◆17話◆神話〜夜闇宮〜
◆17話◆夜闇宮
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夜闇が住まいする宮は、次元の境目に位置した。
厳密に云うならば、次元の境目を越えた先である。
この界に属さぬと云う点なら、ある意味では神々として当たり前とも云えた。
だが、そこは神々の集う世界では無い。
人間は更に暮らせない。
始めの世界を創った後は、夜闇の界で、独り宮に篭ったセルストだった。
其処は、闇に染まる………美しい夜の世界だった。
珍しく、夜の中を光が射した。
美しい輝きが女性の姿で歩を進めた。
夜闇が微笑して、その女性を迎えた。
夜の自然に宮が浮かび、目の前に現れた神殿に、二柱が足を踏み入れた。
夜闇神殿は最高神セルストと、至高の女神の顕現を享けて慌ただしく迎えた。
月光酒が捧げられ、巫女姿の娘が恭しく杯に注ぐ手が震えていた。
「余り、帰らぬ様ですね。」
人間の世界ならばともかく、夜闇の界で迄この慌て様だ。
予測のつかない訳もない。
夜闇の君は肩を竦めた。
誰も置かない独りの空間を、セルストは好んだ。
まさかリア・リルーラを世話する者も居ない宮に招く訳もいかず、珍しく訪いを見せた神殿であった。
小さき夜闇の眷属が、自分たちの最高神に浮き足立ったが。
セルスト神は煩わし気に手を振り、神々は悄然と下がった。
「多少は用を上げなさい。そなたに仕える為に、彼らは存在するのですよ。」
リア・リルーラは眉を顰めるが、セルストはやはり肩を竦めただけである。
月姫は嘆息した。
セルストは仕方なく口を開いた。
『お説教にいらしたのですか?』
何処か拗ねた様な口調だった。
リア・リルーラは眸を瞠った。
キラキラと紫玉の煌めき零れて霞に溶けた。
『人間贔屓だから。貴女は。』
云い訳の様に、セルスト神は零す。
リア・リルーラは微笑した。
この女神には、夜闇のセルストさえ、愛しい我が子でしかない。
「叱られる様な事をしたの?」
『………。』
優しく揶揄された気がして、セルストは夜の眸を伏せた。
解っている癖に、と考えた時、これが媛が感じる気持ちかと想起した。
人間の気持ちなど、こんな風に考え思い出した事など無かった。
リアはこの想いを否定するのだろうか?
『別に構いません。』
さら……とリア・リルーラの。
美しい仮面が剥がれ、顕れた真実の姿。
これ以上ない美しい仮面から、更なる美が姿を顕した。
『構わぬ……と?』
リルーラは頷く。
銀と碧の河が、夜闇の界に流れ出た。
『燕夜は……媛を失ったら、今度こそ壊れるかも知れませんよ?』
寧ろ、セルストこそが、その事を惜しみ、残念に思う口調だった。
『そなたの魅力をもってしても。』
リアは笑い、天上の音に、夜闇の界に星が瞬いて流れた。
『そう簡単に、硝紫の気持ちも傾かないでしょう。』
『良いのですか?本当に?』
セルストの、母に縋る眸が揺れ。
リアの母性が頷いた。
『そなたの恋を祝福しましょう。』
ずっと。
セルストの心は、リルーラに囚われていた。
混沌を齧り蛇と成っても。
齧る事なく夜の慈愛を極めても。
その時々で、リルーラはセルストの恋人として過ごしさえしたが、総ての時の中で、シ・エンの手を採った。
シ・エンが生まれ、リルーラに出逢った途端、採択は揺らぐ事なく為された。
『貴女を愛しています。』
『ええ。』
気持ちはまだ、消えはしない。
しかし、紫蘭媛の存在を見たなら、その苦しみは和らいだ。
『そなたが、傍から消え失せた時。寂しく思いました。』
『まだ無理です。』
『ええ。』
だが、紫蘭花の存在は、リルーラの希望でもあった。
至高の女神は、都合の良い事を考えた。
燕夜も所詮、永遠ではない。
ならば燕夜の時が終わる時に、硝紫はコチラに来れば良い。
至高の女神リア・リルーラと、夜闇の最高神セルストが、そっと眸を見交わした。
◇◇◇
至高の女神が誕生すれは、夜のセルストは常に傍近くに従った。
恋をして、睦まじく過ごした。
シ・エンと出逢うと、リルーラの手はセルストから離れた。
◇◇◇
夜闇は混沌を従える。
混沌を喰らったセルストは、リルーラと恋をした。
しかしシ・エンはリルーラの心を拐う。
◇◇◇
繰り返す神々の恋は始まりを失った。
夜闇のセルストは母なる女神リルーラを憎悪した。
闘いを挑み敗れた。
◇◇◇
夜闇はやはり恋をした。
リルーラは微笑んだが、セルストは姿を隠した。
◇◇◇
恋をする。
憎む。
愛して。
傍にいる。
遠ざかる。
戦い。
傷付け。
傷付き。
追い込み。
あっさりと敗北し。
愛して。
迷い。
繰り返される過去に、セルストと女神は見つめあう。
繰り返す過去に、夜闇の世界は生まれた。
並行し平行する世界。しかし巡り廻る世界。
創世の神は総てを記憶する。
もう一柱。
生まれ落ちる、その時まで。
それは二柱だけの記憶と成る。
◇◇◇
『見えますか……』
『そなたの未来は見えない』
『媛は?』
『あれも、そなたに関わったから。もう見えない。』
奇跡の様に出逢った媛だった。
繰り返した世界で、何度誘惑したか知れない「燕夜」。
だが、その「想い人」を、夜の眸が映したのは、初めての事だったのだ。
だからこれは、奇跡の恋だった。
細く拙い糸を手繰り、セルストは媛を捕まえ様としていた。
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