◇21話◇闇の遣い手
☆☆☆
「砂久弥。」
呼ぶ声に。
砂久弥は微笑む自分を自覚する。
深く眠ると思うのか、声の主が砂久弥の頬に触れた。
「砂久弥……」
囁く声と共に、吐息が触れた。次に柔らかく、唇に触れた感触を砂久弥は知っていた。
その口付けは過去の浮名を想像させて、砂久弥の興味を誘った。
その時は。
今は何故か腹が立つ。
――嫉妬……か。
己に芽生えた感情を名付けるならば、それでしか無く、砂久弥は寧ろ楽しみさえした。
永く、そんな感情とは無縁だった。
口付けは深くなり、官能を刺激した。
あの日も、うっかりと応じて、その肌に触れたい衝動に駆られた。
――ともすれば、既に恋は始まっていたのだろうか?
自覚したばかりの心を、しかし言葉にも態度にも表す気は無かった。
相手も自分に惹かれると知ったが、想いを否定する様も、また同様に気付いたからだ。
なのに、口付けは砂久弥の目覚めを恐れる様子もなく続き、濃厚になるばかりだった。
唇が離れれば、砂久弥はホッと安堵した。
触れた事で、多少自制を失ったかと、可笑しくも感じた。
なのに。
再度、吐息が掠め。
体重を感じ、温もりを布越しに意識して。
――良いのか?本当に?
それ以上続けるならば、砂久弥は自分に課した自制を忘れるだろう。
実際、目覚めてもおかしく無い、充分な行為が為されたとも思う。
そして、相手は続けて。
砂久弥はその腕を取った。
「良いのか?今なら忘れてやる。」
手首を掴み、その躯を自身の下に引きずり込んで、それでも砂久弥は逃げ道を与えた。
「砂久弥……。」
青い空の眸が砂久弥を射抜く。
砂久弥は口を開く。
「お前が………」
――好きだ。
告げる事は。
しかし、有り得なかった。
何故なら。
ソレは「闇」の凝る姿だと知れたからである。
砂久弥の手に、月光の剣が握られた。
夢の中でも、それは違わぬ『力』を発揮した。
☆☆☆
暗闇に眩い輝きが一瞬の閃光を放つ。 眠る事も出来ず横になっていたヒラリスは、閉じた瞼越しの光に慌てて体を起こした。
無意識に腕を伸ばし、傍らに置いた剣を取り、飛び出した床に立った時には、隙なく構えていた。
隣りでは同様にした砂久弥の姿を、射し込む月あかりに見出だし、背中越しに問い掛ける。
「何があった!?」
敵の姿は見えない。
だが、本能が告げた。
油断してはならないと。
肌が泡立つ圧迫感に、ヒラリスは視線を巡らせた。
「何だ……?」
特に何が見える訳では無い。
強いて云うなら、『気配』とでも云おうか。
悪寒が走り、脂汗さえ流れた。
砂久弥はヒラリスの声も聞こえぬ様子で、その剣を自らの眼前に翳して見せた。
僅かに発光する剣は月光を引き寄せ、刀身に反射させる。
そして、光が強くなったかと思えば、次の瞬間には剣が出現する時と同じ、眩しい程の光を放った。
「――っ??」
何か……が叫んだ気がして、ヒラリスは忙しくザッとそこここに眸を凝らす。
だが、剣が発した月光に、既に「焼かれ」て消えたと知る。
確かに不安を誘った影は、既に何の気配も無く、ヒラリスは夢でも見ていたかの様な、奇妙な心持ちがした。
「錯覚……じゃ、無い……よね?」
「ああ。」
溜め息の様に、砂久弥が初めて言葉を返した。
握った剣を先程と同様に宙に翳して、今度は剣の形が揺らぎ消えた。
「それの光は月光だよな?」
「ああ。」
それに焼かれるなら、先程の気配は魔物と云うべきモノでは無いだろうか。
そして、自分達を襲わせるモノと云えば。
「砂久弥。東の民には禁句と知っている。敢えて聞くよ?トウゼ王は神か魔物か?」
旅路の途中、はぐらかされ続けた問題だった。
だが、そろそろ、本当の話を知らなければならない。
退くつもりの無い、キッパリとしたヒラリスの声音に、砂久弥はそっと、詰めていた息を吐き出した。
「神だ。」
「月神系の?それとも………夜闇系の?」
砂久弥は嗤う。
「トウゼ王を任ずるのは主月神だ。委任者はリア。」
「なら、どうしてそんな顔するのさ。」
月の神々に仕えるのがトウゼ王ならば、砂久弥はヒラリスの無礼を怒っても良い筈だった。
久々に屋根の有る部屋だったが、二人は早々に宿を後にした。
闇が襲いかかって来るなら、寧ろ月光を直接浴びる事が出来る、野外の方がマシと云うものだった。
出来るだけ、影が出来ずらい開けた場所を選んだ。
火を興し、強い酒を一口ずつ飲んだ。
「で?まだ黙る?」
そう尋いたヒラリスを、砂久弥はマジマジと視つめた。
「何……?」
居心地悪く、ヒラリスが身じろぐと、砂久弥は苦笑して首を振る。
「いや。もう……良いだろう。急がないと……アレが潰れてしまう。」
「アレ?」
「ああ。トウゼ王。闇の魔王。黒の王子………どんな呼びかけも、アレに届くものでは無い。アレはまだ、寄る辺無い『神』だ。」
「寄る辺無い神?そんなのは……」
ヒラリスは眉を寄せた。
普通、神々の頂点にあるのは主月神。そうで無いなら夜闇の神セルストとなる。
月神系と夜闇系、ヒラリスが呼んだ二つの系統以外に、神は存在しない。
この場合、リア・リルーラは関係無かった。二つ共、いやその二系統の頂点の二柱共が、リア・リルーラには跪くからだ。
だから、例えばリアのみに忠誠を誓う、等と云う事は逆に有り得ないのだ。
そうヒラリスは認識していたが。
「まま有る事だ。闇にも光にも膝を付かぬ者は、存外に多い。リアにさえ……と云うなら意味は解るか?」
「………つまり、無神論?」
神々は西の国に生まれたヒラリスにとってさえ身近だった。
だが、王族にして神の寵愛を享けるヒラリスだからこそ、とも云える。
北国程では無いが、西の民には、神々の存在を意識しない者が少なくなかった。
「近いが違う。自らに神々を不要とする心だ。紫夜蘭の場合は、救い……と云うべきか。」
「……救い。」
その言葉を、ヒラリスはかみ砕く。
逆にそれは、黒の王子が救いを必要とする立場に在ると明らかにしていた。
「何からの救い?」
「さあな。女神に愛し子と呼ばわれ乍ら、奴は自分をケガレだと云う。そんな不遜な男の考えは理解を超えるよ。」
砂久弥は怒りさえ篭めて云い捨てたが、言葉程には立腹もしてない様で、困った身内を語る口調が柔らかに苦笑を含む。
砂久弥の優しい眼差しに情を見出だして、ヒラリスは苛立つ自分を感じた。
火力を見る振りで、火かき棒代わりの木切れを手に持つ。
誰かを想う砂久弥など見たくは無かった。
――何だって云うんだ。
別に紫蘭姫を想う気持ちに嘘は無い。しかし、砂久弥を前にすれば、それが自ら育て上げた虚構にさえ感じるヒラリスである。
そして、それもまた、嘘では無い。
流石に、自覚せざるを得ないヒラリスだった。
姫に向かう想いは、殆どがヒラリス自身の打算が育てた恋だった。
だからと云って、その総てが嘘でも無い。
――ちゃんと愛してる。彼女を想えば、胸が締め付けられる。
焦がれる金紅の眸。
だが、それは砂久弥のものだ。
ヒラリスは姫の眸の色も思い出せない。
作為で姫への恋を育て上げた。否定し続けるのに、砂久弥への想いは募る。
――莫迦莫迦しい。
震える心をヒラリスは凍らせた。
そんな気持ちは必要無いと蓋をする。
「付き合い……長いの?」
だから、別にそれは嫉妬から訊いた訳では無い。
敵を知る為に、必要だったからだ。
砂久弥が、裏切る可能性を計る為に、必要だったからに、他ならない。
「そうだな。永い……友だよ。」
硬く響く声が、優しい色を混ぜて、付き纏う艶の行き先を勘繰らせる。
ヒラリスは唇を噛む事で、その苛立ちをやり過ごした。
苛立ちの名を「嫉妬」と呼ぶ事くらい、本当は気付いていた。
☆☆☆
――あの夢は淫夢を見せる魔物だろうか?
そこに怒りが無いと云えば嘘になる。
正直珍しい程に砂久弥は怒ったが、ヒラリスの顔を見たら莫迦々々しくなった。
――成る程。これが恋か。シャラン……お前はこの衝動に負けたか。
寧ろ可笑しかった。
あの不倖ぶったトウゼ王が、紫蘭花に気持ちを振り回されて暴走するのかと、笑いさえ誘われた。
しかし。
同時に寒気立つ想いもある。
神々を信仰しない者の存在は、珍しくも無い。
問題は、月と闇、両方の寵愛を得、両方の力に溢れ、揺らぐ心をトウゼ王が持つからだ。
砂久弥が知るシャランは、闇の遣い手としての『チカラ』を見せる事は無かった。闇の声がシャランを賛美する事は、砂久弥が意識して闇に耳を澄ませた故に知れた事でもあった。
シャランは闇に無関心だった。
闇も、シャランの周囲を徘徊し乍ら、大したチカラを発揮するでも無かった。
――だが現在のお前は、闇を遣う……。
砂久弥は苦く、事実を受け止める。
最悪の結果だけは、避けなければ為らなかった。
その為には、ヒラリスの協力もまた、不可欠だった。
☆☆☆