前編
一度投稿した前編を間違って削除してしまいました。見ていただいた方、すみません。
『トランスペアレント』
物理的に光を通す「透明な」という意味。
比喩的に「隠し事のない」「明確な」という意味でも使われる。
◇◇◇
政略結婚の両親は、私が生まれてから離縁した。
私の名は、マーシャ・フャルム・ククルス。
ククルス公爵家の一人娘。
父ククルス公爵は仕事人間で、殆ど家には帰って来ない。母は既に年下の伯爵と再婚し、伯爵夫人として暮らしているらしい。
私は次期公爵として、幼い頃から厳しい教育を受け続けていた。家庭教師から知識を、父方の祖母である前公爵夫人からは礼儀作法を。
使用人は全員父と祖母の味方。
祖父とはずっと別居状態らしい。
泣いても落ち込んでも、誰も同情してくれない。
それはもう、幼い時に理解できた事実。
「あいつは俺のことを下らないと言ったんだ。もっと早く酷い女だと分かっていたら、結婚なんてしなかったのに……」
「過ぎたことは言わないの。良い時間もあったのでしょう?」
「それは、そうだけど。でも、干渉や束縛が酷かったんだ。こっちは神経をすり減らして働いていたのに……」
たまに一緒になる父と祖母と三人での夕食。話の内容は未だに母への不満。宰相の下で働く父は重圧があるのだそう。
誰も止める者はいないから、私は音楽のようにその不満を聞き流す。母のことは殆んど記憶にないから、特に辛くもない。
最後の決まり文句を祖母が言って終わり。
「貴女は勤勉に励みなさい。我が公爵家を継ぐのだから」
「はい、お祖母様。公爵家の為に精進致します」
それだけ言っておけば、納得してくれる祖母。
その正解が分かるまでは何度も失敗したけれど、今は怒られたりしないわ。
「父親のように怒りに任せてはいけないよ」
「お前はまだ子供なのだから、我が儘を言う立場にはないの。生意気なことを喋ってはいけないわ!」
「正しいと思うことでも、一呼吸置いてから口に出しなさい。お前の意見は公爵令嬢としての、権力が絡むことになるの。何気ない一言が威圧になるのよ」
私が納得する答えをしないと、こんこんと説明が続いていく。
他人には慈悲深げな顔と折り目正しい作法で、非の打ち所がない人なのに。私には厳しい。
父は祖母の言動には何も口を出さない。けれど邸で笑っている顔も見たことがなかった。
そんな祖母達と暮らすうちに、私の心も凪いだものになっていた。
与えられたことを受け入れ、坦々と日々を過ごす。
そうすれば怒られることもない。
庭に植えられた花でさえも、蝶々が戯れて楽しそうなのに。この邸には春がないように思えた。
◇◇◇
ある日祖母の機嫌を損ねたのか、開かずの扉と呼ばれる部屋に入れられた。外出先で嫌なことがあったようで、いつもの受け答えをして不興を買ってしまった。
「いつも同じことばかりね。それで良いと思っているの?」
とうとう、そう言われてしまった。
けれど目が慣れてくると、月明かりで周囲が見えてくる。
年代物の並べられた部屋は、暗くはあったが美術館のようにきちんと整頓されていた。
普段は鍵がかかっていて、決められた者しか掃除にも入れない部屋なのだ。
人形、花瓶、刀、額に入った絵画、外国のコイン、指輪やネックレスの宝飾品、年代物のドレスの数々がトルソーにかかっている。
暗闇だけど、不思議と怖いとは思わなかった。
そして何故か、人間の声までする。
「貴方はどうしてここに? 泥棒でもなさそうだけど」
マントを付けた若い男性は、私の声に首をキョロキョロさせた。
「もしかして、俺に言ってるの? 見えてるってこと?」
「? 見えているから、貴方に話しかけているのよ。誰よ、貴方?」
驚いたと思ったら、途端に微笑んだ男性。
桃色の長い髪に橙の二重の瞳は、彫りの深い美形の顔にとても合っている。
「俺はお前の爺ちゃんだよ。よろしくな、マーシャ!」
「爺、ちゃん? 私の祖父だと言うの? ふざけるのもたいがいになさいな。どう見ても20代じゃないの!」
「いや~、これには訳があってさ。お前と一緒に暮らしている婆ちゃんに、閉じ込められたんだよ。この鳥のぬいぐるみにさ。だから体の方は、きっと死んでるんじゃないかな? たはぁ~」
「ちょっと、待って。祖母が閉じ込めたですって? どうやって?」
「ん~、何かの呪術らしいよ。人形に入れられる時に言ってた。不思議なこともあるもんだな?」
「何でそんなに他人事なの? 悲しくないの?」
「最初は辛かったけど、何か馴れちゃって。極た~まに家令が掃除? 点検? にくるんだけど、寒気がするってすぐ出ていくんだよ。『この部屋、何かいる』って蒼い顔してさ。ハハッ」
これって、幽霊なのかしら?
明るさしかないわね。
「それより何でここに居るんだ。お前はこの写真の姿より成長しているから、びっくりしたぞ」
「え、写真があるの?」
「おお、あるぞ。これこれ、可愛いな」
箱をごそごそして、小さな額に入った写真を引っ張り出す自称祖父。
「わぁ、小さいなぁ。たぶん、これ私だわ。記憶にないけど」
笑ってる。写真の私、笑ってるわ。
「大丈夫か? 何か悲しいことでもあったのか?」
おろおろする自称祖父は、泣いている私にハンカチを差し出してきた。
「たぶん汚れてない綺麗なやつだ。使うといい」
「……うん、ありがとう」
ここには時々家令以外にも、祖母が愚痴を言いに来るそうだ。掃除も兼ねて。
私の知らないことばかりだ。
それに体がなくても、物が持てる自称祖父っていったい?
ポルターガイスト現象と言うやつだろうか?
何だか衝撃が強くてドキドキする。いつも変わらない毎日で、嬉しいことも苦しいことも感じなかったのに。
祖父かどうかも分からない、幽霊みたいな人に慰められている異常事態。
でも……何だか肩の力が抜けて、楽になってる。
気分の良くなった私は、閉じ込められた時間を彼と話し過ごした。
◇◇◇
「あらまぁ。寝ているなんて、物怖じしない子だね。誰に似たのやら。まあ、あの子に似ているのは確かだろうけどね」
ドアの開く音で一瞬覚醒したが、またうとうとしてしまう私。
祖母にしっかりと抱えられて、その部屋を後にする。
7歳になった私は結構重いのに。
この時の祖母はとても優しくて、温かい声色で話をしてくれていた。
(いつもこうだと良いのになぁ)
そして誰もいない深夜に、私の部屋へと戻されたのだ。
◇◇◇
また変わらない日々が暫く続き、父が邸に戻って来た。
そして「愛人が妊娠した。今度こそ温かい家庭が持てると思う」そう祖母に報告していた。見たこともない笑顔で。
(ああ。この人も笑えるんだ。この邸が嫌なだけだったのかしら?)
そう考えなら何気なく父の方を見ると、訝しげな顔をされてしまう。
「ブレンダと結婚したら、本当はお前なんかもういらないんだ。精々優秀になれるように学んで、家政や執務を手伝えるように頑張るんだな。そうなれば、お情けで置いてやるから。クハハッ」
「…………」
いくら別れた母が嫌いでも、娘の私にまで追い出す宣言をしてくるとは。まだ結婚前だと言うのに。でも妊娠しているなら、そう言うことなのかな?
祖母は暫く俯き、無言で考え事をしているようだ。
そして…………。
「結婚は、身元調査をしてからになさい。他に付き合っている男がいないかだけでもね。それでクリアなら、反対しないわ」
「他の男なんている訳ない。でもまあ、一応公爵夫人になるんだから、調査はしよう。じゃあ……俺は忙しいから、母上が手配してくれないか?」
「良いですよ。でも調査が終わるまでは、籍を入れないようになさい。もしかしたら、他に良いと思う娘が出てくるかもしれないでしょ?」
「そうだね。じゃあ、よろしく」
父は私に冷たい言葉を投げつけて、夕食を摂った後自室に戻って行った。
私は父の態度に僅かに心が揺れたが、そこまで嫌われていたのだと改めて受け入れた。
そんな私に対して祖母が言葉をかけてくれた。
「顔をお上げなさい、マーシャ。貴女こそが公爵家の血筋なのだから。貴女がこの家を継ぐのよ」
祖母に言われた言葉に疑問が生じた。
だって父は、後妻になる人の子を跡継ぎにすると言ったのに。
「大きな声を出してごめんなさい。でも時が来れば分かることよ」
いつもより優しい祖母の言葉が、偽りじゃなく本心のように心に響いた。
◇◇◇
私の母は王妹で、父は前王弟である祖父の息子だ。血の近い従姉弟に当たる。
二人の結婚は、母からの告白で始まったらしかった。
父が一人っ子なのは、祖父の体が弱かったせいだと聞いたことがある。病気の治療の為に魔棟にいることを、祖母と母が話しているのを偶然聞いたのだ。
母は父の出勤している時に、たまたま公爵邸に現れているようだったが、私には顔を合わせずに帰っていた。
図書室に行く廊下の通りすがりに、応接室で話す二人の話し声から祖父のことと、私の話題が出ていたのだ。
祖父の治療法がまだ見つかっていないことと、私は元気にしているかの確認を。
本当は会いたいけれど、会えば連れ去ってしまいたくなるからと泣いている声が。
その当時5歳だった私は、出来るならば母に連れて行って欲しかった。だってここにいるのは、とても寂しいから。
でも同時に泣いている母の様子で、それは無理なのだと思った。大人の事情は子供には分からないながらも。
部屋に戻って泣いて泣いて、それからは母のことを考えないようにしたのだった。
◇◇◇
父の愛人のブレンダの調査報告書が届いた。彼女は父とは別に付き合っている人がいるようだ。
「嘘だ、こんなもの。彼女が気に入らなくて、母上が改竄したのだろう? 俺は彼女を愛しているんだ」
「じゃあ、貴女が調査を依頼なさい。そうすれば納得出来るでしょう?」
静かで圧し殺した声が夕げの場に響く。
食事の途中で席を立つ父は、「こんなものは信じない。自分で再度調査をする」と、怒りを滲ませて去って行った。
嘆息する祖母に声をかけられず、ただ俯いて食事を続けるしかなかった。
私は祖母が嘘をつくように思えない。
厳しいけれど、正しく導いてくれていると感じるから。




