第4話:テンの妖術
鳥絵が馬借の仕事を終えて、遠江を去る日が近づいていた。
この日も鳥絵は館へと出向き、斯波の姫君と床を共にしていた。
「もうそろそろ、この地を去らねばなりませぬ」
鳥絵は天井を見つめながら、ぽつりと告げた。
「まぁ、もうそんな時期……」
男との別れに慣れているのか、姫はさほど動揺しない。
それが鳥絵にはなんだか寂しいような、苛立たしいような、そんな勝手な心持がしていた。
「姫をひとりこの地に残していくことが、心細く感じられます」
これは鳥絵の正直な気持ちだった。
「あらまぁ、うれしいことをおっしゃる。京の戦も長引きそうだというし、男手が足りないわ。城内の噂では秋の刈り入れが終わったら再び大規模な招集があるとか」
突然もたらされた知らせに、鳥絵は思わず姫の顔をじっと見つめた。
「それは大事ではありませぬか。手薄になったところを攻められでもしたら……」
その先は、鳥絵にとって言葉にするのもはばかられるようなことであった。
しかし姫は、続いて更に驚くべきことを口にした。
「権兵衛と平助という商人らも、先の宴で同じようなことを言っていたわ」
姫との仲が深くなって、最初の茶会を最後に鳥絵は宴に出席していない。
姫のその発言を聞き、鳥絵は何やら嫌な予感が当たるような気がして、この日は明け方が近づくとすぐに、テンの待つ宿へと戻ったのであった。
夜が明け、仮眠をとった鳥絵は、昼を過ぎてから馬借仲間の集う寄合へと顔を出した。
「おっ、色男のご登場だ」
鳥絵は皆に囲まれ、口々に囃し立てられた。
姫と鳥絵の仲は、皆が知るところとなっていたのだ。
その場には、馬借仲間以外にも、馬借と商いを供にする輩が大勢集っていた。
鳥絵は、その中に権兵衛と平助の姿を見とめた。
すると権兵衛は、目が合ったかと思うと、
「やあやあ、姫君はご健勝でいらっしゃるか。また我らも宴に呼んでもらいたいと言っていたと伝えてくだされ。もちろん、土産話を携えてゆく、とも」
と言うと、がははと笑い、平助の小さい肩に腕をまわし、人波をかき分け消えていった。
鳥絵は内心、得体のしれないおそろしさを感じたのだった。
夕暮れになり宿に戻ると、テンがおやつを待っていた。
鳥絵は帰り道に買ってきたまんじゅうの包みを懐から取り出しながら、今日あったことをテンに報告した。
「権兵衛と平助の身辺を洗う必要があるな」
と、テンは宙を見据えながら言った。
「でも、どうやって?」
しばらく一人と一匹の間に沈黙が訪れたが、やがてテンが口を開き、
「よい忍を知っておる。どれ、頼んでみるか」
と言うと、にやりと笑った。
日が落ちる頃、テンの案内で村はずれの神社へとやってきた。
「ここに、何があるんだ?」
といぶかる鳥絵を後目に、テンは境内の中央にある、お宮へと近づいてゆく。
この時、テンは人の姿をしていた。
時代の不確かな衣をまとった、不思議ななりをしたテンの姿を、鳥絵は若い頃に一度みたことがあった。
テンは、地面まである長い袖をくるりと一度ひるがえすと、その場で印を結びかがみこんだ。
突如、テンを中心に、四方八方に風が起こった。
地面に散らばる木の葉や枯れ木が、勢いよく飛んで行く。
砂塵の中でそれらがこすれあい、いたるところで小さな雷が起こっている。
とても目を開けていられない。
鳥絵はその場でうずくまると、嵐がおさまるのをひたすら待った。
しばらくして、「もうよいぞ」というテンの声におそるおそる目を開け、上体を起こすと、お宮の扉が開いており、中に一匹の狐が鎮座していた。
それはお宮の両脇を守る石の狐の姿と瓜二つであった。
「おやまぁ、テンじゃないか。何年ぶりだ?連れと一緒とは聞いておらぬぞ」
狐はそう言うと、後ろの方で様子をうかがっている鳥絵に目をやった。
続けざまに「ん」と言って両手を差し出す。
テンはその上に握り飯を乗せた。
「分かっておるではないか。して、用向きはなんじゃ」
握り飯を頬張りながら、狐はテンを見やった。
「人を、探して連れてきて欲しい。忍の異朱という。以前にも頼んだ男じゃ」
「おぬしのような頼み事はごまんと聞いておる。忘れたよ。ともかく異朱だな、分かった」
狐はそう答えると、握り飯のなくなった両手をぺろりと舐めた後、しゅるりと尾を巻いてその場から消えた。
鳥絵は二匹のやりとりを後ろから眺めていたが、まさに狐につままれた心地がした。
「異朱というのは、以前にも世話になった、あの男か?」
「そうだ。おぬしの父親が近江で一揆を起こした時に力になってくれた、あの異朱だ」
そう聞いて、鳥絵は指を折り始めた。
「あれは俺が十六歳の時のことだ。あの時、異朱という男は壮年といってよかった。今では老人に近いのではないのか?」
「そうだな」
「そのような男、失礼だが、役に立つのか?」
鳥絵はじっと、テンを見つめた。
その表情はぴくりともしない。
「まぁ、蛇の道は蛇という。声をかけてみても損はあるまい」
そう言うと、テンは尾の先から狐火の小さいやつを取り出し、どこから取りだしたのか、灯篭の中にそれを入れた。
「さあ、帰ろう。私は猫の姿に戻るから、これを携えてゆくといい」
鳥絵はまだ腑に落ちないまま、とりあえずテンのこしらえた灯篭を手に取り、宿へと戻るのだった。
日はとっぷりと暮れ、空には満点の星と、大きな月が浮かんでいた。




