◆16話◆女神の愛し子
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水鏡を見下ろして、溜息を落としたのは、黒の王子燕夜である。
「相変わらず常識外れな………。」
知ってはいたが、砂久弥の強さはとんでもない。
燕夜が言葉を失う程だった。
取り敢えず、東の王としての“力”を授けられているから、魔法でなら断然自分が有利なのだが、あの剣には警戒を忘れ得ない燕夜だった。
「まったく。リア・リルーラも余計な事をして下さる。」
一人言ちて踵を返し、ギョッとした。
「余計な事……どの辺りが…かしら?」
視線の先には、碧の月の姫君がフンワリと微笑んでいた。
「リア……。」
絶句しつつも燕夜はすぐさま跪き、淡い紫のドレスの裾に口付けた。求婚、または最高の貴婦人に対する挨拶。燕夜がこの礼を取るのは、リア・リルーラと紫蘭花だけだ。
口に出せない求愛の代償行為の様なものかも知れない。
「先ずは、ご無沙汰をお詫び致します。」
「ほんとに……」
十七の月の内でも、一番の美しさを誇る14番目の月の姫君は、その月と同じ色彩を持っている。
シャスタ《碧の月》の名のままに、緑や青を基調とした、綺麗な色彩が踊る髪。
シャスタは、女神を生んだともされる世界では、非常にポピュラーな花の名前だとも伝えられるが、しかし正式なその名前で呼ばれる事は少ない。多く口にされるのは、碧の紫月。
通り名に含まれる八番目の月紫月は、紫の色がクルクルと色を変える宝石と同じ名前で、その名を冠される碧の月も、時に深い緑に、淡い青にと、緑と青のバリエーションを美しく奏でる月だ。
リア・リルーラの長い髪と同様に。
美しい眸も、紫月の様に色を変える。紅に金に、そして紫に………。
総ての色をそなえた眸と違い、髪は月光色のみだ。とは云え、十六の月を揃えれば、どんな色彩も可能だろう。
だが、リルーラ誕生を祝い生まれた十七番目の月が、時に輝く虹色よりも、白華の名のまま白銀の月と謳われる様に、リルーラの美しさは碧の月に例えられる。
彼女の本来の姿は、金で銀で白で、そして何より碧……緑と青だった。
「久しい事。私を呼ぼうともせずに、つまらぬ事をする様子。仕様のない事だと思い……来てしまいましたのよ?」
「つまらぬ……事ですか。」
一瞬、燕夜の頬が引き攣り、けれどすぐに眸が放った強い光と共に収まる。
残るのは、微かな陰。
「硝紫は……美しさも然る事乍ら、その心も気に入りました。そなたの妻としても申し分ない娘の様ですね。」
「リア?」
何を云い出すのかと、燕夜は慌てて顔を上げた。
リルーラはその傍らを音も無く歩む。
零れ落ちる光の雫が小さな破片を燕夜に突き刺した。
昔はこれで、心を失う羽目になったが、現在の彼にはリルーラの輝きが増したと感じるだけで済んだ。
とは云え、この姿さえも、リア・リルーラの美の総てを晒してはいないのだが。
燕夜がリルーラの姿を追って振り返れば、巫女姿の神が女神を恭しく女神を迎えていた。
そこには無い筈の長椅子。銀の硝子で出来たテーブルと、そこに置かれた月水酒も、この城には無かったものだ。
燕夜がそんな事に驚く訳も無く、女神の後に続き進められるまま腰を下ろした。
「解っておりますか?つまらぬ事とは、硝紫を掠って来た事では無い。ヒラリスを敵とした事ですら……それは無いのです。」
「リア。…………ですが。」
伏せられた眸が燕夜を見て、彼はそっと視線を落とした。
その意志にではなく、美に気圧されたのだ。
もはや最高神である主月神の姿を前にしても動じずに在れる燕夜だが、リア・リルーラには未だに凍りつきそうな時が有る。それは昔日の名残か、それとも恋を引きずってでもいるのか、恐れ多い事だと思いつつ、燕夜自身にも解けない問題だった。
ただひとつ云える事は、リア・リルーラと紫蘭花のどちらに恋をしているかと問われたなら、彼の心に浮かぶのは紫蘭花の顔だと云う事だけだった。
似ていると思ったからでもなく、その魂に……ずっと魅せられて来たのだ。
それでも、いや、だからこそ……と、燕夜は思う。
「私は彼女に相応しく無いのです。そんな資格は…… 」
「無いと誰が決めました?」
リルーラが燕夜の言葉を奪った。
今は虹の光彩を放つ眸を細め、光輝を零す声が………まるで人間の様に、下世話な言葉を発した。
「あほう。」
「あ……阿呆?」
燕夜は茫然としたと云って良い。
「阿呆で無ければ、莫迦です。間抜けです。唐変木です。全く、そなたは昔から妙に……」
罵倒はしかし優しく、微笑は慈愛を示す。愛しい我が子を見つめる母の眸に、それは似ている。優しい暖かい波動が、煌めく光の色彩として燕夜に届く。
言葉と寄せられた御志の乖離に、人間として育った燕夜は未だに戸惑う事が有る。
そこに乖離を感じる事こそが、元人間……なのかも知れないが。
「そんな話はしていないわ。そなたが莫迦な考えをして、その上で為すだろう事を云っているのよ。」
昔、燕夜がセリカの王子だった頃、共に遊んだ少女そのままの口調で、リルーラは語る。
あの頃の様に、口は悪くとも優しい「人の子」に対する慈愛の眼差しは、創世より存在し続ける女神のモノ。
少女の顔でも、女神の姿でも変わる事は無い。
少女とも女性とも云い難い美しい女神。
「リア。ですが私には、彼女を娶る資格が無いのです。私の罪は消えず、彼女は余りにも……美しい。」
「そなたも美しくてよ。」
苦悩に満ちた台詞も、女神は一笑に付す。
巫女が注いだ月酒の杯を傾け、女神が告げれば、燕夜が頭を振って訴えた。
「姿の問題ではなく、心の……魂の問題ですっ。私は……」
燕夜の言葉を女神は微笑う。
女神に付き纏う静寂の気配が楽しそうな空気に変わった。
人間の子を誰より愛しむ女神も、結局は神に外ならぬ。
神から見れば、人間の世は娯楽の様なもの。
「神と人間、どちらが美しいと思うの?そなたも硝紫も、所詮は力無い人間に過ぎない。神の中に在れば、その“美”《チカラ》を競う者の仲間にも入れまい。」
白く美しい繊手が閃き、次の瞬間銀の扇を持つ。
口元を隠す扇は、だが女神の眼差しに浮かぶ楽し気な笑みを却って際立たせ、燕夜はうっかり見惚れそうになる。
だがその言葉には納得仕切れないものを感じた。確かに女神の云う事に誤りは無い。それは理解しても、自分の心の美など認められはしなかった。
「それは……確かに愚かな事を口走りましたが………。」
燕夜は口を噤んだ。
聞き分けの無い子供に対する様に笑われるのは、多少不満だった。
例えその笑みが何にも変え難い程に美しくとも、その笑声が神々の奏でる音楽よりも素晴らしくとも……である。
「そなたは変わらぬ。出逢った頃のまま、愛らしい若者です。」
「…………」
魂は容れ物に引きずられる。器が変わらないなら、中身が変わらないのも仕方が無い。
だが……愛らしい等と云われたのは初めてだった。
頭の中が真っ白になった燕夜である。
「あ………貴女は、私を揶揄う為にわざわざ降臨なさったのですか?」
「今度来る時は、それも良いかも知れませんね。」
立ち直る為に発っせられた問いは、軽くいなされた。
天上の声が銀色に輝く笑声を奏で、揶揄する様に言葉を綴る。
黒の王子も、女神の前では『愛らしい』子供なのである。
そして女神は立ち上がる。
慌てて後に続く燕夜の眸に、優しい眼差しが映る。
「ひとつだけ。そなたの美は、そして資格とやらも、そなたの想い人が決める事ですよ?」
そして、またもクスクスと微笑った。
「楽しませて貰いました。礼を云う。」
次の瞬間には。
キラキラと、碧や銀や金の輝きだけが残された。
燕夜は呆然として、溜息と共に、そっと独り言ちた。
「神々の気まぐれになんて………私は慣れている。」
確かに、リア・リルーラは女神だ。
誰より美しく、美を競い合う神々たちも張り合わぬ程に、彼女は至高の存在だった。
だが。
末端とは云え、燕夜もまた、神々の柱に数えられる存在だった筈である。
振り回されるだけの人の子の様な表情を、燕夜は浮かべていた。
☆☆☆
リア・リルーラは月に還った訳ではなかった。
ヒラリスとはぐれたのを倖いに、経過報告を兼ねてリアリルーラを喚んだ者が居たのである。
云う迄もなく、それは砂久弥であった。
彼は小さな泉を見つけると結界を巡らし、外界と自らが立つその場所を遮断した。
泉の傍に、上等な長椅子と月水酒を満たした杯を用意した小テーブルを出現させ、跪いた。
「総ての神々の中でも稀なる美貌を誇る女神よ。月の王、大地の王、風の王、多くの神々の求愛を受けし御方よ。始祖にして雛たる至高の女神。四代目の主月神に愛されし唯一の姫君よ。我は17番目の月にて育まれし僕。ただ月姫に仕えたしと願い叶えられし者。姫君よ、14番目の月姫リア・リルーラ。我が声をお応え下さいます様。」
「……………その呼びかけ、恥ずかしいからお止め。」
何度も告げた筈の言葉を、顕れたリア・リルーラが云い、砂久弥もまた、常と同様に返した。
「リルーラ様。月姫のお言葉ならば、他のどんなご命令でも聞きましょう。が、姫君ご自身を軽んじる事だけは応じかねます。」
「………そなたはくえぬ。」
月姫は扇の影で、ほっと吐息をひとつ。
それでも愛し子を見る眼差しはそのままで、彼女が砂久弥をどれ程に慈しんでいるかが知れる。
結局彼は彼女の掌の上で、真に女神が嫌がる事なら出来る筈も無いのだが、その少しばかりの融通の利かないさが、却って女神を楽しませた。
砂久弥の生真面目さは装ったものが大半だが、彼女の尊厳に拘わると彼女以上に――彼女より彼女を疎かに扱う者など居はしないが。――拘泥する。
「姫君。取り急ぎご報告を。」
「そう。私はどうでも良いのだけれど、ヒラリスに援護を差し向けた方が良いのではなくて?」
ハッと顔を上げ、その圧倒的な『美』に凍りつきつつも、砂久弥は言葉を返す事を忘れなかった。
短期間とは云え、同じ時を過ごしたヒラリスへの友情故かも知れない。
「彼は……今?」
女神が白い御手をあげ、人差し指が指し示す方角に、砂久弥は目を凝らした。
女神は砂久弥が『力』を使う迄もなく『見える』様に、その光景を空間に映しあげる。
「これは……。」
白く細く長い指。綺麗な指が、つい…と流れた後には、結界の外から中は見えずとも、内からは変わりなく見えていた景色が変容した。
そこは、やはり山の中では有ったが、森林を抜け随分と見晴らしが良かった。そして、そこに群れを為す狼。
「この……向こうに、彼は居るのですか?」
「居た。と云うべきかしら。」
「姫君?」
当惑して見上げると、羽扇で顔を半分隠したまま、彼女は困った様に吐息した。
キラキラと碧の髪が銀の光りを零して揺れる。
「手が焼ける事。」
「姫?」
その見晴らしの良さは、そこに続く道が無い故だった様だ。知らずに近付けば、足を滑らせ落ちるは必至。
リア・リルーラの意志に依るものか、ゆっくりと進む映像に砂久弥は息を飲む。
かなり急な崖だった。
砂久弥は、此処からヒラリスが落ちたのかと、微かに胸を痛めた。
狼が一匹。崖の淵まで行き、唸り声を上げた。
身ごなしはかなり軽い筈なのに、足元の岩が崩れ、カラカラと落ちていった。
諦めたか、狼の群れは森に姿を消し、崖から落ちかけた狼も後に続いた。
カラ……と、音は小さくなって消える。それでも、未だ底に到達してなかったのか、暫くして、小さな……それは微かな音ではあったが、パシャンと、水音が耳に響いた。
「ここから落ちて……助かるでしょうか?」
「無理でしょう。」
あっさりとした返答に、砂久弥は蒼褪めた。
「彼は………気持ちの良い男です。私は、シャランの死も見たくは有りませんが、ヒラリスが死ぬのも見たく無いのです。」
凝っと、静けさを取り戻した崖を視つめ、砂久弥は唇を噛んだ。
砂久弥がこんな顔を見せた事が無いと、女神は知っている。
「どうか姫君。私の願いをお聞き届け下さいませんでしょうか?」
女神を振り返り、必死に訴える愛し子に、リア・リルーラは扇の影で微笑う。
「そなたらしくもない。その願いは不要と思いなさい。」
「……………はい。姫君。」
リア・リルーラの言葉は自らの命より重い。そう砂久弥は考える。
その言葉に、即答出来なかった。
搾り出した声も、震えた。
逆らう事はしない。それは、砂久弥の人生総てを否定する行為だ。
だが。
云い知れぬ痛みに、砂久弥は歯を食いしばる。ヒラリスの笑顔を、もう見る事は敵わないのかと思えば、その心が……言葉に成らない悲鳴を上げた。
たかが、数日の付き合いだ。燕夜がヒラリスに倒されたなら、自分こそがヒラリスを手にかけるだろう。
なのに。
砂久弥は、何か……ひどく大切なモノを失った気がした。
もしも、此処に他の者が居たならば、砂久弥の様子に動揺や衝撃、まして悲哀などを見出だす事は適わないだろう。
何事にも動じない男だと、その冷たい美貌に畏怖さえ抱くかも知れない。
だが。
勿論………女神は総てを知る。
もしも、女神が最初からそれを教えていれば、砂久弥の感情は定まる事が無かったかも知れない。
ヒラリスは単なる燕夜の敵としか、認識されないまま終わったかも知れなかった。
そして、万が一ヒラリスが燕夜を死に追いやったなら、砂久弥は当然の様に、ヒラリスを斬ったに違いない。
女神の存在は、時に強い毒になる。
神々の傍近くに仕える者は、心が麻痺して誰も愛せなくなる場合が多い。
丁寧に心を導かなければ、恋も友情も、無自覚のまま摘み取られてしまうのだ。
神々はその瞬間を、無自覚の想いの種を、気付かない訳では無い。過ちも真実も、神々はいくらでも導く事が可能だった。
だがそれは、神々の娯楽として為されるのが常だったから、人間の心を護る為に手を貸す女神の存在は、非常に珍しいとも云えた。
神々に心を奪われなければ、愛する家族や恋人を、失わずに済んだ人間は多い。 例えば、燕夜の様に。
愛し子の苦しみを、リア・リルーラは繰り返したくなかった。
女神がそう考えたなら、それは確定事項なのだ。
そして砂久弥の心は、燕夜や紫蘭を愛する気持ちと同じくらい、新たな友人を大切だと認識した。
女神の眸が満足そうに瞬くと、周囲の空気が煌めいた。楽しそうに、祝福する様に。
「そなたも早呑み込みな所がある。」
「それでは……彼が生きている…と、そういう事でしょうか?」
思わず顔を上げ、砂久弥は女神の思惑など知らぬまま、縋る様に視つめた。扇の影から覗く、優しい眼差しに息を飲む。
人の思惑を読み取るのが得意な砂久弥だが、女神に対してその才能が働く事は無い。神々の考えが計り知れない上に、女神への畏敬の念が、そんな不遜をさせない為である。
故に、どんなに優しい微笑みを向けられても、言葉にされなければ、逆に安堵も出来ないという事になる。
砂久弥はヒラリスの安否を気遣い、思わぬ緊張を強いられた。
眼差しに笑みを含んだまま、女神が映像を指し示す。
映像は視点を変えて、崖を向こう側から映した。
すると、崖の淵から少しばかり下方に、小さな茂みが見えた。
急な崖に突き出たそこに近付くと、茂みの奥には人一人隠れる事が可能かどうかの、やはり小さな穴蔵が在った。
砂久弥は張り詰めた息を吐く。言葉にも表情にも出さないまま、強烈な安堵は、寧ろ心を乱した。
そこに映るヒラリスは、狼が去った気配に、茂みを掻き分ける様にして上方を見上げていた。
今頃になって心臓が波打ち、砂久弥はそっと深く呼吸して息を整えた。
傍目には落ち着いた態度にしか見えないが、女神の眸には勿論そうは映らない。
砂久弥が女神の『美』に、瞬きに眼差しに笑みに、どんなに心惹かれ動揺するかを知る。そして、常ならば全身全霊をかけて女神に集中する砂久弥が、今日はヒラリスの無事を気にかけ、どんな風に心を乱したかを知る。
女神は人の結び付きが愛しい。
家族、友人、恋人、総ての愛情の有り様が、特にお気に入りだった。
憎悪さえ、彼女は愛しく。激しく熱い血を愛する。
今日の砂久弥の心の動きは、いつも以上に彼女を楽しませた。
常よりも砂久弥を愛しく感じて、リア・リルーラはクスクスと天上の音楽を笑声で奏でた。
「ヒラリスはそこでそなたを待つ様ですよ。安心なさい。」
唯一絶対の女神の言葉に、砂久弥は拝跪礼をとった。裳裾に口付けて感謝を述べる。
「リア・リダルテ。我が女神。貴女の美を讃え、貴女の優しさに感謝を。」
「私は何もしてなくてよ。」
リア・リルーラが微笑み。崖の映像が消え、元の景色が結界の外に広がる。
砂久弥は顔を上げ、美しい女神を視つめた。その眼差しは、常以上に雄弁な賛辞と賛美を捧げていた。
砂久弥は未だ人間の籍を持つ。人の身で彼女を『見る』等とは、随分と恐れ多い事だが、彼女が下手な儀礼を嫌うのも知っていた。
だから、逆説的なのだが、彼女に対しての礼儀は最低限に抑え、出来るだけ「気を遣わぬ様」に、「気を付けて」いる。
「いいえ、リア・リルーラ。麗しの女神。貴女が命じずして、何故狼が退きましょう。普通の狼ならばともかく、彼らは銀の王子の僕でありますのに。」
銀灰色の狼たちが、妖精の意向を確かめずに獲物の傍を離れる事は無い。考え得るのは、主である妖精の王子が膝を折る相手から、命令が為されたからに外ならない。
それは、確認する迄もない事だった。
リア・リルーラにしてみれば些細な事だと知ってはいるが、助けて貰い乍ら気付けぬ事も多々有るだろう。そう考えるのは苦しかった。
砂久弥は、常に女神の恵みに敏感で在りたいと念うが、こうして明快に解る形で気付かせて貰える方が稀なのだと気付いてもいた。
言葉にして感謝を得る程の事も無いと、女神は思うのだろう。優しさの上に胡座をかいているのかも知れない。そう考えるのは砂久弥を落ち込ませる十分な理由になった。
砂久弥は騎士で有りたかった。
己に、この高貴な女性を守れる力など無いと知ってはいたし、それは恐れ多い程の高望みだとも思うが、希う事を止められない。
せめて、その御手を煩わす迄も無い些細な事ならば、自分が片付けたいと思う。女神には『些細』でも、己には惨事を招き兼ねない『大事』だとしても。
女神が望まぬと知るから、下手な行動など起こしはしないが、心が望んでしまうのは仕方がない事だった。
砂久弥は、美しい主に少しでも役立ちたいのだ。
うっとりと、その姿に見惚れつつ、砂久弥は報告を済ませる。優しい声の響きに、震え上がる程の喜びを感じ、彼女の質問に答える。
そして指示を受け、彼はまた、深く頭を垂れた。
美は力だ。彼女のそれは圧倒的で、静かに震える程の笑みを撒く。力の奔流が零れ落ちて輝く光の粒子となって煌めいた。
圧倒的な美は圧倒的なチカラでも有る。彼女は他の神々を圧倒する美を力を誇る、最強にして至高の存在だった。
砂久弥は、その声に、姿に、吐息にさえも、時に目眩がする程、心を震わせる。その姿が直接、彼女本来のチカラを顕したなら、彼は息も出来なくなるだろう。
人間の姿に似ていても、まったく人間では有り得ない。
時に彼女は人間に化して人界に遊ぶが、その時ですら溜息つく程の美貌は隠し切れない。
砂久弥の前では神としての力を総て封じ込める事もしないから、眸を閉じていてさえ、砂久弥に負担を与えるに充分だった。
甘美な息苦しさ。
それは、快楽とも呼べるかも知れない。
☆☆☆