、構えなおした燕夜が嗤った。
「待って燕夜!私が帰って下さる様にお願いしたのよ!」
「如何な姫の言葉でも聞けません。それに、これが謀りでないと云えますか?」
どんな理由を口にしても、燕夜は嗤う。
また、この男は来るかも知れない。
だから殺すと躊躇いもなく告げる。
「いや。あのさ?俺的には愛し合う二人を引き裂く野暮を晒したくないだけなんだけど?」
紫蘭花が燕夜を引き止める間に、上がった息を整えたヒラリスだった。
燕夜が眉を寄せ、紫蘭花は微かに唇を噛む。
「媛があんたを好きで、あんたも拐うほど媛が好きなら、俺って邪魔者じゃない?」
あっけらかんと、ヒラリスは云うと、結局本人に向けては、一度も紫蘭と呼べなかった媛を見た。
「別に良いですよ。俺は取り敢えず挑み敗けた。それでも生きて帰った事で、充分褒め称えて貰えます。何しろ相手は魔王……失礼。トウゼ王ですから?」
「ヒラリス様。」
紫蘭花は眸を瞠る。その眼差しに感謝が宿った。
紫蘭花の所有権を持つヒラリスが敗れて国に戻るなら、姫は晴れて燕夜に嫁ぐ事さえ出来る。
直前まで最悪の事態さえ思い描いていたが、それは急転直下の大団円だった。
だが。
燕夜はそうは思わなかったらしい。
声を上げて嗤い。
「莫迦な事を!」
侮蔑を込めて吐き捨てた。
「ええっ!?」
フッと長身が沈み、右足が地を蹴った。
ギクリとした時には、ヒラリスの眼前を刃が煌めきゾッとした。
「よく避けた。」
既に黒い影は剣を構えなおして昏い笑みを湛えている。
軽々と剣を扱い、魔法など無くとも圧倒的に強い。
素早い動きとその膂力。鍛えぬかれた肉体を見せ付けた。
ヒラリスは引き攣る笑みを返した。
避けられたのは、自分でも誉めてやりたい幸運だった。
つまりは、実力の差が激しく、ラッキーでもなかったら。
勝てない、と云う事でもある。
だが。
闘う理由自体が、失われた筈では無かったか。
「つまらぬ虚言など操らず、潔く死ね。」
冷たい闇が昏く凝り、燕夜は凍りつく様な冷え冷えとした声で告げた。
ヒラリスはそこに漂う闇の香気にゾクリとし、怯む己を叱咤する。
「何故さ?紫蘭花姫の気持ちが、あんたには解んないの?」
ヒラリスにとっては軽い口調が戦いの常だ。
しかし、凍らせた筈の心が闇に怯え、常の様に明るく朗らかな心境が保てない。
燕夜が嗤う。
昏い自嘲の笑みに、闇の攻撃に疲れた砂久弥の笑みが重なった。
――惹かれたのは、その眸。
「私にそれを信じろと?」
ハッとした様に、紫蘭花が叫ぶ。
「燕夜!嘘ではないわ!私は貴方を愛してるの!だから止めて頂戴!」
だが、悲痛な叫びは、恋の告白とは聴こえない。
燕夜は昏く嗤うだけだ。
「近頃の姫は、私を視界に映す事すら拒むのに?」
愛しい姫に、燕夜は優しく囁いた。
「そんなに、この男を守りたいのですか?」
「燕夜……」
――ダメだ。これは。
ヒラリスは思い。剣の柄を握り締めた。
――惹かれたのは、その眸。赤金の眸。
たった二日間で闇に疲れ憔悴した砂久弥を思う。
――千年。
千年もの永い時を、闇に付き纏われたと云う男が、今まで狂わずにいられた事こそが奇蹟なのだ。
――ああ。告白も、してなかったな。でも、まあ仕方ないか。
斬るしかない。
悟れば、ヒラリスは自嘲する。
勝てないと、気付いた相手に挑む愚を思う。
「じゃあ、俺が死んだら砂久弥がトウゼ王を倒すのか。」
「莫迦を云え。あんなものに勝てる訳がないだろう。」
「ええっ!?討つって云ったじゃん!」
昨夜の会話を思い出す。
師匠なら勝てよ!とヒラリスが云えば、闇に憔悴した金赤の眸が、艶かしく流し見た。
「闘いが剣だけならな。二人揃って倒されとくか?」
「何か、作戦がある癖に。勿体ぶるのは良いけど、あんまり揶揄わないでくれる?」
赤面しそうなのを、己の理性を総動員して阻止したヒラリスだった。
どんな策が有ったのかは知らないが、結界の外からでは無理だろう。
――それに。
もしかしたら、本気で云ったのかも知れない。
そう考えれば。
――結界の外にいるなら大丈夫か。
寧ろ。
砂久弥が介在出来ないのは、却って良かった。
――どうせ。俺の事は逃がす気も無いみたいだし?
そして、砂久弥には手出しする気が無いと知れた。
――まあ。二人倒されるより、マシなんじゃないかな。
そう考えたヒラリスは、既にいつもの明るさを取り戻し、握る手に力を込めて、月光の剣を構えた。
「やっとその気になったか。」
ヒラリスなど足元にも及ばぬ相手だ。
千年の時が有れば、もしかしたら追い付く事も可能だったかも知れないが、ヒラリスにその時間は無く。
故に敗北は避け得ない。
――でも。せめて一太刀。それが心意気ってものでしょう♪
その一太刀を。
月光剣の刃が為すなら。
もしかしたら。
闇も薄まるかも知れない。
ヒラリスは梨燕紫夜蘭の事は、この際どうでも良かった。
だが、紫蘭花と砂久弥が泣くのなら、やはり正気に立ち返って欲しいと願った。
――金赤の眸。
最期に、見つめたかったが、もう時間は無さそうだった。
月光の剣が互いに刃を交え、高く啼いた。
月の光が、燕夜の白い手に戯れた。
スピードも、力も敵わず、ヒラリスは簡単に押されて体勢を崩した。
そのまま返す刀がヒラリスを襲い、素早く避けたが、皮膚に疾る痛みに舌打ちした。
「あんた。姫の気持ちが本当に解んない?」
聞く耳を持たないと知り乍ら、それでもヒラリスは尋ねた。
「戯れ言も大概にしろ。」
届かない言葉に焦れて、ヒラリスは振るわれた剣の切尖をかろうじて避けた。
足を踏みしめ、踏み切り様に横薙ぎにすれば。
燕夜は嗤った。
「無駄だ。」
ヒラリスの剣はアッサリと弾かれた。燕夜はそれを「力」を遣う迄もなく、膂力のみで容易に為し得た。
ヒラリスの剣が飛ぶ。
地に突き刺さる月光の剣に、もはや燕夜の意識が向く事は無い。
弾かれて飛んだのはヒラリスも同様だった。立ち上がろうとして、ガクリと膝をつく。
燕夜が自らの剣を見ると、月光の剣はキラキラと光を零して消えた。
「砂久弥が遣うなら、別の結果もあったろうにな。」
月光剣の遣い手がヒラリスでは意味は無い。
そう告げる言葉に、ヒラリスはキリと歯を食い縛り、燕夜を見上げた。
冷ややかに甘い、闇の微笑が燕夜の面に浮かび。
夜闇の力を濃密に含んだ、燕夜の手が閃いた。
闇が、集い。
光さえも、燕夜の手に従った。
ヒラリスと燕夜の間には、何も遮るものは無かった。
姫からも、剣を交わす内に距離が取られていたのは、燕夜の気遣いだったかも知れない。
なのに、閃光と闇が疾り、稲妻の如くヒラリスを襲い。
ヒラリスは凝然とソレを視つめるのみだったのに。
その瞬間を縫う様に、紫蘭花がその姿を晒した。
視界を覆った長い髪は、碧と青と銀のグラデーション。
「姫っ!?」
ヒラリスが地面に膝を着いたまま、驚愕の叫びを上げた。
燕夜も叫び、駆け寄った。
美しい髪が、空を舞い風に靡き、細い躰が崩れ落ちれば飾る様に後を追って流れ落ちた。
燕夜が息を忘れた躰を抱き起こす。
言葉に成らない叫びを上げた。
闇が嗤う声が聴こえた。
そこに、闇の神がいた。
「何故だセルスト!?何故!?」
『媛の希みだ。私は叶えたに過ぎない。』
闇の声は、辺り一帯にドロリと甘く痺れる毒を撒いた。
ヒラリスと砂久弥は、燕夜の変化など所詮は人間の果てでしかないと知った。
燕夜は慟哭し。
闇は哄笑する。
甘い毒が、世界に流れ、昏く暗い闇に誘った。
☆☆☆
辺りに暗闇が満つる前に、それは光を放った。
月光が疾り駆け巡る。
夜闇の君の声と姿が消え失せた。
その輝きは砂久弥に凝る闇の影も払い、東是王の聖なる結界を、容易く抜けさせた。
光は、地面に突き刺さる、月光の剣から放射されていた。
砂久弥が剣のもとまで歩を進め、その手が月光剣を引き抜いた。
ヒラリスは呆然と見つめ。
燕夜は意識を向ける事すらしなかった。
「ここに。千年の約定が果たされた。」
砂久弥の手が高く掲げられた。
剣が消えると共に、その手の内に錫杖が現れる。
シャラと煌めく銀の光が揺らめき。
次に閃光に似た音色が鳴り響いた。
月光の剣が啼いた声と同じ音色が、更に強く強烈な程に激しく、鳴り響き。啼き叫ぶ。
烈しい頭痛と耳鳴りに、ヒラリスは喘いだ。
吐き気さえ覚え乍ら、必死で砂久弥を視つめた。
砂久弥の玲瓏とした美貌が月に映える。
神々の顕現に、その姿は似ていた。
☆☆☆