第6話:シルビアの登場
マークバラードの朝は、昨日よりも少しだけ賑やかだ。
丘の畑には、カベルネ、シャルドネ、山葡萄の苗が根を張り、時空魔法のおかげで緑が少しずつ広がっている。
私は小屋の窓からその光景を眺めながら、胸の奥でワクワクが止まらない。
前世の記憶が囁く――これらの葡萄が実を結べば、マークバラードの名を冠したワインが生まれる。
村人たちも、畑に集まっては苗を興味深そうに覗き込み、子供たちは「これ、いつワインになるの?」と無邪気に聞いてくる。
そんな日常に、私はすっかり心を奪われていた。
「エレナ様、朝からまた夢見がちな顔ですな。畑の世話は村人に任せて、今日は少しゆっくりなさい」
エルルゥが朝食のテーブルを整えながら、いつもの少し厳しい口調で言う。
彼女の黒いメイド服は、埃っぽい小屋の中でも不思議と凛々しく見える。
剣の手入れを終えたばかりらしく、彼女の腰にはいつものように刃が光っている。
「エルルゥ、ゆっくりなんてできないよ! 今日は畑に水をやる方法を考えなきゃ。時空魔法で成長を早めても、水やりは欠かせないからね」
私はスプーンを手に、スープを飲みながら答えた。
エルルゥは眉を上げ、ため息をついた。
「ふむ、貴女の情熱は認めますが、ワタクシが心配するのは魔力の使い過ぎです。くれぐれも無茶は――」
彼女の言葉が途中で止まった。
外から、ガタガタと馬車の音が聞こえてきたのだ。
小屋の窓から覗くと、村の入り口にぼろぼろの馬車が停まっている。
荷台には、雑多な荷物と、一人の少女が座っていた。
栗色の髪をポニーテールにまとめ、薄汚れたローブを羽織っている。
歳は私より少し上、15歳くらいだろうか。
彼女は馬車から降りると、キョロキョロと村を見回した。
「エレナ様、知らない顔ですな。旅人でしょうか? ワタクシ、様子を見てきます」
エルルゥが剣の柄に手を当て、ドアに向かおうとした。
私は彼女を制して、笑顔で言った。
「待って、エルルゥ! 旅人なら歓迎しようよ。マークバラードに新しい風が吹くかもしれない!」
エルルゥは「無謀にもほどがあります」と呟きながらも、私の後ろについてきた。
村の広場に近づくと、少女は村人たちに囲まれていた。
ガルドが「どこから来たんだ?」と尋ねる声が聞こえる。
少女は少し緊張した様子で、でもハッキリとした声で答えた。
「私はシルビア、隣国クシナーダから来たの。ちょっと……事情があって、旅をしてるだけ。泊まる場所があれば、働いてお金を払うよ」
彼女の声には、どこか強がっているような響きがあった。
クシナーダ――隣国の名前を聞いて、私の心が少しざわついた。
貴族教育の記憶では、クシナーダはワインの産地としても知られているけど、王国との関係は微妙だ。
政治的な話はよくわからないけど、彼女がここに来たのは何か理由があるはず。
「シルビア、ようこそマークバラードへ! 私はエレナ・フォン・リーデル、この村で葡萄畑を作ってるの。泊まる場所なら、うちの小屋にどう?」
私が笑顔で手を差し出すと、シルビアは一瞬驚いた顔をした。
村人たちもざわつき、エルルゥが「エレナ様、軽率すぎます!」と小声で抗議してきた。
でも、私は気にせず続けた。
「働いてくれるなら大歓迎! 実は、畑の水やりに手が足りなくて。手伝ってくれると嬉しいな」
シルビアは私の手をじっと見つめ、ためらいがちに握り返した。
彼女の手は、細いけどどこか力強い。
「……ありがとう、エレナ。泊めてくれるなら、力になるよ。私、風魔法が使えるから、畑の水やりくらいなら簡単だよ」
「風魔法!? それ、めっちゃ面白そう! 見せて見せて!」
私の興奮に、シルビアは少し照れたように笑った。
彼女が手を振ると、柔らかい風が広場を吹き抜け、近くの木の葉がサラサラと揺れた。
村人たちが「おお!」と声を上げ、子供たちは手を叩いて喜んだ。
エルルゥだけが、眉をひそめてシルビアを観察していた。
「エレナ様、クシナーダの魔法使いとなると、ワタクシ、少々警戒が必要ですな。身元がはっきりするまでは――」
「エルルゥ、大丈夫だよ! シルビア、悪い人には見えないもん。ね、シルビア、さっそく畑に行ってみよう!」
私はシルビアの手を引き、丘の畑に向かった。
エルルゥが「まったくもう」と呟きながら後ろをついてくる。
畑に着くと、シルビアは目を輝かせて苗を見回した。
カベルネ、シャルドネ、山葡萄――それぞれの苗が、時空魔法で少しずつ成長している。
彼女は山葡萄の蔓に触れ、感心したように言った。
「これ、山葡萄? クシナーダでも見かけたけど、こんな風に畑に植えるなんて初めて見た。エレナ、変わってるね」
「ふふ、変わってるってよく言われる! でも、これでマークバラードだけのワインを作るんだ。シルビア、風魔法で水やり手伝ってくれる?」
「任せて!」
シルビアが手を振ると、柔らかい風が畑を吹き抜け、近くの小川から水滴が舞い上がった。
まるで霧のように、苗の上に均等に降り注ぐ。
村人たちが感嘆の声を上げ、私も思わず拍手した。
「すごい! シルビア、これなら水やりがめっちゃ楽になる!」
「こんなの、朝メシ前だよ。エレナ、時空魔法って話してたけど、それってどんなの?」
シルビアの好奇心旺盛な目に、私はちょっと得意げに笑った。
「見てて!」
私は手を広げ、時空魔法を発動した。
青白い光が苗を包み、ほんの少しだけ時間を加速させる。
山葡萄の蔓がグンと伸び、葉が一層鮮やかに広がった。
シルビアが「うわっ!」と声を上げ、村人たちも驚きの表情だ。
でも、魔法の反動で頭がクラッときた。
「エレナ様! また無茶を!」
エルルゥが素早く私の腕を支えた。
シルビアも心配そうに近づいてくる。
「エレナ、大丈夫? 時空魔法って、めっちゃ負担かかるんだね……」
「う、うん、ちょっとやりすぎただけ。シルビア、すごいよ、風魔法! これから一緒に畑を育てようね!」
シルビアは少し照れたように頷いた。
その夜、小屋での夕食は三人分になった。
シルビアはクシナーダの話をぽつぽつと語った。
どうやら、魔法使いとして追われた過去があるらしい。
エルルゥが鋭い目で彼女を見つめる中、私は彼女の手を握った。
「シルビア、過去は関係ないよ。ここで一緒に、最高のワインを作ろう!」
シルビアの目が少し潤んだ気がしたけど、彼女は笑って頷いた。
「うん、エレナ。ありがとう。私、がんばるよ」
エルルゥが「ふむ、ワタクシも監視を怠りません」と呟いたけど、その声にはどこか温かさが混じっていた。
マークバラードに新しい仲間が加わった。
この村が、もっと賑やかで、希望に満ちていく気がした。




