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◇18話◇掠われた日

☆☆☆


 それは、紫蘭が闇に出逢う前。

 己が心は自覚したばかりで、燕夜の心は推量しかねた、そんな苛立ちに苦しんだ夜である。




 紫蘭は悩んでいた。


 自分の心の動きが制御出来ない。

 こんな事は初めてだった。


 だが、紫蘭は自覚する。

 それが何に起因し、もたらされた事態かを。

 自らが何に心囚われ、何を惑うのか、正確に把握していた。


――そう。私は彼を愛している。これが……恋と云うものなのだろう。


 そう彼女は思い、嘆息する。

 許されない想いだと考える以上に、自分の感情が恐かった。

 燕夜が倒されでもしたら不倖だとは思う。だが、そんな心配は無用な筈だった。

 彼はトウゼ王。ヒラリス王子が如何な勇者とて、彼を誅する事は出来ない。


 それと知りつつ、彼女は願ったのだ。


 ヒラリスの死を。



「彼を……嫌う訳ではないわ。」


 そう。嫌いではない。どうして嫌えるだろう。

 逢った事もない相手。今迄、何に於いても敵対した事もない相手を。


 そんな男の死を……願った。


 心が、勝手に暴走したのだ。

 彼女にとって、それは初めての経験だった。


「………そんな。」


 恐ろしい……と思う。誰かの死を希求した事では無い。自分で自分の心を操れない事実が。


 どんなに嫌いな相手であろうとも、彼女は愛し気に微笑いかける事が出来た。その逆もまた然りである。

 それなのに、燕夜に関する事には、時に理性が飛びそうになる。


「今迄は、誤魔化せたけれど。」


 いつ、その胸に飛び込んでしまうかも知れない。

 そんな自分に、彼女は気付かざるを得ない。

 口を極めて罵り、思い切り手を振り上げて相手の頬を打ち、服を掴んで、とにかく怒鳴って、身も世もなく泣き崩れたくなる。


 あの男は、何故……何もしないのか。

 例えば、無理矢理にでも事に及ぶ様な男ならば……軽蔑も出来ただろう。

 だが。

 彼は彼女が望まぬ事は何ひとつしない。

 傍に寄る事を、最初に拒んだのは彼女なのに、そんな勝手な事を考えて、怒りに燃えた。


 私の魅力に不足が有るとでも云うのだろうか?


 せめて。

 思い出くらい残してくれても………。


 そうは思っても、すぐに否定する。


 そうなれば、今度は単なる思い出にも出来ないと、苦しむに決まっていた。


 愛情表現は多少独特だが、彼女が燕夜を求める気持ちに嘘は無い。


「誰よりも………なのに……」


 掠っておいて、口付けのひとつさえも、彼は求め様としない。

 紫蘭花は、初めて逢った時から、彼に繋ぎとめられていたのに。


 その出逢いから、甘い恋が育つ筈も無い。けれど紫蘭花の心は、多分その時から燕夜のものだった―――。






☆☆☆


「姫さま。紫黎花さま。国境が見えましたわ。あれは迎えの行列ではございませぬか?」


 大人しくて気立ての良い砂良花さらかが、淑やかに…けれど確かにはしゃいだ風に紫蘭を呼んだ。

 気に入りの侍女の言葉に、姫は微笑したが、輿の中から外を覗き見る様な、はしたない真似はしなかった。


 気にならない訳でも無いが、一緒に乗っている二人の侍女に対して、自らの印象を保つ事の方が大切なだけである。

 長椅子の上で沢山のクッションに凭れ、半ば横になりつつも羽扇で口元を隠す事を忘れない。楚々とした美少女は、正に王宮の奥深くで純粋培養された姫君以外の何者でもない。

 もう一人の侍女は、その年若い完璧な貴人の美しさに溜息をつき乍らも、笑って砂良花に云った。


「姫君が覗き見などなさると思うの?」

「だって留亜那。え?」


 拗ねた様な愛らしい口調が、息を呑んで途切れた。


「ひ……姫さま。黒い影がっ!」


 こちらに戻しかけた視線を勢いよく外へ向けたと思えば、最早そっと覗き見るどころか、半ば窓仕切りの布を掻き分け、乗り出さんばかりにして慌てた声を出す。

 その声は、けれど外の騒ぎに掻き消された。


 紫黎花は扇の影で微かに眉をひそめたが、やんわりと砂良花に声を掛けた。


「何者か知りませんが、賊は兵士達が片付けましょう。そなたは、こちらにいらっしゃい。留亜那も、手が停まっていますよ。風を呉れるのでは無かったのですか?」


 ふうわりと、えもいわれぬ笑みを浮かべる姫君に、二人はハッとして従った。

 落ち着いた笑みは、人を落ち着かせる力があった。


「大丈夫。きっと………あら。」


 彼女たちを落ち着かせる為の言葉は、途中でフツリと切れた。

 二人は主の視線を追って、身を凍らせた。


 輿の、唯一の出入り口に男が立っていた。

 黒衣は躯に合わせた動き易いもの。マントも黒で、貴人が纏うに相応しい品に見えたが、如何にも軽そうに風に靡いている。

 足首まで有りそうな丈のマントと共に、背中に届く闇色の髪も風に煽られ、その長身を飾っていた。

 長い脚が、一歩。前に運ばれた。


「そなた、無礼とは思いませぬか。女ものの輿に乗り込む事もですが、礼くらい取ったらどうです。」


 毅然として、なお優雅さを忘れない姫。

 声すらも失った娘達は、ハッっして彼女の前に立った。

 嫋かに見えても、王族の側近である。いざとなれば、敵兵を薙ぎ払い主人を護れるだけの技量は身に付けていた。

 とは云え。


「二人とも、刃物を仕舞いなさい。外の者が余りに静かなのは、その男の仕業でしょう。何もせぬ内に眠らされるよりも、生きて報告をして欲しい。」

「姫さま……。」

「ですが…、この男が話を聞くとは限りません。」


 彼女たちと五分に剣を交わせるのは、勇者の称号を持つ人間くらいだろう。剣士としての尊称を彼女たちは持たないが、腕だけなら、将軍クラスの男にも引けを取らない。

 その娘達が、姫君の声が響く迄、指先ひとつ動かす事も出来ず、恐怖に身を凍らせた相手。

 確かに逃げる事も難しいだろう。

 目的を果たした後、彼女達を生かしておくかどうか。


「そなた、目的は?」

「貴女を掠いに参りました。」


 男は、その場では軽く騎士としての立礼のみをとり、姫君の前へと足を進める。


「二人共お下がり。」

「ですが!」

「姫さまっ!?」


 不満と当惑の声に姫君は告げる。


「その男は私たちが話す間、動こうともしませんでした。今も……。話し合いの余地は有ると思います。おどきなさい。命令ですよ?」


 確かに、男は彼女たちの結論を待つ風情である。

 だが、娘達が刃を向けてまで、その紳士の態度が保たれるとは思われない。


「外の者が、すべて失われたならば、そなたたちだけが頼りです。」


 二人は唇を噛み締め、憎悪に満ちた眸が美しい賊を見上げた。

 スラリとした肢体は、昼の月光を背にしたシルエットのみでも眸を奪われたが、この状況でさえなければ、間近の彼の姿はまるで夜の神セルストの様で見惚れずにおれないだろう。

 それは逆らう事を許さない力の証明でもあった。


 それでも……いや、だからこそ、彼女達はその美さへも憎々しく思い乍ら、左右に別れ、道をあけた。


 男は姫君の面前に跪き、貴婦人に対する最高礼をとった。


「トウゼ王。名は二人の時にお話ししましょう。」

「闇の王子……か。」


 聞いていた二人の彼女は、上がりそうになった悲鳴を自分の手で封じなければ為らなかった。

 そうとなれば、彼は支配者の一人なのだ。

 彼女達にとってセリカの王族以外に崇める存在は、世俗ではトウゼ王だけだった。

 それは、東国のどの国の民でも同じ事だろう。


「では私も礼を尽くさねば為らないところですね。とは云え、この無法は貴方にも許される事とは思えませぬが?」

「姫君。恋に狂った男は理性など失くすのですよ。」

「………私に恋をしたと?」


 眉を顰めての問いには、笑って頷かれてしまった。

 姫君は溜息をついた。


「では、私の願いを聞いて欲しいものですね。」

「それを叶えれば、ついて来て下さいますか?」

「出来るならば。出来ないなら、そのまま帰途について戴く事を約束して貰います。」


 その言葉に、男は苦笑した。

 だが、次の言葉に頷かざるを得なくなる。


「約束が得られないなら、私はどんな事をしてでも死にますが?」

「……宜しいでしょう。」


 姫君が挙げた条件は二つ。外に眠る人々の意識の回復と、二人の侍女に手を出さない事である。

 あっさりと頷かれ、驚いたのは紫蘭である。


「貴方は、死者をも生き返らせる事が……。」


 呆然とした声に、彼は微笑う。


「流石に、外に眠る人々が総て死者なら出来かねますが。」

「………?」

「貴女に恋する私が、貴女を悲しませる事など出来る筈もない。皆、本当に眠っているだけですよ。」


 その答えに彼女は安堵し、そんな自分の感情に狼狽した。

 だが、紫蘭は内心を秘めたまま、差し出された手を取ったのである。


 トウゼ王が彼女を抱いて上空に浮かぶと共に、地上にはざわめきが戻った。彼等は、黒衣の魔法使いが姫君を連れ去るのを、為す術もなく見送るしか無かったのである。

 時を取り戻した彼等と反対に、姫君に半日だけと約して、トウゼ王に眠りの魔法を掛けられた女性が二人。

 云うまでもない、姫君の侍女二人である。


 その為に半日もの間、ヒラリスは姫君の行方を知る事が叶わなかったのである。


☆☆☆


 そう。

 あの時。

 人々が死んで無いと知らされた時。

 彼女は彼と共に行く理由が出来た事を、確かに喜ぶ自分を知り戸惑った。

 だが、その時は些細な問題だと考えた。


「この美しい王子と、暫く共に過ごすのも悪くない。」


 そう思った程度である。

 それが、少しずつ壊れていった。


 最初は――――。


 トウゼ王と名乗った賊に掠われ空を飛んだと思ったら、いつの間にか、建物の中に立っていた。

 何処かは知れないが、貴婦人の住まいするらしい室内だった。


「貴女の為にしつらえました。こちらでお暮らし下さい。」


 そう告げて、彼は紫蘭の手を取って、柔らかい長椅子に座す様に促した。


「美しい姫。改めて名乗りましょう。私は梨燕紫夜蘭。そう、貴女とは親族にあたります。」


 驚きの色を掃く眸に、燕夜は微笑したまま続けた。


「曾祖父たる人に逢った事がお有りでしょう?」

「梨空絵お祖父さまは、退位なされてより滅多にセリカにはお帰りになりませんわ。私も幼少の折りに、ほんの二度ばかりお目見えした切りですから……。」


 故に、記憶など殆ど無いと云いたげな口調だが、燕夜には通じない。


「警戒は不要です。梨空絵は我が父。貴女の祖父である梨影砂は弟です。私は、影砂に王位を押し付けて逃げ出した愚か者ですよ。」


 自嘲を含んだその言葉に、少女は戸惑いを見せた。


「それは、……でも。貴方はお祖父さまよりも、随分とお若く見えます。」


 トウゼ王ならば不思議な事では無いと知りつつ、少女は無知を装う。

 燕夜は穏やかに返答した。


「時を止められておりますから。ところで姫君。貴女は私がどの様にして、貴女を見つけ恋をしたか……お知りになりたくは有りませんか?」

「………知りたく思いますわ。それより……私は、いつまで此処に在らねばならぬのですか?」


 その言葉は媚びこそ含まないが、細い声が不安に揺れ、誇りを保つ姿が健気な程だった。

 それなのに、燕夜は笑った。


「随分と気弱そうな風情をお見せになりますね。貴女を知らなければ、大抵の人間は騙されるでしょう。」


 いっそ楽し気とさえ云える笑みに、紫蘭は戸惑いを見せた。


「何を……」


 困惑して見せた紫蘭に、更に告げられた言葉は。


「私は貴女を視つめ続けて来ました。貴女の誕生より、ずっと、いつでも見ていましたよ。勿論。これからは、そんな事をしないと誓いますが。」

「……………」

「何故なら、貴女にお逢いしたければ、こうして目の前に貴女の姿を拝見出来るのですから。」


 歓びに満ちた声を聞き乍ら、燕夜の言葉をゆっくりと悩内にて咀嚼した紫蘭である。かみ砕かれた言葉は、理解と共に怒りを呼んだ。


 では、自分の性格は相手に筒抜けな訳だ。

 これが愚かな相手なら、誤魔化す事は可能かも知れないが、それは期待出来なかった。


 燕夜は莫迦では有り得ない。

 この男は、そう梨燕紫夜蘭。


「随分と、紳士らしからぬ真似をなさるのね。」


 つまりは覗きと同じなのだ。

 誤魔化す事も出来ないならば、怒りのままに云いたい事を告げても構わないだろう。

 トウゼ王に対するには無礼かも知れないが、先に礼を逸したのは燕夜の方だ。


 咎めるならば斬るが良い。

 怒りと誇り高さが、紫蘭の眸にキツイ光を宿し、その輝きは更に燕夜を魅了した。


「そう。私は紳士では有りませんから。」


 紫蘭の知る誰より優雅な物腰の男が、怒る紫蘭をうっとりと視つめて、あっさりと頷く。

 怒りの発露にさえ見惚れる男に、紫蘭は呆れさえ覚えたが、それで怒りが収まる訳も無い。


 ただ、傍で視つめたい。決して触れる事はすまいと、誓って掠って来たた姫君に、燕夜は知らず手を延ばしていた。


「貴女は美しい。特に、誰も見ていないと油断した貴女の眸の輝きは、どんな宝石も敵わない。」


 燕夜の掌が、少女の頬に触れた。


「きっと、誰もが魅せられるのは、貴女が垣間見せる……その眸の煌めきの所為も有るのでしょうね。」


 そのまま両手が、少女の顔を挟んで上向かせた。

 紫蘭は、燕夜の手の感触と、その眼差しの熱さに赤面した。

 そんな自分に更に怒りを増した紫蘭である。


 怒りに満ちた眸で、怒りに頬を上気させた少女の美しさに、燕夜は我を忘れた。

 何より望んだ姫が傍に在る。その事実に舞い上がり、然しもの燕夜が自分を見失う程の歓喜があった。



 そして口付けを、思い切り拒まれた燕夜は、我に返り誓ったのである。


 二度と、邪まな思いで彼女に触れたりはしない。

 決して、彼女の前で自分を見失うまい。決して彼女の手以外に触れたりはすまい。


 燕夜は誓って、それは今のところ守られている。


☆☆☆



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