中編
夕げの席で、父は執事から封が開けられていない書類を受け取る。自信満々のその様子から、自分は小細工なんてしていないと見せ付けたいのだと思った。
(父も中を確認していないのね)
そうして内容を確認する父は「嘘だ……」と、泣きそうに顔を歪めて呻いた。父が再調査させた書類にも、ブレンダには長く付き合っている男性がいると記されていたのだ。
祖母は執事に命じてその書類を手に取り、淡々と目を通していく。
食堂には私、祖母、父、そして執事とメイドが二名いる為、もう誤魔化すことは出来ない。
「……どうやら、ご縁がなかったようね。再婚と言えど、他に身を任せている男性がいる者を迎えられないわ」
「ああぁ、でも子供はどうしたら? 俺の子かもしれないのに」
「では、それを彼女に聞きましょう。確かジーニルア伯爵令嬢でしたね。セバス、当主に手紙を送るから届ける手配を」
「はい、早急に馬車を準備しておきます。御前失礼致します」
礼をして部屋を出て行く執事を目で追う父は、まだ彼女のことを諦められないのだろう。
ジーニルア伯爵だとて、公爵家への娘の託卵容疑が発覚すれば、取り潰しもあり得る事態だ。迂闊な庇い立てはしないだろう。
祖母は席を立ち、手紙を認める為に執務室へ向かう。
私も居た堪れずに、共に食堂を後にする。
(祖母が言っていたのは、このことだったのね。確実に結果は変わらないと知っていたから)
姿を見なくても、父の絶望が背部から感じられる。
私達が食堂を出た後、静かに扉は閉められた。
◇◇◇
父は数日仕事を休み、その後に王宮に出仕した。彼にとって優先されるべきは、やはり仕事なのだ。
ブレンダの父であるジーニルア伯爵は娘の非を認め、厳しい戒律のある修道院へ彼女を送った。
「どうしてよ。お腹の子はダントスの子かもしれないでしょ? せめて生まれるまで待ってよ! お願いよ、お父様ぁ、ああっ」
「馬鹿者が、騒ぐでない! お前は賭けに負けたのだ。下手に喚けば処分せねばならん。それだけはさせてくれるな……くぅっ」
「なんでそこまで、まだ婚約さえしてなかったのに、ぐすっ」
泣き崩れるブレンダを前にし、伯爵も深く後悔していた。うまく娘を公爵夫人に出来れば、家門の利益になるかもしれないと思っていたからだ。公爵夫人の地位は、それほどまでに高い。
伯爵は悪知恵が働く弁が立つ男だ。仮に娘の子が託卵だとしてもダントスの子だと主張し、嫁入りさせようとしていた。マーシャの祖母、ラセリンの忠告を聞く前までは。
「ジーニルア伯爵、もしお疑いであれば息子を医師に診察させましょう。けれど……そこまでさせて託卵が発覚すれば、ね……。私も歴史のある伯爵家を潰したくなくてよ」
鬼気迫る顔を見せられた伯爵は、それ以上の抵抗を止めた。海千山千の彼には分かった。彼女の息子にさらに恥をかかせたなら、塵も残さず伯爵家はなくなるだろうことを。
「申し訳ありませんでした。娘は二度とご子息の目に触れさせません。許して下さい」
土下座する彼に、ラセリンは扇を口に当てて言葉を投げ掛けた。
「許します。けれど今の話を漏らせば、潰します。類似の噂が出ても潰します。当家に必要以上の瑕疵が出ても潰します。よろしくお願いしますね、ジーニルア伯爵」
「勿論です。噂は鎮火させ、娘の不貞を前面に出してご子息をお守りします」
目だけでニコリと笑い、話は終わりと踵を返すラセリンに、正座したままの伯爵は頭を上げられなかった。
(あの女は、こんなに恐ろしい化け物だったのか? 俺は喧嘩を売る相手を間違えてしまったようだ)
そして……愛していた筈の娘を切り捨てたのだ。
お互いの慰謝料はなし。もっとも伯爵の受けたダメージは、思いの外大きかった。ショックで殆ど食事も出来ずに体調が悪化し、家督を息子に譲る程に。
彼の息子であるアルニアは狡猾な父の枯れようを見て、ブレンダへの愛を感じた。
(それほど大事ならば、何故最果ての修道院へ入れたのだろう? 訳があるのか?)
けれど伯爵からは、詮索することを厳重に止められていたアルニア。もし公爵家と事が起きれば、後継を外すとまで言われてしまう。その為ジーニルア伯爵家は沈黙を貫く事になるのだ。
◇◇◇
マーシャの父ダントスは、その後も以前と同じようにたまに夕げに顔を出して、領地のことや寄子貴族等の動向を報告されていた。
以前に話していた母への愚痴も、ブレンダのことも言わなくなっていた。少し窶れたように見えるが、マーシャからは何も言えない。一度切り捨てると言われ、ダントスの気持ちを知ったからだ。
(私が何か言ったとしても、きっと不快になるだけだわ)
そんな重苦しい日々が続いた時、魔棟から祖母ラセリンへと連絡が届いた。
「治療法が見つかった。あの人は生き返ることが出来るのね。あぁ、神様ありがとうございます」
その言葉を聞いたマーシャは思い出した。
たしか自称祖父は、「自分は死んでいるのではないか?」と話していたから。
思わずラセリンに話しかけたマーシャ。
「お祖父様は生きているのですか?」
ラセリンは瞬いて彼女を見つめた。
「そうよ。ただ病気で長く離れていたから、お前は会ったことがないわね。今度一緒に会いに行こうか?」
「はい。ご一緒させて下さい、お祖母様」
嬉しそうなラセリンを見て、マーシャも楽しい気持ちになった。
でも疑問は残る。
もしお祖父様が生き返ったら、自称祖父はどうなるのだろう?
マーシャはふと気になって、眠れない深夜に開かずの扉の前に来ていた。鍵はないから入れないけれど、足が向いてしまっていた。
「居ますか、お祖父様? 私とお祖母様はお祖父様に会いに行くそうですよ。聞いてますか?」
小声で囁くように声をかける。
開かずの部屋は屋敷の最奥にあり、滅多に人は来ない。さらに今は深夜なので人気はなかった。
なのに鍵のかかっている筈のドアが、カチャリと音をたてて開かれた。
「えっ!」
思わず口に手を当てて、悲鳴を押し込めた。
「こんな夜中にどうしたの? 取りあえず中に入りなさい」
そこに居たのは、お祖母様だった。
◇◇◇
蝋燭の光で揺れる部屋に入り、穏やかな表情の祖母ラセリンにこの間の出来事を話す。
くだらない、嘘だと言われるかもしれない。
けれどその時のラセリンになら、信じて貰えると思ったのだ。
「そう、マーシャにはロッキーが見えるのね。じゃあこれは二人の秘密ね。明日の魔棟には鳥のぬいぐるみは、マーシャが抱っこしてね」
「お祖母様は信じてくれるのね。私が嘘をついていないと」
「当たり前じゃない。可愛い孫だもの」
その言葉には少しだけ違和感があった。可愛いと言うなら、何故いつもあんなに厳しいのだろうと。
でももういいと思えた。
何だか気持ちがホカホカしたから。
「でもお祖母様。私が見たお祖父様は、とても若かったの。お父様よりも若いくらいで。体から離れたからなの?」
「それはびっくりするわよね。祖父なら普通、年寄りだもの。実はお祖父様のロッキーはね、若い時の病を治療する為に仮死状態なのよ。
当時は不治の病でも、必ず治療法が出来ると信じて生かして貰う為に。
ロッキーの体は、細胞が凍りつかない低温の装置に入っているの。そのせいで体の成長はすごく遅くて、肉体は若いままなのよ。だから時々髪を整えたり、髭を剃ったり、爪切りもしに行っていたのよ。
マーシャが会ったロッキーは、今の肉体と同じ姿だと思うわ」
「あんなに若いのに、お祖父様なのね? 嘘みたい」
祖母ラセリンは少し目を伏せて、「そうね。私の息子のような姿だわ」と寂しく笑った。
「私はね、魔棟でロッキーを一人で居させるのが辛くて、ぬいぐるみに彼の霊体を移したの。これは魔棟の魔導師から伝授されたものだから、安心よ。魂はちゃんと繋がっているから。ただ入った器が傷付くと肉体にも影響があるから、ここで大事に保管していたのよ。
まあ、私が、離れたくなかっただけの話なの」
照れたように話を続ける祖母ラセリンに、マーシャは微笑んで頷いた。
「魔導師と言えど、全ての病気が治せる訳ではないの。それには血管や臓器を拡大して見られる魔導具が必要で、同時に悪い組織細胞も採取できる糸のように細い魔導具の開発も必要だった。
ただ魔力を注げば、解決するようなことではないの。
それは外傷の手当ても同じで、組織細胞を理解し元の健康な状態にするイメージが必要なのよ。
だから私は前公爵夫婦に支給される資金や貯金、それと公爵家代官の代わりに私が仕事をした給金を全て使い、ロッキーの体の維持費と魔道具開発の商会を経営していたの。
今までは赤字だったけれど、ロッキーの成功事例があれば資金を回収できるわ。もうお金で悩むこともなくなるの」
思えば父は王宮の仕事をするだけで、家で仕事をすることはなかったようだ。夕食を食べ翌朝にはここを出て行くから。でも愛人は作っていたのだから、どこまで多忙なのかはよく分からない。
祖母ラセリンが私に厳しかったのも、彼女の寿命が来た時には私が独り立ちできるようにだったと言う。もし父に追い出された時は、母ケリーが引き取ると約束もしているそうだ。
邸の使用人もそれを分かっていて、甘やかさなかったそうだ。父に良く思われていない私が、我が儘にならないように。
祖母ラセリンは祖父ロッキーが居ないことで、父をずいぶんと甘やかしてしまったそうで、外面は良いが邸では暴君になっていたようだ。
母ケリーは、それを諌めてまるで親のように注意をしてきたが、父は受け入れずに反発したらしい。結果は出産後に離縁するまでに。
祖父のことも「治らない治療は止めろ。公爵家としては金は出さない」と言い切り、結果祖母だけが奔走したのだった。
愛する夫を助けるのは当たり前。
でも他にも理由があるそうで……。
それはまだ私には話せないと言われた。
私はもう焦らない。
今まで冷たく感じた日常が、急に体温を持っているように思えたから。
◇◇◇
そして私は鳥のぬいぐるみを抱えて、祖母ラセリンと共に魔棟の門を潜った。
治療を終えた祖父ロッキーは低温の装置から出され、普通のベッドに寝かされていた。
枕元に鳥のぬいぐるみを置くと、老齢の長い顎髭を蓄えた魔導師が呪文を唱える。
その瞬間、祖父の瞳が見開かれ「やった~、生き返った。もう死んでるかもしれないと思ってたよ。ありがとうな、ラセリン。愛してるぜ!」と、祖母ラセリンに抱きついたのだ。
「あ、あぁ、良かった。昔のままね、貴方は変わらない。待ってたわ、ずっと、う……ぐ、ふっ」
「ああ、ごめん、空気読めなくて。でも俺だって、ずっと抱きしめたかった」
「こんな、お婆ちゃんになっても?」
「当たり前じゃないか。こんなにも俺を愛してくれている女は、お前しかいないよ。姿なんて関係ないよ。逆に苦労かけた分、今度は俺が頑張るからさ」
端から見れば年の離れた男女。でもお互いに好き合っているのは一目瞭然だった。
「やあ、みんな見てたのか? 何か恥ずかしいな。お、マーシャじゃないか? お爺ちゃんとこにおいで、今度こそ抱きしめさせておくれ」
魔棟のみんなが、目覚めた祖父の状態を確認しなきゃならないのに、全く隙なく騒いでいる。それを見たらもう、成功だねと呟くだけだった。
魔棟で眠る前から誰とでも陽気に話す祖父は、貴族・平民関係なく仲が良かったそう。勿論平民達は、無礼な態度は取ることもなく。
だから眠っている時もいつも洗浄魔法により清潔を保たれ、幽体はそこにはいないけれど「もう少しだから、頑張れよ」と、声もかけられていたのだと言う。関節のリハビリも受け、至れり尽くせりだったようだ。
◇◇◇
私は少し恥ずかしかったけど、祖母と祖父の間に挟まれるように抱きしめられた。
そして心から安堵する。
特に祖父には初めて会ったのに。
正確に言えば、開かずの部屋を入れると2回目だ。
「やっぱり子供は体温が高いな。温かい。良い匂い~」
「もう、ロッキーったら。初対面でクンクン嗅がないの。引かれるわよ」
「や、別に、大丈夫です、から」
まるで親子のように、くっつき合う3人に周囲は温かい視線を向ける。私だけが赤面し、さらに体温が上がるようだった。
◇◇◇
その後に検査を受けて、共に公爵家に戻る私達。父ダントスには一応連絡を入れたが、すぐに戻るかは分からない。
父は祖父が、死んだも同然と思っているようだから。
私達3人が邸に戻ると、古参の使用人達が駆け寄った。
「よくぞご無事で。よう御座いました」
「ああ、神様はおられますのね。ありがとうございます」
「旦那さま~(泣)、待っておりました。私が生きている間に会えるとは、感激です」
「痛いところはないですか? ああ、本物だ。昔のままの旦那だ」
「「「「お帰りなさいませ。旦那様!!!!!」」」」
ロッキーを知らない使用人も、みんなにつられて「お帰りなさい」と挨拶をする。
ロッキーは右手を挙げて、「みんな、サンキューな♪」とウインクするものだから黄色い声援もあがった。
どうやら昔からお調子者らしく、祖母が苦労したことが窺えた。でもそれ以上に人を惹き付ける、不思議な雰囲気が祖父にはあった。




