◇15話◇背中合わせ
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あのテーブルはもう出ないのかなあ……と、こっそり残念に思いつつ、焚火に翳し地面に突き刺した串にヒラリスは手を伸ばした。
――やはり、アレだろうか、近場の魔法は魔王に気付かれちゃうって話なのだろうか。
砂久弥の言葉を思い出し、ヒラリスは一応王子の自尊心を大切にして、余計な事は云わなかった。
あっちが食べたいなあ、等と口にする事は一国の王子として情けないではないか。
「そういや、砂久弥は黒の王子と個人的に面識有るの?」
代わりの世間話は、だがちょっとした衝撃を呼んだ。
砂久弥があっさりと頷いたからだ。
「ああ。」
「え?マジ?」
ヒラリスは驚いた。
――普通云わないか?そういう事は尋かれなくても云うんじゃないのか?
「へえ?どんな奴?」
内心盛大に苦情を述べた。しかし、それを押し隠して、普通にのんびり尋ねたが、うっかり奴呼ばわりだった。
「良い奴だよ。」
砂久弥は特に気にもせずに応え、五幻山の方角を眺める。
無表情に近いが……ヒラリスには思わし気な、……黒の王子を案じるかの様な眼差しに感じられて、一瞬だが強烈な苛立ちが沸き立ち抑制した。
ヒラリスには関係無い。例えば、砂久弥と黒の王子が知り合いだとして、その付き合いが存外深いもので有ったとしても。
そう。
黒の王子が、どんな想いでトウゼ王の座に就いたかを知ったとしても。それが、女神の素を両の眸に映した所為で、心が欠けてしまった事が、そもそもの原因だったと知っても。
ヒラリスは気にしないだろう。
実際に目の当たりにしても、そんな甘ちゃんをせせら笑っただけだろう。
もしかしたら、夜闇に苦しむ姿さえ、ヒラリスは冷然と見下ろしたかも知れなかった。
黒の王子はヒラリスにとって、もっか最大にして最強の敵だったのだから。
そして今も、黒の王子さえ存在しなければ、こんな状況は無かっただろう。
三弥山を漸く後にしようという場所で、彼等は昼食を終えた。
ヒラリスは妙な感情を忘れ、砂久弥も五幻山の空など眺めている場合では無くなった。
六京山の最大の派閥を持つ、名高い山賊が一斉に襲い掛かって来たのだ。
「魔法で解んなかったのかい!?ねえ、青の導師様っっ!!」
「使ってもいないのに、解る訳が無いだろう。それこそそんな事も解らないのかっ。」
罵り合いつつも彼らは敵をぶった切る。
何でこんな事に……と、襲われる度に思うが、仕方が無い事かも知れない。山賊にしてみれば、も彼らは他人の縄張りを勝手に荒らし回っているのだから。
彼らが例え、通過するだけじゃないかと主張したとしても、そんな云い分が通用する筈も無い。
そして、多勢に無勢どころでは無い敵の数に、二人と二匹の馬は、しっかりと………はぐれてしまったのである。
しまった………と呟いた時には遅かったのだ。
砂久弥に近付こうにも、間には沢山の雑兵……もとえ、悪人たちで溢れていたので。
敵を斬り捨てて、もう一度砂久弥を探す為に視線を動かす余裕が出来た時には、すっかり姿が見えなくなっていた。
「とんでもないなあ………っと」
振り下ろされた剣を咄嗟に避けて、ヒラリスはひょいと手近な男の首根っこを掴んだ。
二度目の襲撃を躱しつつ、他の敵からの攻撃の盾とした。
うっかりその男を斬ってしまった新しい敵が、猛烈に怒り狂ってヒラリスに突進して来た。
「おっと、……あ、ラッキー」
ヒラリスは避けた拍子に、そのまま目前でバランスを崩した敵の背中を思い切り足蹴にした。
思った通り、道が開ける。
何とか作ろうと苦慮していた突破口である。
「あっとゴメンね。君も、君もね。はいゴメン。」
何がゴメンだと叫ぶ男の頭も断ち割って、ヒラリスはもう一度、悪びれずにゴメンと云った。
後は走るのみである。
右に左に剣を振り下ろしつつ、とにかくヒラリスは走った。
「うわっと。よいしょ……っと。あらよ。」
木々を盾に逃げ続け、時に敵に斬りつけ乍ら、走り続けた彼の目前に高い茂みが現れた。
その手前に立つ敵の腹をザッ――!!と横薙ぎに斬り払うと、そのまま倒れ込んで来る男の肩に手をかけて、勢いを付けて飛び越える。
茂みの向こうには、しかし敵が四人。
ヒラリスはスッと冷えた眼差しで四人の位置を見て取った。
地表目指して落下し乍ら、先ずは一人の頭を蹴り上げ、蹴った頭にそのまま蹴り潰す勢いで足を下ろし、ガッツリ地面まで体重を掛けて着地し乍ら、右手に立つ男を剣で突き刺す。
返す刀で左手に薙ぎ払い、三人目を斬り捨てた。
「ヤリイ。僕って天才かも♪」
返り血に塗れ、口に上る言葉はひどく軽い。
戦場などでは、却ってオチャラケてしまう性格であった。
「だあって正気で人なんて殺せないもんね。僕って平和主義だからぁ。」
解るでしょ?と最後の男に問い掛けると、相手は奇声を上げて突っ込んで来た。
「バケモノがぁ〜っ!!」
「し……っつれいだね。………君でしょ。それは。」
足元に転がる、出来立ての死体に云い置いて、ヒラリスは逃亡を再開した。
砂久弥の無事に関して、彼は心配していない。
ヒラリスが心配なのは、彼が自分を見付けてくれるかどうかである。
「まさか、こんな時まで結界がどうのって云わないよねぇ。」
呟きつつ、敵を倒し乍ら走り続けた。
体力は無限では有り得ない。
取り敢えずは、何処か身を潜める場所を見付けなければならないと、そう思った。
今は未だ、考えるべきでは無い。それでも脳裡に過ぎる思いが苦い。
戦場にしろ、王子の冒険にしろ、何で命のやり取り等が必要なのか、ヒラリスには理解出来ない。
神々が統べる世界で、望めば完璧な平和だって叶えられる筈だった。
下らない理由で、だが神々との掟に反しない戦を仕掛ける国。せっかく平和に生きられるのに、わざわざ刺激を求めて山賊などやらかす逸れ者。
――世の中みんな莫迦ばっかりだ。
ヒラリスはそう思ったが、実際に今の世界に生きて、その戦闘の場に在るなら……いちいち考える事は自らの命を縮めかねない。
自分が死ぬ気などは更々無くて、だからヒラリスはこんな時は何も考えない。
血も、絶える命も、残酷な光景の総て、何を見ても心を動かさないと決めている。
そんなヒラリスが指揮官として、戦士としても、総ての戦闘に秀でた能力を発揮するのは、皮肉な話ではあった。
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砂久弥は基本的に誰にも云わないし、その欲求を積極的に叶えようともしない。
だが、その一点で、自分が壊れていると知っていた。
砂久弥は人と斬り合うのが好きだ。
だからこそ、女神は彼にヒラリスの護衛を命じたのである。
とは云え、人を殺すのが好きなのでは無く、殺し合う緊張感が好きなのである。その緊張感の中、打ち勝ち、敵を倒す。
それが、砂久弥の楽しみであった。
どちらにせよ、褒められた趣味では無い。
だが、砂久弥は思うのだ。こうして敵を斬り結び乍ら、考える。彼らだとて、好き好んでこんな商売をしているし、此処に居る人間総てを、一瞬で消滅させる武器も存在するのに、自分も含め皆が剣や弓程度しか用いない理由というものを。
結局、人間は争いが好きだよな。と結論は出て来る。
それのみでも有り得ないが、血を嫌う人間ばかりで無いのも確かだ、と砂久弥は思う。
好きなだけあって、彼は流れる様に剣を操る。
流麗な動きで、敵を屠り微笑う。
戦っている時の彼の笑みは、酷く鮮やかで、この上なく美しい。
それこそ、神々に愛でられるのも頷ける程に。
優し気に、愛おしむ様に、そして酷く楽しそうに、彼は血を溢れさせ倒れゆく敵であった存在を視つめる。
彼の周囲にいる敵は一人減り二人減り、そして砂久弥を取り囲む男達は、自分達が一体何をしただろうと、我が身の不運と不倖を嘆き、逃げ出したり、数だけを頼みに襲い掛かったりした。
彼は彼の愛する敵に、大抵愛して貰えない。
彼らは、きっと許されるなら、砂久弥が先程思い浮かべた武器を使用しただろう。
ただ、どんな星にもルールが有る。
武器の名で使われる物に限っては、娯楽のみで剣だの弓だのを使う訳では無い。存在しないだけである。
そして造る者が居たなら、その者は国や神々に罰を与えられる。使用する者にも、それは同様の事が云えた。
砂久弥と違って、彼らはそれらの武器を、使用しないのでは無い。使用出来ないのだった。
この場合、砂久弥を喜ばせる為の掟に見える光景ではあった。
その剣は、どんなに血の脂に濡れても、決して切れ味の変わらないものだったので、砂久弥は敵を斬っては放ち、斬っては放って先に進んだ。
結局はヒラリスと同じ行動なのだが、砂久弥の場合、逃げているのは敵の方なのである。
彼に出逢った事を、生き残った者は、きっと生涯忘れる事が出来ないだろう。
彼との遭遇を機に、真人間に立ち返る者は多い。きっと、今日の彼らも、身に染みて知った事だろう。
人間には、己には分を弁える事が必要だと。
砂久弥は口の端を笑みの形に変える。
この場でさえなければ、誘い込まれずにはおれぬ妖しい迄に艶やかさだ。
普段の砂久弥を讃えるなら玲瓏。同じ貌の別人が居るかの様だった。
凄艶にして、凄絶。
だが、その笑みに誘われる者は一人として存在しない。
「ひっ……!」
砂久弥の眼差しが注がれれば、一人、二人と逃亡に移る。
手近な者はフワリと飛び掛かり斬り捨てたが、他の者は追い掛ける迄も無い。
「山賊退治に来た訳でも無いしな。」
そう云いつつ、それを一番残念に思うのは外ならない砂久弥だっただろう。
彼はスッと右手を上げた。
逃げ遅れ、すっかり腰を抜かした男が、それだけで悲鳴を上げる。
だが、剣の柄を残して、刀身が掻き消えた。代わりの様に、それは弓の形を成して砂久弥は矢をつがえると、すっきりした姿勢で無造作に放った。
矢の数に限りは無く、弓に添えた手の中に次々と現れるのだ。そして、砂久弥は身体の向きを変えては次々と射た。
狙い撃つのは剣と同様、砂久弥の腕である。
性能がいくら良くとも、見合う腕前が無いとクズでしかない。そして、その性能も、砂久弥の好みで、ごく普通の剣と弓の働きしかしないのだ。
材質や切れ味、形を変化させる等の、二次的な向上は施してあるが、勝手に照準を合わせたり、敵に斬り掛かる様な武器は、砂久弥の好むものでは無い。
そして、彼は下手な万能の自動の弓矢や剣よりも、余程確かな結果を残した。
あっという間に、眸に映る敵を葬り去り、彼はずっと腰を抜かしたままの男に視線を移した。
「ひっっ!た……たすけっ……助けてくれっ!」
この男が、助けを求める相手を許してやっていたとは思えなかった。逃げる敵も、助命を嘆願する者も、きっと殺してきた男達に、砂久弥は容赦を与える積もりは無い。
砂久弥は本気で斬り合う闘いを好んだし、そうやって倒す方が楽しめる。だからと云って、逃げる者を見逃す理由には成らなかった。
つまらない逸れ者など、一人でも減った方が良いと考える砂久弥だった。
そこに新たに近付く者達がいると砂久弥は気付いたが、気にもしなかった。
先ずは目の前に居るそれを始末しようと考える。
「おま……青い髪。蒼月の利夜!?」
ゆっくりと近付いて来た砂久弥の容貌に、記憶を刺激するものがあったのか、その青銀の髪のみを頼りにした言葉か、目の前に下りて来た刀に向かって叫んだこの言葉が、男の末期となる。
砂久弥は珍しい表情をした。
あからさまな嫌悪が、その眼差しに表れていた。
「それは私の相棒の名の様だが、私をあんな化け物と一緒にしないで欲しいね。」
同性でさえ妙な気分になる低音が、不快そうに告げた。
だが、それを耳にした男達は更なる恐慌に陥っていた。
カシャンと砂久弥は剣の柄を握り直し、振り向き様に一閃を放つ。
「背後からの攻撃とは卑怯者が揃ったものだな。」
五人が斬り掛かり、三人が一瞬で屠られた。男達は倒れた仲間より、砂久弥の言葉より、尚先程聞こえた声が脳裏に焼き付いた様だった。
「じゃ……っじゃあ、砂久弥っ!?夜月の砂久弥が何でこんなところにっっ!!」
利夜よりも砂久弥の方が怖いと云わんばかりの態度は、不愉快極まりない。
砂久弥の最新の記憶に依れば、女神に相棒として押し付けられた…もとえ、無理矢理組まされた……もとえ、面倒を……とにかく、その時の利夜は、盗賊の村ひとつを丸ごと火炙りにした。
人肉が焦げる臭気と、その悲鳴は、砂久弥の美学とは折り合わなかった。しかも、残酷が過ぎるというものでは無いか。
砂久弥を前にした男達が、利夜と砂久弥のどちらを優しいと思うか……彼らにして見れば恐らくは、五十歩百歩と答えそうなものだった。
現に、砂久弥は夜月と呼ばれ、利夜は蒼月と呼ばれる。
蒼月は夜月の別名だったのだから。
「ひっ!夜月の砂久弥っ!」
「青い髪の砂久弥っ!」
もはやパニックしきりの山賊は、どいつもこいつもへっぴり腰で、砂久弥は全然楽しめそうも無いなと更に不機嫌になった。
利夜とは違い、殺戮自体を楽しめる趣味は持ち合わしていない。
しかも、青い髪の呼び名は非常に不愉快でもあった。
「人の名をよくも好き勝手に呼ぶものだな。」
つまらない相手ばかりで、つまらない事ばかり云う。しかし、逸れ者なら知らぬ者が居ないと云われる迄になった、その仕事は、きちんと果たした砂久弥だった。
さっさと片付けてしまうに限ると彼は思い、その通りに実行して、砂久弥は嘆息した。
これを締めとするには、随分とつまらない相手だったからだ。
やはり最後には腕の立つボスキャラに出現して欲しい。
無い物ねだりを砂久弥は内心願いつつ。
「まあ、いいか。」
と、呟いた。
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