◇22話◇前夜
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燕夜は嗤う。
「無駄だ。」
ヒラリスの剣はアッサリと弾かれた。燕夜はそれを力を遣う迄もなく容易に為し得た。
地に突き刺さる月光の剣に、もはや燕夜の意識が向く事は無い。
「砂久弥が遣うなら、別の結果もあったろうにな。」
その砂久弥は結界に阻まれて、視つめるのみだ。
燕夜が嗤う。
冷ややかに甘い、闇の微笑が浮かぶ。
その気配は夜闇の力を、存分に含んでいた。
燕夜の手が閃く。
闇が、集い。
光も、燕夜の手に従った。
――まだ。間に合うかも知れない。
その時、紫蘭花は微笑した。
光が、未だ燕夜の元に残っていると、最後に確認出来て良かったと。
そう思った。
「姫っ!?」
ヒラリスが地面に膝を着いたまま、驚愕の叫びを上げた。
燕夜も叫び、駆け寄った。
砂久弥が結界の外で、拳を握った。
紫蘭花は、燕夜の攻撃をその躰に受けて、地に倒れ臥した。
崩れ落ちる躰を、受け止める腕は間に合わなかった。
咄嗟に、駆けた足を、跳ぶ事に代えたら間に合ったろうか。
しかし、間に合ってどうすると云うのか。
紫蘭花の意識は最早無い。
その心も。
魂も。
既に肉体を離れ、それは脱け殻でしかない。
そう悟るのに、燕夜は姫の躰を掻き抱く。
叫ぶ声が、慟哭と成って響いた。
悲鳴に重なり唱和して。
深く、甘く、響く音があった。
その正体は闇。
夜闇の哄笑が、辺りに響き渡る。
☆☆☆
「やっぱり、理由は云えない訳かな?」
話すと云い乍ら、結局大した事も聞いてないヒラリスだった。
――正直。セリカの皇太子がトウゼ王に成り上がる話を聞かされてもな。
ヒラリスは本人が罰と信じる事情を「成り上がり」と評して肩を竦めた。
二日前の夜から、闇の攻撃は活発化した。
砂久弥は憔悴を滲ませて髪を掻き上げる。
憂いと疲労が、欠けた表情に艶を与えて、冷然とした硬さを和らげていた。
――しかも、時々やたら熱の篭った流し目とか繰り出すし。
本人は無意識だろうが、ヒラリスの心臓を射抜く所業であった。
「あのさ。闇が来る度に大変そうだし、安静にするどころか酷くなるんだから、もう行かない?」
大変そう、と他人事なのは、主に攻撃されるのが砂久弥だったからだ。
日に日に窶れ、妙な色香を垂れ流す砂久弥は、目の毒でもあった。
闇は砂久弥の夢の中にも潜り込むらしく、当たり前だが睡眠も録に摂取出来ないでいる。
――さっさと行った方が、この場合マシだよね?
ヒラリスが考えたのは無理もない事だった。
勿論。行き先はトウゼ王の塔である。
しかし、当の砂久弥は首を横に振る。
頑なな様子に、ヒラリスは流石に気付いた。
「明日。行く事に意味が有るんだね?」
その理由を。
やはり砂久弥は語る事は無い。
闇は何処にでも存在する。
その闇は、トウゼ王の意を汲むモノかも知れなかった。
☆☆☆
その二日前の夜。
決戦の三日前。初めて闇の襲撃を受けた夜。
焚き火を前に、砂久弥は燕夜の過去をヒラリスに語った。
それはそれで、驚きではあったけれど。
「本当に千年も王なんだ。」
異名はまんま事実だったのだ。
「そう。もうじき、千年になるな。」
砂久弥は懐かしむ様な眸で、僅かに口元を綻ばせた。
「罰が永久的な玉座……ねえ。」
「こら。」
皮肉な笑みは失笑に近い。
砂久弥は苦笑して窘めた。
肩を竦めてヒラリスは質問する。
「で?その前から知り合いだってのは?」
「彼は元々、私の弟子だったし、近い身内でもある。だが、そうだな。どちらかと云えば、友人として親しくしていたよ。」
砂久弥の言葉に、ヒラリスは眸を瞬く。
親しい友人とは聞いていたが、弟子だの近い身内だのは初耳だった。
「弟子?何の?って云うか、何で?近い身内って、結局砂久弥はどの辺りの出身なの?」
矢継ぎ早だった。
砂久弥は笑って、ひとつずつ答えた。
「剣だ。理由、は何だったかな。千年前辺りから……セリカ王族の剣技は、すべて私が見ているが。」
とんでもない事をサラリと告げて、砂久弥は眸を細めて記憶を探り、首を傾げた。追憶に、引っ掛かるものは無かったらしい。
「最初の理由は何だったかな。」
「じゃあ、千年前の……いやそれ以前の、………出身な訳?」
何処からの出身か、以前聞いた公家とは口にしないヒラリスに含みを感じたらしい。
砂久弥は首肯した後に、敢えて言葉にされる事の無いヒラリスの問いにも解答を与えた。
「彼から見れば二代前の国主の兄にあたる。」
古い、王を示す言葉で砂久弥が告げたから、ヒラリスもそれに倣った。
古いと云っても、セリカでは、未だに使用される名称だとも知っている。
「で?東宮だったり、したんだ?」
軽く頷かれて、ヒラリスは今更ながら笑顔が引き攣った。
「ああ。思い出した。私が賞金稼ぎだった事もあって、里帰りの度に指南を頼まれる内に、役目として定着したんだ。」
「ああ。賞金稼ぎ。」
――それもあったよ。
ヒラリスは最早、何を聞いても驚かない自分を知っている。
地図に標記された「?」は、やはり砂久弥だったのだ。
――しかも、やっぱり生まれは皇家の方……か。
予想通りと云えば云えなくも無かった。
――そりゃ。勇者よりも尊敬される賞金稼ぎともなれば、剣の指南も頼まれるだろうよ。
剣の師が賞金稼ぎともなれば、箔がつくし名誉でもある。
聞いた者は、まさかそんな事をする賞金稼ぎが?と疑問を覚え、次にセリカの人脈に、その「血」の尊さを意識せざるを得ないだろう。
賞金稼ぎ、それは神々の代行者。神に代わり、鉄槌を下す存在。
そんな「力」を持つ神の寵愛著しい存在が、セリカに生まれるのだ……と。
誰もが、心に刻むに違いないのである。
――考えて見れば、中々あざといやり方だな。
それはヒラリスが為政者としての視点から見たなら、文化と歴史が売りの雅やかなイメージとは真逆の強かさをセリカの国は持つと教える。
――どちらに転んでも。セリカに対する印象は、多少修正が必要だよね。
過去のセリカとのやり取りを想起すれば、尚更にその印象は深くなる。
美しい古き歴史を持つ国は、ただ典雅なだけでは無い。
魔王との決戦を前に、漸く気付いたヒラリスだった。
「ヒラリス?」
「あ、うん。……その、賞金稼ぎって、二人組じゃ無かったかなと思って。」
まさか、セリカ要注意と内心に警戒警報を鳴らしたとも云えないヒラリスだった。
怪訝な声に咄嗟に応えたが、それは最初に抱いた疑問でもあった。
最初は、魔法持つ砂久弥と、剣に強い誰か、が組んでいるのかとも考えたが。
もう一人の気配は微塵も無い上に、砂久弥が強すぎた所為で却って忘れてしまったのである。
「ああ。別に賞金稼ぎとして降りた訳でも無いからな。」
「そっか。」
その割りには随分と退治ていたとは思ったが、素直に納得したヒラリスだった。
「でも、あれだね。セリカ的には複雑だよね。」
「ん?」
信じ難いのはヒラリスが敵対する立場にいるからだろうが。
「黒の王子は、王に成らないのはセリカの損失とまで云われたんだろ?」
「ああ。」
そして、その二代前には砂久弥を失っている。
神々は才能を愛するから、勿論砂久弥も王に成らない事を惜しまれたろうと、そうヒラリスは考えたのだ。
「砂久弥も良い王に成ったろうにね。」
特に贔屓目でも無く、神々が望む人材なのだから当たり前だろうと、そう思ってヒラリスは云ったのだが。
砂久弥は酢を飲んだ様な、微妙な、眼差しをヒラリスに向けた。
僅かに、口元も歪んでいた。
「何?」
「いや。評価は嬉しいが………難しい話だな。」
「??難しい?」
微かに、砂久弥は笑い声を上げた。
「あの頃の私は、傲慢で嫌な奴だったからな。」
「砂久弥が?」
「ああ。」
驚くヒラリスを面白そうに見て、砂久弥は云う。
「あの頃は、今みたいに我慢も……出来なかったしな。」
ヒラリスから視線を逸らせ、自嘲する砂久弥が何を思い出したのか。
千年を生きた存在の気持ちなど、ヒラリスには想像も出来なかった。
精神は肉体に引き摺られると云う。
だから、神々を別にするならば、時には神々さえも、その姿が若いならば、その姿に見合う精神を想定すれば良いと云う。
だが。
ヒラリスが見知る導師たちは、その階級を上げ、年齢を重ねた者程に、外見に不似合いな老成し達観した風情を見せた。
神司なれば尚更だろうと考えていたが。
何れも、砂久弥の階級には及ばず。
何れも、砂久弥の生きた年月に及ばぬ年齢だ。
――だが。砂久弥は若い。
8才で能力に目覚め。13才にして女神に見初められたと砂久弥は云う。
「セリカの東宮から大出世で、あの方のお側に仕えさせて戴いてね。」
導師に成っても、絶対に王位に就けない訳では無い。
しかし、神司がそれに成る訳にはいかない。
神司は、フライサの星そのものを動かせる立場にあるのだから。
「トウゼ王に成らないかと主月神に誘われもしたが、リア・リルーラがお命じならともかく。」
面倒だから断ったらしい。
だが、導師、いや神司としては、かなり珍しく地上に何度も砂久弥は降り立つ事に成った。
賞金稼ぎの任務を請けた故だった。
「あの方は、仰有ったものだ。地上に迷惑な者同士丁度良いペアだとね。」
「地上に……迷惑???」
ヒラリスの知る導師はどんな高い位の者でも砂久弥より格下だったが、彼らは上位に昇るにつれて、静かな暖かみと淡い笑みを見せた。
砂久弥のキッパリとした、無愛想な程の言葉遣いと感情の篭らない淡々とした硬い口調。千年以上生きたお手の物なポーカーフェイス。
――まさかそれさえ、千年で磨かれた穏やかさで、昔はハチャメチャなヤンチャ者………なーんてマサカな。
ヒラリスの内心など知らぬ風情で、砂久弥が続けた。
「あの方は、そもそもが最初から、地上の迷惑だから月に住めとお誘い下さったからな。」
「うわあ………」
地上の迷惑13才男子。
ヒラリスは砂久弥の過去について考えない事にした。
――何か怖いよ…。
神のお気に入りは、みんな何処か壊れていると云う。
砂久弥。トウゼ王。そして自分。
――紫蘭姫……も?
神司の知り合いは砂久弥が初のヒラリスである。
トウゼ王は噂のみ。媛である紫蘭花も垣間見た程度。
自分自身の事は、極めて常識的だと信じて来たが、最近はよく解らない。
――壊れてるから変なのか。砂久弥の傍にいるから変なのか。
つまらない方向に流れた考えを、ヒラリスは首を振って払う。無理矢理、思考を元に戻した。
――砂久弥より、位が上……かあ。
それは既に神々でしかない。
見知る神がいない訳でも無いが、神々もそれぞれだから、共通項と云えば。
――何を考えているか、窺い知れない所…かな。
そういえば、と今更に気付きもした。
――神司って、神だったよね。
末端とは云え、神に列なるのが神司であった。
――千年がどうこう云うより。神の考えなんか、解る筈も無いか。
自嘲に俯いたヒラリスを、砂久弥は視つめていた。
「お前が、シャランを死なせたなら、私はお前を殺すだろうな。」
「………。」
ヒラリスは息を詰めた。
蒼い顔から表情が消えた。
「だが、シャランがお前の命を奪うなら、やはり許せずシャランを討つだろうな。」
そう告げて、砂久弥は空を見上げたから、ヒラリスが苦痛に喘いだ事に気付かなかった。
「シャランを愛し子と呼ぶ神々は二柱。リア・リルーラと…………もう一柱をどなたと思う?」
「リー・シエンだろう?」
ヒラリスは当然と応えたが、砂久弥は否定した。
「主月神はリア・リルーラの代行としてシャランに接したに過ぎない。とは云え、ご寵愛が無いとも云わないがな。」
「ふうん。リアの愛し子を相手に愛し子呼ばわりって、でも普通の神に出来るものなの?」
それは正しく砂久弥が云わんとした事だった。
「お前は………。」
夜空を見上げた眼差しがヒラリスを射る。
「何?」
「いや。そうだな。お前は、クルトの東宮だったか。」
砂久弥は一人で納得した。
憮然として見せたが、ヒラリスはヒヤリとした。
――別に、あんたを謀った事は無いよ。
心の内だけで、こっそりと云い訳した。
「セルスト神だ。」
「…………。えっ!?」
何が主題だったか一瞬忘れて、夜闇の最高神の呼称に眸を瞬き。
すぐに見開いた。
「ありかよそんなの!?」
勿論。
トウゼ王が闇を遣うからには、夜闇の神々の介入は不可欠の要素だろう。
だが。
夜闇の君、闇の王にして最高神たるセルスト神が。
一介の、たかが元人間の、小さな神を愛し子と呼ぶ。
有り得ない事実に、ヒラリスは思わずらしからぬ声を上げたが。
――有りなんだ。これが。
内心で、砂久弥はヒラリスに応えた。
しかも。紫蘭花は更に、その神に求婚までされていたが。
それに関しては、沈黙を守った砂久弥だった。
云う必要が無かったからだ。
砂久弥は云う。
夜闇の神々、その最高神の名前に衝撃覚め遣らぬヒラリスに、ゆっくりと告げた。
冷然と硬い口調が、何故か甘く響く声は、何処か闇の神に通じるものがある。
「だから、ちょっと準備した方が良いだろう。中呶に入るのは、少し待ってくれるか?」
砂久弥の思惑も知らず、ヒラリスは呆然と頷いた。
☆☆☆
思えば、あれは誘導されたのだろう。
ヒラリスはそう考えたが、砂久弥を責めもしなかった。
「明日。行く事に意味が有るんだね?」
そう告げて。
「やっぱり、理由は云えない訳かな?」
柔和な王子の笑みを浮かべた。
「ずるいな砂久弥。俺より、ずっと。あんたの方が………。」
詰る心の声が聴こえた訳でも有るまいに、砂久弥はヒラリスの肩を抱いた。
「済まない。」
「別に……良いけど。」
――やっぱり狡い。
思うヒラリスの眸を覗き込み、ハッと離れた砂久弥の顔色は蒼白だった。
「どうしたの?」
だが。
ヒラリスも気付いてはいた。
砂久弥は昼間も『夢』に襲われるのだ。
どんな夢を見せられるのか。
今もまた、何を見たのか。
砂久弥は額に浮かぶあせを手の甲で拭い、昏く自嘲の笑みさえ浮かべた。
ヒラリスは眉を寄せる。
余りに「らしく」なかった。
「あんた。一体何を見せられてるのさ?」
千年も生きれば、それは苦痛に満ちた瞬間もあっただろう。
憂えて尋ねても、砂久弥は応えたりしないだろう。
「どっち道、明日には終わる。」
事実。淡々と告げた。
「そうだね。明日には……終わる。」
そうしたら。
その後は。
もう、逢うことも無いだろう。
☆☆☆